第22話 謎解き座敷① 吉原、昼九つ
隆正を先導するのは、最初に吉原を訪れた時と同じ者だ。
「それにしても旦那は物好きでいらっしゃいますねえ」
「何が、だ? 昼に吉原に通う者は珍しくあるまい。それに
吉原を訪ねるのも二度目とあって、今日は隆正も軽口に応じる余裕がある。大名屋敷に仕える武士は、門限があるから昼見世に通うのが常だというし、隆正自身も吉原通いを揶揄われるのは心外なことだ。彼は
「ええ、薄雲さんでしょう? だから変わってるんですよ。あの人は八丁堀の旦那方と会う時は
松吉の顔にもったいない、と書いてあるのが見えるようだった。
そう、隆正は今日、揚げ代を払って薄雲に会うのだ。といっても芸者の類は一切呼ばず、あの女の格ならば当然あるべき花魁道中も免除してもらえるよう、鶴美屋と
呼び出し昼三といえば、本来最低限の揚げ代だけでも金一両一分、昼夜を問わずに同じ揚げ代のところ、道中なし宴席なしということでかなり負けてもらった。彼の
それでも彼は、薄雲に甘えることはしたくなかった。最初の夜は知らなかったとはいえあの女に無礼な態度を取ってしまった。最高の格の花魁に、この程度には埋め合わせにもならないだろうが。
「単に筋を通したいというだけだ。お前が気にすることではない」
とはいえそれは松吉に言うことではない。
しかし松吉は少々しつこく食い下がった。
「薄雲さんは難しい人ですよ。そりゃ、愛想は良いし美形ですけどね。ただ、何ていうか壁がある感じで――どんな金持ちでも優男でも、惚れたって話を聞いたことがねえ」
「そうなのか」
「ええ……なので、何度か通ったくらいじゃ気を惹くなんて無理ですよう?」
どうやらこの男は、隆正が薄雲花魁に惚れたと思い込んでいるようだ。身代を傾けても通うつもりではないのかと、案じてでもいるかのよう。
「だろうな」
(無用の心配だというのにな)
的外れの懸念がおかしくて隆正は少し笑い、そしてそれ以上は語らず、松吉に先を急がせた。
* * *
隆正が事件の後始末に励むうちに暦は進み、季節は初夏になっていた。薄雲花魁の座敷も、夏を意識して装いを変えたのだろう、床の間には勢いある鯉の滝登りの掛け軸が掛かっている。遊郭にしては勇ましい気もするが、縁起物ということだろうか。
そして座敷の主はというと、藤浪屋の屋号に合わせた装いをしていた。
「
開口一番にそう笑った薄雲が纏うのは、
(道中でこそ、映えるものなのだろうな……)
陽の光や夜でも眩い吉原の灯りのもと、優美に外八文字を踏む道中では、薄雲は
「捕物話を聞かせてもらうはわちきの方でありんす。銭などいらぬと、最初に申したでありんしょう」
「そうは行かぬ。馬鹿正直な質とは
「まあ、ほんに……」
くすくすと笑う薄雲の後ろ、つんと澄まして控える
「それでは、栄屋お
「うむ、そのために来たのだ――」
とはいえ、朧だとて姉花魁と客の話に口を挟む非礼は犯すまい。だから、女たちの心中を推し測り訝りつつも、隆正は事件の決着を薄雲に語り始めた。
「――という次第であった」
「
「まあ、そうだな」
美しく晴れやかに笑う薄雲に、隆正がもろ手を挙げて頷くことができなかったのには、理由がある。彼にとっては事件はまだ終わっていないのだ。たとえ調べが進み、
隆正の胸の裡は、いつまでも霧がかかったようにもやもやとしたままだった。しかも、その霧は目の前の美女が生み出したものだ。どうしてこのように全てが上手く行ったのか、最初から全てを見透かしていたのか。何ひとつ分からないままでは、素直に喜ぶことなどできそうになかった。
「主さんもお手柄でありんしたなあ。ほんに頼もしいこと。」
「……某の手柄ではないだろう。そなたの助言がなければ、信二を見つけることは叶わなかった。見つからぬまま、口封じをされてしまっていたかもしれぬ」
(この女には、一体何が見えている?)
隆正がおだてられたりなどしていないと分かっているだろうに、薄雲はにこやかな笑みと態度を崩さずゆるゆると首を振った。
「いいえ、わちきは
「そうは行かぬし酒もいらぬ!」
隆正が声を荒げると、腰を浮かしかけた朧が凍りつき、そして顔を顰めて彼を睨んだ。花魁に対して無作法な、とでも思われたのだろう。しかしこの際構ってはいられない。薄雲に全て明かしてもらわなければ、彼はこの事件を終わったものとは思えないだろう。だから、隆正は身を乗り出して薄雲に詰め寄る。多少、大人げなくみっともないのを承知の上で。
「某も全て話したのだ。だからそなたも全て教えろ。信二の居場所、青海屋の企み――一体いつ、どのようにして知ったのだ? それにあの
「それは――」
薄雲の方もわずかに身を屈め、朱を
「たまたま、でござんすよ。今聞いたように上手く運ぶなど、わちきもちっとも考えちゃおりいせんでした」
「――ならば、なぜ!」
「朧、湯を用意なんせ。酒の代わりに茶を
「……あい、花魁」
ひとしきり笑った薄雲は、表情を生真面目なものへと改めた。やっとまともに話ができる気配を感じて、隆正も口をつぐんで様子を見守ることにした。
「どうして、どうやって、というなら――まずは、何を信じて何を疑うか、でありんしょうなあ」
「信じる……?」
「主さんは鈴なる娘を信じたいと思いなんしておりいした。ゆえに、わちきもまずは倣ってみようと考えんした」
薄雲が語るのと同時に、朧は甲斐甲斐しく働いている。階下から運ばれてきた
薄雲が言葉を切ると、座敷に聞こえるのは風炉に掛かった釜で湯が沸き立つ微かな音だけ。隆正としては話を促すのも茶の手順の邪魔をするのもやり辛い。息詰まる思いで見守る中――薄雲はゆるやかな所作で茶器を清め、棗から茶杓で抹茶を掬い、湯を汲んで。そして、茶を点て始めた。
「鈴の目に狂いがなく、信二なる者が本当に道を誤る者でないのなら、確かに姿を消すのはおかしいのでありんしょう。したが、一方で青海屋の内で何事かが起きたのも間違いない様子。そうすると、真面目なはずの者が何をしでかしたか、そして店はなぜそれを公儀に訴えぬかがまっこと不可解――」
すらすらと淀みない薄雲の声に、茶筅が椀の底を擦る音が合わさると
「ならば、信二は確かに何かをしでかした――しかし、それは悪事では
薄雲が言い切ると同時に、香り高い茶を湛えた椀が、隆正の前にす、と差し出されている。言われたことを呑み込み切れずに困惑している彼に鎮まれ、とでも言うかのような絶妙な間合いは、まったく見事な
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