第24話 謎解き座敷③ 花魁の本領

青海あおみ屋にすずの名を伝えさせたのも、囮だったのだろう。惚れた女の名で信二しんじを脅せばさすがに屈するだろう、だからこそ、青海屋を見張っていればの隠し場所は自然に知れるということだったのだ」


 薄雲うすぐもにばかり語らせるのが悔しくて、隆正たかまさは今度は自ら説を披露した。

 艶然と微笑む花魁おいらんの脇では、振袖新造ふりしんおぼろが退屈そうな顔で煙管きせるを磨き始めている。子供が興味を持つようなことではなし、このように雅とはほど遠い話題が吉原の座敷を占めるのも、きっと滅多にないことなのだろう。しかし、彼が場違いさに気後れすることはもはやない。


 理屈の糸で事実の欠片を縫い合わせ、事件の絵柄を読み解いていくのは楽しかった。あの夜は訳も分からぬままに走り回っていた彼であればなおのこと、渦中にいる間に取り囲まれていた靄が晴れるような爽快な気分がする。


「あい、まさしく。さすがの慧眼けいがんでありんすなあ」

「……後知恵に過ぎぬがな。そなたが言うと下手な世辞にしか聞こえぬ」


 そのような高揚も、如才なさすぎる薄雲の追従ですぐに醒めてしまうのだが。何しろ、頭ひとつで策を弄した薄雲に比べて、彼は当の信二の証言を聞いている。その上で何も気付かぬのはよほどの大馬鹿者だけ、特に見識を誇るようなことでもないのだ。

 捕らえられていた蔵で、青海屋の主人やら手代やらに何をされて何を言われたか。ことにあの夜、盗んだ茶器の隠し場所を白状した時のことを、信二はひどく悔しげに語っていた。


『俺だけならどうとでも、と思っていました。どうせ旦那様方が俺を見逃すはずがないから、せいぜい粘って悪事の邪魔をしてやろう、と。でも、鈴さんやさかえ屋さんに迷惑をかける訳にはいかないと思ったんですが』


 栄屋が破落戸ごろつきどもに荒らされたことを、その時信二は既に聞いていた。あの店は何も知らない、茶器は返すから手を出すなと懇願したにも関わらずの顛末だ。栄屋一家が無傷で済んだのがせめてもの救いとはいえ、自分のせいで、と思わずにいることはできないのだろう。


 しかしそれもまた、薄雲にとっては予想のうち――しかも、望ましい結果だったのだ。信二の懊悩と拗ねる隆正を他所に、美しい女は美しい笑みを保っている。


「青海屋が隠し場所にまず当たるか、それとも栄屋を狙うかは五分五分と思っておりいした。蓋を開けてみれば、一挙両得とはまさにこのこと――証拠の茶器も、栄屋襲撃の嫌疑も、見事に一度に揃うとは、まっこと僥倖でございんした」

「青海屋にとっては念のため、が裏目に出たということだな」


 悪事に手を染めた者の常として、青海屋の主人たちは疑い深く慎重だった。赤の他人の癖に奉行所に頼ってまで信二を探そうとする鈴――ひいては栄屋は、既に彼らの罪を知り、脅すつもりかもしれないと勝手に恐れたのだとか。信二が必死になって否定するほど、何かしらの証拠が栄屋に隠されているのだろうと信じ込んだのだ。破落戸どもの襲撃は、余計なことをするな、言うなという脅しでもあったのだろう。当の栄屋一家は、何も知らなかったというのに。


 用心に用心を重ねたつもりが薄雲の手中だったとは、いっそ青海屋が気の毒になるほどかもしれない。敬服するような空恐ろしいような心持ちで薄雲を見ていると――稀なる女は、身体を傾けて、隆正の耳に唇を寄せる。


「わちきにとっても念のため、でありいした。ぬしさんは、きっとお怒りになりんしょうが」

「何……?」


 かんざしがしゃらしゃらと鳴る音に、化粧の香り。間近に感じる吐息に、上目遣いの眼差し。いずれも彼には慣れないもの、しかも意味ありげな物言いも気になるから、隆正はどきりとして息を止めてしまう。その隙を突くかのように、薄雲はますます距離を詰めて、抑えた声でそっと囁いた。


「信二が既に殺されていた場合のことでありんす。その上で、青海屋が鈴のことを知ればどうなるか――」

「そうか。その恐れもあったのだな」


 やや乱暴に応えながら隆正は顔を顰め、薄雲からそっぽを向いた。しかし別に言われたことに怒った訳ではない。近すぎる美貌が目に毒だったのと、薄雲が含ませたことに気付いて、またこの女に考えが及ばなかったことを思い知ったからだった。畳の上をずり下がり、柔らかく芳しい女の肢体から十分距離を置いてから、考えをまとめ、呟く。


「……その場合は、証拠の茶器は既に青海屋の手中だ。しかし、それでも連中が鈴を疑うのは変わらない。今際の信二が懇願するほど、むしろ疑念はいや増しただろう。信二から何か聞いているかと恐れ、口を封じようとする、かも。――少なくとも破落戸どもの依頼主の線から、青海屋を責める糸口になり得る、ということか……」

「余計な世話とは存じいしたが。信二が生きていた上で、証言できるならそれが最善でありいしたが」

「うむ。本当に、僥倖だったのだな……」


 あの夜に起きたことを思い返す度、隆正は狐に摘ままれたような心地を味わっていた。どうして全てが上手く運んだのか不思議でならなくて。

 しかし、こうしてひとつひとつの事柄を紐解いてみれば、どれもそれなりの成算があって導かれたことだったのだ。手掛かりを積み重ねようと策を凝らした薄雲の知恵に目を瞠りつつ、その全てが実を成した幸運にも感謝せずにはいられない。何かひとつでも掛け違っていたら、同じ結果にはならなかったことだろう。


 隆正がしみじみと呟いたところに、薄雲は悪戯めいた笑みを浮かべた。彼の初心うぶさを見かねたのか、先ほどのように耳打ちすることはなかったが。口元に手を当てる内緒話の仕草がやけに艶っぽく見えた。


「主さんが気にしていなんすせい様も、余計な世話でありんすよ」

「勢――伊勢いせ屋の勢、か。やはりそなたの客だったのだな」


 伊勢屋惣衛門そうえもんとかいう掴みどころのない老人の姿を思い浮かべて、隆正は頷いた。あの老人も、確かに事件の解決に一役も二役も買っている。とはいえ、既に本人から関わりを仄めかされたことでもあるし、これは今さら驚くべきことではない。薄雲の意図も、開帳されるまでもなく察せられる、と思う。


 伊勢屋が不意に訪ねたお陰で、鈴の他にも秘密が漏れていると青海屋を慌てさせ、結果的に詐欺の被害者をひとり、証人として確保できた。体面を気にする旗本など、現場を抑えていなければ調べに応じてくれたか怪しいものだ。

 他にも、青海屋から贋物の茶器の特徴を聞き出しておいてくれた。隆正が突きつけた茶器がまさにこの上なく貴重なはずの逸品ではないのかと、頃合いを見計らって声を上げたからこそ、青海屋も言い逃れができなくなったのだ。

 つまりはそのように振る舞うよう、薄雲があらかじめあの老人に言い含めていた、ということだろう。


「あい。あのお人はわちきの一番の馴染みのお客。この仕掛しかけも帯も、勢様に強請ねだったものでありんす」

「そうか」


 薄雲の白魚の手が、自慢げに帯にあしらわれた藤の花をなぞった。しかし、隆正の相槌は気の入らないものでしかない。彼にとっては花魁の衣装も青海屋の茶器もさほど変わりない。自身には縁遠く、ただ目が飛び出るほど高価なのだろうと思うだけだ。伊勢屋について気になるのは、その身代しんだいでも趣味でもないのだ。


「で、伊勢屋とはいつ、どのように――」


 話を通したのだ、と。隆正が問い掛けることはできなかった。彼の言葉を遮って、軽やかな笑いを弾けさせたのだ。まるで耐え切れない、とでも言うかのように。彼の察しが悪いのが可笑しいとでも言うかのように。

 ひとしきり笑うと、薄雲は息を整えてからまた笑った。そして紡いだことは、隆正の目を見開かせ、耳を疑わせることだった。


「青海屋についても、強請りごとをしていたのでありんすよ。どうやら珍しい品を密かに商っているらしい、絶対に珍しく面白い謂れがあるものだから、わちきに貢いでおくんなんし、と。わちきはそれしか申しておりいせん」

「……それだけ、だと? というか――贋物を貢がせようとしていたのか!?」


 思わず腰を浮かせ声を荒げた隆正の間抜けな驚き振りは、薄雲を満足させ、そして面白がらせたらしい。隆正はしばらく、美女が肩を震わせて笑う様を眺める羽目になった。……多分、彼が伊勢屋惣衛門について聞きたくて堪らなかったのと同様に、この女も語りたくて堪らなかったのではないだろうか。

 そう思ってしまうほど、薄雲の笑みは誇らしげで得意げだった。


「ほほ、仮に目論見が全て外れたとしても、それなら確たる証拠になりましょう。勢様は、わちきの頼みなら何でも聞いてくださんすもの。あの薄雲が言うなら必ず手に入れねばと、そう思うてくださる御方でありんす。きっと青海屋でも一歩も引かず金子を積んだのでありんしょう――きっと、良いかもに見えたでありんしょうなあ」

「馴染みの客に大した言いようだ……」


 隆正はいっそ呆れて呟くしかできない。だが、それでも伊勢屋が女に溺れ切って言いなりになっている訳ではないのは分かった。物見高さのために金を惜しまぬ態度は、彼が最初嫌悪した類のものではあるが――こうなっては、助けられたと思うしかないのだろう。


『薄雲花魁は、全く間違いがございませんなあ。こちらに来れば絶対面白いことがあると教えてくれまして――』


 それに、そう語ったあの老人も、実に愉快そうだった。年に似合わず子供っぽく目を輝かせていた姿を思い出すと、咎める気にもなれなかった。伊勢屋惣衛門も、薄雲の謎解き振りに立ち合ったことがあるのかもしれない。それか、座敷で彼女の話を聞いたとか。

 白々しい棒読みの台詞で青海屋を問い詰めたのも、薄雲が仕込んだのでないならば、あの老人が自ら考えたことなのか。役者気取りというか密偵気取りというか、とにかく与えられた役にはさぞ満足したのだろう。


 老人の奔放な振る舞いを思い描いたのか、薄雲も緩く唇に弧を描かせた。親子よりも年が離れているのだろうに、優しげな眼差しには子供を見守る姉のような気配さえ漂っていた。


「何、仮に売りつけられたとしても、勢様なら話の種と珍しがったことでありんしょう。何より、ほんに楽しんでおいででありんした。冥途の土産に良い一幕に立ち合えたと――ほほ、その褒美に、ということでわちきもまた衣装には困りいせん」


 なのに、慈愛に満ちた表情で薄雲が述べるのは、遊女の見事な手練手管に他ならない。客を気持ち良くもてなしておいて、惜しみなく金を使わせるとは、これぞ花魁の本領発揮といったところなのだろう。


「そのような強請りごとをしたのは、一体いつだ。文で、か?」

「いいえ。あの夜、主さんをこの朧に任せた間に。ちょうど勢様がご登楼とうろうの折で、ほんにようございんした」

「あの時には、もうそこまで思い描いていたか……」


 馴染みの旦那に挨拶に、と言って薄雲が座敷を離れたのは、確かに記憶にある。その後、朧に責め立てられた方が印象に残っていて、今の今まで思い返すことはなかたが。いや、考えに上らせたとして、伊勢屋惣衛門のことと思いつくことには彼にはできなかっただろう。一刻にも満たないやり取りの中でここまでの図面を引いていたのかと思うと、ひたすら溜息が漏れるばかりだ。


 隆正の溜息は、ひとつの区切りのようだった。彼の内の靄は全て晴れ、事件の全てが解き明かされた、その明かしだった。彼が得心したのを見て取ってか、薄雲もにこりと微笑んだ。先ほどまでのはしゃいだような笑顔ではなく、どこか澄ました――花魁が、座敷で纏うべきであろう、気取った種類の顔だった。


「――それではこれで仕舞しまいでよろしゅうございんすか? 捕物の話はこれで終わり、後は酒か――三味線でもお聞かせしんしょうか」


 多分、甘えても良いのだろう。役目の話は十分にしたと言い訳をして、呼び出し昼三ちゅうさんの花魁とのひと時を楽しんでも、咎める者は誰もいない。役得とさえ言えるだろう。ことに彼は、今日は揚げ代を払ってここにいるのだ。


「いや――」


 しかし隆正は、きっぱりと首を振った。

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