第20話 事件の真相① 青海屋の正体

 信二しんじの手当をさせ、青海あおみ屋の奉公人たちを集め、逃げたり口裏を合わせないように見張りを立てる。事情を知らなかったという者には掻い摘んで教え、宥める役も用意する。一方で、主やそれに近しい者――悪事に加担したと思われる者は厳しく監視し、早速取り調べにかかる。もちろん、猪之助いのすけの手下だけでは人手が足りないから、喜平きへいたちを近くの自身番や岡っ引きの住まいに走らせ、時には眠っている者たちを叩き起こし、加勢を乞わなければならなかった。


 自身番に詰めるのも岡っ引きもその手の者も、全て町人である。という訳で、後から同輩である同心が駆けつけるまでは、指揮を執るのは隆正たかまさの他にはいなかった。そして同輩が来たら来たで、事情を最もよく知るのは彼であることに変わりはない。という訳で、隆正は夜通し休む暇を得ることができなかった。信二しんじは既に助け出し、青海屋の者たちが逃げる恐れはもうないとはいえ、受け持ちでもない場所の店で若造が何をやっているのだ、という不審と反感の目を浴びながらの指揮は身体を使った捕物よりもよほど心身に堪えた。そもそも昨夜からして、おぼろとの言い合いでろくに眠ることができなかったのだ。


 だから、東の空が白み始めた時、最初に夜空の紺を切り裂く曙光は隆正の目にはひどく眩しかった。


「ああ、夜明けだな……」

「やっとひと眠りできますね、若旦那」


 目をしばたたかせながら呟くと、喜平が労いめいた言葉をかけてくれた。この若者は、隆正以上に立ち回りを演じ、あちこちを駆け回り使いを務めた後だというのに、やけに元気そうだった。滅多にない事件、大ごとに立ち合ったことで気が昂っているのか、それともさかえ屋で出された握り飯にどれだけの力が秘められていたのだろうか。


 夜中でも夜明けでも変わらぬ喜平の明るさは好ましい。しかし、隆正は喜平ほど呑気に構えることはできなかった。目蓋は重く、布団の温もりと柔らかさがひどく恋しいような気もしたけれど。寝床への未練を断ち切るように首を振り、少し笑う。


「馬鹿なことを言う。朝になれば奉行所が開くだろう。報告に上がらねばならぬ」


 事件が起きれば、時間も場所も問わずに参じるのが彼ら同心の務め。とはいえ、捕物にあたっては事前によくよく調べと準備を行うものだ。信二の捜索については、上役らからは些事として捨て置くように言われていたこともある。それが、一夜のうちに大店おおだなに踏み込んで主以下を縄にかけたとなれば、独断専行を咎められても不思議はなかった。


(だがまあ、少なくとも悪事がひとつ潰えた訳だしな)


 何よりも、信二は無事だった。今宵、隆正が駆けたのは決して無駄ではなかったはずだ。奇妙な達成感と満足感を味わい、眠気と朝日に目を細めながら、隆正は自邸への道を辿った。



      * * *



 顔を洗い髭をあたり、着替えを済ませた朝四つ過ぎ、隆正は奉行所で上役と対峙していた。


「――で、結局何が起きていたのだ」

「は――」


 渋面で下問してきたのは、吟味方ぎんみかた与力よりき竹内たけうち泰典やすのりという者だった。平素から謹厳な質ではあるが、今日はことさらに声が低く表情も険しい気がする。出仕してすぐに、昨夜のうちの騒動を聞かされればこんな顔にもなるだろうが。

 大方の事情は書面にて伝えたものの、時間が差し迫っていたために細部を省かざるを得なかった部分もある。大体、その場にいた隆正からして何が何だかよく分からないままに夜が明けていたのだ。書面で読んだだけの竹内が顔を顰めるのも無理からぬことだった。


「青海屋は、もともと骨董の焼き物なども扱う店でございました。そこで、高価な品を求めた客を選んで、実は、と耳打ちするのが手口だったとのことです」


 尋問し責め立てる気迫で被疑者を圧倒し、自白に及ばせるのが吟味方与力の務めだ。その役目で培った手腕は、隆正に対しても遺憾なく発揮されている。彼が座っているのはもちろんお白洲しらすなどではなく、執務に使う部屋のひとつに過ぎない。しかし、暴走した覚えが重々ある身としては、背筋を正さずにはいられなかった。


 上役の疑問や懸念に応えるべく、隆正は慎重に言葉を選ぶ。昨晩からこれまでの間に分かったことを、できるだけ明瞭に伝えるように。


 青海屋は、高額の買い物を何度かした上客を、慎重に見極めていたらしい。懐具合のみならず、その客の人柄や家柄、商売の中身なども。そして、ここぞと見込んだ――詐欺だから奇妙な言い回しではあるが――客の耳元で、そっと囁くのだ。

 旦那を見込んでお見せしたい品がございます、と。


「困窮した公家だとか、改易かいえきされた元大名家だとか、そこは相手を見ながら細部を変えていたそうです。要は、高貴な筋が金に困って家宝級の品を手放そうとしている、という話を拵えたということで――」

「ふむ。その手の品ならば表だって自慢することもできないだろうしな。逸品を手元に置くだけで満足する類の者を見極めていたのか」

「は、ご明察の通りでございます」


 さすがに吟味方与力ともなると話が早い。しかも竹内は、隆正が聞いてもピンと来なかった好事家こうずかの心理をある程度理解できるようだった。たまに眺めて楽しむだけのものに大金を積む者がいるとは、彼にはどうも信じがたい。それよりは、青海屋の者たちから聞き取った別の事情の方が遥かに分かりやすかった。


「――金額の方も、幾らと吹っ掛けるのではなくて、お気の毒なお家を助けると思って、という言い方をしていたとか。高貴の筋に恩を売れるとなれば商人などは優越感も得ることができるのでしょう。それに、見返りを期待する者もいたようです」

「さもありなん、といったところだな。青海屋の客だった者たちについては調べられそうか」

「……青海屋の方では帳簿がありましたので、ひとりずつ当たらせようと考えております。が、表には出せない、という体での取引でしたので、口を濁らせる者もいるようでございます」


 竹内が痛いところを突いてきたので、隆正の鼓動が少し早まる。青海屋の客は、大店の主人なり近隣の土地持ちなり、それなりの財産や身分を持つ者ばかりだった。中には武家の者もいる。騙されたこと自体を恥として嫌う向きもあるだろうし、あるいは偽の茶器なりをさらに横に流した者もいたのかもしれない。夜や早朝に尋ねたことも大きいのだろうが、被害の件数や金額については、まだはっきりとしたところは掴めていなかった。


「ここだけの話、などにうかうかと乗るようなやからだ。どうせまいないの類にも弱いのだろうし、怪しい金の流れがあるかもしれぬ。今回ばかりは被害者としても、気を配るべき名にはなろう。よくよく把握しておかねばならぬな」

「は。肝に銘じます」


 それを調べるのは隆正の役目になるのだろうか。他の者に命じられるのだとしても、厄介な仕事が増えることには変わりあるまい。


(余計なことを、と言われるかな……)


 吟味方与力からの下命とあらば、表だって異を唱える者はいないのだろうが。自身がしたことの余波が思いもよらぬ方へ広がりかけているのを予感して、隆正は軽く顔が引き攣るのを感じた。今回の件に後悔は一切ないにせよ、思った以上の大ごとをしでかしてしまったのかもしれない。


「――後は信二といったか、青海屋の奉公人はなぜ捕らわれていた? 売り物のはずの茶器が野ざらしになっていたのはどういう仕儀だ?」

「は。その辺りは、既に当人から聞き出しております」


 竹内の追及が、他の方面に逸れた。それも、こちらははっきりと答えることができること、むしろ彼の方から述べておきたいことだったから、隆正の表情は緩み、声も明るいものになる。


「その男は、何も知らずに青海屋に仕えていたのですが――」


 だが、さかえ屋一家が証言したような真面目な働きぶりが裏目に出たのかどうか、悪事への加担を持ちかけられたのだという。真面目であればこそ店を裏切らない、と見込まれたのだろうが――青海屋の目論見は、見事に外れたことになる。

 信二に命じられたのは、売り出すための偽物をかまから受け取るとか、古びた風に見せるための細工とか、いわば雑務に属することだったという。そこから始めて、偽物作りの手口を教え込もうということだったのかもしれない。しかし信二は、主命に諾々と従うどころか、顔色を変えて反駁したのだ。


「言葉で諫めても埒が明かなかったため、証拠の品となる茶器を持ち出して公儀に訴えようとした、と申しております。ところが信二と茶器が同時に消えたのを気付かれて、すぐに追手が掛かりました。已むなく茶器だけは密かに隠したものの当人は捕らえられ、証拠をどこにやったかと、ずっと責め立てられていたとか」

「ふむ……」


 何を思い描いたのか、竹内の眉間の皺が深まった。嫌悪や憤りのゆえだとしたら、若輩かつ目下の分際で僭越ではあるが、隆正にもよく分かる。あの座敷で信二自身が言っていた通り、隠し場所を白状していたら殺されていても仕方のない状況だったのだ。


「料理屋の栄屋とやらを襲ったのも、証拠の品を託されたと信じたゆえか」

「は。信二が吐いた場所を探させると同時に、念のため、ということで栄屋も襲わせたのです」


 念のため、程度のことで栄屋は店中を荒らされたのだ。肩を落とした主人や涙ぐむすずを思うと、はらわたが煮えくり返る思いがする。だが、上役の前で、感情のために言葉を乱すことはしてはならない。


「売り物とはいえまた作れるものですから、壊れるなら壊れても良かった――ただ、悪事の証拠が目の届かぬところにあるという状況をどうにかしようとの考えだったようです。栄屋を襲った者たちの身柄は抑えております。身の丈に合わぬ大金を持っていたのも確かめました。青海屋の誰が依頼したかも、すぐに割れることでございましょう」

「それは重畳」


 竹内がしかつめらしい表情のままながらも重々しく頷いたので、隆正は密かに肩の力を抜いた。成果らしきものを報告できたことに心底安堵したのだ。これで事態の説明はひと通り終わり、後は叱りを受けるかどうか、と思ったのだが――竹内は、指を折って数える仕草を見せ、首を傾げた。


「もうひとつ――ふたつ、か。お前の報告で決着がついていないものがあったな。深夜に青海屋を出た使いの者と、伊勢いせ惣衛門そうえもんと名乗った老人のこと。それについては、どうか?」

「は……それは――」


(やはりお気付きになるか……)


 その点は、隆正にとっても最も不可解な部分なので、できれば濁しておきたかったのだが。しかし上役に直々に問われれば答えない訳にはいかない。

 隆正は軽く唇を舐めてから息を吸い、そして再び口を開いた。まずはあの、食えない老人について説明しなければならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る