第4話 消えた奉公人

 隆正たかまさの指摘に、さかえ屋の主人は嬉しそうに笑みを深めた。


「へえ、さすが御同心様は目の付け所が違いますなあ。おいすず、奥から幾つか持って来な」

「はあい、お父ちゃん」


 ぱたぱたと軽い足音を響かせて鈴が抱えて来たのは、大小さまざまな焼き物だった。隆正に出された膳のように、茶碗と皿で揃いの模様になっているもの、煮物でも盛るであろう大鉢にも中々見事な松の絵柄が描かれている。小皿の種類も様々で、羽子板の形やら梅の柄やら、季節に応じて使い分けているのだろうと見て取れた。


「江戸には料理屋が掃いて捨てるほどありますでしょう。そりゃ、味には自信ありますがね、もう少しこう、気の利いたがあれば噂にもなりやすいかと思いましてね」

「見事な商いだなあ」


 来るたびに違う皿が出ると言われれば、季節ごとに訪ねてみたくなる客もいるだろうし、噂が新たな客を呼ぶこともあるだろう。良い器に盛られた料理は、より美味そうに見えるものだし。


青海あおみ屋には、確かに世話になっとります。多少のひびや欠けならいで使いますが、どうしても割れ物なんで」


 栄屋の主人によると、割れた食器の穴埋めを頼むべく、青海屋には数日ごとに店を訪ねてもらうことになっているという。その際、面白い形や絵柄の皿がないか訊くこともあるし、季節の節目に合わせてこういうのがないか、と相談することもあるのだという。


(青海屋にとっても宣伝になるのだろうな)


 あるいは可愛らしくあるいは美しい皿を、気軽にあがなえる店だ、と。元手も要らずに多くの人に伝えられるのだ。栄屋と青海屋は良い関係を築いているのだろう。


「相談とは、くだん信二しんじという者に、か?」

「ええ。真面目な奴だと、思っていたんですがね」


 信二の名を聞いた途端に栄屋の主人は顔を顰めた。まるで今は真面目な者だと思っていないかのような言い草に、隆正の嫌な予感は強まった。父の態度に、鈴が眉を寄せて悲しげな表情を浮かべているのにも、気付いてしまう。


「信二の奴が最後にうちに来たのは――もう半月も前になりますかねえ」


 青海屋から栄屋に使いに来るのは、もう長いこと信二だけだった。それが、半月前のある日から、違う者に変わったのだという。その時は、主人も風邪でも引いたかたまたま別の得意先に行ったのかと考えて特に気に留めることはなかった。だが、二度目に別の使いが来た時は、さすがに少しおや、と思ったらしい。


「信二の奴はどうしたんだい、って聞いたんですよ。そしたらそいつはこぉんな顔をしましてね」


 栄屋の主人は、梅干しでも食べたかのように顔中を皺だらけにして見せた。青海屋の使いは、よほど嫌そうな顔をしたのだろうか。


「で、きょろきょろと当たりを見渡して、声を潜めて言う訳ですよ。あいつはもう店にはいない。あいつのお陰で親爺さんが怒って大変だった、よく分からないがよほどのことをやらかしたようですぜ、ってね」


 主人の低く抑えた声は、その使いの者の声色を真似たのだろう。親爺さんとは、青海屋の主人のことか。隆正としては、父親が愉しそうに噂話を囁く横で、鈴の顔色がどんどん青褪めていくのが気になって仕方なかったが。


「よほどのこととは?」

「さあ、それは青海屋の内々でのことですから、詳しくは教えてくれないしこっちも聞きませんよ。ただ、あれきり姿を見せないし――あいつ何か盗みでも働いたんじゃないですかねえ。青海屋の旦那も可愛がってたからこそ飼い犬に手を噛まれたと思ったんじゃ?」


 父親がそう言い放った瞬間、鈴がきっと唇を噛み締めた。そして膝をずいと進めると、栄屋の主人と隆正の間に割って入るようにして声を上げた。


「御同心様、何かの間違いです。信さんはご恩あるお店から盗んだり、ましてや逃げるような人じゃありません!」

「鈴、親の話に割って入るんじゃねえ!」


 店内に他の客がいなかったのは、栄屋の評判のためには幸いだっただろう。暖簾のれんを潜った瞬間に父と娘が怒鳴り合う光景を目にしたら、回れ右をして帰っても仕方ない。だが、鈴は人目を気にする余裕はないようだった。父である主人も隆正も、目に涙を浮かべて訴える少女を、止めることができなかった。心からの悲痛な叫びと、分かってしまうから。


「だって信さんはお店もお仕事も好きだったもの! このお皿もこのお皿も、あたしが可愛いわねって言ったらすっごく喜んでたんですよ。作った人も喜ぶだろう、上手い料理を乗せてもらって器の方も幸せだろうって。なのに……っ」

「お鈴、そなたは、その信二という男が――」

「うちに来る青海屋さんの人、誰に聞いても知らないって言うんです。でも、そんなのおかしいですよ。最初は何かあった風だったのに、後から急に知らん振りで。ひとつ屋根の下で、同じ釜の飯を食った人なんですよ? 探しも心配もしないなんて……!」


 目元を抑える娘にかける言葉を探しかねて、隆正は虚しく口を開き、無為に手を浮かせた。


 思えば、全く野暮なことではあった。若い娘が若い青年を探しているというなら、その間柄は単なる知己ではないのだろうに。そして父が叱ったのも、今なら頭ごなしのこととは言い切れない。傍からは、罪を犯した者に肩入れして分を越えた振る舞いをしようとしていると見られかねない。それは、店にとっても鈴当人にとっても聞こえの良くないことになるだろう。


「ずっとこうなんですよ。見てられねえったら」


 栄屋の主人が深々と吐いた息には、諦めと娘への哀れみが満ちていた。それに、失くしたものを心底惜しむかのような響きも。鈴が広げた小皿を重ねていく主人の手つきは伝法な口調と裏腹に丁寧なもので、何となく、この男の本音も窺える気がした。信二という男を悪し様に言ったのも、娘に思い切らせるためだったのではないか、と。


「……俺だって、佳い男だとは思ってましたよ。うちはもともと一人娘ですしね、料理人が雇えるくらいに店を育てて、婿をもらって――帳簿を任せて、なんてね。それで、娘が好いた相手が来てくれるんなら願ってもねえ」


 隆正がかける言葉に迷ううちに、父親は娘の肩を軽く叩いた。先ほど叱りつけたのとは打って変わって、宥めるように、慰めるように。ちらちらと、隆正の顔色を窺いながら。


「なあ鈴、人間、魔が差すことだってあらあ。悪霊に取り憑かれるようなもんさ。お前が好いた信二はもういねえんだ。そもそも居場所も知れねえんじゃどうしようもねえ。だから、な、ご公儀に面倒をかけちゃいけねえよ」


 父の優しい言葉は娘の心に染みたのだろうか。鈴がぎゅっと目を瞑ったので、泣きだすのではないかと隆正は一瞬恐れた。だが、それは杞憂でしかなかった。数秒の後に目を見開いた時、鈴の眼差しはもはや揺らいでいなかった。それどころか、いよいよ強い決意に支えられているかのよう。


「それでも……これっきりは嫌なんです」


 はっきりと告げた鈴の気丈さに、隆正は良い目だ、と素直に思った。町人の娘に対し、剣術で試合う時のような物言いは似つかわしくなかったかもしれないが。とにかく、娘の真摯な思いは確かに彼に届いた。だって彼は、頼みにされた経験が少ない。どうしても、と見込まれれば、否と言えるはずがないのだ。


「だって、信さんは何か悪いことに巻き込まれたのかもしれないじゃないですか。例え、万が一本当に盗みなんかをしてたとしても――きっと訳があるはずです。逃げたっきりのままよりは、何があったか知りたいんです。お裁きを受けたとしても、やり直せるかもしれないじゃないですか……!」


 だから、あの人を見つけてください。どうかお願いします。そう述べると、鈴は隆正に対して深々と頭を下げたのだった。

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