K田
三谷一葉
第1話
世の中は、セクハラ野郎に甘い。そりゃもうべらぼうに甘い。
どれくらい甘いかと言うと、ホットケーキミックスに白砂糖を1キロぶち込んでから焼いて、その上に生クリームとメープルシロップ、更にトドメに粉砂糖を振りかけるほど甘い。
なにせ、事を荒立てないようできるだけ穏やかに拒絶すると、「はっきりやめろと言わないから悪い」と何故かセクハラ被害者が罵られて、かといってきっぱりはっきり断ると「いくらセクハラされたからってそんな言い方をしなくても」とセクハラ野郎の肩を持つのだ。
世の中、こんな有様だから、セクハラ野郎がいつまで経ってもでかい顔をしているのである。
私の職場にもセクハラ野郎がいた。
名前はK田。身長180センチ、体重100キロ以上、年齢はおそらく30代半ばほど。
K田は20代半ばの女性社員に目がなかった。頬や腹の贅肉をたぷたぷと揺らしながら、ニマニマと気色の悪い笑みで近づいてくる。
最初は仕事についての話だけだ。ただ、話しかける時に必ず軽く肩を叩く。
1週間ほどそれが続いた後、叩く位置が背中に変わる。1ヶ月後には、尻を叩かれるようになる。
私も背中までは許していた。ニマニマ笑いは気に障ったが、話の内容はいつも仕事のことだ。
だが、尻となれば話は違う。これは立派なセクハラだ。
私はK田に不愉快だから止めろと言った。するとK田は、目を大きく見開いて、
「どうして? 僕と君の仲じゃない」
「肩とか背中じゃ怒んなかったのに」
「AちゃんやBちゃんは笑ってるよ。皆嫌がってないよ」
「これくらいで騒ぐなんて、社会人失格だよ」
などと言うのだ。
そうなると、今までの肩や背中についても気になってくる。
そう言えば、1回や2回ならともかく、話しかける時は必ず肩や背中を叩かれてなかったか。
K田が隣に座った時、必ず1度は膝にK田の足が当たっていたのは本当に私の気のせいか?
最初は名字で呼ばれていたのに、いつの間にか下の名前、しかも呼び捨てにされているのは、本当にただ『仲良くしてるだけ』か?
1度気になるともう無理だった。
私は、堪らず会社の先輩に相談した。
「えー気のせいでしょそんなの」
しかし、会社の先輩の反応はこんなものだった。
「K田さんって、20代半ばぐらいの子にはみんなああだもん。挨拶みたいなもんだよ」
挨拶で話しかけられるたびに尻を叩かれるのではたまったものではない。
「そんなに嫌ならさあ、ちゃんと断らなきゃ。他の子は上手くやってるんだから」
この先輩は頼りにはならなさそうだ。
もっと上に相談しよう。
だが、頼みの綱の『相談窓口』も、先輩と同じような反応だった。
私の自意識過剰だと言うのだ。気にし過ぎだと言うのだ。最近はすぐセクハラセクハラって騒ぐしねえだそうだ。ふざけるな。
業務の合間にコンプライアンス研修だの人権研修だのをやっているが、結局何の効果もないらしい。『相談窓口』がこの有様では、パワハラもセクハラもやりたい放題だ。
会社が宛に出来ないのなら警察だ! と相談へ行ったが、そこでも似たようなものだった。全て私の気のせいで自意識過剰で、社会人女性ならこれくらいが当たり前なのだと言う。
そうこうしているうちに、K田の行動はエスカレートしていった。
常にニマニマ笑いで近づいて来ていたのが、突然怒鳴りつけてくるようになった。仕事の内容ではない。K田好みの化粧、服装をしていなかった時だ。
声を掛ける時に尻を叩くだけでなく、すれ違いざまに首を掴み、軽く握ってくるようになった。驚いて振り払うと、ニマニマ笑いが返ってくる。
どれだけ私が「嫌だ」と伝えても、K田は決して止めなかった。
周囲の人間は笑っているだけだ。
「ねえ、一緒に帰ろうよ」
ある日の帰り道。
背後からK田の声が聞こえたと思ったら、首を思いっきり掴まれた。
ギリギリと締めあげられ、呼吸ができなくなる。
「夜道は危ないじゃん。守ってあげるよ」
いつものように振り払おうとしたが、今日はびくともしない。
「ね、嬉しいでしょ。俺に来てもらえて。お前みたいなブサイク、だーれも守ってくれないもんね」
────どの口が言う。
その時、私が感じたのは、死の恐怖ではなく怒りだった。
こんなセクハラ野郎に殺されるなんて冗談じゃない。
(ふっざけんなボケナス!!)
全力でK田の足を踏みつける。
首を締め付けていた手が緩んだ隙に、肘をK田の腹に叩き込んだ。
「うひぃぃぅっ」
「··········ふざけんな」
足元には、頭を抱えるようにして蹲るK田がいる。
逃げなければとか、大声を出さなければと思うより先に、この怒りをぶつけなければ気が済まないと思った。
「ふざけんなふざけんなふざっけんな!! 誰がブサイクだってんだ、ああ!? 鏡見てから言えやこの✕✕✕!!!!」
思いつく限りの罵声を上げて、私はK田の顔面に蹴りを入れた。
何度も何度も。気が済むまで。
どのくらい蹴り続けていたのかは覚えていない。
K田が謝罪したのか、悲鳴を上げたのかすら覚えていなかった。
いつの間にかK田の姿は消えていて、私は一人で取り残されていた。
道を通りかかった人が、驚いたようにこちらを見たのを覚えている。
過剰防衛、という言葉を思い出したのはその時だ。
こちらは体重100キロの大男に首を締められたのだから、正当防衛を主張したいところだが、世の中はセクハラ野郎にゲロ甘なのである。
男を蹴り飛ばすとは何事か、と私が訴えられても不思議ではない。
その時にはもう完全に開き直っていた。
好きに訴えれば良い。私だって徹底的に争ってやる。
「あれ、大丈夫だったんだ」
「なんですか、大丈夫って」
「だって、ほら、K田に気に入られちゃってたから」
「大変は大変でしたよ。この前は割とガチで首締められましたし」
「あー··········そっか。✕✕ちゃん、早いとこお祓い行った方が良いよ」
「お祓い? なんでですか?」
「だってK田って、そういうモノだから」
────先輩曰く、K田から逃れるためには、ちゃんと断らないといけないのだそうだ。
それは穏便に断ることでも、きっぱり「嫌だ」と伝えることでもなく。
「今回はたまたま上手く行ったみたいだけど、次はどうなるかわからないからさ」
「··········先輩。それならどうして最初に教えてくれないんですか」
「そんなの無理だよ」
先輩はあっさりと言った。
「K田の目の前でそんなこと言ったら、殺されちゃうでしょ」
K田 三谷一葉 @iciyo
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