みがわりのまつり
百舌鳥
みがわりのまつり
年号が昭和から平成に変わって数年が経ったころの話だと、Sさんは語った。
現在は家庭を持ち二人の子供を育てるSさんも、昔は自堕落な生活を送っていたのだという。地元から離れた大学に進学したはいいものの、講義についていけず休みがちとなった、いわゆる不良学生であった。学業に身が入らないものだから、とうとう三年生のときに留年をしてしまう。それだけなら自業自得の手痛い教訓で済んだのだが、留年の話が伝わってしまった実家の両親が激怒して仕送りを止めてしまった。奨学金も停止され、金のあてがなくなったSさんは困り果ててしまった。
大学に行かずとも良くなった時間をバイトにあてるようになったSさんを呼び止めたのは、その大学の准教授だった。
『専門は覚えていませんが、理系の研究者でしたね。全国でのフィールドワークを重視しており、様々な地方に出張しては調査をしているという話でした』と、そうSさんは振り返る。
その准教授が言うには、とある地方の山で調査をするにあたって地元の住民に協力を頼んだのだという。その見返りとして、村祭りに協力してくれる人を紹介して欲しいと頼まれており、ちょうど留年してバイトに明け暮れていたSさんに白羽の矢を立てた――ということらしい。送迎つきで三泊四日、それなりの報酬を提示されたこともあってSさんはあっさりと承諾した。
一ヶ月後、Sさんを迎えに来たのはマイクロバスだった。
「◎◎さんのご紹介してくれた方ですね」
手伝いを募集した村の人間だという男に問われて、Sさんは頷いた。自分も名乗ろうとすると、阻止されて何かを渡される。見れば、人名の書かれた名札であった。首掛け式のタグに書かれた名前は、見覚えのない男性名だと言うことしか分からない。その名前について、ここでは『加藤』という仮名を記すこととする。
「バスの中も含めて、祭りの手伝いをしていただく方はそこに記された名前で過ごしていただきます。験担ぎの意味も込めているので、ここに来る前の名前で呼ばれても返事はしないでください。解散まではここに書かれた名前以外を名乗ることも禁止します。混乱を避けるため、名札は常に首から提げていてください」
奇妙なルールだと思ったが、そういう風習なのだと言われてしまえば納得するしかない。言われたとおり、Sさんは『加藤』としてバスに乗り込んだ。見れば他にも数人先客がいる。バスはSさんを乗せた後も数カ所に立ち寄り、新たな乗客を乗せていく。全員が男性であったが、年代はバラバラだ。中には、とてもではないが肉体労働はこなせないだろうという高齢の男性もいたらしい。バスに乗り込んだものは、村の人間だという運転手と案内役の男以外の全員が名前の記されたタグを受け取って首から提げていた。
村に着くまでは、変わったことはなかったのだという。
本名を名乗るなと告げられたこともあってか、車内での会話はほとんどなかった。 昼前にSさんらを乗せたバスが高速を走ることしばらく、日が沈む頃に目的地に到着した。昔ながらの雰囲気を残す、山あいの小さな村だったという。
『今日は身体を休めてくれればいいって言われて、用意された宿泊所で夕食を食べたんですがね。なんというか、あまりこういうことは言いたくないのですが――出された食事が、異様だった』
見てくれはごく普通の定食屋で出てくるような御膳だったという。しかし、身体が受け付けないのだと。単純に調理法や素材の選び方で不味くなるのとは違った、という。見た目や匂いは普通なのに、口に含むと腐ったような酸っぱさがこみ上げて吐き出しそうになる。味わいや食感より先に生理的な拒否感がくる夕食だったと、Sさんは言う。
それでも、Sさんを含む村に集められた人たちは完食した。食事を配膳したのは白髪の老婆であったが、「食べるのも仕事のうちですからねえ」と言ってSさん達が食べるのをじっと監視していたからだという。途中で席を立とうとすれば、「まだ残っているじゃあないですか」と、やんわりと席に引き戻される。他の参加者も食事の異様さには気づいていたらしいが、名札の件と同じく仕事の一環だと言われれば逆らえない。表面上はにこやかな態度なのが一層不気味だった。
幸いそう量は多くなかったので、Sさんはどうにか食事を終えて『加藤』に割り当てられた部屋に入った。
翌日からの仕事も、奇妙としか言いようのないものだった。祭りの会場設営などをやらされるものだとSさんは想像していたのだが、実際は肉体労働に駆り出されることはなかった。その代わり山の中に建てられたプレハブ小屋に連れて行かれ、全員で正座させられる。初日に配られた名札は首から提げたままだ。
小屋の中では村人の老人が待っていた。向かい合って座る老人が何か奇妙に抑揚をつけた唄をうたい、それをSさん達が唱和する。数小節で一周する、民謡とも祝詞ともつかない奇妙な響きだった。数時間にわたって歌詞の意味も分からない唄を繰り返すことを強いられ、日が沈む頃に解放された。途中何度か休憩はあったが、意味の分からない行為を強いられてすっかりSさんの精神は消耗していた。
『近くにいたやつに、これって何だと思う?と聞いたりはしましたよ。意味を分かっている参加者はいませんでした。結局、祭りの演し物か何かのバックで必要なんだろうってことになりましたが。やらされたことは意味不明でしたが、村の人たちは皆さん親切にしてくれましたよ』
精神的に疲れていたのがかえって良かったのか。宿泊所で出されたその日の夕食は、前夜や朝食に出てきたそれよりはまだ食べられる味だったという。
翌日もSさん達は同じ場所に案内されたという。同じことをまた繰り返すのかと思ったが、異なる点があった。
「みなさん、今日の作業はこれを着けてください」
迎えのバスに乗っていた男に配られたのは簡素な仮面だった。コピー紙の両端に穴を空けて紐を通すという、単純な作り。妙なのは、顔を覆う形になるコピー紙の表面に人物の写真が印刷されていたことだ。画質はばらばらであり、鮮明な顔写真もあれば、無理に引き延ばして個人の判別が厳しくなっている写真もあった。
誰が誰の仮面を被るのかは対応していたらしい。順々にそれぞれの名札に記された名前が読み上げられ、仮面を受け取っていく。Sさんも『加藤』の仮面を受け取った。
ふと周りを見渡してみると、老人は老人の写真、青年は青年の写真が印刷された仮面を被っている。幅広い年代を募集していたのはそういうことかとSさんは一人で得心したという。
全員が仮面を被ってから、前日と同じ作業が始まる。老人が謎の唄を口にし、Sさん達が復唱する、その繰り返しだ。
『ただ……お恥ずかしながら、仮面を被ってからの記憶があまりはっきりしないんですよね』と。Sさんは気まずげに話した。
それでも、途切れ途切れに覚えているという記憶によると。唄の唱和が始まって少しした頃になると、すすり泣きが聞こえてきたという。仮面で視界はほとんどなかったが、近くに座っている人間が唄いながら泣いている気配がしたとSさんは語る。
いよいよもってSさんも不気味に感じてきたとき、突如として耳元で「加藤!」と怒鳴られた。 それを聞いた瞬間、Sさんは思わず「申し訳ございません!」と叫んでしまったという。
『よく分からないんですけど、何かとにかく、自分がとんでもないことをしてしまった自覚がありました。反射的に土下座していたと思います。その後は……よく覚えていません。唄を繰り返しながら、時折何かに必死で謝っていました」
Sさん達に終了が告げられたのは、前日と同じくらいの時間であった。実際に唄の唱和を続けていた時間は変わらないはずであったが、周囲の様子は一変していたという。仮面を取ったら泣きはらした目をしているもの、涙と鼻水で仮面のコピー紙をぐちゃぐちゃにしているもの、うずくまって何かを謝り続けるもの。Sさんも「これはまずい」と直感したそうだが、自身も疲れ果てていて何もできなかった。
そして宿泊所に戻り、味の感じられない食事をかき込む。3日目の夕飯ともなると慣れてしまったのか、特に何も言われずとも全員が完食したのだという。
食後、部屋で身体を休めたSさんは「ここにいてはいけない」と改めて強く感じた。
おそらく、それぞれに割り当てられた名前と仮面の人物は同一人物なのだろう。集められた人間も、対応させる人物とおおまかな年齢を一致させているのか。ベッドの上で考えてもそれ以上のことは分からなかったが、むしょうに胸騒ぎがしたSさんはこっそりと自室を抜け出すことにしたそうだ。
夜中の宿泊所を当てもなく歩いていたSさんは、物置らしき部屋にたどり着いたのだという。何の気なしに扉を開けると、そこに置かれていたのは幾十本もの日本酒だった。
『ええ、悪気はありませんでした。むしろ、自分達には妙な飯を食わせるくせにこんなに酒をため込んでいるのはけしからん、とさえ思いましたね』
Sさんはあっけらかんと語る。とにかく、大量の酒を目の当たりにしたSさんは、つい出来心を抱いてしまった。うち一本を部屋に持ち帰って口をつけてしまったのだという。
次の瞬間だった。久しぶりのアルコールにいい気持ちになる暇もなく、Sさんは嘔吐した。
喉を逆流し、床に落ちてぐちゃりと広がった吐瀉物。その色は、食べ物ではあり得ない真っ黒な色をしていたという。驚くSさんの前で吐瀉物はひとりでに動き、じゅるり、と人間の顔のような模様を形作った。
「あとちょっとだったのになあ」
真っ黒な顔がそう喋ったところで、Sさんの意識は途切れている。
明け方になり、異臭に気づいた隣室の人間が意識を失っているSさんを発見したらしい。Sさんはやがて意識を取り戻したが、これ以上は仕事を続けさせられないと村人に判断されたらしく、行きと同じマイクロバスで近くの駅まで送り届けられることとなる。
道中、今まで優しくしてくれたはずの村人は打って変わって冷淡になり、結局祭りの手伝いとは何だったのか聞いても教えてはくれなかったという。ただ、Sさんを駅まで送る道中、運転手がやたらと「どうしよう」と呟いていたのが印象に残っていたそうだ。
帰宅したSさんは、その後すぐ高熱を出して二週間寝込んだ。友人の助けを得てどうにか回復したSさんがやがて復学したとき、最初に話を持ちかけてきた准教授は既に大学を去っていたという。途中で辞めるかたちになったにもかかわらず、バイト代はいつのまにか満額が郵送されてきていた。なんとなく気持ち悪いから、全部パチンコに使ってしまいましたよとSさんは笑う。
この話には続きがある。
村で割り当てられた名前について、ある老人の名札に記された名に見覚えがあったとSさんは言う。村から戻ったのちに調べると、高度経済成長期に国土交通省の大臣を務めていた閣僚の名前と一致するのが確認できた。仮面の顔写真も、その元大臣と一致したという。Sさんがこの体験をした当時、元大臣はすでに天寿をまっとうしていた。
『その大臣、あの村があった地域でダムの建設を最終決定したそうなんですよ。名前が分かったのはこの人だけなんですけどね。欲を言えば、あの村に集まった他の参加者がその後どうしているかも知りたかったんですけど、そこまでは無理でした。本名も最後まで聞いていませんしね。最近になって、あの村が廃村になったと聞いたのでようやく喋ることができました』
Sさんが体験した話はここまでである。最後に、その後奇妙なことはないかと訊ねた筆者にSさんは次のように返した。
『ええ、ありますよ。誰もいないはずなのに夜中にインターホンが鳴ったり、じっと立っている首のない子供が見えたり、ポストを開けたら女の首がニタニタ笑っていたり。一度、その筋の方に相談したら何と言われたと思います? つまらない身代わりにならなくてよかったと思って諦めろ、ですよ』
だから、せめて子供達には変なものが遺伝しないよう願っています、と。そうSさんは締めくくった。
みがわりのまつり 百舌鳥 @Usurai0000
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