第27話 エピローグ

 僕が目を覚ましたのは部屋のベッドの上だった。

 近くに置いてあったピッチャーの水を飲み、立ち上がる。口の中がアルコール臭で気持ち悪い。

まだ頭もはっきりしない。

 自分の足が自分でないように感覚がにぶい。

 禁止薬はこれだから怖い。気を失ったあとは、無防備になるし、『円柱』を破壊したときの記憶も曖昧だ。


「リーンさん、今からお出かけですか?」


 エリーナ=ノンノートが黄緑色の髪をくるくる触りながら近づいてきた。

 彼女も帰っていたのか。


「ちょっとだけ野暮用があってね」

「お気を付けて」

「行ってくるよ。一時間くらいで戻ると思うから」

「ではお夜食を用意しておきますね」


 エリーナはにこやかに言うと、踵を返して離れていった。後ろ姿がどこか嬉しそうだ。

 僕のお腹が大きな音を立てた。

 夜食と聞いた途端に食欲が首をもたげたらしい。

 よく考えたら昼から何も食べていない。今日も騒がしい一日で、軽食をつまむ余裕がなかった。下ではにぎやかな声が聞こえる。ダルスのやたらとはしゃぐ声が響いている。だいぶ酒が入ってそうな声だ。

 本当は僕も輪に入りたいけれど――

 廊下で時計に目をやった。

 もうあまり時間がなかった。起きられただけでも幸いだ。

 シンにお礼を伝えたいけど、少々時間が厳しい。明日にでも改めて言おう。彼は早寝早起きをきっちり守る人間だ。

 屋上に上がり、『滑る箱』に乗る。

 行先はメイナ=ローエンの居住地。ギルド本部だ。


 ***


 夜風に当たって冷えた体をこすり、『滑る箱』からジャンプする。本部の屋上からエレベータに乗って中へ。

 ギルド内はまだ人の往来がある。ここは二十四時間いつも忙しい。

 素知らぬ顔で廊下を進み大きな扉を押し開ける。メイナの秘書――アルメリー――がいた。眼鏡をかけた凛々しい大人の女性だ。黒髪の彼女はいつも体のラインが出る服を好む。「この方が緊張感が保てるので」と言い切る姿は職員の鏡だ。業務改善命令のようなきつい通知文を書くのは彼女の仕事だとか。


「メイナ、いる?」

「お約束は?」

「してない」

「メイナ様はさきほど仕事を終わられましたので――」


 彼女はいつも公平だ。ギルド長が来ようが、王家の人間が来ようが、態度は少しも変わらない。僕の顔も当然知っているのに、まるで初対面のように扱う。

 メイナが重宝する理由はそんなところなのだろう。


「構わんよ」


 どうしようかと悩んでいると、奥のギルドマスター室の扉が開いた。

 制服姿の少女――メイナ=ローエンが待ちわびたとばかりに腕を組んでいた。


「昼の件の報告じゃろ? リーン。お主の顔つきを見ればだいたいはわかるがの」

「報告とお誘いかな?」

「……言ってみよ」

「メイナ、僕と夜デートでもしようか」

「はあっ?」


 メイナの顔がおもしろいほどに変化した。うさんくさそうに眉を寄せること数秒、アルメリーに気まずそうな視線を送り、ごほんと咳を鳴らした。


「ちょっと、出てくるからの」

「メイナ様、夜は冷えます。こちらを」


 アルメリーはそう言って、頬を朱に染めて棚の引き出しからピンク色の長いマフラーを引っ張りだし、恭しくメイナに差し出した。


「カップルが夜デートの際『滑る箱』で使うものだそうです」

「……お主、また変な本を読んだじゃろ?」

「いえ、決してそんなことは!」

「知識ばかりつける前に、一歩進みだした方が早いぞ。それと――今のリーンの言葉はいつもの退職願いと変わらん冗談じゃ」


 メイナの陰気な眼差しに、僕は顔を崩してにかっと笑った。


「退職願いは冗談じゃないんだけどね」

「ほれ見ろ。聞いたじゃろ、アルメリー。マフラーは返しておく。お主が想い人と乗った時にでも使え」


 ぽんと机にマフラーを放り投げるメイナは、さっさと扉を出て行く。

 僕はアルメリーにひらひらと手を振ってから後に続いた。



 ***



「どこへ行くんじゃ?」

「南の駅さ」

「南の駅? もう誰もおらんぞ?」

「騎士団は残ってるだろ。今日の最終便が残ってるんだから」


 僕らは互いに無口のまま空の旅をした。

 南ギルドの屋上に降り、メイナの魔法で地面に降り立つ。こんな時間にギルド長のキャナミィに会うと間に合わない。


「リーン、お主何をしたいんじゃ?」

「もう来た」


 南の駅で本日の最終便を待つこと数分、『列車』と呼ばれる乗り物が音もなく滑り込んだ。

 降りてくる人間はまばらで、全員の顔を視認できる。

 メイナがじれたように言った。


「これが何なのじゃ?」


 僕は答えずに、腕を上げた。

 気づいた客が、「もしかして」という顔で近づいてきた。紺色の髪の二人組。エリーナと似た年齢の女性と、まだ幼い少年だ。

 衣装の仕立てはよく、どちらも服の肩にマークが縫い付けられている。

 メイナが言葉を呑み、しばし黙り込んだ。


「もしかして王国の方でしょうか? 私、カルエッタ=カルマノンと申します」

「カルマノン……カジュラン公国の方ですね。ご丁寧に痛み入ります。申し遅れました。僕は北のギルド長リーン=ナーグマン、そしてこちらが王都のギルドマスターであるメイナ=ローエンです。この度は長旅お疲れ様でした」


 僕が頭を下げると、カルエッタはぱっと笑顔を浮かべた。

 暑い日に咲く綺麗な花を思わせる笑顔だ。

 彼女は堰を切ったように話し出した。

 父親の友人である王国の大臣に誘われて、レベルの高い王立学校入学のためにやってきたこと。

忘れていた追加の日用品を買っているうちに指定された『列車』に乗り遅れ、こんな時間になってしまったこと。

道中、連絡手段がなくて困っていたこと。

 遅れたうしろめたさもあったかもしれない。

彼女は、付き人のランツに「お嬢様、みなさんがお困りです」と制止されるまで止まらなかった。

 カルエッタはふと気づいたように首をかしげた。


「そういえば……リーン様はどうして私がこの時間にやってくると? 連絡はできませんでしたのに」

「さあ、なぜでしょうね。この時間にあなたと会える――そう夢が告げたもので」

「夢が? ご冗談が上手なのですね」


 カルエッタは表情を変えて笑った。

ランツが「お嬢様、笑いすぎです」とたしなめる。

 僕は優しく誘うように尋ねた。


「カルエッタ様、ここに来るまでの間に、誰か印象に残った者はいますか? 奇妙な体験でもいい。きっと……色々な出会いがあったことだと思いますが」

「出会い、体験……?」


 カルエッタが考え込む。

 後ろから、ランツが何かを耳打ちした。

 彼女がぱんっと両手を鳴らした。


「ご意図は測りかねますが、変わったお二人と出会いました。ぼろぼろのローブで顔を隠していらっしゃって、言葉も聞き取れなかったのですが……貧しいだけではない……今にも消えてしまいそうな儚さと危うさを感じて……」

「それで、どうしたのですか?」


 カルエッタの視線がまっすぐ向いた。

 迷いがなく、自分のしたことを正しいと信じている瞳だった。


「手を取って、私が力になりましょう、と申し上げました」

「そうでしたか」

「錯覚だと思いますが、お二人の体が光ったように見えました。そして、お二人は何も言わずに逃げるように走っていきました。その時に覗いた顔が――まるで私が泣いているようでした。思わぬことで足を止めてしまいましたが、今となっては追いかけるべきだったと思っています。もし次に出会えたら、必ず手を差し伸べたいと思っています」


 カルエッタの言葉が終わると、メイナが細い息を吐いた。

 僕の足を小突き、「もうわかった」と小声でつぶやいた。


「貴重な体験を聞かせていただき感謝いたします」

「今の話が、何かの役に立ったのですか?」

「ええ、とても」

「理由を聞かせていただけますか?」

「また後日、お会いした時の楽しみとしておいてください。今宵は遅いので、宿に案内しましょう。あとはギルドマスターのメイナ=ローエンが案内します」


 僕は一息に言って、「あとよろしく」とメイナに丸投げする。

 完全に不意を突かれた彼女は、「最初からこのつもりじゃったのか」と恨み言を言うが、もう遅いのだ。

 そもそも、この仕事の請負人はギルドマスターなのだ。

 僕は警報係で鈴のようなもの。

 駅に終業を知らせる鐘が鳴った。

 北のギルド長の長い一日が終わった。


【fin】


<あとがき>

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

序盤の展開をもっと速めるべきだったというのが反省点ですね。



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最強のギルド長は非番です 深田くれと @fukadaKU

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