No.1は存在しない
服部匠
No.1は存在しない
天気予報が外れたので、と言って、彼は現れた。
彼の長い髪から水が滴る。どうやら外は雨らしい。日本人離れした彫りの深い、整った顔立ちもあって目を引く彼の無残な姿に、私は目を丸くする。
「珍しいね、珈琲の味もわからないような君がウチに来るなんて」
珈琲専門店である私の店には、味音痴の彼――我が親友はめったに来店しない。
「最近ブラジルのNo.1にハマっててね」
肩をすくめながらカウンターに座り「おやおやこの店にはNo.2しかないのかい」などとメニューを見ながら仏頂面で言う彼を横目に、私はいつもどおりに珈琲を淹れ始めた。手に取ったのは「ブラジルNo.2」のラベルが貼られたキャニスターである。
豆を挽き、ネルドリップで丁寧にお湯を注いでいく。一気に膨らむ豆の表面と同時に、ふくよかな香りがあたり一面に立ち込めた。
その間、彼は微動だにせず私の手元を眺めている。なにも言わず、ただ、真っ直ぐに見つめる目は真剣で、どれだけのひとがその目に惚れたのだろうと考えてしまう。
もちろん、彼がそうやって真剣にひとと向き合うのだから、惚れてしまうのだろう。
しかし、どれだけ彼が情熱的に愛を囁いても、なぜか腕からすり抜けてしまうのだと彼は言う。
「……また、振られたんだね」
湯気の立つカップを差し出すと、オイオイと泣き出した。その様子はまるで子供みたいで、実年齢(既に成人しているのだが)の印象と随分離れている。
――豆の等級としてのブラジルNo.1は存在せず、最高ランクの豆は「No.2」である。
親友はこれを「失恋したから慰めて」の符丁に使う。そう、彼がこの店に――私の元に来る時は、誰かと別れた時なのだ。
――だれかの一番になりたいんだ。
そう言い続けて早何年が経ったのか。あるはずもない望みを追い求める滑稽さに気づきながらもやめられない愚かな親友に、私は今日もブラジルNo.2を淹れてやる。
外の世界で一番にならなくても、ここでは君を一番に想っている私がいるのにな。
「味、やっぱわかんないや、これ」
ちびりちびりとカップに口を付けていた彼が、ぽつりと漏らす。
「おいしいかどうかでいいよ」
「おまえが淹れてくれたんなら、なんでもおいしい」
多分。と付け足して、彼は涙をぬぐった。
大事で大切で、一番の親友よ。
君がこの店に、誰かを伴ってくることを願っているよ。
天気予報が外れるのは、決して雨だけじゃないはずさ。
No.1は存在しない 服部匠 @mata2gozyodanwo
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