第4話 残光

 私が黒川さんから受け取った手紙を最後まで読み終えたのは、チャーター・バスが学校内に入るために運転手が門の守衛に顔を見せているときの、そのいったん停車した瞬間だった。入構許可証を提示しているのが窓越しに見えた。部活棟の前にある駐車場に着くまで幾分もないのはすぐに分かった。私はここでひとつの決断を迫られていた。今読み終えた、黒川さんの本心に対していったいどう答えてみせるかである。彼女はここでいかにも自分が根源的な欲求にほだされている年頃の女であることを、大胆に告白してみせたが、私はそこにある種の共感を抱きながらも、同時に強い侮蔑を抱いているのを悟った。というのは、彼女がそうした懊悩に振り回されて暴走した自己に対しての嘲笑と軽蔑を私に求めながら、それがまさしく自己の保身でもあるからであった。私には、それは万人が感じるかもしれない強い欲求であると当人も了承していながら、それでも己にのみ特殊な奇病であるとあえて感覚しているように読み取れるからであった。言ってしまえば、私も熱に浮かされて完全に同等の感情を抱いたことが幾度となくあり、おそらくそれは長谷見さんに主に向けられていたものであると自覚している。この幻惑の色が濃い熱病のような情念は、いかにも悩ますべくして私を悩ましているようであるし、いかにも他に混ざりやすいようである。たとえば苦悩や自己批判を促すありきたりな感情は、それこそ性質上似通っている恋慕の情に混ざりやすく、また一度混入すると、すっかり溶けてしまって分離できなくなる。分離不能になったうえは、濁って見えるそれが純粋な姿をしていながら、一方で理性に対置される夾雑物の姿をしているから、我々はしばしば、この亡霊のように不明瞭に現れる強固な感情が他者に向けられるとき、あるいは自分のうちに芽生えたと分かったとき、それがきわめて自然発生的でありながら、ほとんど避けがたく内省を繰り返すのであった。私は過去に犯した幾度とない自己嫌悪と、そこに付きまとう具体的な慰藉とが、ひどく一般的な現象であり、逐一悩み込んでしまうのも滑稽な症状であると、昔にやった何度目かの慰藉の後に天啓のようにひらめいていた。数日毎に汚れる手先が、世間によく流通している指先に相違なく、しかも多くの人がその指先を平常でも兼用しているとようやく諒解した。そしてその位置に立ってみると、本来は受容してしかるべき動物の証左が、広く受容されない現実を考え、また実のところ抑制と発散とどちらが正しいかと考え始めた。それからこの問答を脳裡に練りながら、やはり抗いがたく慰藉を続ける自分に、また非難せずにはいられなかった。結局の決断として、私は抑制を選び、無理にそうした情動を嘲ったが、一向に立ち消えにならず、あろうことか友人に向けようとしている事態をも理解していた。

 黒川さんはおそらくそうした行程の最中で、自分の中に生じた激しい自己嫌悪が強まるあまりに、あるいは、過去にあった別れに助長されて、今度の逃亡を心決めたに違いないが、聡明でよく熟考できる彼女がいったいどうして極端な結論を出したか、ちょっと測りかねた。信頼できる先輩を一人失ったことは同情に堪えず、また今まさに同じ状況にある自分は彼女が胸に抱いているはずのそれにかなり近い感情を抱いているが、共感するより先に苦笑と困惑が現れていることから、私は知らず識らずに彼女の決断が馬鹿らしいと本気で思っているらしかった。

 しかし困ったことには、私はこのまま彼女を見送るか、それとも引き止めるか、早く決めてしまわなければならない場面に接近していた。黙って彼女の決めたとおりにしてしまうか、たとえ急にこしらえられた約束を反故にするとしても彼女の腕を掴んで止めるか、決さなければならなかった。けだし彼女は今少し些細に取り扱うべき問題を、わざわざ大仰に繕ってしまったために、どうしようもなく逃走以外の手段を取れないようである。しかしそれを指摘してしまうと、まだ私と彼女の間に収まっている一件であるとしても、彼女の生活自体を大きく動揺させてしまうように予想された。ここで多くの人間と関係を断ってしまうのは、生き残る手段としても、当人の心情としても選択を避けるべきであったが、以上にあるようにこの場に留まらせるのも酷だった。ひどく難解に思われる問いに早々と答えを言う義務が私に生まれた。






 汀(みぎわ)に残った波の後のように残暑が夏の痕としてしだいに薄まりながらも滞留していた。日陰の冷たさが暑気に対してはっきりした印象を与えながら、いまだに居残る熱も夜になればあっさりと引き払った。また日没が早まっていた。

 委員会が解体し、学生としての職務を一つ失った私が、今さらに委員会に向けた短命の熱意を再興させる気もなくて、やはり創作に変わらぬ意欲を燃やし続けた。私は物語への関心が強まっていると自覚していた。実際にいくつもの小品を作り、ようやく二、三の中編を書くと、創作についてのある種の形式が、一応の型でありながら築かれていると発見した。あのときに受け取った作品群を丹念に読み通して、また翻って自分の作品群を読み返したことで対比構造が生まれたからかもしれなかった。その点で言えば、私は黒川さんに感謝した。

 私はいまだに黒川さんに具体的な意見を言えないままぐずぐずしていた。いくつか案を浮かべながら、あまりに強い非難や、責任逃れの弱々しい物言いが多分に含まれていると分かると、実際に首を振ることで掃き捨てた。また私は黒川さんに応答としての手紙を同じように書いてみようかと思いついた。校外に失踪する計画をやはり崩して、理化学を学びながらとくに私と疎遠になろうとしている彼女にどうにかして言葉を投げかけたかった。変わらず同じデザインのテニス・シューズを履き続ける黒川さんが彩さんや沖部長と話している姿を散見するたびに、声をかけて会話に混じれないかと思った。それはまさしく邪魔であるし、彼女の気分をどんなに損ねるか分からない。あるがままにしておくのがもっともよい策と見えた。

 私は私の中に、彼女への軽蔑が強大に変わっていくのを見据えた。あの手紙に失踪の意を盛り込んだうえは、実に失踪しても、急遽平生の通りにしても、すくなくとも私が嘲笑する以外の余地がなかった。私は彼女の本心と苦悩の程度をいまだ十分に理解していないうちから、彼女の心持を蔑んだ。まるで自分が幾千万の造物主であるように思って、黒川朝美の今ここの運命を虚無主義的に見つめた。その一方で、私は今もなお彼女の書いた文章を愛読していた。いくつかの掌編は実によく組まれていて、何度読んでも新鮮な気持ちで読み返せた。作家としての黒川さんに対する純粋な尊敬が健在であった。ただ個人としての黒川さんをおおけなくも嗤った。

 ただし合宿以後の露骨なまでの疎遠は、分かりやすく他者の目に映った。というのは、私が部室へ行かなくなり、しかも姉の黒川さんと会話している様子もないからだった。このことにはまず彩さんが察知した。教室で会うと彼女は私の不沙汰を話題に上げた。そのときの回答がまずかった。私はもっともらしい理由を挙げてやり過ごせばいいものを、口をまごつかせて曖昧にものを言ったばかりでこの話を打ち切ろうとした。このために私に異状があるのは明々と分かった。またあるときから黒川朝美さんがあのテニス・シューズを履かなくなったのも、不仲の明瞭な証拠となった。合宿の済んだ後も変わらず履いていたものの、あるとき彼女を見かけたらまったく別な新しいローファーになっていたから、私はまたそれだけのために心中で彼女をなじった。しかし合宿の以前から同じ靴を繁く履き続けていた黒川さんの急な心変わりが、剃髪のようなメタファーであるのは明白である。彩さんはそれを目ざとく発見して、姉にも尋ねたようだった。すると朝美さんも微妙な答えを言ったばかりで、実際のところは不得要領だったから、やはり何か事件があると見積もって私にも打ち明けていた。私には黒川彩さんのほうが、朝美さんやあるいは私よりもずっと立派に見えた。そう何度も詰問する人でもないからなお立派だった。私たちの間にある亀裂が確からしいと知れるやいなや、彩さんはこの話を全然と俎上に載せなかった。

 文芸部の部員の幾人かにも当然ながら判明された。私や黒川さんの突然の出不精が、致命的な脱字のように簡単に分かると、声に出さないながらに各員の思惑が部室に漂っているようだった。私は作品をワード・プロセッサーに書き込むときだけは部室に赴いたが、そのときのいかにも沈鬱な空気が、別種の重力のように感じられた。だからまたそそくさと退散して、部員たちに私に起こったことを実感させるのだった。私が部員のうちでとりわけ懇意にしていたのは、黒川さんたちをはじめとする合宿に参加した者たちばかりであったから、交友の喪失はいくらかあったにせよ、彩さんや長谷見さんがいまだにいたからひどい損失でもなかった。そして私にある気まずさも随分と気軽なものにとどまっていた。私はまたこのように振り返りながら、友情にかかわる損失を勘定する自己がどうにも嫌になった。

 しかし姉の黒川さんの気心が推察される。彼女のほうがよほど部員と親しくしていたから、その多くの人たちと奇妙な関係に落ち込んだのは大事件と言えた。彼女は文芸部という交際の一拠点を一挙に失いながら、それと同時に同人である実妹に己の事情を悟られないように努める必要があった。たとえ実情がすでに他人に露見しているとしても、隠匿し続ける体を保っていなければならなかった。尋常通りの黒川朝美がそこでたおやかな姿を見せていなければ、たちまち一種の噂が拡がる恐れがあった。彼女自身はそれをよく理解しているのか、傍目に会った彼女の姿は以前に相違なく見えた。私が次の授業のある教室まで、幾人かの友人かあるいは単独で向かうときに、朝美さんの影がはたと現れることがあったが、それは入寮したての私が目撃した最初の彼女のものと完全に同じであったのだ。そうしてそこには、すこしも陰欲を白状した黒川朝美の一個性が見受けられなかった。思えば以前から彼女はその情念を身に着けていたのだ! 私はいまさらにそのことを把握した。そうすると、彼女のぐるりにいた秀才な人たちも、彼女に憧れている女学生たちも、朝美さんの内部をほとんど知っていないのではないかと考え始めた。人の多くが他者への裏切りのように抱える拭いがたき情を、やはり朝美さんも持ち合わせていると分かったときに、人は一体どんな態度になるかと空想し始めた。私は卒然と把握したことで、彼女への軽蔑がもっともらしい色に変貌する過程をまざまざと感じた。それから他の人も今の私と同じ過程を経るかもしれない将来を見た。優秀な彼女に隠された恋慕や肉欲が、当人を攪乱させて予想外の方向に導いてしまった、宿命とも言うべき事態を、他人がどう捉えるだろうか? 

 彩さんには心当たりがあるかも分からなかった。というのは、手紙にあるように黒川さんは彩さんに自分の作品を読んでもらっているから、彩さんが姉の底にある本心をよく理解しても不思議ではなかった。彩さんはまったくそうした話について断片にも思いを明かしていないが、己のうちに姉の真意を知覚しているも無理からぬことであった。しかしいやしくも真実を探偵的に発見して、改めて証拠と状況を鑑みて結論をまとめたとしても、当の姉や私には一度ともそれについて口を開けるはずがなかった。彩さんが私たちに起こった実状をおおむね正しく把握したとしても、事実の告げるところがあまりに口外しかねると判断すれば決して当該の人物にすら尋ねられなかった。

 私は生物基礎の授業を受けながらに以上の深考をしていた。黒板上でヒトの免疫機構の説明が繰り返される間、私は自分に起こったことを思い返したり、朝美さんや彩さんの心中を推したりしてみていた。合宿の以後に何度も向けられた彼女の疑念の目が、すでに私や姉の思いを透かし見ていたら、板挟みのような格好になっている黒川彩がどれほどの心持になるかも考えた。ついに暴走してしまったかと感嘆すればよいだろうか? いやそれは自分の思い過ごしだろうか? 私の友人は姉からいったいどんな仕打ちを受けているのだろうか? 何をされただろうか? 彼女の中に淡い空想が回転して、居心地悪くさせるのが想像された。そうした想像上の彼女は憐れであった。

 しかし人体は人間関係よりも複雑怪奇である。二種類の免疫システムがあり、そこに携わる幾種かの細胞がある。細胞たちは骨髄で生成されたり胸腺で熟されたりして、異物と認定したものを破壊した。体内での防御もあれば、もうすこし原始的なやり方もあって、咳とかくしゃみとかで細菌やヴァイラスを排出しようともする。むろん無意識に防疫は行われているが、こうして本や口頭で秩序ある構造を教わると、どうしても他国か他時代の政治構造のように感じてしまって、身に入らなかった。私は今日得た知識をすべて他人行儀に詰め込んでいった。



 残暑があるにもかかわらず教室はどこもせっかくの空調を止めてあり蒸していた。皆薄い本とか下敷きとか手をうちわの代わりに使い風を送っていた。背中ににじむ汗が肌着に吸われて、そのまま肌着を背に張りつかせるのが分かって不快だった。私は今夏に何度着替え、冷たいシャワーを浴びたか分からなかった。

 自分のほんのりと焼けた腕が、教室の騒々しさと白熱灯の明かりの下に晒されていた。私は長らく生白い肌の自分しか見ていないように思っていたから、雄黄とか洒落柿と呼ばれるような色合いの皮膚が今でも他人のものに見えた。するとまた彩さんの乳白色の手や長谷見さんの随分焼けた手などを漫然と思い出した。私は彩さんほど白くもなく、また長谷見さんほど徹底して焼かれてもいなかった。彼女は盛夏の野外で繰り返し行われた試合によって、燦光ほどまばゆいグラウンドの中でまったく変貌していた。私はときどき散歩の道すがらグラウンドに行って長谷見さんを探した。まばらに観客のある石段にすら日陰のない熱風の漂流する球場の中で、ある瞬間に彼女の怒鳴るようなかけ声が聞こえてようやく彼女と私に知れた。けれども私は投手と捕手と打者の三役以外については無知であるから、その三者に該当していない長谷見さんの現在の役回りがいったい何であるか分からなかった。ただ守備をしているとだけ分かった。しかしどうして怒鳴るような声を使ったかも判然と理解できるものでないから、私は白熱していると思って漫然と眺めていた。そのうち文字通りに人を圧倒するような太陽光線にやられて私はまた歩き出したのだった。

 その長谷見さんの話であれば、彼女が本式に大会に出るチームに入ったと私は本人から言われた。秋雨が音もなく降り立っている湿った空気の満ちた食堂で、午後の授業の話をしているときの不意の沈黙の最中、長谷見さんがほとんどこだわりなく告げたので、私は聞き過ごしてしまって何をも諒解していなかったのを、彼女の言葉を何度も反芻してようやく大ごとと気づいた。私はわざとらしい頓狂な声をついて長谷見さんを見た。彼女も声調こそ自然であったがやはり強い決心なのか事情だの所感だのを打ち明け始めると食事しながらに顔が緊張していた。ある気恥ずかしさを裏に畳んである彼女がそのままの表情で部のことや彼女が言うところの「一軍」から実力を認められて加入が決まったことなどを語っているところを見れば、彼女はむしろ誘われた人であり承諾した人であると知れた。私は長谷見さんの臨戦する姿を見ていたから、彼女が趣味ながらに漸々と真剣になる態度にも遭遇したことがあった。木橋の下の川縁で一人素振りをやっている彼女も知っていた。私はいつか長谷見さんがただに運動のためだけにソフトボールに励んでいるのではなく、さらに大会での勝利をも見据えていると考えたにもかかわらず、今回彼女の口から明かされた状況がほとんど自分の予想に相違ないためにすんなりと事態を咀嚼してしまう未来を打ち破って驚愕したのだった。心決めた当人のほうがかえって冷静に将来を考えていた。

 そうした異動が彼女にあったので私たちにはきわめてポジティヴな懸隔が生じた。彼女は練習の時間を増やし、私は散歩か創作の時間を増やした。勉学への態度は依然としていた。

 ところで、私と黒川朝美さんの間にあるまったくネガティヴな懸隔を長谷見さんが見出す様子はなかった。私はそれで一安心していた。彩さんとの社交上で新たに築かれた一種のやりにくさが、彼女にまで伝播することを私は密かに恐れていたが、いつまでも長谷見さんとの会話は暢気な調子であった。言うまでもなく観念的な意見が我々に交わされる時機は幾度となくあり、またしだいに増加していたけれど、それも平和な井戸端会議の域を超えなかった。というのは、長谷見さんは自己の中で消化しきれなかった空想を私に吐き出して、私の与える消化酵素によってより容易く消化しようと試みているらしいからであった。そういうしぐさは彼女が私の意見を聞いてもなお黙って己の意識に集中している姿から分かった。彼女は真剣にものを考え出すとごく簡単な返事をよこせるだけの余地しか持たない人だった。私は長谷見さんの性質を経験知として記憶してあるから続行しているか否かも判然としない会話の最中でも平気で読書を始めた。多くの場合、長谷見さんは自分のうちで結論が完成したら私に述べもしない。

 議論とも言うべからざる奇妙なやり取りが、雨天の放課後の教室や、寮の部屋や、帰途の木橋で何遍も起こった。私たちは何かを得ているようでもあったし、また何をも得ていないようでもあった。少なくとも時間以外の何かを失ってはいなかった。私はそのことを彼女の前で口にしたことがあった。長谷見さんは「ふうん」と意図の知れない返事をしただけだった。

 秋雨のもたらす湿気が教室の机や校舎の手すりや大気ににじんで、コンクリートの壁やリノリウム敷の床はつねに濡れているようだった。私の腕や脚は湿度の高い空気に晒されて体温が妙に高く感じられた。水の匂いがした。夏の残り香があった。その残滓のような逼迫する情念がもとの通りに盛っていった。芯から増幅していた。私は入学試験の勉強を始めたころにやった最後の慰藉を思い出した。第一次の筆記試験の勉強はペンも消しゴムも湿気を含んでいるような秋口に開始されたのだった。晩夏も遠くになりながらなお残暑のあるころに、淀んだ空気のせいで 私は熱病のように全身を冒す感覚に蝕まれながら、たとえば概略的な近代史や初歩的な幾何や英文法を学び直した。私は誰にともなく努めて泰然と見せながら散々と繰り返されてきた運動とその結局に捕らわれていた。過ちを犯すたびに出会う馬鹿らしい恍惚の顔をもう見たくはなかった。たとえ暗闇で静かにしたとしても他人の位置から見える自分の姿を否が応にも想像して悪寒がするのだった。人間がいかにも動物という立ち位置から離脱した風体をしておきながらやはり食事だの排泄だの睡眠だの生殖だのの呪縛から決して逃れていない有様を冷笑もできずに実感した。しかも個人差を抜きにして考えても私の肉体が成長とともにますます肉欲の充足を求めているのだから笑い話にもできなかった。私はすこしだって社会的な人間でいなかった。思い返せば中学時代など覚えたての慰藉に振り回されてしまっていた。そして今の自分がそのころから知識の増加のほかにはほとんど変わっていないことが恥ずかしくてならないのだ。我慢を覚えこそすれ湧き立つ感情に何度となく流されようとしていた。私は流されてもいいと思った。それからまだ観念してはならないと思い直した。自己の内部に秘匿された熱っぽい衝動が忍耐の柵を飛び越えないように苦労した。けれどもそれは丈夫な柵を作っているというよりはむしろ崩れかけたところから順に修繕していくだけで、私は汀で長らく足を海波の名残に浸している。生ぬるい余波が足を掬おうと押し寄せるたびに私は大洋を顧みてその茫漠さに畏怖の念をかき立てた。あるところでは堤を越えんとする大波が白く上がるのだった。

 私は黒川朝美さんを撼るがした 情動に似通う欲求が自分にも成熟されてあると理解した。彼女を恣にしたものに類似する性質が体内で燃え盛っているのをよく分かっていた。しかしそれは中学時代の私が抱えていた感情により近く、そういう点で言えば過去を非難すると同時に彼女を非難するのは当然として納得された。そう依頼されながらに黒川さんを嘲笑できる身分かも怪しい篠崎唯一を、中学生の時分と現在とに分離することでやっと彼女に冷笑できるのだった。以前であれば彼女の要求にただ類似した欲念があるというだけで応えていたかもしれない。今は文面の通りに彼女を軽蔑し嘲笑すればよい。

 そういうことでは知らず識らずに呪いをかけられているのだ、と私は思った。黒川朝美はあくまでも欲望が絶えず湧き立って抑えきれなかった者であり、篠崎唯一は(匿われた欲望が抑えられながらあるにせよ表面上は)無欲な者であるという構造を設けられてしまった。私は自分の中にある巨大な矛盾の息遣いを感じながらに黒川さんを貶めなければならなかった。



 彼女との和解を目指すのがもっとも有益に思われた。私は自分に与えられた使命をようやく承知した。寸のところで抑制されている感情を打ち明けることである種類の同情か共感を押し出すしかないのだった。私にはある不望の未来を考えた。それはあるところから黒川さんと私の事情が彩さんに露見してしまう未来であり、その結果として彩さんが実姉や友人に対して気を置いてしまう未来であった。朝美さんにのみ暴露しながら絶対に彩さんには見られぬよう尽力が必要だった。それは相手方も同様であろう。黒川さんは実妹に自分の意思が多分に混ざった小品を読まれることで自己の陰を照らした。彩さんは彼女の陰をたしかに認めたのだろうか? あるいはどこか無益で精巧な虚構だと思い捨ててはいないだろうか? それならそれで彼女には大助かりだろう。朝美さんの本質が結局は虚として扱われるのだから。けれども見かけの虚偽のせいで朝美さんの心情がすこしも正確には届けられていないかもしれない事態は当人にはやりづらいに違いない。朝美さんが意を決して露出した一側面が詩的表現の要素だという意識で彩さんに塗り固められると、どう転回しようとも従来の色が裏に透けてしまうから。また彩さんがあの小説に記された感情をそのまま姉の中にあるものの表出物だと考えるとそれも厄介な結果を生み出しそうである。自分が作品にたしかに確認した姉の心情が、とうとう現実にも顕現し、しかも共通の友人に向けられていたなどと知れば自分のうちでどう折り合いをつけられよう。私は彩さんと顔を突き合わせるたびにそんなことを脳裡に練っていた。

 ある中秋の過ぎに長谷見さんに誘われて映画を見に出た。というのは構内の映画館へであり、しかも旬を過ぎた他の映画館の借り物のフィルムをであった。むろんおこぼれをいただく形式に何の非難を与えるべくもなく、かえって映画を十全な設備で安価に見られるのは我々には僥倖と言えた。カーテンを閉め切った教室でプロジェクターとスクリーンを使って見るのとはまったく異なる、良質な音声機器と空間と映像機器の揃えられた整然たる空間で、上等な即席麺一つほどの値段で映画を楽しめた。そのとき私たちが見たのはある事件のドキュメンタリー映画だった。なぜ長谷見さんがそれを選んだかは見終わった後でも尋ねなかったが、そこにいくつも投げられた問いが彼女を引き付けているかもしれないと勝手に結論をつけた。長谷見さんは映画館のすぐ横にある喫茶店でこう話し始めた。

 「存在って何だと思う?」

 私は何とも答えずにオレンジ・ジュースを飲んだ。存在って何だと思う、と喉の奥でつぶやいてみた。オレンジの濃く苦みのある味わいが舌の根に痺れるような感覚を与えた。

 「何だろう」と私は言った。

 「私がここにいることをどうやったら証明できるの?」

 「できそうもないけどね」と言ってみた。

それから「デカルトなんかが解明してそうだけれど」と付け加えてみた。それよりも私はオレンジ・ジュースをいつぶりに飲んだものか考えていた。最後の慰藉よりもはるかに前だと思った。

 長谷見さんはまた一人で思索に耽った。小腹の空いた私がフライド・ポテトを注文して来るのを待つ間、長谷見さんの顔は始終こわばったまま存在とは何かという問いを追っていた。私もオレンジの風味が鼻を抜ける感覚のあるまま考えた、たとえば存在というのは、我々の感知しえない緻密な原理によって成り立っていて考えるだけ無駄だと。

 私は目の前の長谷見さんが、運ばれたフライド・ポテトの香りによって思索を中断される瞬間に無垢な顔をしながら、次の瞬間にはまた真面目な顔に戻るのを見た。「食べよう」と声をかけるとすぐにつまみ始めた。彼女は指を油で光らせながら、まだ自己の存在をいかに立証するか、無罪を勝ち取らんとする弁護士のように考えこむのだった。

 慰藉の欲求が私の中で強まっていた。食欲を解消したら、すぐにでも一年の禁を破って黒川朝美に伍したかった。一年という区切りを経て清廉潔白な自己を守り抜こうとする崇高な希望を持った今日までの私を揶揄するように、眼前のポテトを注文した衝動的な私は自分の生物的な面を照らそうと考えていた。私の片手が無知無識なまま自分の内股を制服のスカートの上から撫でていた。自分はいったいどうしたのだろうかとあさましき私をみずから暗になじったものの、溶解した鉄のように熱く高ぶっている全身は鎮まる気配がなかった。

「この後はどうする?」

「私はとくに何もないよ」私の意識にあるものをあえて書き出す必要もない。

「なら帰ろうか」と長谷見さんは言った。

 帰途ではいくらか映画の感想を交わしながら、世間話もした。長谷見さんが季節の話や今ごろの故郷の様子を想像して語っている最中、私の脳裡に自瀆の二文字があった。一年ぶりに犯す自瀆とはどんな感覚がするだろう? 私は数年ぶりに飲んだオレンジ・ジュースにわずかな感慨も抱かなかったと思い返した。それに黒川さんは私を襲おうとしただけで、未遂だった。今もストイシズムの真似を貫徹しているかもしれない、もっとも昇華しきれなかったが。私は苦笑した。秋の暮れに向かっていく冷たい水気ある空気が私たちの全身を身震いさせた。いまだ夏の制服を着ている私たちは腕に立つ鳥肌を見合って笑った。冬服に移行するのはしばらく先だった。木枯らしが吹き、木々は葉を落としたすさまじい姿に変わる。日没は早まって霜が降りる季節に移ろう。大気が私たちの体を冷やした。芯に染み入るような冷気が流れている。それでも私は自慰がしたいと本気で思っていた。

 寮の二階の階段で別れると、私はすぐに寮を出て木橋に向かった。すぐに室へ入ったらいよいよ衝動を止められなくなるという確信が私の足首を捕まえていた。いっそ引き返して川の音でも聞いてから帰ったほうが、川が情欲を流してくれるように思った。私はその粉っぽく冷たい風に吹かれることで清く澄んだ肉体に戻りたかった。内側に宿る毒素が木橋に向かう間も風に乗って消散している。黒川さんはあのときに私の中に猛っていた隠然たる力に近いものを感じていただろうか? もう日が山の向こうに落ちて残照だけが空に深い青となって生きていた。山の稜線が幾分か燃えるような橙色に見えるばかりであった。何百何千と重なった虫の音が耳元に喧しく聞こえた。そこらのコンクリートを破って生える草むらに彼らが潜んでいる。私の体表は冷え切って触覚を失っていた。

 川に近づくほど香り立つ水の気配が通りを漂っていた。日が落ちてからは刻々と搔き暗されて外灯が白い島を作っていた。虫の鳴き声の間隙に砂利の擦れる音がある、私の呼吸する音がある。暗闇に入るたび私の足だけがその中で光っているように見えた――蛍光色のテニス・シューズ。

 木橋の周辺は外灯がなくそこだけが疎な闇になっていた。私はそこに溶け込むように進んだ。シューズの立てる軽い木の音と橋下の水音がか黒い景色の中で目立った。自分の体だけが消え失せた気がした。いつからか透け始めてついに喪失したのだと思った。心拍の音はあらゆるものに圧されてもとから鳴っていないかのように聞こえない。磨かれてあるような滑らかな欄干をさすると、奥にまだ熱がある。闇の中で川の水のうねりがわずかな光を撥ねていた。私は激しく燃焼していた欲が嘘のようになくなったことに気づいてささやかな優越感に浸っていた。具体的な行為によって解消されることもなくただ生まれては消えていくだけを繰り返している欲求に惑わされていた昼下がりの私は何だったのだろう? 今になって内股に触れるとかえって不快に思う自分すらいた。黒川さんの欲望に参与したがっていた自己もいなかった。しかしあれは確実に私だった。篠崎唯一の中にある二卵性双生児の精神の片方のような性欲が姿を消している。もう一方の私がここに立っている。彼女はどこに行っただろう? 今ごろは自室でとうとう自瀆を冒しているだろうか? それとも朝美さんがやったように長谷見さんに襲いかかって拒まれているだろうか? しかしながら、どこかで独り歩きしている欲望は、やはり川に流されたかもしれない。そうでなければ私の中に唐突にできた風穴(ふうけつ)をどうやって説明できよう。私は大きな遺失を感じた。ただやり過ごしたというだけの感情ではない強烈な憂鬱を催している。なぜ一つの情のためだけに撼さぶられているのかと思わずにはいられなかった。私はまた精魂の片割れが自室にいるのだと本気で考え始めた。すると引き返したいという焦燥の感が芽生えた。引き返さなければならない。

けれども私の足は今度は人の声に摑まれて進むを得なかった。それは彩さんの声だった。私はこの仕合わせに恐懼した。あのまま素直に自室に帰っていたら、あるいは自分の中にまだ滞在していた欲に従っていたら、彼女から次のように詰問されることもなかったからだ。このときばかり実際的な欲念を感じないながらに慰藉でもしておけばよかったと思ったころはない。それでも激湍となった後悔に押し流されるのだろうが。

「何をしていたの?」彩さんが闇に溶け入って来る。

「何でもないよ」と笑んでみた。

「うん」

 暗闇に流れてあったはずのある種の喧騒がまったく沈黙に気圧されて退場しているのが分かるとその途端に私をも沈黙に圧倒されるのだった。彩さんが横に並んで欄干に身を預けると一度背筋を伸ばした私も同じようにして何かを語らなければ、沈黙を破らなければという意識にさいなまれた。

「何をしていたの?」と尋ね返してみた。

「部室にいたんだよ」

「そう」

「ゆいちゃんは、どこにいたの、部屋?」

「映画を見に行ってた、友だちと」

 私はとうに映画の内容など忘れていた。

「どうだった?」

「悪くはなかった」と私は言った。

 沈黙。

 私は話題を探した。けれどもそれは場の微妙な停滞を打ち消そうという努力の隠れないいかにも間に合わせの質問ばかりだった。片方を失った私の穴をカルデラ湖のように緊張の感が満たしていた。かえって痛々しかった。

「ゆいちゃん」

「うん」

「お姉ちゃんと何があったの?」

「うん……うん……」答えに困った。

「言いづらくても、言ってほしいの」

「分かってる」と私は言った。いつからか彩さんは私の顔をのぞいていた。

「喧嘩したの?」

「すこし違う」

「嫌なことをされた?」

「それも違う」と無意識に答えた。

 私は「それは違う」という五字だか六字だかの回答に拘泥した。なぜ「違う」と言えたか、本当は朝美さんから向けられた欲を私は受け入れるつもりでいたのではないか? 状況や雰囲気さえ揃っていれば、喜んで彼女に愛撫されたのではないか? では私はあのときいったい何を嫌ったのだろう、何のために朝美さんを拒絶したのだろう? 私は彼女の申し入れを進んで受理する姿を思わず想像した。一見すると清潔な汚穢にあふれている気がした。

「じゃあ何があったの? 私、妹なんだよ、お姉ちゃんが心配なんだよ」

 実は、と言おうとして口をつぐんだ。失踪した私なら答えられるかもしれない。

「実はね」と言ってみた。

「うん」

 彩さんの目が川のように光を反射している。

「実はね」

「うん」

 私の中に、これより先を、私が朝美さんから受けたものを打ち明ける勇気がないとよく自覚していた。この告白にはそれ自体が私や朝美さんや彩さんの間にある連結を完膚なきまでに瓦解して私たちを十二分に破壊し尽くすだけの力があるとも分かっていた。もっとも彩さんが朝美さんに不信感を抱くのだろうと予想できた。しかしそうであるとしても私は何かを言わなければならなかった。

「彩ちゃん」

「うん」

「朝美さんの、お姉さんの書いたものを読んでどう思った?」

彩さんはしばらく黙ってから「すごく肉薄してるというか、まさに目の前で起こっているような、臨場感があった」

「うん」

「あとは?」

「あと?」と言われた。

「かなり直截的な表現があったよね?」

「うん」と彩さんは答えた、「私はあまり好きじゃないけど、でもそういうのを表現するのも悪くはないんじゃないかな」

「それは、そうだね」

「どうして?」

「どうしてって……」と言うしかなかった。

「そういうことをお姉ちゃんがしていたの?」

どう言えばよいだろう?

「していたというか、されたというか」

「ゆいちゃんが?」彩さんの語気が強まっていた。

「されたってわけではなくて」と私は言った、「されかけたというか、話を持ちかけられて断って、気まずいというか」

「告白された、みたいな?……」

 彩さんの不審がる声がいよいよ私を動揺させた。

 私はゆっくりとうなずいた。「人だから、人だから、仕方ないかもしれない」

川縁をこちらへ歩いてくる二人が密な闇としてうごめいていた。私たちは不意に現れたその声に気を取られてしまったが、彩さんから続きの話を寮で聞くと言われたのにどうとも言い返せずに私たちは歩き始めた。空気がいやに寒々しかった。

 川の音、風に揺れる枝葉の音などはとうに私たちの後方にあった。私たちは寮までの一本道をそれ以上に何を話すわけでもなく黙って歩いた。けれども、私と黒川さんに起こった出来事について、どれほど明確に答えよう。私にはあの簡単な字句を口に出すだけでも非常な骨折りを強いられた。神託のように曖昧な言明のうちにも、余計な文字は入れずにただあるがままの事態を説明しきった。彩さんがどの程度深刻に捉えたかも測りかねるが、彼女が私の言動にある種の不信感を抱かないはずがなかった。彼女が実姉の作品を真情の吐露として受け取ったのならば、半分予見できたような未来かもしれなかった。しかし単なる表現の技法として一描写を識別したならば、どんなに衝撃的だろう。あるいは、異性愛者だと決めつけていなかったにせよ、同性愛者ではないと勝手に断定したのではないにせよ、私の話から掠め取った姉の一面に驚かされるのは自然かもしれない。たとえそうしたものへの異常な嫌悪がないのだとしても、誰であれその種の告白には驚愕をもって受けるだろう。今の彩さんが何を思いながら歩いているか、私は彼女の顔をのぞき込んで考えた、ちょうど黒川さんの手紙にあったように。

 冷たい空気には何の匂いもなかった。私たちはどちらの部屋で話そうかとそれぞれの寮に分かれる道の手前に止まって話した。私はあの手紙を読ませようかどうか彼女の顔を見つめながら考えた。もとから朝美さんにはこの手の話を妹にしてくれるなと頼まれてあるのに、まさにそれに背こうとしているのだ。すでに彩さんは姉のしたことに訝しみを持って見ているし、いまさら何でもなかったとやり過ごすなど無理である。そしてまた私の口から当時の状況を語ることもできなかった。

私は矛盾に引き裂かれていた。というのは、黒川さんに懇願されている通りにあの手紙を彩さんから秘匿し続ける義務と、彩さんに事情を説明するには手紙なしでは難しいという実際による矛盾である。そうしてどちらを守ろうと動いてもすくなくともよい結果には終わりえないから、私はなお選びかねていた。けれども私の心持はしだいに真相の公開のほうへと漸近した。

 彩さんは荷物を置いてから私の部屋に来た。玄関戸が施錠される時間は迫っていた。じきに宿直の管理人が見回るころでもあった。見回りは下駄箱に全員の外履きの靴が揃ってあるかを確かめるだけで部屋まで行って点呼するような面倒はない。つまりいくらでも欺けた。彩さんはひそかに一足の靴を下駄箱に入れて、人の目を盗んで別な靴で出て私を今一度訪ねた。朝美さんの手紙を読むためであった。私は管理人だけでなく黒川さんをも騙すような自分の行いを恥じずにはいられなかった。部屋に着くと真っ先に机上の厚いバインダーを手に取った彩さんの背中に、姉の面影を否でも感じられる血のつながりの成果を思い映してこのときばかり嘆いたのだ。私たちは朝までただ静かにしていなければならない。むろん騒ぐまねなどしまいが、ふと彼女の姿を見ると同じ年ごろの朝美さんがいるような不可思議に呑まれた。もう手紙を読み始めている彼女の後姿が、あるいは横顔が、いつしか見た黒川朝美にほとんど同一だという真理が、私を罵っているのだ。このときほど彼女の中に姉の姿を思い浮かべたことはないだろう。しかし私にはそのわけが分からなかった。普段などはまったく一個人として、姉の影など見もせずに黒川彩を見られたにもかかわらず、ここばかりはあの人の表情がありありと現れるのだった。

 何をそんなに恐れているのだろう? 私には、そこに映る彼女の影が畏怖されてならなかった。私はじきに心中にある懺悔の色合いを認めた。というのは不履行への謝罪の色であり、どれとも定められぬあらゆる事柄への悔恨の色である。自分の中にそうした袖の濡れるような湿り気とすさまじき陰鬱がのべつ生じて理性を圧迫した。この理性は恐怖や後悔を前にして冷静な気心を保つためにあり、しかもすこしの低次元的な欲求をも許さない禁欲主義であるから、今それが震撼している危機を私は感じてやまない。先にと断ってシャワーを浴びながら、私は自分の内側にまた出戻ってきた普遍の感情が悲嘆とないまぜになっている心触りに戸惑っていた。私の体が絶えず自瀆を庶幾いながら、同時に子供のように泣くことまでも要求しているのにいまだ首尾よく対処できないでそこに待たせてあった。目尻が熱かった。言うまでもなくシャワーの熱い湯のせいではなかった。しかしどうして一回の裏切りの経験が私をこれほど責め立てるのだろう? しかもそこで無遠慮に湧き続ける快楽への憧憬が、私をますますからかうのだ。一方の箍をはずせばきっと他方も止めようがなくなる。私にはその予感があった。容器の際まで張っている一切の混ざった感情がことごとくあふれるだろう。しかしすべてを堰き止める努力に足る力もなかった。それからただ一つだけを解放して他を抑えたままにする器量も持ち合わせていなかった。私は引き止めようのない感触を感じ感じしているほかはまったくの無力な人であった。そしていつまでも入浴し続ける不審さにも気をやる必要がある。彩さんに心配されて話しかけられたならいったいいつまで気持ちが抑えられてあるか分からない。私はどんなに求めたとしてもその願いは叶えられないのだと内臓をも溶かすような高熱で欲念を知らせる放埓な面の自己に言い聞かせた。鏡に映る自分の目を見ながら、鼻や口の手触りを感じながら、今の私は沈着しているべきだと思い込ませた。髪の間にその熱があふれて出てきているような草いきれのごとき滞留があった。私の全身はまだその欲求のために緊張していた。粘るような欲を容易には払いきれないなどととうに分かっている。

 そしてかえって自分の素直な感情に任せてあらぬ空想を思い描くほうが悲嘆を押し流せることもしだいに気づいた。どちらをも立たせずどちらをも鎮座させずにいると双方が願いを満たしたがって暴走するのだが、いずれか片方にあえて浸ろうとすれば存外と渡り合えたのだ。もちろん諸刃の剣であって気を抜けばすぐにその感情に圧されて簡単に従うだろう。私の手はややもするとその目的のために触れるべからざるところを触れんとする。その抵抗のために始終髪を掴んで鏡内の二つの目を睨んだ。絶対にいけないと何度も声にせず叫んだ。

そのために私の脳裡に易々と浮かぶのは以前に顔を突き合わせたことのある男らの誰それではなくて、皆黒川さんだの長谷見さんだのあるいはどこかで出会った心惹かれる者という、要は女の誰それだった。彼女らとの一対一の交接を、身勝手に考え込んでいた。要領を得ない俗な空想がようやく私を癒しながら、しかも私の貫いた個人主義をある種の体液で汚しかねない不徳を、私は逆説的ながら自分のために行った。

 悲しみはとうに去り、また不貞の道をたどろうという心持ちも消えてしまうと、それが何十分を要したかも勘定しないうちから私は体を拭いて服を着た。彩さんの前で脱ぎ着するのは、合宿でともに風呂へ入っておきながら遠慮されたためにユニット・バス式の狭い中で便器に対して器用に制服を脱ぎ、また新しい寝巻代わりの服に着替えたのだった。服を着てみると自分はまったく何にも左右されない理知的な人間に見えた。それの何が面白いのか私は冗談めいた笑みを浮かべた。

彩さんはまだ手紙を読んでいた。私のほうを振り向きもせず、といって何を話すのでもなくただ熱心に読み耽っていた。いつ開けたか窓は開けられて網戸だけが閉じていた。流れる空気には何の匂いもついていなかった。この時季に咲く花の匂いも草の匂いも、あるいは土の匂いもないのだ。構内は銀杏や紅葉の木がいくらか植わってあるようであったが、金木犀などの香りの強い種類は見当たらない――ということを朝美さんが言っていた。

 私の激動する思いは立ち消えになっていた。浮き立っていた肉体に何倍もの重力がかかっている気がした。あるのは生きているからこそ絶えず生まれる体熱だけだった。

 手紙が彩さんの目に触れることの弊害が姉妹間やそこに私を加えた三者間の関係の悪化だけではないだろう。というと、彩さんはもはや避けがたく姉の本質に出くわすこととなるからである。彼女の口ぶりならば彩さんはそれほど肉体的な欲に揺すられる人でないようだから、尊敬していた姉の実際に失望するに違いなかった。あるいは高大な彼女がそれもまた姉の一性質に過ぎないのだと受け止めようものなら、その家族愛によって二人は良好な姉妹でいられるはずだった。しかし受容されるという結果も朝美さんにはさぞかし胸が痛いことだろう。このようなとき、自分の汚点になりうる一性格を肯定されるほうがかえって精神に攻撃する。自己内部で長らく否定した部分がいよいよ白日の下に晒されたとき、すでに焼かれるような激痛に堪えない肉体には陰が必要なのであり、本来の意味での慰藉だのごまかしだのは生々しい傷をえぐる感覚を与えるばかりである。私は彩さんに期待していた。それは姉への非難の目と否定をである。入念に行を追う彼女の背中に、否定する姿を求めたのだった。

 そのうち私は本を開いた。とうに『広い土地』は読み終えて、まったく別な人の本を読んでいた。石川と活動年代の重なる作家で、彼との交流もたびたびあったという。私はどこかで見たその頃の二人で写った写真をいくつか思い浮かべた。居酒屋の座敷席で言葉を交わしている二人が、片手に酒の入ったグラスを持ちながら、たしか石川がその男の肩を小突くところだ。二人は笑っているし、まわりの編集社の人なども楽しげに笑んでいた……



 石川上一郎は一九四〇年の霜月二十八日に生まれ、一九九一年の文月十日に亡くなった作家である。鳥類学者の石川上雄と心理学者の石川みさ子(旧姓・久仁田)の長男として野井山県須永郡国田町(現・須永市国田)に生まれる。新京大学への転任が決まった父・上雄について五歳のころ新京府に移る。

啓正館学校の中等科、高等科を卒業する。高等科時代は文芸部に入部して同人雑誌『大樹』に小説を発表し、そのうちの『内部』『美しき光』は教師の薦めで『轍』に投稿、掲載された。このとき『轍』の編集長だった岡三喜男は、「早熟の才うかがえるも児戯を超えず」と評価している。一九五九年に新京大学法文学部に入学し、母・みさ子の影響を受けて心理学を志すも「ある種の悟り」によって急遽、哲学を専攻とする。中でも論理学に造詣を深め、同大学大学院で文学修士号、博士号を取得する。両親に大学教員の道に進む意思を示していた石川だったが、またも「強烈な天啓」を受けてそれを止め、個人塾の国語科の講師を務めながら、小説を書く。一九七四年に、当時、増川菊男が編集長に就任したばかりの『轍』に『降参』を投稿、これが職業作家としての処女作となる。その後、講師の職を続けながら、同年代の作家の飯島弘や奈義見靖彦とともに文芸雑誌『大海』を刊行し文芸活動を続けた。

 一九七八年の長編小説『広い土地』で作家としての地位を確立すると、同年に短編集『啓蟄』『夢見』『広岡君と呼んでいたころ』を次々と発表し、翌年には新京新聞で『ツツジ』(改題・『彼の晩年』)の連載を始める。しかし連載終了後の一九八〇年の正月ごろから慢性的な胃腸炎に悩まされ、療養。一九八一年から治療のために故郷の須永郡に移り、『感動』『疾病のこと』『論理言語の哲学的基礎』などを著すも、胃腸炎の悪化により一九九一年に死去。享年五十歳。石川は亡くなる三日前に長編『廃屋』を書き終えたばかりであり、これが遺作となった。生家のあった国田で火葬される。

その後に飯島や奈義見の手によって、二〇〇〇年に『石川上一郎全集』が刊行された……



 石川の略歴を思い返しながら不知不識と眠っていたらしく、次に感覚が明瞭に戻ったときには、もう彩さんはいなかった。窓は締め切られて、カーテンの裾に落ちる光で窓の前だけがほのかに照らされてあった。すべてが命を絶やしたように静かだった。彼女のいなくなった代わりに、朝美さんのバインダーの横に手帳ほどの大きさの見知らないノートが置かれたままになっていた。開けたカーテンの向こうから一挙に刺さる光線のために、眼窩の痛みを感じながらノートを見た。彩さんの筆跡かすこし角のある字で「篠崎唯一ちゃんへ」と改まった宛名が書かれてあるのが私に歯痒い。

 私はわざと手紙(と思われる)ノートを置いて帰った彩さんの意図がちょっと掴みえなかった。きっと私の眠っている間に姉の手紙を読んでしまってその後に夜過ぎまでかかって書いたのだろうが、手紙だけ読んだらじきに帰るだろうと勝手を承知で考えていた。それでいて不如意ながらに眠ったことだけは言い逃れのできない私の所為であるが、ただ置手紙が増えているのはまったく予想外だった。だからそこにいったい何の心情を織り込んであるのかは全然と判断できなかった。渡されたうえは読むべきだろう。その中に彼女自身の所感が書かれていないと誰が言えようか。

 私は朝美さんからバインダーを受け取って、バスの中で取り出したころを散り散りに考えた。

私はまたそこに絶望を感じた。ノートの見開きの一行目から次のように書いてあった。

 「当初、篠崎さん本人から事の実際を問うつもりでいましたが、今度の姉の手紙を読んでいくにつれおそらく所感を一旦整理してから、こうして紙面に表すのがもっともよいと思われた次第です。

 さて、私は姉を姉として、つまり家族として、慕っておりましたが、そこにはある種類の肯定ともいうべき期待か推量が内包されてありました。というのは、私は自分の中に造り出した姉の理想像を慕っていたのであり、現実の姉にある欠点(とまでは表現しないとしても、ふとすると気にかかる点)をいくつか見逃して、そうしたものを一切持たない人と見ていたのです。もっとも、贔屓せずに姉を見ても、姉には劣った面がまったくないように思われます。言うまでもなくすこしも触れたことのない学術とか芸術の分野について、要領を得ないというのは、それ自体が準普遍的な人間の要素という文脈で読めばごく自然であり、何も未知の領域すら知る前から上手にやれるというところまで求めません。むしろ姉ならば、一度習練を始めたら簡単に修めてしまいましょう。私が慕っているのはそういう姉です。ですがたとえば性格や、器量や、素質としての学力や、知識量や、運動能力などで言えば、どれをとってもそう姉には勝ちえないと考えています。むろん物心のついたころから姉を見ていますが、私の勝てる分野がこれまでおそらく存在せず、またこの先も現れまいと推察しております。私はそういう姉の後ろをついて行きましたから、あるときには姉の判断が何より正しいと見ていました。悩みなどを姉に打ち明けると、これはこうするべきだと簡単に導いてくれるだろうと期待していました。それはまさに真に完全な姉の肯定です。私の経験知から帰納的に導いた結論です。それが真か偽か、妥当か否かはどこか客観性を失っている私には検証できないところがありますが、篠崎さんならできるのではないかと思っています。

 私の客観性の喪失というのも、あの手紙を読んでようやく発見した私の欠点でした。それ自体が私を嘲っているのがよく分かりました。お前は姉のことも、もしくは自分自身のことでさえも、何も分かっていなかったとなじられた気がしました。けれど実際そうでした。だからこそ今度の手紙の文面が私の中にあった、頼みこむような肯定を打ち砕いたのです。

 姉の告白はすぐに私の心を撼さぶりました。そしてその震撼が底に沈んだ記憶を浮上させ、ようやくこの告白が今に露見したことでないとわかりました。篠崎さんも読んでいるに違いありませんが、たとえば新入生歓迎の冊子にあった掌編も、そのバインダーに収められてあった(今まで読んだことのなかった)短編も、すべてが姉のできうる限りの示唆でした。そこで孤独という冷ややかな病に蝕まれているのは架空の青年などではなくて、まさに姉自身のようです。自分の感情をうまく抑えきれないで苦しんでいるのはそばにいる姉自身でした。私は姉のうちにそうした感情があるとはどこかで知っていましたが、思い過ごしと考えてすぐに忘れようとしました。「どこか」というのをわざと記すのは、私の記憶のために、あるいはその必要が感じられないために、よしておきますが、私は姉の不審な行動や表情を長らくある場面で見ていました。姉をある種の型枠にはめこんで、なかば信仰している私は、幻か、もしくは完全には把握しきれない彼女の完璧さによって生じる一見すれば不完全であるという我々には矛盾なしに語りえない逆説としてとらえようと試みました。書きながらにあれやこれや考えていますが、むしろそれによって姉は完全であったかもしれません。

 私は姉の実際を知ろうとしないままここに入学し、文芸部に入部し、篠崎さんにも出会いました。あこがれている姉と同じ学校で数年を過ごせますから、感激に堪えません。寮は残念ながら別でしたがすぐ横とわかると春先は何度か姉を訪ねましたし、姉もまた私のところに来ました。

 私だけが知っている(と思われる)姉についてはなるべく仔細に書き出したく思いますが、今度の手紙に書いてあったことが私の認知していなかった事実を多分に含んであるうえは、篠崎さんならすぐに予測できるような話ばかり打ち明けてしまうのではないかと恐れています。またそうした私からの証言が、知らないうちに姉を攻撃するのではないかとも不安がっています。ですから、さきほどのように「不審な行動や表情」とあえて曖昧にしてみたのです。実際にはほとんどその最中を発見してしまったと言ってよいのですが、まさかこれ以上の詳細は描写しかねますし、なにより私の個人的な主義がそれを邪魔します。

 話がそれますことを許していただきたく思いますが、私はどうしても生々しい描写や生死の表現をしたくないのです。活発な人間の動きを網羅するには求められる要素かもしれませんが、私の要求する物語はもっと高潔なものです。いわば現代的な、(個々の区分のはっきりしない集団としての)社会的な、都市的な、都会的な、無性別的な、無生物的な、あらゆるヒトの側面を斥けた物語です。それでなければ私の本懐は達成しえず、またかえって失敗すらしていると捉えます。生死は実際上ではほとんどただ一つと言ってもよい避けられない宿命ですが、すくなくとも私の中には存在しない欲求など書く意義を感じられませんでした。どこかでそのような話を姉としたときには、「個人の自由だから好きにすればよい」と言ってくれましたが、私はまた姉の個人主義を認めなければならないでしょう。

 姉が人知れずさまざまな経験をし、それによって塗り固められた孤独で自分を囲い、そのわずかな隙間から顔を出して社交をしながら、その外壁の表面に、孤独の再確認や、嫉妬や、羨望や、懊悩をにじませてしまって嫌悪が増し、なお孤独の中に入り浸ってしまうのが、いまさら私に痛感されました。 さまざまな背景を感じながらに真実をいっさい掴みそこねている不手際と、それによってすくなからず姉の心持を害していたかもしれない実妹としての不義理は、篠崎さんに向けられた「彩には話さないでほしい」というような文章を読んで感じないではいられませんでした。そしてまた私の幸せを願う、以前から知っていたはずの優しい姉の姿を見かけて、なお自己への慙愧が絶えず沸き上がります。しかしこれより長く書き進めたところで、やはりその後悔や自己嫌悪を、いろいろに書き換えながら表していくばかりで、手紙として残す意味も分からなくなってしまいます。私の篠崎さんに伝えておきたかったことは、これまでに半分にも伝えられておらず、それもまた悔やまれますが、私が姉について(もしかすると篠崎さんよりも)理解しておらず、またそんな自分はおそらく他のだれの感情(きっと姉と同じ思いを抱いている、ときによると友人のいずれか であるかもしれない人たちの苦悩)も察知できず、また個人的な主義のために知らずしらず他人を傷つけただろうというネガティヴな肯定をようやく成しえたこと、それから、それがあまりにも遅く、どこかへ逃げたくても逃げられなかった姉に十分な慰めをしてやれなかった自分への恥や怒りです。

 姉がそうしたように、私も篠崎さんにそうした思いを吐露してしまいました。許してくれとは言いませんし、今後の縁も篠崎さんに委ねます。嫌でなければ、どうか友人のままでいてほしいです。そして姉とはまた懇意にしてくれたら、妹としましては嬉しく思います。

 真情を吐露する相手にし、重ねて頼みごとをしてしまい本当にごめんなさい。

もっとも心を痛めているのは篠崎さんであるかもしれないのに」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

清北真生 @ya_ts_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ