第十一話 『病ンデルアノ子』

知念のどかは病院に向う最中、塩ノ谷霧也の事を気にかけていた。

あの人は、表面上こそ取り繕っていても、きっと年相応かそれ以上に打たれ弱いと思う。

おいて行かれた事が自棄に拍車をかけていなければ良いのだけれど。

そんな事を考えながら道を進んでいると、病院へと続く門の前に差し掛かる。

看板に書かれていた文字は所々色が抜けていて、修復が行き届いていない事を感じさせるし、人通りも賑やかとは到底かけ離れたもので、粗雑な対偶を受けるのではと少々心配であった。

私はそこで、生垣の側にうずくまっている少女の事が気になった。

ここに来る前からその子の存在には気づいていて、というのも、遠目では帽子を被っている物とばかり思っていたそのショッキングピンクの頭髪が嫌でも目に留まるからだ。

赤の他人だし、安易に話しかける事がお互いにとって吉と出るとは限らないけれど、体調が悪い可能性も考慮して私は彼女に近づいた。

そこで私は、彼女が何をしようとしているかを理解した。

要約すると、カッターナイフで自分の手首をズブリ、だ。

慌てて止めに入ったものだから、勢い余って突き飛ばす形になってしまった。

彼女は心底不機嫌そうな、軽蔑を孕んだ眼差しをこちら向ける。


「また正義の味方ごっこ?

それとも保護者気取り?

ほんとだるい。」


熟れた果実のように真っ赤な目元をした、小柄で幸薄そうな女の子だった。

ペンキを被ったみたいに鮮やかなピンク髪を、前は所謂姫カットの要領で切りそろえ、後ろはツインテールで束ねている。

少女は、早朝の眠気が抜けきらない時のような甘ったるい声で話す。


「七乃は、切実に、一途に、純粋に願っているだけなのに。

だけど、いつも邪魔が入る。

ねえ、夢ってなんだと思う?

将来こうなりたい、こうありたいと思う事、辞書にはそう書いてあった。

そう定義付けるのなら、七乃の行為もまた肯定されるべきだよね?

だって、人の夢を笑うなって言うもんね?

想像して。

スポーツ選手を志す少年がいて、教室に通って毎日練習しているの。

その子の夢を叶えまいと、教室に行く途中の道をとうせんぼしている人がいたら?

理屈はこう、大人になれ。

その人がすっごく性格が悪いって言う事は共通認識であってるよね?

それなのに、死ぬことが人の願望だった場合だけは、どうしてか満場一致で非難される。

頭ごなしに否定して、行く手を阻むの。

どうして?

七乃は誰にも迷惑かけてないよ?」


私は返す言葉が無かった。

彼女の全てを理解する事は出来なくて、だけれど故に、一方の尺度だけで測るのは駄目だと自分を戒めた。


「無視しないでよ!」


彼女は凄い剣幕になってこちらを睨みつけた後、再びカッターで手首を切ろうとしたので、私は必死になって思いとどまらせるのに事足りる言葉を探した。

結果、口から出たのは凡庸で無力な、決まり文句のようなセリフだった。


「死んじゃ駄目だよ…」


「何で?

じゃぁこんな地獄みたいな、何もかも最低の世界で生き続ける事が正解なの?」


「でも、死んだら何もかも終わりなんだよ?」


「そうしたいの。

終わらせたいの。

一時の、気の迷いなんかじゃないよ。

これでも腹くくってんの。

今思えば、最初の頃は僅かに期待していたよ。

それとなく手首の傷を見せたり、駅のホームで如何にも今から飛び降りますって顔して、何時間も佇んていたら、このわだかまりを晴らしてくれる、グチャグチャに絡まった気持ちを解いてくれる、そんな出会いがあるんじゃないかって。

でも現実は違った。

歩み寄って来るふりこそするけれど、口にする言葉は決まって、死んだら駄目、親に貰った体を大事にしろ。

何それ?


結局てめぇや親の感情が最優先な訳?

そうだよね、人間だもんね。

何時だって私が何で死にたいかって気持ちは置いてけぼり。

貧しい国の子供たちの話も、もう聞き飽きたよ。

価値観も境遇も、何もかも違う人達と比較されて、生きろと言われても何一つ響かない。

七乃は、思うの。

生きたくても生きられない人に手を差し伸べようとするのなら、死にたくても死ねない人の権利も尊重されるべきだって。」


七乃はそう言い残して、フラフラとおぼつかない足取りでその場を後にした。

私は自ずと、遠ざかっていく彼女の背中を、目で追いかけていた。

それから、病院へ行って、受付を済ませ、待合室で名前が呼ばれるまで待機する。

ここへ来たのは、過失者との濃厚接触者として、精神に影響を受けていないか検査を受けるよう、政府からの通知があったからだ。

その判断には疑問があるけれど、こちらとしては聞きたい事があるし、行ってみて損はないと踏んだ。


「知念様、5番の診察室にお入りください。」


指示された通り、診察室に入るとそこにいたのは、およそ医師には似つかわしくないラベンダー色の髪をした女性だった。


「初めまして、精神科医の四十川と申します。」


彼女は小鳥のさえずりのように艶のある声でそう名乗ると、そそくさと簡単な質問、診察に取り掛かる。


「あなたに異常が無い事は、まるっきり分かるのですけど…

形だけでもね。」


「あの、七乃って女の子、ご存じですか?」


「あー槻原さんですか、知っています、知っていますとも。

あなたのご想像通り、彼女も過失者です。

いけませんね、医者が患者の個人情報をペラペラ喋っちゃうなんて。

まー気にする事なんてホントのマジで無いです。

アレの相手をしているだけ、時間の無駄ですよ、どうせ死にませんから。

仮に死んだとしても、クソどうでもいいですが。

何て言いますか、若気の至り?

思春期特融の拗らせって奴ですよ、大人になって思い出して、恥ずかしくなる的な?

承認欲求の裏返しとも言えますね、簡単に言うとただのかまってちゃんです。

とは言え、実際多いらしいですよ。

我が国において、15~39歳の死因の第一位は、自殺です。

驚きましたか?

無理もありません、今時の学校では教えてくれませんからね、なんせ子供に聞かせる話じゃない。

ちなみにですが、その90%は何らかの精神疾患を有していたとか。

まあ今となっては過失者の死をいちいち統計には入れていませんけどね、こちらとしてもいなくなってくれた方が社会の役に立つ…」


「あなた、それでも医者ですか!?」


私は激高した。

あの子の踏んだ轍を、紡いできた思いを、過失者の苦悩を、全て無碍にするようなその態度が心底許せなかったのだ。

四十川は言い訳じみた相槌を打って、ヘラヘラと悪びれる様子も無く話す。


「まあまあ、落ち着いてください。

実際、心に障害を抱えている人は、その特性から社会で孤立しがちなのですよ。

まあ、あの突飛な行動や付き合っていく負担を考えれば説明がつきますけどね。

七乃さんにも多動の薬を出しておきました。

で?聞きたい事があるのでしょう?」


聞きたい事があるのは本当だけれど、安直に心を見透かされたことで、腹の底をまさぐられるような不快感を感じた。

それでも疑問を置き去りにして帰る訳にはいかないので、渋々口を開く。


「私、変なんです。

何て言うか、皆が知っているはずの事を私だけ知らなかったり…

今まで偶然耳に入らなかったとか、そんな説明で済む域を超えていると言いますか。

この前も幻覚のような物を見たんです、あれは…その…天使?」


「気のせいです」


「は?」


「ですから気のせいです。

お帰り下さい。」


四十川は突然、後ろめたい物でも隠すかのように、部屋を出るよう急かすので、私は不審に思ったけれど、その感情をしまったまま後にせざるを得なかった。

一人きりの部屋で、四十川が呟く。


「ごめんなさーい、濁海さん。

先に見つけちゃったかもしれないです。」


その顔に、不穏な笑みを浮かべながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追憶のRAIN 寒波江 奇亰 @alex1178

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ