第十話 『傍若の果てに』

テロ組織、黒い雨の構成員、妻鳥薊は土砂に埋もれているところを衰弱状態で発見された。

俺、塩ノ谷霧也は妻鳥を討伐した功績がみとめられ、収容所行をまぬがれた。

だがそれは同時に、政府の犬になる事を意味する。

もちろん不本意中の不本意だ、何故俺が誰かの下につかねばならん。

だが、それ以上に屈辱的で、人としての尊厳を踏みにじるような仕打ちを受けたこの恨みは、例えこの身が朽ちようと決して忘れる事はないだろう。


「霧也、安い同情は返って貴方に対する侮辱に繋がる。

だから私は出来るだけ、共感する事にしたよ。

あんたの痛みも苦しみも、全部自分の事のように思うよ。

それが過失者じゃない私の、何も知らず幸せに生きて来た私の、せめてもの償いだから。」


むかいの席に座るのどかがそう言った時、丁度注文していたピザを店員が運んできた。

俺はそれで少し安堵した。

どんなに理解されても、結局のところ俺は彼女にとって可哀そうな人に他ならないので、早く話題が終息する事を望んでいたのだった。

ここは庶民的なレストランだが、休日だというのに店内は酷く静まり返っていた。

無論、あえてそのような境遇の店舗を俺達は選んだ、なんせ今日は重要な話をする為に来たのだから。

しかし俺は開始早々、この上なく不満だった。


「のどか、そのピザを少しよこせ!」


救いようのない愚民を出来るだけ視界には入れたくないのに、嫌でも目に付いてやがるからだ。


「おいのどか、俺は厄介事までつれてこいとは言ってないぞ。」


「あ?

誰が厄介だと、沈めてやろうか?」


夜剱照は悪態をついていた。

店内だというのに声量を控える気は一変も無いらしいし、そもそも椅子にあぐらをかいて座っている奴がいるものか。

世間体と言う価値観をくだらないと拒絶する俺とて、こんな動物的な奴と親しい間柄だと周りに認識されるのは耐え方かった。


「夜剱照、俺は非効率的な事がなにより嫌いだ、だがもう一つ、最も嫌悪する存在がある。

それはバカだ。」


「まあまあ、落ち着いて。

私は二人とも来てほしかったの!」


のどかの仲裁によって落ち着きを取り戻した夜剱が、突然深刻な表情を浮かべたので、俺は次に来る話題が今回の本題であると悟った。

俺は心のどこかで、その話題が来ない事を期待していた自分に気づいた。

無論そんな事はありえないのだが、それくらい俺にとって恥ずべき事で、そんな事なんてなかったのだと、何時までも目を背けていたい現実であった。


「倫音、いや、いまは霧也らしいな。

断種は適合者全員に強制されている。」


断種、劣等な遺伝子を残すべきではないと主張する、いわゆる優生思想が台頭した19世紀ごろに行われていた、生殖能力を失わせる為の手術。

何故俺がこんな扱いを受けなければならない?

家畜の方がまだいくらかましな対偶を受けているのではとすら思える。

俺がここに来たのは他でもない、こんな状況を一刻も早く打開するべく、ある提案を持ち掛ける為だ。


「のどか、夜剱、俺達で政府に反逆しないか?

能力を持っているだけでも十分な勝算になるはずだ。」


「私も同じ事考えてた!」


のどかと意見が合致した事にも驚いたが、それが霞んで見える程、夜剱の反応が芳しくなかったのは意外だった。

過失者であるならばなおさら、これ程までに酷な対偶を受けながら、何故反撃しようとしない?


「世間知らずの半端なガキが、口で言うのは簡単だ。

お前、妻鳥が半分変異している所を見たと言ったな。

過失安定剤、地球の意思の一部を封じ込めた薬品を体内に取り込む事で超常的な能力を手に入れられる。

過失者と言えど、全員が適合者に成れる訳では無い。

適合出来なければ副作用の症状が出たり、最悪変異体と化す。

そして適合者になってからも、定期的に政府の医療施設で適合手術を行うんだ。

もし安定剤を摂取したにも関わらず、長期間手術を行わなかった場合…

次第に体は地球の意思に蝕まれ、やがて知性を失い完全な化け物に成る!」


荒れ果てた大地の中で、やっと見つけた希望という花を、目の前で踏みにじられたようだ。

何か方法を、打開策を考えろ、そんな思考で頭の中は満たされていく。


「ちょっと、話聞いてる?」


「すまん、聞いてなかった。」


「それ、わざとやってるの?」


その言葉に、悪意なんて欠片もないのだろうけれど、それでも今まで無視し続けてきた感情が俺に襲い掛かる口実には十分成りえた。

結局のところ、俺はこの世界において欠陥品にすぎず、それはどうしようも出来ない。

その事実が、薄暗い洞窟の中で反響するように、頭の中で鳴りやむ事を止めない。

もういい、全部うんざりだった。

今からしようとしている事が、何の意味も持たないやけっぱちの行為である事は十分に理解していたが、それ意外に今まで築き上げてきた自分を守る方法がどうしても浮かばなかった。

俺はテーブルの上に並べられていたナイフの一つを手に取り、のどかの首に付きつけ叫ぶ。


「こいつは人質だ、俺の要求は一つ…

政府も医療施設も、俺に全部よこせ!

最善の未来を約束しろ、永遠の服従を誓え。

どいつもこいつも、俺の都合の良いように動いていればいいんだよ!」


全てを言い切る頃には、事後の背徳感のような虚しさだけが染みわたっていた。

そして、こんな状況にも関わらずのどかは、平然としている。


「夜剱、大丈夫だから。

霧也に何の罪も無い人を殺せる勇気なんて無い。

血の気の引くような言葉で脅しても、一度だって実行に移した事は無かった。

この人は、そうする事で周りが何でも言う事を聞いてくれると思っている、幼心にありがちな思考が抜けきらない、そういう人間。

だから、きっと皆が思ってるより、悪い人じゃ…」


「黙れ!」


何が分かる、俺の性格はそんな単純な説明に収まる物じゃない。

お前もあの精神科医や施設の職員共と同じ目で見るのか?


「もう、止めてくれ…」


声のした方に目をやると、あの夜剱が両手で顔を覆って、泣いているように見えたので、俺は災厄の前触れのような嫌な予感がした。

その声もまた、悲しみに濡れて湿ったような弱弱しいものだった。


「警察に捕まってから、何か長時間意識を失うような経験があっただろう。

その時だ。

適合者が一般人に危害を加えたり、反逆を企てるような場合、体内のどこかに埋め込まれたカプセルから、政府の意思で致死レベルの毒素が散布される。

出来るだけ苦しまないように、なんて考えは微塵も無い粗悪品だ。

一度毒素が散布されてから死に至るまで約10秒、その激痛に悶え苦しむ事になる。

いっそ一思いに殺してくれたほうが楽だって噂だ。」


足元に金属音が響く、それで俺は自分がナイフを落とした事に気づいた。

そこからの記憶は曖昧だが、自棄に溺れた非常に見苦しい悪あがきをしていた実感だけは覚えている。


「だいたい、俺が何であんな奴らと同じ扱いを受けなければならない?

過失者、障害者、ようは生まれ損ないの失敗作だろ?

脳みそはガキのまま図体ばかりは丸々と肥え、所かまわず奇声を上げるわ暴れるわ周囲に迷惑かけるわで、飯を食うのと排泄をする事くらいしか脳の無い、そんな奴らに生きてる価値があるか無いかで言えば当然無いだろうが!?」


「それは、あんまりだよ…」


のどかの冷たい視線が、突き放すように俺に向けられる。

二人は一連の流れについて、演劇の練習だと店員に説明を付けた後、店を後にした。

俺は後に続かなかった。

きっとのどかの事だから、ついて行っても必要以上に咎める事はしなかっただろうけど、あえてそういう選択をしなかった。

これも良いきっかけだろう、合理性を優先する俺と、生半可な心持ちの奴らとでははなからそりが合わなかったのだ。

一人だからなんなのだ、一人だって出来る事はある…

一人だって…

唐突に自分の中でとめどない不安が、身に覚えのない記憶が溢れ出す。

こいつ等は誰だ。

父親と、母親なのか?

何処へ行く、何故俺を置き去りにするのだ?

嫌だ、それが真っ先に出た本音だった。


「嫌だ、一人にしないで、俺が悪かった!」


人目もはばからず泣き叫んで、二人の背中を探したけれど、結局見つけられなかった。

気づけば俺は人々の好奇の眼差しに晒されていた。

恐れ、軽蔑、嘲笑…

もれなく、他でもない異常者に向けられる物だった。


「そんな目で俺を見るなああああ!」


普通に思われたい、その切実な願いは裏目に出て、大衆の目にはさぞ痛々しく、無様で、滑稽に映った事だろう。


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