氷山の一角
たそがれ
第1話 文頭にはスペースを 和からの呼び出し
パソコンにこぼれたコーヒーをウエットティッシュで拭き取っている時にポケットが震えた。
太一は手を止めスマートフォンを取り出す。和からのメッセージだった。
珍しい、と太一は思った。和は必要最低限のことしか連絡をしないからだ。スマートフォンをベットに投げ、キーボードの隙間にまで入り込んでいるコーヒーを落とすことに専念しようかとも思ったが、和から送られてきた内容を見ることにした。
「 明日の遊びが中止になった。」
とだけ画面に表示されていた。律儀に一文字目の前にスペースが開けられている。その文に対して太一は特に何も感じなかった。言葉に表すなら「そうか」「ふーん」「残念だ」「うん」だろうか。いずれにしても一度、目を離せば顔の特徴を思い出せない人形のようにパッとしない。
右手のウエットティッシュが乾いている。太一は舌打ちをして新しい一枚を取り出す。静寂に響いた舌打ちが気持ち悪かったのか、太一は常温の牛乳を飲んだ時のような顔をして、スマートフォンで一昔前の洋楽ヒットソングを流した。
またスマートフォンがバイブレーションした。和からだ。
「 凛の調子が悪いらしい。」
心配だな。と太一は感じた。だが、それだけ。今の彼は右手に握られたものが水気を失って言ってないかどうかということが一番の関心事だった。そして幸いほんのりと人差し指の先が冷たく濡れていることを知覚している。
だが立て続けにメッセージが送られてきた。
「 横浜駅東口のいつものところで待ってる。」
「 なるべく早くきて欲しい。」
スマートフォンからはスティーヴィー・ワンダーの” I just called to say I loved you"が流れている。太一は2枚の乾いたウェットティッシュを丸め、ゴミ箱突っ込み、普段よりワンオクターブ低いため息をついた。用事とは凛のことだろうか、確かに心配だ。何よりも和から立て続けに連絡が来ること、そして呼び出されること自体が、オリンピックの日に雨が降るくらいに珍しい。それでもまず和と会ったら、文頭にスペースを空けることに文句を2分は聞かせようと太一は決心した。
氷山の一角 たそがれ @tasogaress
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