第13話

121 外交 

 華夏国に敵対していた南の小国、覧山国が新王即位すると同時に、友好を結びたいと申し出てきた。覧山国は、国土はさほど広くないが、西国に負けないほどの象軍を持ち、好戦的な民族なので安定した交易はできなかった。


「さて、交渉には蒼樹と星羅に行ってもらおうか」


 大軍師の郭嘉益が2人に指令を出す。軍師は外交官を兼ね、他国との交渉も行っている。星羅と蒼樹の夫婦軍師はバランスが良く交渉にもたけているので外交によく駆り出される。


「二人ともよいな」

「御意」


 星羅は承知したが、蒼樹は押し黙っている。


「どうした」

「いや、覧山国がいきなり友好的な態度ををとってくるのがなぜかと」


 慎重な蒼樹は怪しんでいる。


「そこは間者に調べさせた。新王のムアン王は民族の中でも珍しく温厚な人物らしくてな。世界から孤立すべきではないと考えているようだ」

「ふん。おそらく貧しくなってきているんでしょうな」


 蒼樹の見解は遠からずも当たっていた。戦闘民族で国力を見せつけていたが、華夏国を襲った冷害を覧山国も受けていた。友好国のないこの国は、他国の援助を受けられることなく被害が甚大だった。


「まあ、そういうな。この機会に親睦を深めておけば双方にとって良いだろう」

「わかりました」


 まだすっきり納得をしていない蒼樹だが、渋々承知した。


「蒼樹。太極府で観てもらう?」


 星羅はいつもより輪をかけて慎重な蒼樹の様子に、そう提案する。


「いや、いい」

「そう?」


 すでに太極府でも占われていることだろう。華夏国と覧山国が友好を結べると結果が出ているので外交を押し進めている。覧山国の罠などであれば、そのように出ているはずだ。


 星羅と蒼樹が覧山国に出発する日、兵士の中に亡くなった医局長、陸慶明の息子である薬師の陸貴晶が交っている。


「貴晶さん、一緒に行くの?」


 急遽、同行することになっているようで星羅は驚き尋ねる。


「ええ義姉上。同行いたします。大軍師の郭殿から前日にそう言われまして」

「まあ。なぜかしら」

「どうも郭殿が卜術の占師に占わせたところ、怪我人が出る可能性があるとかで。それで僕が選ばれました」

「蒼樹が渋るから、観てもらったのね」

「父親として心配なされたのでしょう」


 陸貴晶は父親の陸慶明に似てしっかりとした体格を持ち、母親の春衣ににて利発そうな瞳をしている。今はまだ助手という身分だが、外科の腕前が良いらしく、将来有望らしい。幼いころは身体が弱かったが、義理の母、絹枝の育て方が良かったのか健やかそのもので、素直な好青年に育っている。


 馬に乗り、ちらりと隣で同じく馬に乗っている蒼樹をちらりと見る。


「なんだ?」


 些細なそぶりに蒼樹はすぐに気づく。


「あ、いえ、わたしたちも年をとったなあって」

「二人でいるとわからないが、子どもの成長を見るとそう思うかもしれないな」


 王太子となった徳樹も、ゆうに10歳を超えていた。朝議では王の曹隆明のそばに控え、群臣の意見を真剣に聞いている。幼くとも立派な姿に、星羅は母親として胸を打たれるよりも、誠意を込めて仕えようと思うのだった。


「紅美の子供の一番上はもう兵士見習いだそうだ」

「許家は家族で一つの隊が出来そうね」

「まったくだな」


 多くの子を持つ紅美は、夫の許仲典をはじめ、子供たちに軍略と実技を自ら教えているようだ。もともと有能な彼女は教育者としても才覚があったようで、子どもたちの中からきっと軍師も輩出するだろう。


「何代も後になると郭家ではなく許家が軍師家系になりそうだ」

「それはまた面白そうね」


 しばらくは平坦で安全な旅路に星羅と蒼樹は穏やかに馬を進めていった。



 覧山国との国境が一番屈強な兵士が置かれている。何百年も大きな戦争はなかったものの、好戦的な覧山国の民族はよく象を走らせ華夏国に挑発めいたことを行っていた。

 覧山国は山岳地帯が多く、深い緑に覆われている。険しくはないが狭く薄暗い道が多かった。今は乾季なので雨が降らず涼しいが、雨季に訪れれば、暑さと湿気にやられるだろう。一年のうちでこの国に訪れる時期はかなり限定される。


 山を越え拓けたところに鋭くとがった黄金の建物が多く見えた。おそらく王宮だろう。覧山国の兵士の一人が気づいたようで急ぎ中に入っていった。おおよその到着を知らせていたので、出迎えの準備がなされていたらしく派手な一団が笛と弦楽器をもって整列している。


 華夏国の一団が王宮まで目の前だと思っていると、演奏が始まる。民族としてはあまり容姿に差がないが、表情が険しい。竹でできているだろう笛の音色や柔らかいが、音楽は凛々しく勇敢さを感じさせる。

 すっと一人の初老の男がやってきた。西国とはまた違う華やかな色彩でシンプルで丈の短い服装で、肩から大きな布をたすき掛けにしている。

 両手を合わせて男はやってきた。外交官のようで恭しく挨拶を交わした後、華夏国の一行は王宮に招かれ入っていった。


122 覧山国

 新王にたったムアン王に拝謁する。若い王は温厚で国際化を望む新時代の王だ。世代が星羅と蒼樹に近く、会話を交わすにつれ親しみがわいてくる。ムアンはこの覧山国を世界から孤立させてはいけないと考えていた。しかしこの国際化に対して国が豊かで冷害の影響を受けていなければ、老臣や保守派に完全に阻まれていただろう。


「残念なことにまだ他国と同盟を結ぶことに反対するものが多いのだ」


 誠実な瞳を向けるムアンに蒼樹は「良くなると分かっていても変化を恐れるものが一定数おりますから」と同情した。


「陛下のように、勇気をもって国を、国民をよりよく豊かにしようとする王は他にもいらっしゃいますわ」


 星羅は心の中に、西国の王となった兄の京樹を思い描きながら力強く告げる。


「華夏国は女人の進出が目覚ましいな。わが国ではまだまだ女人の地位が低く、仕事もないのだ」


 覧山国は完全に男尊女卑の国で、女は男の所有物になり、自立する道はない。女が就く職業など皆無に近かった。とにかく早く結婚をして夫に仕えるのだ。

 女性の地位を向上させようとするムアンに星羅は好意を持った。華夏国で育った星羅は、西国も覧山国も、おそらく他の国もきっと女人の地位が恐ろしく低いのだと知る。まるで男と同じ人間ではないようだと思うと空恐ろしい。

 華夏国では男女という性差で社会的な地位が決まることはなかった。個人の能力が重要であると蒼樹が話すとムアンは目を輝かせて聞き入った。


「まあ、ここまでくるのに長い時間がかかっていますが」

「うんうん。我の代ではどこまでできるか分からないが。しかしやっていかねばな」


 ムアンの人柄がよくわかり、十分に良い外交ができたと思い蒼樹も星羅も安堵する。このまま覧山国の治世が落ち着いていれば、華夏国とは良い国交を結んでいけるだろう。


「さて難しい話はこれくらいにして宴の席を用意してある。どうぞ楽しんでいかれよ」


 宴会ではムアン王の王妃マハが慎み深くそばに控えている。肌の色は華夏国民と同じようで、顔立ちは西国人のように彫が深い。若く美しいマハは、緊張しているのか硬い表情で笑んでいる。そっとマハがムアンに耳打ちすると笑って彼は頷き、星羅に声を掛けた。


「王妃があなたは女人なのか男なのかと」

「あ、ええ、女人です」


 軍師省に入ってから、そもそも着飾ることに関心がなかった星羅はすっかり男装が板につき、髪飾り一つ、紅一つさしていない。蒼樹が隣でこっそり笑っている。


「マハには不思議なのですよ。女人が着飾らないことが」

「王妃さまのようにお美しければ、わたしも軍師などにならずにもっとその、飾ることに興味がわいたかもしれませんね」

「はははっ。星羅殿は着飾らなくとも十分お美しいですよ」


 ムアンのお世辞だろうが、王妃のマハがその言葉にぴくっと反応したように見えた。

 しばらく音楽や舞を楽しみ、この国独特の青い果実の料理などを食す。この果実は交易の品の一つになればよいと星羅は考える。覧山国は山深く森の恵みが多く果実が豊富だ。日持ちするために干したものも多いようだ。また竹などで編んだ精巧な籠などは険しい山道で荷物を運ぶのに便利が良い。


 ムアンは華夏国から持ってきた陶磁器に非常に感銘を受けたようだ。この国にももちろん陶器はあるが軟陶で焼き締まりもあまく精度が低い。陶磁器製品よりも、木や竹製品が日常的に使われている。

 今回の国際交流を永続させるべく、覧山国から華夏国へ陶磁器の技術を学ぶものを研修生として派遣することにした。星羅と蒼樹、ムアンと数人のお付きの者で高台に上がる。覧山国の険しさと自然の豊かさが見える場所だった。


「これは落ちたら一たまりもないな」


 覧山国にとっての高台は、華夏国にとっては険しい崖に匹敵する。星羅もそっと覗き込み下のほうに見える細い川に緊張する。


「この国は険しさと、こうして後ろに引けばもう死が待っているという状況で生きてきたのです」

「背水の陣が常に隣りあわせでは、強いはずですね」


 納得する星羅にムアンは優しく笑む。


「まあ、これからはもう少し穏やかさも欲しいところです」


 そろそろ戻ろうというときに、すっと影が動いたのを蒼樹は見た。何か反射する光が見えた瞬間に蒼樹はムアンの前に立つ。


「星羅! 陛下を守れ!」

「えっ!?」


 慌てて星羅もムアンの背後に立ち、背を向け、剣を抜いた。お付きの者もムアンを囲み剣を抜き周囲を見る。


「反対者か……」


 ムアンが周囲ににらみを利かせていると、木の陰から黒装束の者が数名現れ、斬りかかってきた。剣が短く突くような動きを見せ、星羅は応戦するので精一杯だ。蒼樹は剣の長さで間合いをとり、二人倒す。お付きの者は一人負傷したが、王を守る精鋭なので、黒装束の者を打ち負かしていった。


「危ないところであった。まさかこの機会を狙ってくるとは」

「ご無事で何よりです」

「まだ息のある者がいますな」


 蒼樹は倒れている黒装束の者に話しかける。


「誰の手の者だ」


 きっと睨みつける黒装束の男の顔の布をはぐと、顔を膨らませたので、蒼樹はさっと手をかざした。


「うっ……」

「がぎゅっ……」


 蒼樹の手に含み針を吹いたのち、男は舌を噛み切って死んだ。


「蒼樹!」


 手を押さえ針を直ぐに抜いた蒼樹のもとに星羅は駆け寄る。彼の手が見る見るうちに膨れ紫色になってきた。


「いけない。それはわが国の毒だ!」

「う、うっ」

「どうすれば!」


 毒が回らないように手首を力強く蒼樹と一緒に星羅は握る。


「お、落とすしか、ない」

「落とす? 手、手をですか?」


 青ざめる星羅に、蒼樹は呼吸を整えて「星羅がやってくれ」と頼む。


「そ、そんな」

「早く。方法があるのだ。早くしないと身体に届く。今なら肘の下でよい」

「星羅殿!」


 震えながら星羅は唇を強く噛んで立ち上がる。蒼樹は平べったい岩の上に腕を伸ばして置いた。


「こちらのほうが良いでしょう」


 お付きの者が鉈のような太く短い剣を渡す。


「蒼樹、やるわ」

「ああ」


 青黒くなっていく手首を見ながら、星羅はそのもう少し上のほうに目標を定め剣を振り下ろす。ガチンッと岩にまで届く音が聞こえ、一回で星羅は腕を落とすことに成功した。


「し、止血を」


 意識が遠くなりそうな中で、星羅は蒼樹の腕を縛り止血に勤しむ。お付きの者に背負われ、蒼樹は素早く高台から降り王宮へと運ばれていった。

 星羅は血まみれになった手と、青黒い蒼樹の残していった手を交互に見ながら意識を失っていた。

   

123 刺客

 目を覚ました星羅は極彩色の寝具から飛び起きた。


「ここは……? 蒼樹は……」


 そばについていた侍女が「軍師様。郭様は隣でお休みになっておられます」と頭を下げたまま告げる。


「ありがとう」


 急ぎ隣の部屋に向かった。扉もなくすぐに中の様子が見える。


「蒼樹っ」


 声を掛けると側に座っていた陸貴晶が人差し指を立て、「しぃー」と声を出したのち説明をする。


「義姉上。大丈夫ですよ。多少、出血が多かったのですが命に別状はありません。疲れたのでしょう。眠っておられます」

「そう、良かった……」

「では、失礼して血になるものを探してきます」

「ありがとう。貴晶さんがいてくれて良かったわ」


 利発そうな瞳をちらっと見せて貴晶は出ていった。実際に彼の外科の腕前は相当なものだったようで、覧山国では彼に医術を学びたいと申し出る薬師が多かった。

 竹で編んだ椅子に腰かけて星羅はじっと蒼樹の寝顔を見る。血の気が引いて青い顔をしている。


「あら」


 蒼樹の目じりに皴を見つける。そして自分の目じりも触ってみた。


「同じ年だものね」


 一緒に歳を取ってきているのだなと感慨深く思うと同時に、命があって本当に良かったと安堵すると今更、涙が出てきていた。

 視界が滲むと同時に、星羅の頬にそっと蒼樹の指先が触れた。


「どうした?」


 蒼樹の問いに星羅は思わず笑う。

「どうした?ってそんな。あなたのほうが危なかったのに」

「その衣装もよく似合う」

「え? あ、ほんとう」


 血まみれだった星羅の漢服は、覧山国の民族衣装に着替えさせれれていたようだ。慌てて起き上がって蒼樹のもとに来たので自分の服のことなど気にも留めていなかった。


「生きていてよかった。星羅の女装がまた見れたからな」

「もう! ふざけないで」

「そう怒るな。俺でよかった」

「蒼樹……」


 星羅は力を入れないように蒼樹の胸に顔を埋める。


「ほんとに、ほんとうに生きていてよかった」


 蒼樹は星羅の頭をそっと撫でる。ハタハタと歩いている音が聞こえたので星羅は顔をあげ、涙を拭き顔をパンパンと叩いた。入ってきたのはムアン王だ。


「蒼樹殿、星羅殿。この度は本当に申し訳なかった」


 一国の王であるムアンの謝罪に、蒼樹は恐縮して身体を起こす。


「あ、無理しないでほしい」


 お付きの者がそっと介助しまた蒼樹を横たわらせる。


「陛下に大事がなくてようございました。軍師という職に就くにあたりこのような出来事は覚悟の上ですから」


 心からそう思って言っているのが星羅にもわかるが、実際に命の危険にさらされるとやり切れない思いがする。


「毒から分かったのだが、刺客を放ったのは我の異母弟なのだ……」

「弟君……」

「左様、残念なことに王妃も関係しておる」


 蒼樹が受けた毒は、王家に代々伝わるもので元々狂った巨象に使うものだったらしい。即効性のある毒は受けた場所をすぐさま排除しないと確実に命を落とす。つまり手足以外に毒針が刺さっていたならば、切り落とすことはできず死に至っていたのだ。


 異母弟は本来は正室の息子であり、王位継承の資格が十分にある。ムアン王は側室の息子なのだ。覧山国ではそもそも女人の地位が低いせいで、正室の息子であろうが、年齢が優先される。

 異母弟カムデはその事も気に入らないが、好戦的な性格なので華夏国と友好関係にあろうとすることにも大反対だった。悪いことに王妃のマハは元々カムデの恋人で、ムアンの妻に選ばれたときにますます恨みを募らせたのだ。


「身内のことに巻き込んでしまった」

「お二人の処遇はどうなさるのですか?」


 星羅の問いに、ムアンはまた複雑な表情を見せる。


「さすがに国家転覆罪にあたるので……」

「そうですか……」


 クーデターを起こして生き長らえることはやはり無理だ。


「マハがカムデの恋人であることを知っていれば妻に迎えなかったものを」


 マハは有力な大臣の娘で本人の意思なく王に嫁がされる。マハの父親の大臣も、まさか自分の娘とカムデが恋人関係であったことを知らなかった。権力を固めるためでもなく、単純に年頃の娘を輿入れさせた。

 ムカデはムアンを亡き者にして、マハを取り戻し王になるつもりだった。


「王妃は廃して、二人は一緒に弔ってやろうと思う……」


 悲しげでしかし慈愛に満ちた瞳を見せ、ムアンは立ち上がった。星羅をちらりと見て「まるで覧山国民のようだ」と笑んだ。星羅も微笑み返し部屋から出ていくムアンを見送った。


「覧山国と華夏国はきっとこれからうまく付き合ってけるだろう」

「そうね」


 返事をしながら、星羅はそれでもすっきりした気分にはなれなかった。覧山国のいざこざで蒼樹は腕を失くしたのだ。暗い表情をしている星羅の考えていることは蒼樹にもよくわかっている。


「少し不自由するだけだ。俺にはまだ頭もあるし舌もある」

「ん……」

「この腕を落としてしまったために、首謀者は命を落とすのだ。割に合わないものだな」


 異母弟のカムデと王妃マハへの同情のような言葉を吐く蒼樹に、センチメンタルになっている星羅はまた涙がこぼれてきてしまった。


「あなたって優しいのか何も感じてないのかわからないわ」

「フフッ。俺はお前さえ失わなければそれで良いのだ」


 蒼樹は片腕で力強く星羅を抱きしめた。


124 大軍師

 諸外国との国交も順調で、華夏国も持ち直し安定している。国が安定していると学問に精が出るのか、軍師省では過去最高の人数が所属することとなった。それでも教官の孫公弘は「みなどうも小粒でなあ」と不満を口に出している。

 そこへ片腕を亡くし体力的な衰えを感じている郭蒼樹が教官になりたいと申し出る。孫公弘は大歓迎だ。


「まさか郭家の者が教官職につくとはなあ!」

「よくよく考えてみれば、自分が軍師になるよりも、軍師を多く育て上げることのほうが重要かと思いましてね」

「そうだ! そうだ! さすがよくわかっているじゃないか」

「軍師には星羅がいるし十分でしょう」

「うむ。次期大軍師は星羅だろう」


 誰もの予想通り、大軍師、郭嘉益が引退し、次期大軍師に星羅を指名する。当然の結果とは言え、まだまだ現役だろうと思っていた郭嘉益の引退に星羅は物申す。


「星羅、馬に乗れ。少し遠乗りしようぞ」

「え? 遠乗りですか? わかりました」


 都を離れ星羅は、郭家の汗血馬に乗り郭嘉益の後を追う。馬の優々はもういない。今はロバの明々の隣で安らかに眠っている。汗血馬は頑丈で駆ける速度が速い。ぼんやりしていると、試すかのように乗っているものを振り落そうとするので星羅は気が抜けない。前を走る郭嘉益は余裕で馬を走らせている。その雄々しく若々しい姿を見るだけで、まだまだ引退には時期尚早にみえる。


 乾いた土地を超え、まばらに樹木が生えている手つかずのような丘で郭嘉益はとまる。馬を降り、適当な木の枝に馬を繋いだので星羅もまねた。


「ここはどこですか?」


 気持ちの良い木陰がある場所だが何の変哲もない丘に見える。


「その茂みを超えてみるといい」

「はあ」


 ガザガザと身長くらいの草木を超えると都が一望できた。


「へえ。ここはいい見晴らしの場所ですね」

「うむ。銅雀台がよく見えるであろう」


 天高くそびえるような銅雀台を正面から見ることが出来る景観に星羅は感心する。


「では、こっちだ」


 また茂みに入りしばらく行くと草が刈られ土が大きく盛り上がった場所に出る。星羅があたりを見渡していると郭嘉益は地面に座りその盛り上がった部分に向かってひれ伏し、三回額づいた。


「こ、ここは!?」


 立ち上がった郭嘉益は「ここが高祖の墓なのだ」と静かに敬意をこめて発言した。


「こ、高祖のっ」


 星羅も慌てて額づき拝礼した。その姿に郭嘉益はうんうんと満足そうに頷いた。


「よい。立ちなさい」


 言われるまま立ち上がるが星羅はここに高祖が眠っているのだと思うと、高揚感と畏怖感が沸き上がる。


「高祖の墓は一般には幻の墓と言われておる。高祖は死後、自分の墓を暴かれぬように72基用意したからな」


 目を輝かせて星羅は話の続きを待つ。


「大軍師に就いたものだけが高祖の墓を知ることになる」

「大軍師だけ」

「そうだ。まさか息子ではなく、息子の嫁に教えることになるとは思わなかったがな。わはははっ」


 愉快そうに笑う郭嘉益に「やはり蒼樹には知らせてはいけないのですか」と問う。


「うむ。たとえ肉親でもだめじゃ。まあ、あやつは高祖の墓になど興味ないだろな」

「そうかも……」

「なるべくしてそなたが大軍師となったのだろう」

「義父上。お早くないですか? まだまだ現役でいられるでしょうに」

「いや、引き際が肝心だ。そなたは十分に資格がある。才は早く使わねばな。馬秀永大軍師には悪いことをした。わしが不甲斐ないばかりに長く就任させてしまったことよ」

「そんな……」

「矯めるなら若木のうちに。好機を逃してはならん」

「わかりました。精一杯務めさせていただきます」

「うんうん。しかし運命というのは不思議なものだ。高祖の血がそうさせたのだろうか」

「えっ」


 驚く星羅に、郭嘉益は優しい目を向ける。


「太極府と軍師省の上層部だけはそなたの出自を知っておる」

「そうなのですか!」


 太極府の陳賢路もなんとなく含みのある物言いをしていたが、星羅が王の曹隆明の娘だとやはり知っていたのだ。


「そなたの母は賢明であったな。もしも身籠った時に騒いでおれば……」


 星羅にも想像がつく。曹隆明の子を孕んだと、胡晶鈴が訴えればおそらく良くて冷宮送り、そして生かされていれば星羅も王の妃の誰かの公主として、後宮から出されず育ったことだろう。


「まさに運命的だと言わずにおれぬ。高祖の血を引くそなたが、王の娘が大軍師となり、そしてその息子が王になるのだからな」    


 郭嘉益はまた高祖の墓に額づき拝礼をした。星羅も隣に座り一緒になって心からの拝礼をささげる。高祖がいつまでも安らかな眠りについていられますようにと。

 


125 新時代

 王の曹隆明も王位を退き、成人した徳樹に譲位する。健康に問題がなく、存命中に譲位した王は曹王朝の中でも、隆明唯一人だった。惜しむ声が多かったが立派に成人した徳樹を見ると誰もが納得した。


 星羅は、曹隆明も、前大軍師、郭嘉益のように育った後進が速やかにより才を発揮できるように譲ったのだと分かった。王の住まいであった銅雀台を徳樹に明け渡し、曹隆明は都の奥に屋敷を構える。新居に星羅は向かい、隆明一家の生活に不自由がないか確認に行く。臣下として星羅は隆明に拝謁する。


「面を上げよ」

「ありがとうございます」

「殿下。改めまして大軍師となりました朱星雷です」

「うむ。その名を使っておるのか」

「はい」

「ふふっ。そのように堅苦しくしなくてよい」

「あ、あのしかし」

「もう私は王ではない。これからは夫人とのんびり花を育てて過ごそうと思っておる」

「そうですか」

「星羅は何が好きなのかな?」

「え? 花、ですか」


 好きな花など星羅にはなかった。返答に困っている星羅に隆明は優しく笑んだ。


「ではこれからいろいろ植えるから、好きな花を見つけるといい」

「殿下、ありがとうございます」

「次来るときは、大軍師ではなく娘としてくるといい」

「殿下……」

「父でよい」

「父、うえ……」


 公に出来ない親子関係だがここで隆明を父と呼べるようになった。隣ではふっくっらと血色よく柔らかい表情の桃華が温かいまなざしで二人を見ていた。

 隆明と桃華の仲睦まじい様子を見ると、確かに母、胡晶鈴が『会う必要がない』というのは当然かもしれない。みんな前を向いて生きているのだと改めて実感した。


 徳樹の治世では大きな国難はなく十分に国力を蓄えることが出来た。近隣の諸国とも外交は穏やかで、交換留学生も盛んに行った結果、技術の向上が見られ、庶民の生活水準も上がる。地方の識字率もより高くなり、華夏国民はより自由に選択できるようになっていった。


 郭蒼樹は軍師省きっての名教官となり軍師を幾人も育てた。星羅は蒼樹のおかげでいつでも大軍師の引退ができると笑った。


「次の大軍師はあなたの弟の郭文立が候補になるわね」

「まあ問題ないだろう」

「軍師はあなたのおかげで豊富だけど、教官になれそうなものはいるの?」

「しまった……」

「わたしが引退しても、あなたが引退できないのではね」

「軍師ばかり育てて、教官を育てることにうっかりしていたな。早速取り掛かるとしよう」


 責任の強い蒼樹は自分の後進を育て上げてから引退する予定だ。二人は子を成さなかったが、軍師省の後進たちが2人の子供だった。

 星羅は引退したら、蒼樹と二人で自由にいろいろなところへ旅をしたいと夢を見ている。


 徳樹から数代後まで曹王朝は安定を誇ったが、やはり世界の時代の波にのまれていく。国の名も変わり、制度も変わり、王も消え、軍師も消えた。

 曹王朝は華夏国屈指の安定した王朝と名高く、星羅は幻の女軍師として伝説の中に名を残した。




エピローグ 長い時を経て

 小高い気持ちの良い風が吹く丘に、二人の老夫婦が上ってくる。二人は古い本を片手にあちこち見回していた。


「きっとこのあたりだと思うわ」

「ああ、そのようだ」


 疲れた二人は柔らかい草の上に腰を下ろす。そんなに高い丘ではないのに遠くまで見通せる景観の良い場所だ。


「遠くまで見えるのね」

「あの辺りは昔の都があった場所だろう」


 夫が指をさす場所は広々とした平原になっている。ふっと妻が横に目を向けると若い男女の二人組が見えた。


「あら、こんなところに先客がいたのね」


 振り返った夫は男と目が合い頭を軽く下げる。座っている二人のところに、若い男女が近づいてきた。


「こんにちは」


 男は外国人だろう。ハンチング帽の下から金髪が出ていて目が薄いブルーだ。女性のほうはベレー帽をかぶり黒いショートボブの髪が見える。


「ご旅行ですか?」


 気の良さそうな若い男は綺麗な発音で訪ねてくる。夫婦は立ち上がり挨拶をしてから答える。


「ええ、幻の女軍師の墓がここにあると古書で見つけましてね」

「幻の女軍師ですかあ」

「あなたたちもご旅行ですか? ここにはその伝説くらいで何もないですけどね」

「僕たちは、とくにあてのない旅行なのでふらっと立ち寄っただけなのですよ」

「いいですね。私たちはやっと旅行ができました」


 夫が妻を顔を見ると、妻は優しく笑んで頷いた。


「仲がいいんですのね」


 若い女が、老夫婦の手がしっかり握られていることに気付く。


「あら、恥ずかしい。あの、なぜかついつい握ってしまうんです。彼の左手ばかり」


 妻は頬を染め少しだけ手の力を緩めた。若い女は笑んで「お探しの場所はあのあたりだと思いますわ」と大きな木の影を指さす。


「え?」

「さっきふらふら歩いているときに見つけましたの。小さな石板のようなものがありますわよ」

「そうなんですか。ありがとうございます!」

「じゃあ見てこよう」


 老夫婦は嬉しそうにまた手を握る。


「では僕たちはこれで。よい旅を」

「ありがとうございます。お二人もお元気で」


 それぞれ手を振って別れた。老夫婦は木の下に行き、少し埋もれている平たい岩を見つける。手でそっと土を払っていくと彫られた文字が見えた。『郭蒼樹 朱星羅』


「まあ! ここがそうなのね」

「良かったな。見つかって」

「やはり女性だったのよ」

「正史では男名で性別が書かれていなかったが、この野史の通りだったな」


 夫は古びた本を見て感心している。


「初めての旅行なのに付き合わせてしまってごめんなさいね」

「いいんだ。君の行きたいところへ行こう」

「ありがとう」


 老夫婦はしばらく墓のそばで悠久の時を偲び続けた。   

   



 男は女に「もういいのか?」と尋ねる。


「ええ、二人とも幸せそうだわ」

「彼は怪我がもとで長く生きることはできなかったんだよね」

「彼女だけが長く長く孤独の中を生きたわ」

「今回は結ばれるのが相当遅かったようだが」

「だからこの場所に、二人の長く過ごした時間を感じにやってきたのよ」

「さて、今度はいつ会えるかな」

「さあね。行きましょう」


 若い男女は静かに丘から消え去った。



 その後、墓を訪れるものは誰もいない。

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華夏の煌き~麗しき男装の乙女軍師~ はぎわら 歓 @hagiwarakan

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