Ⅹ そんなに頼りないの?
「奴隷ってどうしたらなくなるの?」
法の授業でクヤマに問いかける。彼は見るからに困り果てたようすで唸っていた。
ハーフエルフの少女の件、トウカの件と合わせて奴隷についてもっと知らなければいけないと最近になって感じた。
この質問はおれの目標に対する解決方法を聞くことに直結している。
やはり早々に導き出される答えではない。
「シグレは奴隷が嫌いなのか?」
「うん。可哀想だし」
即答するとなおもクヤマは悩み出した。親としての威厳を見せたいところだが、簡単なことは言えないと迷っているんだろう。
しばらくして彼はおれを見つめた。
「なくならない」
驚いた。なくならないとは。
考えればおれの言うことにクヤマが真っ向から否定したことは一度もなかった。話をぼかしたり間接的に伝えたりと、なにかと曖昧な父親だったはずだ。
それが明確に否定した。すこし苛立ちつつも理由を聞いてみる。
「借金返済のための手段として役立つため……というのが一般的だと言われているが、それなら結局は奴隷みたいな扱いをされなくてもいい。他に理由がある」
「それは?」
「人を虐げる趣味のあるやつが喜ぶからだ」
あぁ、なるほど。心底ふざけた理由だ。
「人は余裕があると自分が強くなったと勘違いして、力を誇示したくなる。そのため奴隷を雇って殴りまくったりする」
「そういうのを禁止することはできないの?」
「無理だな。そういう奴らは金を持ってるから匿われるんだ。それに奴隷自体を純粋な労働力として見ている奴もいる」
人間としては見ていないがな。
そう付け加えたクヤマに、おれはなにも言えなかった。想像よりずっと酷い。文字通り人権を取り上げられているのか。
奴隷解放。
最終目標は思ったよりも遠い。トウカという人脈に借りは作れたものの、まだまだやるべきことはたくさんある。
悶々と考えていると玄関から声がした。
「シグレ君いますかぁ?」
聞き覚えのある声だった。おれはすべてを察して椅子から飛び降りた。
「お、友達か?」
「うん。ちょっと行ってくるね」
うまく笑みを作れただろうか。クヤマに手を振って玄関へ歩いていった。
頬に手をやると痛みが駆ける。指を見てみると赤く濡れていた。あぁ、これおれの血かよ。こんな大怪我したことない。
脇腹がずきずきと悲鳴をあげている。服もところどころに紅の染みを広げている。叫びたいが猿ぐつわをされている。
口から息ができないのも問題だ。必死に鼻から酸素を取りこむが、以前として苦しい。
ぼやけた視界でキリサメを捉える。殴り足りないようで目が血走っていた。取り巻きたちもやりすぎだと感じているのか引け目が窺えたが、彼はお構い無しだった。
「ひとりで来たことだけは褒めてやる」
よく言うわ。こうやって来ないと親になんか言いつけるだろ。これ以上、クヤマとハーブに心配をかけられるわけにはいかない。
大丈夫だ、おれさえ耐えれば問題ない。
「おまえ、助かるとか思ってんのか?」
腹に激痛が走る。
靴先が鳩尾に食いこみ地面に転がる。着ている服がぼろぼろだ。ハーブに買ってもらったお気に入りだったんだけどな、これ。
気絶してしまいそうだから、こうやって考えて気を逸らしている。
気を失ったらダメだ。蹴られる覚悟があるから耐えられているものの、寝ているときに食らったら本当に死にかねない。
死ぬ?
恐怖が背から這い上がってくる。寒気が襲いかかり身体を包んでくる。痛覚がより浮かび上がってきた。
「お、いい顔してきたじゃねぇか」
また吹っ飛ばされる。
今度は脇腹に貫かれたかのような痛みが訪れる。歯を食いしばるものの、引く様子が一向にない。痛い、寒い、気持ち悪い。
こんなつもりで助けたんじゃない。
彼女の放った言葉はあっていたのかもしれない。いいじゃないか、誰かが嫌われ役を背負えばそれで。みんな幸せになれる。
寒いよ。凍えるほど寒い。冷蔵庫の中かよここは。もう目さえまともに働かない。
「もうやめよう」
「キリサメ様、死なれたらさすがに……」
「お前らも逆らうのか?」
鋭利で底冷えする一言でふたりは押し黙った。キリサメは続ける。
「おれは悪いものを退治してるだけだ。なぁ、シグレって言うんだっけおまえ。調べたら簡単に名前が知れて良かったよ」
人をいじめるのに権力さえ用いるのか。
情けないやつだなこいつは。こんなやつには殺されたくない。そう思っても、体は一ミリも動かない。限界が近い。
「なぁ、シグレ君」
まぶたを微かに開けて青髪をみた。キリサメは口の端を意地悪くあげていた。
「あやまれよ。ハーフエルフを庇ってって。そしたら蹴るのをやめにしてやるよ」
だれが謝るかよ。
言葉とは裏腹に痛みの駆ける至るところから叫び声が聞こえてくる。あの少女がこんな目に合わせたんだから、おれが間違っていたんじゃないかと。あやまれと。
頭になにかのしかかってきた。
靴だ。足の裏で踏まれた。
「早くしろよ。間違ってたのは俺だって認めるだけでいいだろ。なぁ!」
ジリジリと体重をかけられる。痛い。くそ、痛みで意識が飛びそうだ。ふざけんな、こんなところで死にたくない。
抵抗するも痛覚は教えてくる。
現実を。殺される恐怖を。
目を閉じても耳を塞いでも縮こまっても、寒気となって恐怖となって牙を剥いてくる。
死にたくない。
いやだ。もう蹴られたくない。殴られたくない。こんな想いしたくない。どうしてこんな目にあったんだ。どうして……。
助けたからだ、彼女を。
「いい目をしてきたじゃねぇか! そうだよ! あの女を助けたせいだ!」
言う通りだ。ハーフエルフの少女を助けただけでこうなったのなら、ハーフエルフが悪いんじゃないか?
そうだ、全部あいつのせいだ。
おれが悪かったんだ。間違っていたんだ。差別うんぬんじゃない、こうしておれが死にそうになってるのは全部ーー。
猿ぐつわを力の限り噛んだ。噛んですり潰して、口から血が垂れようが構わずに食らいついた。布は切れなかったものの、拘束が甘かったせいか小さくなりずらせた。
喉を鳴らす。
「……おま、え、の……せぃ、だろ」
キリサメはわけが分からない顔をした。
「……だか、ら、おま、えの……せい……だ、って、ぃ……てん、だ」
おれを蹴っているのはだれだ?
おれを殴っているのはだれだ?
おれの頭を踏みにじっているのはだれだ?
おれをこんな目に合わせてるのはだれだ?
全部、おまえじゃねぇか。キリサメ。
痛い、痛いよ。死ぬほど痛いし、本当に死ぬかもしれないくらい痛い。寒くて頭もまともに回んねぇし恐怖がまとわりついてくる。
それでも、立ち上がる。
「なぁ……リ、サメ」
それでも、キリサメを睨む。正しいのはおれで、間違っているのはお前だ。
息を思いっきり鼻から吸い込んで肺を膨らます。ずきずきと突き刺してくる痛みを堪えながら、
「ぁや、まるのは……ぉまえ、だぁあああああああっ!」
ひっ、と悲鳴をあげる。恐怖に顔を歪めては退くキリサメに取り巻きたちは着いていく。どっかに行ったようだ。
良かった、死なずに済んだ。
これで……休める。
朦朧とする意識の隅で、誰かの足音がこちらへと近づいてきていた。
「そんなに頼りたいの?」
その言葉でおれは目を覚ました。いつもの天井、いつものベッド、いつもの枕。
ただ、視界の中の彼女の顔だけがいつもとは違って悲しそうだった。おれは何も言えずに押し黙っていた。
「そんなに頼りないかな、私」
「ちがうよ」
勝手に否定の文字が口から溢れた。ハーブは首を横に振って、ぐちゃぐちゃになった顔を歪ませて聞いてきた。
「なんで、何も言わないの?」
困ったな。心配させないようにって、迷惑かけないようにって考えてた結果がこれか。全部が裏目に出ている。
どうすれば良かったか考えを巡らせていると、頬に痛みが走った。
いきなりだった。
おれはハーブに打たれた。
「まだわかってないでしょ」
怒りを滲ませてハーブは紡ぐ。おれの答えを。どうすれば良かったかを。
「相談してよ。家族でしょ?」
カーテンが膨らんだ。温かな風が入り込んではおれの髪を弄ぶ。日差しが泣きじゃくる彼女を照らしていて、その泣きっ面に初めてちゃんと向き合った。
えんえんと赤子のように泣き叫ぶハーブの背に腕を回す。ぎゅっと体を抱く。
「今度からはどうするの?」
ようやく泣き止んだハーブが尋ねてきた。
「相談するようにする」
「それから?」
「助けを呼ぶようにする」
「それから?」
「頼るようにする」
「それから?」
えぇと、なんだ。何をすればいいのか分からない。ああだこうだと考えていると、ハーブはおれの額を小突いた。
「怪我をしないこと」
ようやく分かった。あのとき、近付いてきた足音はハーブだったんだ。おれの惨状を目にしてどう思ったかは計り知れない。
どこか他人事のように思っていた。
所詮は他所の人だから、赤の他人だから。心配されてもどうってことないし、平気だと勘違いしていた。血が繋がっていないから、そこまで心配されないだろうと錯覚していた。まったくの間違いだった。
本当に、彼女はおれを心配したのだ。
泣きじゃくるほど、おれを打つほど。
彼女はおれを家族だと思っていて、おれは彼女を家族だと思っていなかった。知っていたはずの事実が重くのしかかっては、申し訳なさで胸がいっぱいになった。
おれはハーブを家族ではないと言えるのだろうか。今、この瞬間に。
「ごめんなさい」
彼女の胴体を掴んで寄せた。
「ごめんなさい」
何度も繰り返しては、我慢できなくなっていた。良い子でいようという罪悪感の裏返しは消え去っている。ただ、ありのままに。
胸に顔を埋めてハーブの服を滲ませた。
なんだか眠れなくて目が覚めていた。
怪我もだいぶマシになった。どうして寝れないのか悩んだところ、屋根裏に行ってないからだと結論づけた。
物音を立てないようにと、クヤマから教えてもらった正規ルートを辿ろうとして思い出す。そうだ、クヤマと一緒に行くと約束したんだった。ベッドに戻り袖を引っ張る。
起き上がったクヤマはおれを見て悟ったような素振りを見せた。布団から足を抜いていっしょに階段まで歩く。
屋根裏まであがって窓の傍に寄って胡座をかくと、クヤマが話しかけてきた。
「災難だったなぁ、シグレ」
「ほんとだよ」
夜景は今日も今日とて、いつもと変わらない。人気が少なく教会のステンドグラスがたまに光る程度だ。図書館はサイウン家の屋敷でここからは見えないらしい。
クヤマは続けて尋ねてくる。
「母さんが泣きついたんだって?」
「うん、大泣きだった」
「ははは。怒られたか?」
「打たれたよ」
「へぇ、そうかそうか」
語る彼の頬にも手型があった。クヤマもハーブに打たれたのだ。呼びかけの時点で察しろ、それが出来なければシグレをひとりで家に出すなと。理不尽この上ない。
頭を下げたものの彼は笑い飛ばしてくれた。気にしない気にしないと。
「俺はさぁ、シグレは今回の件でそんなに悪くないんじゃねぇのって思うんだよ」
窓の向こうを観ながらクヤマは心のうちを紡いでいく。
「ぼろぼろになって帰ってきたのはダメだな。あれだけは許されねぇけど、おまえは暴力を振るわなかったんだろ」
あごを引くと彼は髪を掻き乱した。わしゃわしゃと散らされた髪先をぶつくさ言いながら整えていると、クヤマは下のハーブを起こさないくらいの声で言った。
「おれはおまえを、誇りに思う」
それを聞いて胸が温かくなった。心配していたのはハーブだけじゃないんだ。
また髪の毛をむちゃくちゃにされたが、黙ってされるがままにしていた。
すっかり体調も良くなった日のことだ。寝ぼけていたおれをハーブが起こしてきて、なんだなんだと戸惑ったまま玄関まで連れていかれた。少しトラウマがよみがえる。
扉を開けるとハーフエルフの少女がいた。
「わたしはレインといいます」
薄汚いながらも、一生懸命に頭を下げて礼を述べた彼女を陽の光が明るくしている。だれもいない通りに風が参りこんで、おれと彼女をふんわりと包んでは空へと昇る。
一直線にその金色の瞳をおれに向けて、一言一言感謝をなぞるように告げた。
笑いながら。
「助けてくれて、ありがとうございました」
間違ってなかったんだと。
あのとき助けたのは決して、誤ってなどいなかったんだと彼女が教えてくれて。
最近よく泣くなぁと思いながら、おれもレインにつられて笑みを浮かべた。
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