Ⅸ 白ローブの少女②
ハーブは仕事が早く終わると図書館に連れていってくれる。さすがに四歳のおれがひとりで行くのには不安が残るからだ。
例の司書さんに頼んで本棚から本を何冊かとってもらい、机に運んで読んでいるあいだハーブは外で買い物をしている。
だから四歳児が読めない本も遠慮なく読める。
『魔物図鑑』
『はじめての火魔法』
『ストラスキュールの歴史』
え、魔法が使えないのに魔術書を読むのになんの意味があるって? いいだろ、読んでるだけで使える気分になるんだよ。
ひとり愚痴りながら『はじめての火魔法』の表紙をめくると、かわいらしい絵で少女が杖から魔法を放っていた。といっても、杖先にマッチのような小さい火が灯るだけだ。
となりには『初級魔法 フレア』と綴られている。おそるおそる人差し指を立てた。
「フレア」
なにも起きない。そもそも図書館で火をつけるとか迷惑行為でしかないから良かったものの、やはり魔法が使えないのは悲しい。杖がないからとかではない、指からでも同い年の子供は火を出していた。
あー魔法使いたいなぁ。
おおげさにため息を吐いた。
「フレア」
ーーぼうっ。
うしろから聞こえた。懐かしい音だ。ライターに火が点った音。
「って、図書館でライター付けてるの!?」
ふりかえると白いローブを纏った女の子が指先に火を灯していた。教会でぶつかったあの子だ。フードのせいで眼帯は見えない。
少女はこまかく震えていた。
「ね、ねぇ、これ、どう消すの?」
分からないのに試したんかい! いやおれも人のこと言えないけどさ。
「まず落ち着こう。おれも、きみも。息を深く吸って……吐いて……」
手本を見せるように深呼吸してみせると、少女も深く息を吸っては吐く。
しばらくすると落ち着いたのか、指先をじっと眺めると煙をあげて火が消えた。
「ありがとう、助かった」
「今度からは気をつけてね」
「あなたには言われたくない」
ぐっ。おれは魔法が使えないんだよ!
叫びたかったが五歳くらいの女の子に言ったところで大人気ないだろう。素直に「おれも悪かった」と頭を下げる。
「ねぇ、そこでなにしてたの?」
「本を読んでたんだよ」
へぇ、と積まれた本をのぞきみては、いくつか手に取って開いてみる。最初は文字を追っていたようだが、だんだん頁だけめくるようになると終いには乱暴に本を閉じた。
本が傷つくよ。忠告したが聞いてないのか苦虫を噛み潰したような顔をする。
「なにこれ、絵がないじゃん」
「絵本じゃないからね」
「本ってぜんぶ絵があるんじゃないの?」
「それは絵本の話だね」
「絵本ってなに?」
「たぶん、君が読んできた本のことだね」
表情は分からないが明らかに落ち込んだ様子の少女。悪いことしたかな、でもおれは本当のこと教えただけだし。いやそれを精神年齢十七たす四で二十一のおれがいうのか?
だめだ、考えれば考えるほど自分が悪いように思えてくる。ここは励ましてやろうと顔色を窺うと少女はおれの隣の席に座った。
「おねがい、私に本を読み聞かせて」
どうしてそうなった?
手を伸ばせば触れてしまいそうなほど距離が狭まり、かすかに甘い匂いが漂ってきた。
石鹸の匂いか、香水の匂いか。どちらにしてもこの世界では高価なものを使っている。
裕福な家庭で育てられいるのだろう。ローブだってシワひとつなく布地もきめ細かいし相当かわいがられている。
まさか、貴族の娘?
可能性はある。ここで脈を繋げられれば奴隷解放に一歩ちかづく。背筋を正して少女の方へ体を開いた。あえて理由は聞かない。
「分かりました。どの本がいいですか?」
「なんでいきなり敬語で話すの?」
やば、いきなり尻尾を見せてしまった。頭をフル回転させて言い訳を考える。考えろ考えろ考えろ。一番自然でこれからの進展を妨げないような最良の手を。
少女の親が偉い人だと思ったから?
正直に言えばいいってもんじゃない。それじゃあ媚び売ってるように思われる。
少女が歳上みたいだったので?
最初から敬語を使うべきだった。それに一言「敬語を使った方がいいですか?」と聞くのが自然だ。場は切り抜けられるが違和感は確実に残すことになる。
気分で?
どう転ぶのか分からない。最悪、これからの関係が切れる可能性すらある。
場にあった、敬語をいきなり使っても気にならない状況。会話の流れは読み聞かせを頼まれたその返答。なぜ突如として敬語を使ったのか……読み聞かせ? これだ。
「いつも読み聞かせされる側だったから、なんか緊張しちゃって」
「え、あなたも読み聞かせしてもらうんだ。私もお母さんに本を読んでもらうの」
よし、切り抜けた。机の下で拳を握る。
「文字ずっと眺めていると疲れるよね」
「そうそう、お母さんの声落ち着くし」
「いつも途中で寝ちゃわない?」
「寝ちゃう!」
少女はらんらんと目を輝かせている。なにをそんなに興奮しているのか分からないが、楽しんでもらえているのなら結構だ。
読み聞かせをする本と問われたら、なるべく情景の描かれていないテンポよく話が進むものがいいだろう。冗長すぎるのもだめだし、かといって短すぎても絵本とさして変わらない。
ううむ、子育てって難しいんだな。
本としては本格的だが文量は短く、かといって難しすぎずどんどん読めるもの……短編小説なんかどうだろうか。
決まりだ。立ち上がりカウンターで船を漕いでいたエプロンの司書さんにいくつか『短編』と名前のつく本を取ってもらう。脚立に登った司書さんは最後の一冊を手渡すともうひとつ、頼んでいない本を渡してきた。
『カンダチの旅』
刷版技術もそこまで発展してないなかで、表紙が現代のと比べても頭抜けて精巧な作りになっていた。なにしろ革の表紙に文字を掘り、凹んだところに墨を流して表題が記されている。こんなの手間がかかりすぎる。
司書さんに視線を移すと、髪を掻きながら説明を始めてくれた。
「カンダチって有名な作家がいるんだけど、彼は世界中の図書館を旅していてひとつ寄るたびに自分の本を寄付していくんだ。この図書館にも実は来ていて、これを残したんだ」
「でも、なぜこれをぼくに?」
「君は幼いながらよく本を読んでるし、きちんと内容も理解しているようだから読んで欲しくなっただけだよ」
「なるほど、ありがとうございます」
いやいや、と手を振る司書さんにお辞儀をした。
四冊ほど重ねてよたよたと元の席に戻っていく。足元しか見れないから恐いが、間取りは記憶しているので問題は無い。
机の上に本を置くと白ローブの少女が今にもぴょんぴょん跳ねそうなほど機嫌を良くしている。なにがそんな楽しいのか。
「それカンダチの本でしょ? うわぁ、ここにも来てたんだ」
「へぇ。カンダチって有名なんだ」
「そりゃ有名よ。世界最高の作家って言われてるんだから」
世界最高。
本好きのおれとしてはそのワードを見逃すことが出来なかった。地球でも世界最高の作家と言われればいくつか名前を挙げられるが、『世界最高の作家という肩書き』をもつ者はいなかった。
それが絶対数は小さいとはいえ、幼い子供にまで世界最高といわしめる作家がいるとなると興味が湧いてくる。
心のうちで司書さんにお礼を言いながら一際きわだったその本を手に取り、飛び乗るように椅子に座る。
あれ、ここで読み聞かせてもいいのか?
危ない、図書館の平和を乱すところだった。司書さんに面目が立たない。
「ここで本を読むのもなんだからすこし移動しようか。いくつか本を持ってもらえる?」
「いいけど、どこで読むの?」
「外で読もうか。迷惑かからないし」
本を抱えながらふたたびカウンターへ到着する。さきほどの司書さんが顔をのぞかせていた。
「すみません、この本を少しのあいだ借り出せないでしょうか」
彼は困ったような表情を浮かべる。
「構わないんだけど、『カンダチの旅』だけは特別で借り出せないんだよね」
そりゃそうか。どう考えても価値は高いし盗もうとする輩も出てくるだろう。しかしこのお嬢様はどうみても『カンダチの旅』をご所望だ。ほらみろ、肩を落としている。
どうにかできないものか。しばらく逡巡してみる。借り出す借り出す……。
「ねぇねぇ」
おれは少女の方を向いて声をかけた。
「なに?」
「『カンダチの旅』は君が自力で本を読めるようになってから読んでみない? そのほうが楽しいと思うよ」
「そうねっ、それがいいわ」
「というわけで、すみません。この本だけ戻してもらえますか? それ以外は借りるので手続きをおねがいします」
司書さんをみると呆れた顔をしていた。
「君、何歳よ」
「四歳です」
「嘘つけ……ほんとうなの?」
「本当です」
「君みたいなやつを天才っていうんだろうなぁ。君、間違いなく将来すごい人になるよ」
「おおげさですよ、ありがとうございます」
そりゃ十七たす四で二十一歳だからな、あなたと精神年齢はそう変わらない。なんだか申し訳なく感じていると、横からの目線に気づいた。少女がおれを見つめていた。
羨望だ。瞳は隠れて見えないけど分かる。
嫉妬をいっさい含まない、羨ましいという純粋な思い。瞬時に察した。この子は生まれで苦労をしているんだ。周囲からの期待に答えられないことを気に病んでいるんだ。
どうにかしてあげたい。はやる気持ちを抑えながら手続きを済ませた。
あ、図書館にいるようにハーブに言われているんだった。司書さんにハーブがきたらあの場所にいる、と伝えてほしい旨をたのんでから重い扉を少女とふたりで開けた。
外の冷たい空気が滑り込んでくる。
「どこで読むの?」
「ちょっと着いてきて」
そう残して街道に出る。少女の手を引きながら人混みのなかを泳いでいく。白ローブの姿はそれなりに人目に付くそうで、少女はフードを深く被り直した。
三分ほど歩いただろうか、立ち止まる。
「ここだよ」
「うわぁ! 広場だあ!」
少女は開けた広場をながめると、本をおれに渡して踊るように駆けていった。ずいぶんと楽しそうだ。そうだろうそうだろう、子供は広い場所が好きだと相場が決まっている。
中央には噴水が佇んでおり、そこから円状に外にいくに連れて段差ができている。その段差を椅子替わりにして、猫耳をつけた女性があのおっさんの露店で売っていたカウの肉に噛み付いたり、体表のいたるところに魚のような鱗を生やした男が本を読んでいた。
「ちょっと、さきに行かないでよ」
「ごめんっ。噴水のちかくで待ってるねっ」
止まってはくれないのか。自分勝手なやつだと愚痴を吐きつつ噴水まで歩いていった。
水がぎりぎり届くか届かないかの段差で少女はすでに座っていて、となりをタンタンと叩いている。
「ナプキンかなにか持ってない?」
「持ってるけど、何に使うの?」
「そこにひいて。本を置くから」
「なんでよ。ナプキンが汚れちゃうわ」
「そのまえに本を汚すわけにはいかないからね。あくまで貸し出した本だから」
そう言われたらそうだ、と少女は頷いて素直にナプキンをしいた。ナプキンひとつとっても、金の蔦が細部にまでこだわって縫われている高級品だ。貴族か、それ相応の財産を有した一家なのは間違いないだろう。
ナプキンのうえに本を積み重ね、ひとつ手に取って開く。それから文字を読み始めた。
読みながら実感するが、やはりこの世界の物語はかなりレベルが高い。日本の小説と並べてみても見劣りしない傑作が散見される。
イズチカによる功績だろうか。考えごとをしていると少女が脇腹をつついてきた。
「ねぇ、つづきはやく」
「ごめんごめん。ええと、少年は……」
続きを読もうと息を吸ったところで、こちらに近づいてくるふたつの足音が耳に入る。
顔を上げると、広場の一番外側の段差からふたりの男が向かってきていた。
ひとりは見覚えがある。たしか教会にいつもいた、礼装をまとった白髪の男だ。もうひとりは粗末な布で隆々の筋肉を無理やり押さえ込んだ風貌の大男。ちぢれた茶髪に平たい顔だが薄汚れている。
戸惑っているあいだにふたりの男は眼前まで来ていた。
何の用だろう。
ふと少女をみると固まっていた。さっきまであんなに楽しそうにしていたのに。
「カラツユ、なんでここに……」
「それはこっちの台詞です、お嬢様。図書館にいるようにと言われたはずでしょう」
お嬢様。やはり、貴族の娘なのだろう。
カラツユと呼ばれた礼装の男はおれの方をみると、ずいっと顔を近づけてきた。眼光が鋭い。餌をみつめる梟の眼だ。
「名前は」
「シグレです」
「住所は」
「南地区三番街、クヤマとハーブの子です」
簡潔に答えると、隣の大男がニヤつきながら口笛を鳴らした。
「小さいくせに流暢に喋るじゃねぇか。それに両親まで答えるとは、質問の意図に気づいてる。シグレ、おまえ何歳だ?」
「四歳です」
大男は口端をますますあげた。
「へぇ! 四歳でそれか。俺がよっつのときはまだママのおっぱいでも吸ってたかもな」
「メジア、関係ないことを喋るな」
カラツユに釘を刺されて、メジアと呼ばれた大男は「はいはい、分かりましたよ」と手をうしろで組んだ。
ふたりは主従関係にないのか?
とすれば、もしかしてカラツユという男も奴隷なのだろうか。推理しているとカラツユはまた顔を近づけてきた。
普通の四歳児なら泣き出すぞ。
「いま何を考えていた?」
嘘をつくこともないだろう。
「あなたたちふたりの関係についてです」
「詳しく」
「そこの大きい方があなたに発した文言を聞いて、ふたりが主従関係にないことを考えていました。それだけです」
「そうか」
言葉短く返答をしたカラツユは、少女の手を優しく握って立たせた。その一連の所作をみただけで、この男が尋常ではないほど強いことがわかった。
おそらくだが、彼女は立つ気がなかった。
それどころか抵抗していたのだろう、握られた手が赤くなっていた。しかし少女は立った……いや、立たされたのだろう。
傍からみてまったく違和感なく、自然に少女からすすんで立ったように。
「帰りますよ」
彼の声に諦めたのか少女は歩み始める。だが途中でなにかに気づいたのか振り返り、フードを外した。
黒髪だ。山河のごとく透き通っていて、かつ流れるように肩から腰あたりまで伸ばしている。瞳は焦げ茶で美しく、もう片方は眼帯で覆われていて分からない。鼻は丸く、まえにみた口元はやはり整っている。
絶世の美少女だ。
傾国の美女は、彼女のような少女が育ったのちのことを指すのだろう。少女はカラツユの静止も聞かず、頭を下げた。
「私の名前はトウカ。本を読んでくれてありがとう、シグレ。お礼は必ず」
「ああ、気にすんな」
トウカを含めた三人は人混みのなかへ颯爽と消えていった。当面の目標は達成したようだが、それより彼女の浮かべていた笑みがなによりも嬉しかった。
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