Ⅵ 図書館へ行こう
教会から帰ってきたときのこと。
みんなでご飯を食べる大机に、なーんか意味ありげにチラシが横たわっている。
家にはクヤマ父様がお留守番をしていて、ハーブ母様はおれより先に玄関に入ったから目にしたのはまず間違いない。
なのにどうしてこのチラシはそのままなのでしょうか。
「あ、フシフシだ」
足元をみて、おれはぽつりとこぼした。
フシフシとは蜘蛛に似た生き物で、八本脚に小さな胴体、膨らんだ腹をすこし上に傾けている。暗い色彩も蜘蛛にそっくりだが、赤い眼が二つ付いているのと糸を出さないのが異なる点だ。すこしカッコイイ。
その代わり、なんと空を翔ぶのだ。
羽がないのに翔ぶとはどういうことだろうと頭をひねっていたが、どうやら魔法で体を浮かすそうだ。蜘蛛まで魔法を使えるというのに、おれはいったい……。
ちなみにクヤマから教わった話だ。未知なる生物の話を聞くのはおもしろい。
ここまで長々と説明したものの、実はおれはフシフシなんて目にしていない。いわゆるでっちあげだ。
嘘をついたのにはもちろん理由がある。
眼球を走らせる。クヤマ、一瞬ぴくっとしたが聞こえないふりを続けたまま新聞を読んでいる。ハーブ、ベランダで短い悲鳴をあげてからチラチラとこちらを確認している。
確信犯だ。なにか企んでるな……?
こいつらずっとおれのことを見てた。あんな小さな声、リビングからベランダまでよほど耳を立てていなきゃ聞こえないし。クヤマにいたっては助けにいこうかチラシに気づくまで粘るか、迷っていたのが丸わかりだ。
やれやれ、しょうがないなぁ。素直にチラシをのぞきみた。
『ストラスキュール闘技大会開催!
六月の第三周期目、紫の日にてストラスキュール闘技場にて、歴戦の戦士たちが汗水握る熾烈な戦いを繰り広げます! 今年はなんとストラスキュール騎士団筆頭タソガレが参戦。並みいる猛者のなか、栄光のトロフィーを掲げるのはいったい誰なのか!
闘技場で会いましょう』
下には闘技場の所在地が分かりやすく示されていた。いまは六月の一周期目紫の日だから、ちょうど再来週だな。
しかし意外だ。クヤマとハーブがおれに戦いを見せたがるとは。真似をして怪我を負ったらどうするとか、戦いなんていいから街でお買い物(という名のハーブとのデート)してましょうねとか言われそうなものだが。
首をかしげていると、ふたりが喜色を前面に出して近づいてきた。
「お、どうしたシグレ」
「それ闘技大会のチラシじゃない? 興味があるならそう言ってくれればいいのに」
大根役者か貴様ら。手をすり揉みしながら喋るな胡散臭い。
すこし意地悪をしてやろうと、嫌悪感を背後に隠しつつ笑みを浮かべる。
「行くかどうか迷ってたんだよね」
「迷ってたの?」
あごを引いて肯定すると、ずいっとクヤマが前に出た。
「どうしてだ?」
「戦いって、なんだか恐そうだから」
おい、みるみるうちにテンションを下げるな。分かりやすすぎるだろ。リアクション見たさに揶揄いたくなってきた。
正直なところ観てみたいという気持ちは強い。おそらくは魔法も用いて戦うのだろう、少年心がくすぶられる。ただこのままでは行かないということになるかもしれない。
助け船を出すか。
「父さんと母さんは行きたいの?」
「父さんってこういう戦いを見るのが好きなの。男の血が騒ぐとかなんとか……困っちゃうわ」
「母さんは隙あらば悲鳴を上げてシグレに抱き着こうとしているんだ。困った人だよ」
見事に息を合わせてお互いを罵っては、顔を見合わせてメンチを切るふたり。なるほど、そういう理由だったのか。
困るのはあなたたちではなくおれなのだが。
渋々、喧嘩を仲裁するために闘技大会を観に行くことになった。
ハーブは歌が好きだ。その美しい容姿に相応しいとでも言うべきだろうか、まさにハープのような歌声を持っている。
異世界にはさまざまな歌があるが彼女は民謡を好んでよく口ずさむ。ハーブが音を奏でる姿は神秘的で、こうやって大通りで歌おうものなら通行人の目をつかんで離さない。
クヤマ?
あいつの歌は二度と聞きたくないね。
「なんの歌?」
「『英雄伝』っていう歌よ」
「へぇ。どんな歌?」
そうねぇ、と下唇に人差し指をそえて逡巡するハーブ。
「ある英雄がいたんだけど、その人が三人の仲間とともに戦争を止める話なの」
「戦争って、魔王とか?」
「魔王?」
キョトンとされた。あぁ、この世界に魔王はいないんだった。代わりに魔女という超常の存在がいるそうだ。
「魔王は知らないけど、たしか国同士の戦争だったの。キュムロとリッジクラストは昔とても仲が悪くて、そのときに起こった戦争だったと思う」
「今はお互い仲もいいんでしょ?」
「そうよ? 私とシグレみたいにね」
「それはどうかな」
ぶっきらぼうに対応すると彼女は不満げに頬を膨らませた。
「最近シグレ冷たくない? まえはあんなに喜んでたのに……」
「記憶にございません」
家々とすれ違う。屋根裏からの景色とはちがって、地上からだと臨場感が溢れだしてくる。絵本の世界が飛び出すように。
あたまのうえを飛び交う喧騒だったり、祭りでもないのに露店が並んでいたり。
日本ではまずお目にかかれないだろう。猫耳の女性だったり、肌が鱗に覆われた男だったりもだ。異種交流文化と呼ぶべきだろうか、色彩豊かな都市だ。
「ねぇ、シグレシグレ」
ポンポンと肩を叩かれる。
「なに? 母さん」
「シグレって本好きだよね」
「うん、好きだよ」
ハーブはニヤリと口端をあげると、じゃあさじゃあさと大通りの先を指さした。
「あそこの図書館いかない?」
彼女が言及するものを観ようと、目を凝らして顔を上げた。
言葉を失った。
ただただ口を開けて呆然としていた。
な、なんだこれ。純白の石柱に囲われた巨大な屋敷が、仁王立ちで佇んでいた。
雰囲気は古代ギリシャのパルテノン神殿に似て真っ白かつ厳か。思わず背筋を伸ばしてしまいそうな圧力を放っている。細部にまで蔦が彫られており、精巧に造られている。
まず間違いなく、この世界で見てきた建造物の中でぶっちぎりの規格だ。
というか、日本でも造るの相当苦労するんじゃないか? これ。
「図書館ってあれのこと?」
「そうよ」
まじかよ。日本でもこんな図書館見たことないぞ。ぱっとみ、国会議事堂の外観くらい立派じゃないか?
この異世界でも明らかに浮いた建築物だ。
「行ってみる」
ハーブは予想通りと得意げになりなが純白の建造物まで悠々とスキップすると、自分の身長の三倍はあろうか扉を押し開けた。
内装も見事の一言だった。
視界いっぱいを占め尽くす八段はあろうか本棚の数々、床には鼠色のカーペットとが敷かれ、本の匂いが体を包み込む。
慣れた足取りでハーブは淡々と正面の受付まで足を運ぶ。それに気づいたメガネをかけたエプロン姿の司書が挨拶をしてきた。
「私は少し用事を済ませてくるから、この子の面倒を見てくれないかしら」
「ええ、分かりました」
彼女はおれの頭を撫でて「いい子にしててね」とささやいた。司書はこちらを見やるとしゃがんで視線を合わせてきた。
「んー君にはまだ早いかな、図書館は」
イラッとしつつも子供らしく応える。
「絵本とかないんですか?」
「ないない。お兄ちゃんと遊んでようか」
「つまらなそうなのでいいです」
固まった司書を尻目になにを読もうか考える。せっかく定員ひとりが付き添ってくれるんだ、いつもでは聞けないことがいい。
あ、そうだ。ついさっき疑問に思ったんだ。エプロンを引っ張る。
「この図書館ってどういう風に作られたんですか?」
ハッとした彼は親指の付け根をあごに当てると、脳みそをまさぐって答えを探す。
「魔女が作ったんだよ。魔女は人智を超えた魔法を使えるからね、ここが凄いのもそれが理由さ。たしか……イズチカ、だったかな」
「イズッ……イズチカですか」
大声をあげそうになって手で口を抑える。あいつが造ったのなら納得だ。次元を超えた建築物なんてほいほいと造ってしまいそう。
驚いていると司書は話を付け足した。
「ここ『ライブラ国立図書館』は世界でも有数の規模だからね。並ぶ本のなかで魔女が他世界から持ってきたものもあるそうだ」
「へぇ、そうなんですか」
誇らしげに語る彼。だとしたら日本の小説なんてあるかもしれない。そう考えるとワクワクが止まらないなぁ、おい。
あたりに目を向ける。おれの四倍ちかい棚の数々に本が敷き詰められている。情報収集もかねて読んでみるか。
なるべく早く読破したいなぁ。
「司書さん司書さん」
「なんだい?」
「手伝ってください」
口の端をキリとあげるおれに、司書は何を言っているか分からないという顔をした。
「やっと終わり?」
「はい、ありがとうございます」
ヘトヘトになった司書を尻目に本を閉じる。表紙から地球由来のものと思われる本はだいたい確認できた。背が届かないものはすべて彼に取ってもらった。
うむうむ、満足である。
それにしても、やはり本は素晴らしい。三冊ほど一気読みしてしまった。だらしなく机に突っ伏している彼の肩をやさしく叩く。
「なに?」
顔だけこちらを向く司書。口調がぶっきらぼうになってるぞ。
「名前を教えてくれませんか?」
彼は逡巡してから困ったように笑った。
「んー。司書さんでいいよ。僕のことは司書さんって呼んでくれ」
「分かりました」
おれはちょこんと椅子から飛び降りると、机を回って彼の足元へ移動した。
「ありがとうございました、司書さん」
司書さんは数秒のあいだ呆然としていたが、気を取り直すと拳をつき出した。
どういうことだ?
首を傾げていると司書さんは口を開いた。
「仕事だから礼はいらない。代わりに拳をだしてくれ」
言う通りに拳を差しだすと、彼は拳どうしをこつんと突き合わせた。あれ、こんなの異世界の儀式にあったっけ。クヤマとハーブの教えを思い出しているうちに気づいた。
あぁ、これ日本にあったやつだ。
友人が拳を突き出すように、なにかを成し遂げたときに互いに祝いあったり、鼓舞し合ったりするおまじないだ。
「君は本が分かる人だ。これからなにかあったら教えるからどんどん聞いてくれ」
なんか変な友情が結ばれてしまった。
まぁ嫌な訳でもないので、頭を下げて感謝の言葉だけは述べておいた。
「あ、なら早速ひとつ。闘技大会ってどんな風に行われるんですか?」
そうだねぇ、と司書さんは目線を伏せて考える。
「一般的には片手剣や両手剣を用いて戦うが、魔法もバンバン使われるかな」
「どのような魔法ですか?」
「そのまえに、君はどれだけ魔法を知ってるんだ?」
「魔法は基本的に属性で分類されていて、火と水と土とその派生系に加えて無属性の魔法があることまでは」
「そうだね。ただ剣士同士の戦闘で属性とかはあまり関係ないんだ」
そんなもんなのか。しかし水の玉で攻撃するより火の玉で攻撃した方が強くないか? 火傷もさせられるし。魔法同士が衝突したときだって属性の相性が大切では?
司書さんの回答は唸らされるものだった。
「魔法は多種多様すぎる。だから活用法も様々。泥を生成して身動きを封じたり、蔦を創造して飛び道具のように使ったり」
なるほど、そういう手もあるのか。思っていたより魔法は重要らしい。
魔法が使えないって損だなぁ。
戦う予定もないからいいけどね、とひとり言い訳を呟いた。
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