Ⅴ 地理の授業



 学び舎に行くかどうかはともかく、それまでは両親から学弁を習っている。クヤマからは法律と地理を。ハーブからは算術と言語学を。ハーブの算術は微妙だが、それ以外はためになることを教わっている。

 この頭脳は便利なもので教えられたことはめったに忘れないため復習いらずだ。クヤマからも覚えがよくて教えるのが楽しいとお墨付きをもらっている。彼の談では、すでにそこらの子どもとは一線を画すほどの知識をもっているそうだ。親バカの彼のいう事は当てにならないので、冗談半分に受け取っておく。

 今日はそんなクヤマ先生の講義だったが、いつもより妙に張り切っていた。


「今日は地理だ。ガンガンいくぞ!」

「どうしてそんなに元気なの?」


 はっはっは、いい質問だなとうれしそうにクヤマは胸を張った。


「今日は稼ぎが良かったんだよ。しばらくは売れ行きが悪くても大丈夫そうだ」


 売れ行き。家業は物を売る仕事なのか。

 物を売る仕事なのに家に商売道具を置いてないのは少し違和感がある。手元にあった方が管理しやすいし便利じゃないのか? 管理に手間がかかったりすればその限りではないか。だいぶ絞れたな。

 考察もそこそこに椅子によじ登ってちょこんと座る。クヤマも合わせて正面の椅子を引くと、片手に丸めた藁半紙を携えて袖を拭った。


「それで、今日は何をやるの?」

「とうとう国と都市の名前をやるぞ。それと領主様のことについてもだ」


 おお、ついにか。

 いままでは地理とは名ばかりに、クヤマの壮絶な冒険談(絶対に作り話。深いところを尋ねてみるとすぐにあたふたする)や信仰するレアラ教のすばらしさだったりを語ってきた。それが終わったと思えば好きな亜種族の女についてしゃべり始め、ハーブに見つかり半殺しにされていた。

 亜種族というと獣族や竜族といった、動物が魔力の影響で独自の進化を果たした魔物と人間の中間にあたる。エルフやドワーフなどもいるが生活圏がちがうので見たことはない。だが猫耳をした人は街中でもよく見かける。

 残念なことに、地球では黒人差別があるように異世界には亜種族差別がある。

 ハーフエルフと言われるエルフの変異種だ。

 特徴的なのはその耳の長さで、エルフと人間の間あたりといわれている。一般的に魔力量がけた違いに大きいため、魔女のなりさがりと蔑まれているそうだ。本当にどうでもいい理由だ。というか妬みそのものとしか言いようがない。

 どこの世界でも差別とはつまらなく理不尽だ。

 おれが考え事をしているあいだに、クヤマはリビングの机に藁半紙を広げすらすらと地図を描いていく。中央に巨大な三日月がひとつ、いくつかに線で分けられている。この線は国境を表しているのだろう。とすれば三日月は大陸か。


「中央のこれは大陸で海に囲まれている。三日月の外にふくらんだあたり、海と西沿岸で接している俺らの国キュムロがあって、その東端に都市ストラスキュールがある」

「ストラスキウール」


 ここの都市の名前だ。

 厄介なのが発音で、英語には「th発音」や「rとlの使い分け」が日本人にとって難点にあげられるが、異世界の言語にも「yuのアクセント」というものがあってキュムロやストラスキュールの『キュ』の発音が難しい。ただカタカナと同じように発声するのではなく舌を巻いて『ュ』だけ抑えるそうだ。

 一年間ものあいだ練習しているが、これだけは未だにうまく発音できない。

 クヤマもそのうち出来るようになるさ、と気にしていない様子だ。ずいじ地図を指さしてどこに何があるのかを教えていく。


「キュムロにはふたつ隣接した国が存在する。右上で接するのがリッジクラスト、右下に接するのがシロウキュルム。キュムロとシロウキュルムは元々はひとつの国だったが、宗教のちがいで分割した背景がある。名前がどこか似ているのもそれが原因だ」

「シロウキウルム」


 国名でやけに「yu発音」が多いのはいじめだろうか。『ュ』がどうしても『ウ』になる。

 しかし、こうして国名を覚えるなんて懐かしい。小学生のころヨーロッパの国を必死に暗記したんだっけか。バルト三国とかついぞ頭に入らなかったなぁ……。藁半紙を見つめながらクヤマの説明を耳に入れる。


「キュムロはシロウキュルムと不可侵条約を結んだものの、リッジクラストとは小競り合いが続いてる。その最前線がここストラスキュールで領主サイウンが指揮を執っている」

「サイウンは武勲を立てて貴族になった兵士で、いまも戦いがあれば先陣を切って剣を振っているんだよね」


 よく知っているじゃないか、とでも言うように満足げなお父様。家を探索しているとき発見した本に綴られていたから、難なく答えることができた。

 ぱっと見、どう考えても四歳児が読めるような本じゃなかったので完読したのは伏せている。


「ただサイウン本人は凶暴な性格をしているそうだから、街中で目にしても近づかないように」

「うん、わかった」


 なんだその『街中で肌に絵が描いてある人を見かけたら近づかないように』みたいな言い方は。サイウンはヤクザかなにかなのか?

 ヤクザもどきのサイウンが成した武勲を立てて貴族に昇進、というルートはかなり異質だそうだ。武勲は報酬として大量の金が関の山、あまつさえ貴族になったのは史上初。

 どれだけ強かったんだサイウン。

 さては族長か? 


「噂では拳ひとつでフリージスベアを殴り殺したそうだ。怒らせたら命はないと思え」

「フリージスベアを拳ひとつで!?」


 族長レベルじゃなかった。ボクシング世界トップクラスのドンだった。

 フリージスベアは熊が寒冷地で魔力を帯び、突然変異した種族だ。身体能力が格段に上昇しただけでなく、魔法として氷の刃を放つ。サプリメントで肉体改造した熊が銃を持ったようなものだ。手が付けられない。

 サイズも大きい個体ではトラックほどの体長を誇るそうだ。

 本当に異世界なんだな。こういう話を聞くとあらためて実感する。


「怒らせなければいいだけだ。ほら、ちょっとこっちこい」


 クヤマは立ち上がり窓際に寄る。取っ手を掴んでそのまま上にあげると、冷たい風か入ってきた。ごつごつした人差し指が遠くにみえる屋敷をさしている。距離が遠すぎてよくわからない。あの白いやつか……? 

 たしかに街並みから頭一つ抜けて大きい建築物がある。


「あれがサイウン家の豪邸だ。あの周りには近づくなよ」


 とりあえず頷いておいた。貴族と接点をもつならあそこに足を運ぶことになるかもしれない。

 クヤマが席に戻っていったのであとにつづく。そこからは周辺諸国や海産物の種類、またストラスキュールにおける法律なんかにも触れた。もちろん、奴隷制度についても。


「奴隷って身分があってな。首に鉄のわっかをつけている人たちだ」


 実のところ、まだ奴隷は見たことがなかった。ハーブと教会へ通う途中に外出はするが、あったことはない。早いうちにちゃんと目にしておきたいところだ。実情を知らないうちに理想は語れない。


「どうしたら奴隷になってしまうの?」


 尋ねるとクヤマは苦虫を噛み潰したような顔をした。こういう話を子供にするのは胸が痛むのだろう。

 うるうると目を潤わせて懇願したが彼は首を横に振った。


「まだシグレが知るには早い」

「父さん」


 お茶を注いできたハーブがぴしゃりと言った。はっきりした口調だ。険しい表情でクヤマを見つめている。しかしクヤマもにらみ返して攻勢に出ようと口を開いた。


「シグレ贔屓は関係ないぞ」

「ちがうわ。シグレのためにも言っておくべきよ」


 おれのためにも? どういうことだろう。奴隷とはいつなってもおかしくないようなものなのか?

 ハーブはクヤマをになにかを訴えるような面持ちをしていた。なにか大事なことを、訴えるような。クヤマもクヤマで反抗していたが、ついには根負けして「母さんには敵わないぁ」とため息をついた。それからおれに視線をやった。


「今日はもういろいろなことをやったし、簡単に説明する」

「うん。おねがい」


 クヤマは藁半紙をくるくると巻いて片付けると、椅子に座り真正面からおれを見据えた。


「いいか、よくきけ。奴隷になるケースはいくつかある。借金を払うために、犯罪を犯したために……なかには種族によって奴隷にされることもある。ハーフエルフとか、な」


 ハーフエルフ。完全に謂れのない理由で奴隷にならなければいけないのか。しかも借金でも奴隷になるとは、想像以上に奴隷の絶対数は多くこの異世界に根付いているらしい。ならどうしておれは今まで奴隷に会ったことがないのだろうか。

 思考にふけているとハーブが茶をすすりながら答えてくれた。


「教会へ行く途中の道は大通りで、あそこは奴隷が歩いていると景観を損なうからって、特例を除いてサイウンが禁止しているのよ」

「ああ。そうだったんだ」


 平静を保って返答したつもりだったが、内心かなり腹が立っていた。

 景観を損なう? 何様のつもりだ。おなじ人間だろ? ゴミかなんかだとでも思ってんのか。

 領主の野郎、今度目にしたらぶっ飛ばしてやろうか。いや、サイウンはめちゃくちゃ強いんだったな。暴力はだめだ、うん。話し合いで解決するとしよう。

 だが納得だ。借金でも奴隷になるというのなら、おれもなる可能性があるということだ。


「奴隷ってどういうことをするの?」


 口ごもるクヤマの名前をハーブが諫めるように呼んだ。それから彼は語り始めた。

 おれは言葉を失った。

 日本で聞いたものとは一線を画す内容だった。奴隷というよりかは家畜に似ていた。


「ぼくも奴隷になるかもしれないの……?」


 絶対に嫌だ。なりたくない。こんなの、こんなのって。

 死ぬのと変わらないじゃないか。


「……否定はできない」


 クヤマは目元を伏せていた。わずかに肩が震えている。呆気に取られていると、ハーブがうしろから抱き着いてきた。


「だいじょうぶ。奴隷にさせないから」


 その表情は、決死の覚悟で子供を守る親猫のようだった。

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