IV カスミドリ
ライトインセクトという魔法がある。
少し高度な魔法だ。対象に杖をむけて詠唱を唱えると、しばらく対象の居場所と話し声を聞くことが出来る便利な魔法だ。
地球でいえば録音機能付きのGPSを勝手につけるようなものだ。
ハーブは魔法の名手ではなかった。しかしある都合によりライトインセクトを習得することになった。絶対的危機に陥ったとき、普段出せない力を出せる時があるように。彼女は高度な魔法を使えるようになった。
この魔法がなければ今頃、ハーブはこの世にいなかっただろう。
そんな彼女はというと、ライトインセクトをあろうことか家族に向けて使っていた。主にシグレにだ。最近よく目の下に隈を付けるので気になっていた。
彼女の予感は当たった。
少年は夜な夜な起き上がると、押し入れへと歩いていった。すぐさま手のひらを確認する。おぼろげな光の粉が家の間取りを作っていて、そのなかを三角の光が動いていた。
少年の所在地だ。どうやら天井裏にいったらしい。
なぜ、どうして。疑問に思っていると、となりから布の擦れる音がした。魔法を使っていることがバレないように手を隠す。チラッと尻目で確認するとクヤマが立っていた。
一応、魔法をかけとくか。
ハーブは衣嚢から杖を引き抜くと、こっそり先端をクヤマの方に向けて詠唱を唱える。
「蛍よ、彼の者の光を示せ」
異世界に蛍という虫はいないが、そもそも詠唱に疑問など抱かずそういうものだと人々は捉えている。
杖先からぽっと光が灯ると、クヤマの背に向かって飛んでいった。成功したようだ。
ライトインセクトの便利なところは同時に二人がけすることが出来る点だ。代わりにひとりの所在地の把握に片手を使うため、三人目には掛けられなかったり、二人同時に確認したいときには両手が使えないというデメリットがあった。
杖をしまって両手を見る。クヤマも天井裏へと移動するらしい。
父親らしいことをするじゃないか。シグレを叱って危ないことはやめてくれと注意してくれるのだろう。そのハーブの予想は見事外れることとなった。
ライトインセクトは居場所と盗聴ができるだけで、対象の挙動を知ることはできない。例えば歩いている途中でお手玉をしたり、動かずに手紙を書いたり、あまつさえ子供を小突いたりしたのかなんかは分からない。
もちろん使い手である彼女にとって既知の事実ではあったが、些か冷静さに欠けていた。
『俺もな、こうやって夜中に屋根裏にきて景色をみることがあったんだよ』
『父さんが?』
『ああ。なんでだろうな、親を心配させるわけでもねーのに、夜景が見たいわけでもねーのにこうして来ちゃうんだよ』
脳に直接ひびいてくる聞きなれた声にハーブはいらついていた。
なぜ叱らない。それどころかなぜ擁護するような言いぶりをするのだろうか。暗闇で転んで怪我をしたらどうする。これは一度、話し合いをする必要があるな。実際には頭を小突いて制裁を加えた形だったのだが、彼女には当然のことながら知る由もない。
拳を握りしてる彼女だったが、次に聞いた言葉は爆弾を秘めていた。
『おい、母さんには言うなよ』
『もちろん』
『あとあの穴じゃなくて今度は正規ルート教えてやるから。そっち通ってこい』
「はぁ?」
口から疑問が溢れて慌てて手で抑えるハーブ。高鳴る鼓動を聞きながら憤慨した心が胸中で力の限り暴れていた。
おいおいおい。なに言っているんだこいつは。私に話もせずこんなこと言って、味をしめたシグレが屋根裏ではなく外に出るようにでもなったらどうするんだ?
よく分かった。こいつはあとで半殺しにしてから、しばらくは『す』と『み』と『ま』と『せ』と『ん』しか喋れない体にしてやろう。飯も抜きだ。誰が家事全般を請け負っているのか知らしめてやる。
一方で心の隅でクヤマがクヤマらしく父親をしていることに彼女は安堵していた。心配だったのだ、彼が子育てなんかできるのかと。自分もクヤマに心配されていそうだが。
子供ができたら人間、変わるものだ。しみじみとしていると、さっきのは爆竹だと言わんばかりの爆弾発言が降ってきた。
『どうやったら子供はできるの?』
世界共通、子供に聞かれて困ることトップスリーに入る質問だ。いつかシグレも尋ねるかもしれないとは予期していたが、まさかこのタイミングとは。
あなた、誤魔化してくれるよね?
ハーブの圧を感じたのだろうか、間をおいてからクヤマは知恵を働かせて答えた。
『カスミドリが運んでくるんだ』
彼女は感嘆した。まさかこんなことがクヤマの口から出るだなんて。一般的で、なおかつよくよく考えれば答えでもなんでもない返答だが、論点を逸らすには及第点だろう。
ハーブは忘れていた。普通の四歳児ならともかく、魔法を犠牲に知能を手に入れたような少年にはそんな逃げは通じないことを。
『それって運んでくる方法で子供のでき方じゃないよ?』
彼女は初めてシグレの天才を呪った。こんな返しをしてくる四歳児なんてこの世にいるのだろうか。いたのだが。
当然ながらハーブもクヤマもシグレが赤木 時雨であり、異世界転生を果した元十七歳の青年という事実は知らない。合わせて二十一歳にもなる彼が日本では“頭のいい部類”に入ることなんて分かるはずもない。
仰天したがそれはそれ。クヤマはどう返答するのだろうと気になっていると、夜半で狂ったのだろうか、炎の最大級魔法にも劣らないほどの発言を放った。
『父さんと母さんがだな、合体してできるんだ』
「はぁああ?」
最早、口を手で抑えることもせずにハーブは怒気を含ませて疑問を発した。なんだそれ、ふざけてるのか? 我が結婚相手ながら殺意が湧いてくる。『合体』なんてふざけた言いぶりをシグレが放っておくとでも?
ダメだ。やはり人間はそうそう変わらないように、クヤマもそうそう変わらない。
あとで自分が教えてやらないと。そう決意していたハーブだったが、ついに魔女すら超えるほどの大魔法が放たれた。
『合体してできるの? よく分かんない』
『それはなぁ、こう、おしべとめしべがくっつく……』
ーーガァンッ!
思わずベッドを殴っていた。勢いのあまり手の甲が赤くなっていたが、どうだっていい。怒り心頭のハーブはひとまず落ち着くために一眠りすることにした。
クヤマはその晩、眠ることが出来なかった。
「ねぇシグレ」
まずいまずいまずいまずい。うしろでクヤマが『すみません』しか喋れなくなってる。顔面も漫画みたいに大きなタコだらけで、気をつけをしながら僅かに震えている。
ハーブの顔を伺う。やはりいつもより明らかに怒っている。
「はい」
甘んじて受け入れよう。こうなることは分かっていたんだ。若干、誰かさんが火に油を注いだ感じはあるが。クヤマに批難の矛先を向けたいものの、あの姿になった男をこれ以上に追い打ちをかけることなどできない。
あの質問を投げかけたことに多少の罪悪感が湧いてきたが、すぐに全面的にクヤマが悪いよなと開き直った。事実だし。
怒ったハーブは怖い。とてつもなく怖い。泣くでもなく怒ってくる彼女は初めてだ。おれは目をつむって身構えた。
「夜な夜な、なにをしていたの?」
「屋根裏に行って夜景を見ていました」
諭すような口調に恐々としつつ、なるべく琴線に触れないように敬語を使って話す。いや、ちがう。まず悪いことをしたらなんだ。
「母さん、ごめんなさい」
深く深く頭を下げた。顔を伏せていると大きなため息が聞こえた。
「天井裏に行くときは父さんと一緒にいくこと。これだけは守ってね」
え? 怒らないの? 過保護なハーブにしては珍しい。首を傾げていると彼女は目線を斜め下に伏せて、僅かに口端をあげた。
「私も少し過保護だったから。でもダメよ、危ないんだからね」
「うん、分かった」
できた人だ。怒らず、しかし叱るようにおれに言い残してハーブは笑った。
おれの母さんも彼女のような人だったのだろうか。答えは一生分かるはずもないが。そうならいいなぁ、と天を仰いで望んではもう一度ハーブの方をみた。真剣な表情をしている。
「シグレ」
「はい」
ええと、怒っていらっしゃる? いや、おれにじゃないな。これは……うしろのクヤマにか。尻目で確認するとビクッとしていた。
「子供はね、カスミドリに運ばれてくるのよ」
おれは何も言えずに頷いた。
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