Ⅲ 不思議



「白いローブの女の子?」


 ハーブに聞いてみるときょとんとした顔を浮かべていた。それから、はっとした表情を見せるとおれの肩を掴んできた。


「えっ? なによシグレ、気になる子でもできちゃったの?」


 まだ四歳だぞ。色恋沙汰なんて早いのにもほどがあるし、しばらく興味もない。まぁ、美形といや美形だとは推測されるが……。

 目を爛々と輝かせる彼女に引きつつ無難な解答を選択する。


「ちがうよ。ぼくが教会でぶつかった子」


 あぁ、と手のひらに拳をぽんと置く。ハーブも覚えていたようで、思い出す素振りをしては眉間にシワを寄せて唸っていた。


「あの子、けっこう教会で見るのよね」

「へぇ。厚い信者なのかな」


 そうかもしれないわね、と茶を啜ってカップを机上に座らせる。おれのカップが空になっているのを一瞥すると席を立った。


「お茶、注いでくるわね」


 ハーブは台所へ行く。バレないように後を着いていき、角からそーっと覗き見る。彼女は石造りのポットの蓋を開け、口に人差し指を第一関節くらいまで入れた。


「天の恵みを顕現せよ」


 ささやくように唱えると、あろうことかハーブの人差し指の先が光を放った。見覚えのある光だ。たしか、転生まえにイズチカの持っていたノートが放っていたものと同じ。

 魔法というやつなのだろう。

 輝きのなかで湯気がもくもくと昇ったと思えば、水がポットに入っていく。下品な言い方をすれば指で小便しているようだが、便利なのは間違いなかった。

 異世界だなぁ、と実感する。これを自分が使えないのは残念だ。

 もしかしたら、まえ試したときは調子が悪くて今なら出来るんじゃないか? そう思案して人差し指を立てて呟いてみる。


「天の恵みをけんげんせよ」

「あら、シグレ?」


 呼ばれてそっちに身体を開くと、ハーブがおれに気づいたようで近寄ってきた。脇を優しくつかんで持ち上げると、高い高いをするみたいに上げたり下げたりを繰り返す。

 うえ、怖いし気持ち悪い。こんなものが楽しいのかよ子供ってのは。

 内心で愚痴を吐きつつ高い声でうれしく笑ったふりをした。ハーブもつられてニコニコと笑ったが、すぐにムッとした表情を作る。


「だめでしょ、台所に入っちゃ」

「どうして?」

「危ないものがいっぱいなんだから」


 包丁やフライパンのことを言っているんだろう。そういえば、おれも昔は父さんによく言われたものだ。台所と俺の部屋だけには入るな、と。父さんの部屋には危険なものがあるの? と聞いたら無いけど入るなと言われた。まったく、誰にとって危険なんだか。

 いけないいけない、怒られているところだ。反省しないと。目元を伏せてぼそぼそと口元をうごかす。


「ごめんなさい」


 ちらっ、とハーブをうかがうと目を細めておれを床に下ろした。茶色の髪をさらさらと撫でてから、しゃがんでおれの目線と高さを合わせた。


「あやまれて偉いねぇ」


 転生してからすぐのころは子供扱いにも苛立っていたが慣れたものだ。えへんと胸を張って応えると、ハーブは黄色い悲鳴をあげた。なかなかに締まらない。


「いいなぁ、魔法が使えて」


 あ。すぐに失言に気づいた。弛んでいたせいで思わず口に出してしまった。

 彼女の方を見る。ちがう、嫌味とかを言いたかったわけじゃないんだ。ただ口から溢れただけで、魔法がなくとも幸せなんだ。勘違いされてないように……っ。

 目を瞑って祈っていると沈黙が訪れた。あれ? と瞼を開けてみると、やはりハーブの顔があった。


「よく思うんだけどね」

「うん」

「シグレが魔法を使えないのは、頭の良さに全部吸い取られちゃってるからだと思うの」


 ハーブは自らの額をおれの額に合わせた。


「魔法なんかなくても、シグレは強いよ」


 強い、ってなんだろう。こてん、と首を傾げるとおかしそうに彼女は笑って見せた。つられておれも一緒に笑った。
















 二階の寝室でクヤマとハーブがすぐよこで寝息を立てている。こうやって三人川の字で寝ることが多い。

 日本ではこうした経験はなかった。おれが生まれてからすぐに両親は離婚したそうで、父さんがひとりで育ててくれたから『=』を縦にした感じでふたり寝てた。川には一本足りなかった。

 起こさないように身体を起こして布団から抜ける。ハーブの身体を跨いだときに寝顔を盗み見た。べっぴんさんだ。

 おれにも彼女のような母親がいたのだろうか。そこまで美人ではないにしても、優しい母さんだったらいいなと思う。父さんに聞いても何も答えてくれなかったから。

 布団を敷き詰めるための押し入れによじ登って四つん這いのまま中に入る。まだ真夜中なのもあって真っ暗だったが、転生してから目には自信があった。月光の僅かな光を頼りに天井に空いた穴を探し出す。お、あった。

 穴に手を通して、がっと掴んで上体を腕だけで持ち上げる。足が浮くのを感じながら、滑り込ませるように胸を天井裏の床へとつけた。

 こんなことしてるのがバレたら怒られちゃうぜ。怒られるというよりはハーブには泣かれそう。どちらにしろ嫌だな。

 ここまでリスクを冒してなにをしようとしているのかと言われれば……特にない。

 正面の窓から差す月光へと、足元に気をつけて転ばないように歩く。音を鳴らすとバレる可能性もあるので忍び足で。窓のまえまでたどり着いて、その奥をのぞく。

 街並みだ。

 木造だったり煉瓦だったり建築様式もバラバラで、各々が自由に建てた家が並んでいる。ただ建てている場所だけは制限されているのか、中央に聳え立つ白い屋敷のようなものから枝が伸びていくように街路が張り巡らされている。

 これが見たいがために天井裏に来たのかと言われれば、そうではない。

 肌をくすぐるような少し冷たい空気や、鼻を弄ぶ埃臭い感じとか、ひんやりして気持ちのいい床とか、ひとりぼっちでいられる時間とか。挙げようと思えば挙げられるけど、どれもちがう。

 家を探索しているときにここを見つけた。

 気になって魔が差したのか、ある夜半に来てみるとどこか落ち着いた。だからそれ以来、たまに足を運んでいる。

 なにをするでもなく夜景を眺めている。

 あ、教会だ。ステンドグラスがチカチカと光ってわかりやすい。キリストでは十字架だったが、異世界では教会の屋根の上にダイヤの形をした石碑が刺さっていた。


「なんでダイヤなんだろう」


 ぼそっと呟いてみる。当然ながら返答はこない。少し寂しいなぁと髪をかいていると、うしろから物音がした。

 ばっと振り返ると、屋根に頭をぶつけないように屈んだクヤマがいた。

 やばいやばい絶対に怒られる。クヤマは親バカだがメリハリのある親バカなんだ。高そうな皿を割ってしまったとき、ハーブは穏やかだったがクヤマは切れていた。

 あー失敗した。しょうがない、受け止めよう。目を閉じて覚悟していると、温かな声が耳を揺さぶってきた。


「レアラ教では宝石が大切にされているんだよ。とはいってもただの正四角形ならデザイン的にださくて、正五角形以上になると宝石かどうか分からなくなって、じゃあダイヤのシンプルな形にしようってなったんだ」


 分かりやすく教えてくれるクヤマ。え? 怒んないの? てっきりブチ切れかと。

 目を点にしていると彼はこっちに寄ってきては、おれの頭を小突いた。やっぱり怒るじゃん。でもいつもとは違って、むずかゆくなるような拳だった。


「……どうして?」


 おそるおそる聞いてみると、クヤマはくっくっくと静かに肩を上下させていた。それから天井を仰ぎみて、ぽつぽつと話し出した。


「俺もな、こうやって夜中に屋根裏にきて景色をみることがあったんだよ」

「父さんが?」

「ああ。なんでだろうな、親を心配させるわけでもねーのに、夜景が見たいわけでもねーのにこうして来ちゃうんだよ」


 おなじだ。おれとまったく。おれの驚いた顔に、クヤマはまた笑って続けた。


「不思議なもんだよなぁ。なんで来ちゃうんだろうな」

「不思議だね」


 ふたりして胡座をかきながらガラスの外を眺める。建物は多いのに人気(ひとけ)や光の変化は限りなく少なく、都会の街並みなのに人がいなくなってしまったような不思議な感じだ。

 ああ、そうだ。こうして父さんともたまに夜景を眺めたっけ。


「おい、母さんには言うなよ」

「もちろん」

「あとあの穴じゃなくて今度は正規ルート教えてやるから。そっち通ってこい」

「うん、わかった」


 正規ルートを教えちゃうクヤマったら、寛容なんだから。ハーブにバレたら半殺しだけどな、おまえ。おれも無事じゃ済まないか。主に心の方がだが。


「ねぇ、父さん」

「なんだ」

「どうやったら子供はできるの?」


 ぶふぉっ、とクヤマが吹き出した。しーっと唇に指をあてて責めるが、おれも笑いを堪えていた。クヤマはおもしろいほど取り乱した。髪をかいたり、首を捻ってみたり、貧乏揺すりをしてみたり。

 腹を抱えておもしろがっていると、やがて彼は覚悟を決めたようにこっちを向いた。


「カスミドリが運んでくるんだ」


 カスミドリとは日本のカモメに似た鳥だ。カモメとちがって陸地にも生息していたりするが、姿形はほとんど一緒。一度みたが「カモメだ!」と叫んでしまったほどだ。

 しかし父さんに尋ねたときとまったく同じ回答だ。さては同一人物なのでは? と疑うが顔も身体も性格も全然似てなかった。


「それって運んでくる方法で子供のでき方じゃないよ?」

「おま、だれだこの子を産んだ奴は……」


 クヤマじゃないんですかね? まぁ本当の意味でいえば父さんなんだろうけど。またもチクッとした痛みが胸を刺す。


「よーし。分かったぞ」

「なにが分かったの?」


 聞いてみるとクヤマは自信満々に答えた。


「父さんと母さんがだな、合体してできるんだ」

「は?」


 いっけね! 素が出ちまった!

 顔を逸らして口笛を吹く。いや待てよ、なんだその答え。ほぼ正解じゃねぇか。バカか? おまえはバカなのかクヤマ? 信じられないものを見る目で大バカを睨む。


「どうした? シグレ」

「いやぁ、なんでもない」


 なにきょとんとした顔してんだよ。このゴミクソが。あーもうハーブに教えちゃおっかな、正規ルート教えてもらいますって。クヤマ父様はしばらく『す』と『み』と『ま』と『せ』と『ん』しか喋れなくなるだろう。


「合体してどうできるの? よく分かんない」


 追い打ちをかけると、「それはなぁ」と切り出し両手の人差し指をくっつけて語り出した。


「こう、おしべとめしべがくっつく……」


 ーーガァンッ!


 下の方で衝撃音が聞こえた。なにか物が落ちたのだろうか。そう信じたい。いやぁ、いきなり物が落ちるなんて不思議だなぁ。

 ダメだ、悪い考えばっか浮かんでくる。


「この話はもうやめよっか」

「そ、そうだな……」


 ふたりして気まずい雰囲気のなか夜景を観ていた。

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