Ⅱ 白ローブの少女①


 休日だ。ハーブと街にくり出している。

 異世界に太陰暦はない。不思議なことに太陽と月に類似したものはあるらしいが、それを元に年月が刻まれているわけでは無い。一日の時間はおなじだが、週や月といったものは空に浮かぶ天体で判断する。

 赤、青、緑、黄、橙、紫。

 各六つの天体が一日おきで青空に現れては沈んでいく。赤い天体が出ている日は赤日、青い天体の日は青日と呼ばれている。

 一週間が六日おきであり、五周期おきに月として括られるため一月は三十日とこれは地球のものに近い。しかし年の数え方が十月ごとなので一年は三百日しかないことになる。

 未だにこれには慣れない。

 毎月の奇数周期の紫日は休日になる。奇数と紫の組み合わせが不吉だからとかなんとか言われているが、詳しいことは分からない。


「シグレ、なにか欲しいものはある?」

 

 手を引かれながら聞かれる。欲しいもの、と言われてもとくに思い浮かばない。ああ、本は欲しいけど値が張る。

 頭を巡らせていると、香ばしい匂いが漂ってきた。


「あ、あれが食べたい!」


 指をさしたさきには肉を焼いている露店があった。じゅうじゅうと食欲を掻き立てる音が通行人の視線をひとりじめしている。

 日本のものよりは質が落ちるものの異世界の料理も悪くない。これは技術だとか器材の遅れを魔法が補っているからだそうだ。

 魔法で血抜きがすぐにできるメリットはたしかに大きいだろう。


「もう、シグレは食いしん坊ね」


 うれしそうに露店へ足を運ぶハーブをみて胸をなでおろす。さすがにこの歳で欲しいものがないのは不信極まりないからな。

 鉄板のうえで赤みをベラで器用に転がしてすこし焦げ目が見え始めたら皿に移し、調味料をいくつか振りかける。基本的には肉本来の味を楽しむために調味料は少量で、旨味を引き立てるものが多く使われている。

 しかしこの肉はなんの肉だ。露店のおっさんに聞いてみると大声で笑った。


「好奇心旺盛だな小僧! いいだろう、この肉は近くのカルム大樹林で捕まえたカウの肉だ。脂がのってて他の肉より断然うまい!」


 接客態度はこれでいいのか、おっさん。

 意に介さずありがとうございます、と頭を下げておく。おっさんはハーブから代金を受け取りながら「おうよ!」と叫び親指を立てた。

 備え付けの爪楊枝に似たもので突き刺してみると肉汁があふれてきた。おお。

 口に入れてみる。あっつ! 熱い、熱いけどうまい。肉は世界共通で美味いものだと感心していると、うしろからハーブが顔をのぞかせてきた。


「母さんにもひとつちょうだい」


 ええ、子供かよ。ひとつ爪楊枝で刺しては母親の口のなかへ放り込む。


「んん、おいしい! シグレが食べさせてくれたからおいしいね!」


 それがやりたかっただけか貴様。

 やれやれと買った肉の半分ほどをハーブが平らげつつ、おれが最後のひとつを飲み込んではちょうど目的地にたどり着いた。

 教会だ。休日はこうして教会に行く。

 異世界の建築技術は日本でいうと江戸時代前期から中期といったところだろうか、高くはないがここでも魔法が力をふるい建築物自体は明治に差しかかるほどになっている。

 なかでも教会は精巧だ。

 日差しを受けてステンドガラスが輝いている。壁面もいっさいの汚れもない白でおおわれており、積まれた煉瓦は押しても蹴っても魔法を打っても壊れなさそうなほど頑丈そうだ。


「やっぱり教会ってすごいね」

「レアラ教のものだからね。この国はレアラ教を国教としてるし、信仰者の数は世界で一番とも言われてるんだから」


 どの国にも宗教はあって宗教戦争も何度か勃発したそうだ。

 世界が変わろうとも信じるものの違いで戦争が起こりうるのは、やはり醜く巻き込まれる人には迷惑でしかない。

 両親ともにレアラ教ということでおれもレアラ教信者にはなるが、信仰する気はない。

 さきほどから立ち止まっているが、中には入らないのだろうか。となりに視線を向けるとハーブはこちらを見つめていた。


「教会でのマナーは?」

「静かに礼儀よく、です」


 真剣な表情を浮かべているハーブに分かってるよとうなずく。神聖な場所では両親には敬語が原則だ。産んでもらったことに感謝するため、というのが理由らしい。

 そもそも教会で喋ることがめったにないから必要かどうかと聞かれれば首を傾げるが。


「よろしい。じゃ、入るよ」


 重そうな純白の扉を押し開いた。おれもあとに続いて中へ入る。内装は現代のものにかなり似通っていた。

 長椅子が中央を開けて二列にずらっと並んでいる。扉から奥の教壇までつづく赤いスローブに、そのうしろであざやかに色彩を放つ一回りも二回りも大きいステンドガラス。

 教壇を囲むようにして何人かがすでにひざまずいて祈りを始めている。

 教会にくるのは二桁になるだろうが、何度みても息を飲ませられる。宗教というのはここまで力を持っているのか。日本ではとても考えられなかったことだ。

 ハーブは音を立てずに教壇へと歩く。おれも転ばないように意識を払いながら遅れないように踏みだす。教壇のまえまでくるとハーブは膝をおり正座をした。

 それに倣って正座をして胸に両手をあてる。

 祈りの時間だ。しばらくこうして何も言わずに祈っている。

 この時間、いつも退屈なおれはイズチカに心のなかで話しかけている。というのもレアラ教で拝められているレアラとは、実は魔女だそうだ。神じゃなく魔女を拝めるのが宗教というのは理解し難いが、異世界の住人はだれも違和感を抱かない。

 察しがいい人はお分かりだろう。

 そう、イズチカ教というのも存在する。宗派自体がおそろしく少数なため信者と話す機会はないが、それでもイズチカがとんでもない奴というのは明らかだ。

 レアラの教壇でイズチカに文句をいえば伝言として受け取ってくれるかもしれないから、こうやってイズチカに話しかけている。


 おい、このクソ魔女。

 魔法も使えなきゃ平民の生まれってどういうことだ。これで奴隷制度を変えるなんて無理があるだろうが。名前を統一するくらいなら他のものをくれ。


 返事はまだない。

 となりで衣服の擦れる音がしたので眼をあける。ハーブはすでに祈りを終えていたようで、こちらを横目で確認していた。

 礼拝はこれで終わりだ。

 ふたりでいっしょに立ち上がり扉へと足を進める。しかし日中ということもあってかなり人で混んでいた。なかには礼装をまとった人なんかもいる。

 特にあの白髪の鼻が高く引き締まった身体をしているおじさんは、いつも礼服を着て礼拝している。

 熱心な人だな。ハーブに聞こえないようぼそっと呟くと、ひたいに衝撃が走った。


「いだっ」

「きゃっ」


 かわいらしい悲鳴が聞こえる。

 視線を落とすと真っ白の衣装を着た女の子が尻もちをついていた。

 かなり小さい、おれとそう変わらない歳だろうか。顔から判断したかったが、深くフードを被っているせいで分からない。


「大丈夫ですか?」


 手を差し伸べると女の子は首を横に振って自力で立った。頑固な子だな、人のこと言えないけど。すみませんでした、と頭を下げてから出口へ向かう。

 すれちがう瞬間、フードがはだけた。

 口元のあたりだけがほんの少し見えた。それだけでこの子は綺麗な子なんだな、と分かるほど整った口端だった。

 だがもっとも目を引いたのはそこではなかった。

 眼帯?

 輪郭の右外側から黒い糸状の布らしきものが眉間へと走っていた。あれは眼帯ではないだろうか。なるほど、ぶつかったのはお互いの右肩だ。おれの姿は死角で捉えられなかったのだろう。


「ごめんなさい」


 辛うじて、本当に辛うじて聞こえた。

 細く消えてしまいそうな声。思わず振り返ったが、少女はすでに教壇のまえで膝をついていた。

 ハーブに手を引かれて扉へと歩くものの、どうしても彼女の声が頭から離れなかった。

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