壱章 両親編
Ⅰ ふたつめの家族
――シグレ。
なまえをよばれた。なまえ?
シグレ。それがなまえ。よばれた?
あれ、だれだ。おれはだれだ。
おれ、ってなんだ。なんだっけ……。
うみのおやからなまえをよばれたらしい。
それをきっかけにきおくがよみがえってきた。まじょとはいえイズチカがおれを“てんせい”させたことは、おどろくしかない。ちきゅうのころとなまえがいっしょなのはまじょなりのきづかいだろうか。
おれのしかいにはふたりの“だんじょ”がうつっている。りょうしんだ。
おとこのほうはアラブけいのちゃいろのはだをしていて、おんなのほうはヨーロッパのきんぱつといろじろのはだ、みずいろのひとみをもっていた。
せんじつかがみとであったが、どうやらおれはちちからは“はだ”を、ははからは“ひとみ”をうけついだようだ。なかなかのイケメンになりそうだとわかったのはひとつのしゅうかくだった。
やば、ねむ け、が……。
「誕生日おめでとう、シグレ」
「もうこんなに大きくなってねぇ」
四歳のたんじょうびを迎えた。
父親のクヤマと母親のハーブが両腕を広げて祝ってくれている。
おれはよく熱を出す子供になった。
それもそのはず、ぼうだいな十七年間の記憶が小さな頭につめこまれたのだから、オーバーヒートを起こしてもおかしくはない。
後遺症が残らないだけましだ。
ただその分、脳の情報処理においては波桁外れた能力を持っていた。三年間ずっと記憶を整理し続けていた“たまもの”だ。
日本での自分を取り戻しながら家のなかをくまなく探索した。
両親は平民だが豊かな暮らしを営んでいると思われる。住まいだって二階建ての立派な木造の一軒家だ。家具も現代ほど発展はしていないが風呂場や和式の便器、釜戸に高そうな食器棚まで並んでいる。
いちど精巧に描かれた花柄の皿を割ってしまったことがあるが、ハーブは気にしていなかった。稼ぎがいいのだろう。
直近の一年間は言語の習得に費やしている。
異世界では日本語などなく、この地域でよく用いられる言語を本を用いて覚えた。まだマスターしたわけではないが、簡単な言葉ならこのように手繰ることができる。
「お父さんお母さん、ありがとう」
四歳の子供がここまで流ちょうに話すのは日本でも異常なことだろう。
しかしクヤマとハーブはバカ親なのか黄色い悲鳴を上げた。
「シグレは賢いなぁ。将来は賢者様になる」
「いやいや、きっとこの国の宰相になるわ」
平民の出から賢者や宰相になるのがどれほど難しい話か分かっているのだろうか。
加えてどうやらおれは魔法が使えないらしい。転生者のへいがいかもしれないが、ともかく魔法使いのトップに位置する賢者には毛頭なれないだろう。
宰相はそれこそ血筋を重視される、平民に生まれた時点で無理だ。
こんなおれを両親はかわいがってくれた。たんじょうびにはこうして豪華な料理を広げて食べさせてくれる。
日本でも異世界でも、つくづく親には恵まれていると実感する。
「おおげさだよ。ぼくは陰で一人でも多くの人を助けられる人になるから」
クヤマは顔を逸らした。なにやらぷるぷると震えている。どうしたんだ?
横に回って表情をうかがおうとしたが、クヤマはすぐにこっちを向くと微笑みかけた。
「それでも立派じゃないか。なにか偉い役職に就かなくてもいい、シグレはシグレのできることをしっかりとこなすように」
「うん、父さん」
髪をわしゃわしゃと撫でられる。乱れた黒髪を整えるのに苦労していると、ハーブがくしを持ってきて手伝ってくれた。
毛先がそろうとにこっと笑っておれを抱きしめる。
「生きてればいいのよ。どんなに醜くても」
あたたかなささやきが耳元をくすぐった。
申し訳なさで胸がはりさけそうだった。おれは転生者でふたりの本当の子供といえるだろうか。いえるはずもない、よその子だ。
心のうちでおれはふたりのことを父さんとも母さんとも呼んだことはない。
呼ぶ資格がないからだ。
真実を打ち明けたらどうなるだろうか。捨てられるだろうか。なによりその優しい目が変わってしまうのが恐かった。
「できるかぎり生きるよ、母さん」
せめて良い子でいられるように、なるべく手間をかけないように。
あざとい笑みを浮かべると、ハーブもおれの頭を撫でた。せっかくそろった前髪が乱れてしまった。
ちくりと胸に刺さった。
ごまかすようにミートパイをほおばっては飲みこんでクヤマのほうを向く。視線に気づいた彼は、なんだと問いかけた。
「ぼくも学び舎に通うの?」
そのことか。クヤマは大きくうなずく。
「まだ先のことだけどな。あと二年経ったら学び舎に通わせるつもりだ。まあシグレのことだ、教わることなんてほとんどないだろ」
「買いかぶりだよ」
事実だが。教わるのはこの世界の歴史と法律くらいで十分だろう。
ただでさえ進んだ日本の教育を真面目に受けてきた人間だ。もしかしたら数学なんかは異世界でもトップクラスの能力を持っているかもしれない。
「学び舎かぁ」
たしかにクヤマの言う通り、学校なんて通わなくてもいいかもしれない。空いた時間で奴隷解放の計画に着手もしたいし。
思案するおれを見てハーブは心配そうな声をかけてきた。
「行きたくないなら行かなくていいのよ?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
「学び舎なんて友達作りくらいしか意味ないわよ。友達だって教会で作れるんだし」
「おい母さん、学び舎にいったことなんてないだろ。なに知ったかしてるんだ」
え、ないの? ハーブの方をみるとバツが悪そうにしていた。学校に嫌悪感ありありな言いぶりをしていたのに。
なにか恨みでもあるのだろうか。
「母さんはシグレを独占したくてこんな嘘をついてるんだよ。まぁかくいう俺も家業のこともあるし、シグレと母さんがどうしてもと言うなら学び舎に通わなくてもいい」
子供大好きっ子かよ、ハーブ。
しかし家業か。朗らかでなにひとつ汚点のない家庭で、収入源だけが不明だった。
家には仕事に関すると思われるものは見当たらない。日の出まえに、クヤマかハーブがどこかに出かけては昼前に戻ってくる。玄関扉をあける彼らの姿はとくに疲れた様子もないし、なんの仕事をしているのだろうか。
クヤマはなんだかんだ言って家業を引き継いでもらうのが一番と考えているらしい。仕事にもよるがおれもそうするつもりだ。
奴隷制度の撤廃。
異世界転生した目的においても、金がたくさん舞い込んでくる仕事はありがたい。政治家……この世界では貴族だったか、彼らに大金を積んで法を変えてもらうこともできる。
今はとにかく異世界を知ること。貴族への脈を教会で築くこと。それが当面の指針だ。
こぶしを握り決意を固めていると、よこからハーブが抱きついてきた。
つ、つよい。息が苦しい…。
彼女の腕のなかで甲高い悲鳴を上げ必死に四肢をばたつかせるが、離れる気配は一向にない。四歳児の力はこんなものだ。
「学び舎なんて行かなくていいんだからね? 母さんがいろんなこと教えてあげるから」
申し訳ありません、母様。
おそらくおれは母様よりも頭がよろしいです。十一ひく五を十五と間違えた母様よりは絶対にいいです。
引いたのに増えてんじゃん。
げんなりしているおれの耳元に唇を寄せると、なにやら囁いてきた。
「学び舎はつまらない、学び舎はつまらない、学び舎はつまらない、学び舎は……」
「シグレを洗脳するな! まったく、シグレの意思を尊重するって決まりだろ」
うむ、立派な父親だ。もっと言ってくれ。
あなたはあなたで夜中におれの耳元で「家業を継ぎたくなる」と何度もささやいているのを棚に上げているのは、まぁ見過ごそう。
似たものどうしが結婚したよなぁ、と達観した感想を抱いているとハーブがクヤマに凍えるような冷たい視線を投げかけた。
「なによ、あなただって夜な夜なシグレの寝床にいってなにか言ってるじゃない」
バレてたんかい。ざまぁないですね父様。
あたふたしだしたクヤマにハーブは追い打ちをかける。
「だいたい、私はシグレに家業なんて引き継いでほしくないのよ?」
「ハーブ、それは話が違うだろ」
おお、言葉に怒気が含まれてきた。ふたりの口論はおれを跨いで飛び交っている。まずい、このままだと喧嘩になりえない。というかすでに口喧嘩かもしれない。
折角のたんじょうびに喧嘩されてもおれとしては困る。しょうがない。
ここは一肌脱ぎますか。
「ぼくは自分で見て決めるよ」
ハーブはそれを聞いて困ったように肩をすくめた。
「シグレにはまだ判断できないでしょ? 勉強もまだまだだし……」
「いま決めるわけじゃないよ。学校って途中からでも入れるんでしょ?」
クヤマを尻目に聞いてみる。もっとも、答えは知っているが。
「そうだな。途中からでも入れる」
「ならぼくが自分で判断できるようになってから学校も家業も決めるよ」
「でも、それじゃ親として……」
戸惑うふたり。よし、ここだ。
「ぼくは宰相だって賢者になってなれるんでしょ? なら大丈夫だよ。正しい道を選んで、ふたりが胸を張れるような人になるから」
クヤマとハーブは顔を見合わせては、みるみるうちに笑みを湧きあがらせておれに飛びついてきた。
胸を張れるような人に。それは罪滅ぼしも含めた宣言だった。
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