Ⅱ 魔女イズチカ


 帰り道、数回ほど草鍋の言葉を反芻しながら街明かりとすれちがう。

 腑抜け。腑抜けとはどういうことだ。

 言葉のとおり臆病だという事だろうか。それとも腰が抜けて立てないことを言っていたのか。後者で考えてみれば、意志がなくなったことで俺は自分自身の力で立てなくなるとでも言いたいのだろうか。

 十中八九気まぐれで言ったのだろうが、どうしても気になる。


「あー」


 頭が火照る。天を仰いで唸り声を鳴らす。

 すこし身体を冷まそうとよりみちすることに決め商店街をみまわす。腹は減っていないから時間を潰せる場所かつ冷房が効いてそうなところがいい。


「あれ、こんな店あったっけ」


 いつも通るから、どこになんの看板が立てられているかはだいたい覚えている。

 だからこそ違和感が記憶の齟齬から舞いおりた。

 『占い師 シムラ』

 新しく開店したのかと逡巡するが、黒と白を基調とした傷だらけの看板がどうしても否定してくる。いかにも詐欺臭いが気になるのも確かで、釣られて足を運ぶ。

 ぎいぃと、木の軋む音が鼓膜をゆらす。

 扉を開けると、寝室ほどの小さな部屋がひらけた。足元のタイルのあちらこちらにシミがあり、天井には今にも落ちてしまいそうな朽ちた木の板が並んでいる。

 図書館とは比べ物にならないほど埃臭く、ランプがひとつ妖しく灯っているだけで部屋の隅まで確認ができない。

 これは本格的に怪しくなってきた。


「来客かいな」


 錆びた鈴のような声がした。部屋の中央で佇んだ、学校などで目にするような机のうしろに年老いた婆さんが座っていた。

 いまどきに麻布で作られたおんぼろの服を纏っている。二千年前の服と言われても信られそうだ。しわがれた手には宝石ひとつ付けていない。

 占い師どころか怪談話を語るのに似合っている。


「ここって占いをしてもらうとこですよね」


 おそるおそる聞いてみると、婆さんはあごをくいと動かす。座れといっているのか。渋々と机のまえの席に腰をおろす。

 俺が座ったのを確認して、シワシワの唇を震わせはじめた。


「そうさね。さて、仕事をさせてもらう」

「代金をさきに聞いてもいいですか?」


 婆さんは固まった。



 え? なにも喋らなくなった。聞こえてなかったのかもしれないと繰り返し尋ねてみるが、返答はこない。

 まさか死んだ? このタイミングで?

 ぶわっと冷や汗が湧き出てくる。こういうときまずはどうすればいいんだ。一〇〇当番か、救急番か。というか俺が殺したみたいにならないよな、だいじょうぶだよな。

 焦りながらふと婆さんを見てみると瞬きをしていた。どうやら生きているらしい。息をついたのも束の間、意味のわからないことを言い出した。


「おまえさんが決めな」


 はぁ? 声がもれる。

 占い師だったよな。その占いが嘘っぱちか本当かどうかで値打ちが変わるのだから、自分でそれを見定めろってことか? 

 悪いが金を払う意思は一切ない。


「おまえさんが決めるんだよ。占いとは名ばかりで、わたしの仕事は何でも屋なんだわ。ただし、依頼人の指示は受けない」

「な、なんですかそれっ」


 勝手になにかをやる仕事? なんなんだ本当に。店の外装も内装も悪ければ内容まで悪質なのか。ふざけている。

 婆さんは俺の嫌そうな顔を覗きこんだ。


「いやなら帰っていいよ。満足しなければお金を払わなくてもいいさね」


 しっしっと手を振る婆さん。ああ、そうさせてもらおうと席を立とうとする。立とうとした。身体をかがめて尻を離そうとした。

 立とうとしたはずだ、俺は。

 立てない。椅子は少しも動いていない。尻にガムがくっついてて離れないとかいう話ではなく、力が入らない。腕にも腰にも。


「ああ、そうそう。私の席に座った者は、私が許可するまで離れることは出来ないよ」


 なんだそりゃあ! 特殊能力かなんかか!

 一笑にふせないところがタチが悪い。現実として俺が立てないのはそういう能力があることの証左だ。しかしそもそも帰れないじゃないか。

 なにがいやなら帰っていいだ。


「私に何か施されるのがそんなに嫌かい。なら初回だけは金を取らないでやるから、大人しく観念するんだわさ」


 施し、で呪いかなんかを掛けられたらどうするんだ。恨みがましく睨んでみるものの婆さんはまったく意に介していない。

 はぁ、受けるしかないのか。断ってもここから動けなさそうだし。


「おねがいします」

「初めからそう言いやいいんさね」


 一言多い婆さんだ。




 婆さんは机のなかからノートを数冊とりだすと机上においた。どれも使い古されているようだが、表紙には『家計簿』や『日記』など関係ないものも記されている。

 本当に使うのか? 

 疑問を抱いたが、それとは裏腹に少し安堵した。商売としては目にしたら不安になるものの呪いなどに関した文字は見当たらない。

 緊張がほぐれる。俺の心境を知ってか知らずか、婆さんはいくよと声をかけた。


「さて、質問さね」


 それから婆さんはいくつも問うた。

 名前、生年月日、趣味、好きな物、嫌いな物。ポピュラーのものから足のサイズまでマイナーなものも問われた。

 ちくいちメモをとっては質問を終えると、ノートを閉じて表紙に手をおく。目を閉じて、また死んだように固まった。

 終始、『家計簿』や『日記』の記されたノートを開くことは無かったが、思えばあれはリラックスを促すためのものかもしれない。

 ノートの中で使われていたのはひとつだった。『人生』と綴られたものだ。

 特筆すべきはそのノートがたびたび光り出したことだ。おぼろげに、しかし確かにランプよりは小さいけれどひとりでに光った。

 仕組みは分からなかった。疑問に思ってよく観察してみるものの、やはり分からない。どういうことだと聞いてみても無視された。この婆さんはもしかしたら魔女なのかもしれないと冗談抜きで思った。

 しばらくして、婆さんは目を開いた。


「理不尽が、嫌いさね」


 口をひらかされた。驚きのあまりだ。

 空いた口が塞がらない。

 その言葉の真意を知った。本当に塞がる気配がないのだ。蛇に睨まれたカエルが固まってしまうのに似ている。


「映画の影響さね。あぁ、あの黒人奴隷の映画だね。あれは名作だったよ」


 どんどん言い当てられる。なんだよ、占い師としても生計を立てられるんじゃないか?

 だってそれは誰も知るはずがないんだ。誰にも言ったことがないから……いや、父親だけは知っていたかもしれないが。

 もう、父さんはいないんだ。

 だから誰も知らないはずだし、知っていたとしてもわざわざこの婆さんには知る由もない。父さんが生きていたときまで遡って、俺がいつかここに来ることを予期して事前に情報を集めていたなんてあるわけが無い。

 確信する。こいつは本物だ。


 ーーやっときたよ、上玉が。


 ぼそっと聞こえた。無論、俺が言ったわけではない。この婆さんが放ったに違いない。

 上玉とはなんだ。

 俺はこれからなにをされるんだ。

 恐怖が暗闇にまみれてうしろから迫ってくるようだった。


「わたしゃずっと探していたんだわさ」


 心音が鳴り響く。矮小だった目の前の婆さんの気配が膨れ上がってゆく。


「あなたみたいな人をね。見つかってよかったよ」


 口調が変わった。

 声色も若い女に似た、けれども全く異なる艶やかで妖しいものになっている。

 まるで、人間に化けた狐のような。

 ガラスの割れた音が弾ける。ランプをみると表面がわれて赤の光が漏れ出ている。比喩ではなく本当に漏れている。

 さきほどまで中で火が灯っていたはずなのに、焔がどろどろ液状と化し机の上を侵しては垂れ、床を流れて部屋全体を包んでいく。

 界隈を見回す。そこらにあったシワがゴキブリのようにこちらへと集ってゆく。

 木の板の天井が剥がれ落ちて“ぶつかる”と思った刹那、粉となって宙を舞っては竜巻に姿を変えて婆さんを中心に猛威をふるう。

 腕をかかげて暴風から身を守っているが吹き飛ばされてしまいそうだ。けたたましい風の雄叫びが聞こえてくる。

 なんとか、竜巻のなかにひとりの女を認めた。

 柄の長い黒い帽子をかぶった女だ。

 さきほどの婆さんとは姿形もまったく異なっていたが、同一人物なのは間違いない。


「遅れたね、自己紹介をしようか。ああと、あなたのは必要ないよ、赤木 時雨君」


 飄々と、古い友人に話しかけるように。彼女の語りは俺の身動きを封じた。


「私の名前はイズチカ。とある世界で魔女をやっているものだ」


 魔女? 魔女よりかは神だろ。

 こんな部屋のなかで竜巻吹かすわ、やってることがめちゃくちゃだ。疑いの目を投げるが自称魔女は意に介さずつづける。


「さてさて、お願いがあるんだよ。時雨君、君には成し遂げてもらいたいことがある」


 おねがい? どうせろくなもんじゃない。


「さっき『とある世界』といったけど、そこでは当たり前のように奴隷が使役されているんだよ。もう心が傷んでさぁ」


 自らの胸を抱いてしくしくと泣き真似をし始める女は、どこからどうみても心が傷んでいる者の様子ではなかった。

 ただ、面白がっているような。

 ゲームの中で必死に生きるモブキャラたちを醜いと嘲笑うような。


「っていうのは嘘でね。奴隷のせいで人がどんどん死んじゃってさぁ。私たち魔女の好物は人の幸福だから、なくなると困るんだよ」


 少なくともさっきよりかは信じられそうな発言だった。

 しかし、奴隷のせいで人がたくさん死んでると言ったか? どういう扱いをされているんだ。過労死するほど働かされているのか?

 そんな馬鹿げた世界が、あるのか。


「そうそう、そんな世界があるんだよ。そこでさ、君なら馬鹿げた世界を変えられるかもって私が直々にスカウトしにきたわけ」


 思考が読まれた? いや、どうでもいい。

 イズチカは腕を伸ばし手のひらを見せてきた。


「異世界に行って奴隷をなくしてくれないかい?」


 いや、それは話が違ってくるだろ。

 どうせ元の世界には帰って来れないんだろ? 俺はこの世界でやることがあるんだ。

 紛争や人種差別、それらの理不尽をことごとく無くす。

 自分でも馬鹿らしいって分かるほど大きすぎて夢見がちだけど、それだけは変わらない。腑抜けになるわけにはいかない。

 この世界から逃げて、異世界で何かができるわけがない!


 刹那。


 ごうごうと轟く竜巻のなかで、ノートから淡い光が飛び出した。

 まぶたのあいだを抜け水晶体に漉かされて、脳へすーっと入ってきた。温かい光のなかに、あの日の映画を思い出す。

 一枚絵だ。

 真っ平らな耕地の果てに地平線が横たわっていて、そこから橙の陽が世界を照らしている。雲ひとつない晴れ渡った夜明け。

 それをひとりの黒人が泣きながら見つめている。悲しそうに、泣きながら。


「やってみます」


 気づいたらイズチカの手をとっていた。

 魔女はニィッと笑みを作ると、黒のスカートをひるがえしていつの間にか手に持っていた杖を振るった。


「言質もらいっ。それじゃ送るよ」


 その文言に呼応して。

 床に広がった液状の焔が、その光をいっそう増して部屋全体を包み込む。思わず眩しさに目をつむると、段々と椅子にせっした背中と臀部の感覚が消えていった。

 体が急に軽くなって意識が朧げになる。

 こうして俺は異世界転生を果たした。

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