番外編 間者の歩む道(3)

 目を覚ますと、何者かの腕の中に抱かれていた。


 朦朧とした意識の中、眼鏡越しに映る顔。紫色の肌に黒い兜をかぶった男。


 スワエルだ。


 飲まされた眠り薬のせいか、酷く頭がぼんやりとする。しかし、スワエルが目の前にいることでチューリーは恐怖した。


「スワエル殿……」


 どうやら彼に回復薬を飲まされ、チューリーは意識を取り戻したらしい。これから彼に拷問されるかもしれない。


「私は……私は……」


 何とかしてチューリーはスワエルの腕の中から逃げようとする。


「意識が明瞭になるまでしばらくかかる。あまり動くな」


 淡泊な物言いで、スワエルはチューリーを自分の腕に引き寄せて、抱き上げた。


「ヒッ……」


 チューリーは脅えて縮こまった。スワエルは、チューリーがリーチを殺したと思っているに違いない。


 しかし、そんな風に脅えているチューリーをよそに、スワエルは彼女を優しく側のソファーに寝かせた。


 そして、自分の黒いマントを外し、くるくると丸めて、即席の枕を作ってチューリーの後頭部に乗せた。


 横を向くと、床には鮮血で満たされていて、その血だまりの中に倒れて死んでいるアルジャーノンがいた。


「仕事は済んだ。予定通りだ」


 スワエルがアルジャーノンの亡骸を見下ろす。


「スワエル殿……私は……」


 まだ頭がすっきりしないが、何とかしてチューリーは弁解の言葉をしぼり出そうとした。


「もういい、無理するな」


 スワエルが言い、辺りを見回しながら「じきに冥王軍の警察隊が来るはずだ。調子が良くなり次第行くぞ」と続ける。


 どうやらスワエルは何もかも理解しているらしい。いや、もしかしたら。理解どころの話ではなく。


「全部、スワエル殿の筋書きですか……」


 チューリーが顔を歪めて言う。ラパードことスティンガーの死も、リーチの死も、そして若頭・アルジャーノンの死も。全て彼の想定通りだったの言うのか。


 チューリーがこのような行動を取ることも。そして、こうしてスワエルが助けにきたことも。


「いや、リーチの死は奴自身のミスだ。俺のせいでもお前のせいでもない」


 その言いぐさを聞き、チューリーは回復しつつある意識の中で憤慨した。


「……どうぞ、私のことに構わず、行って下さい」


 チューリーは目に怒りの涙を浮かべ、スワエルをキッと睨んだ。


「お前にはまだ働いてもらう」


「うっさいわね! ほっといてって言ってるでしょ! 一体いつまで私にこんなことさせる気!? 挙句の果てにこんな茶番に付き合わせて! 何よ? 二重スパイしてる私を試したつもり? だったらこんな回りくどいことしないでさっさと殺せば? 簡単でしょ? 感情のない魔法生物!」


 感極まって罵りの言葉をぶちまけた。言った瞬間、漆黒の刀身が既に喉元に迫っていた。


「ヒイッ!」


 咄嗟にチューリーはソファーの奥に体をひねった。


「覚悟の伴わない発言を聞くつもりはない」


 冷徹な視線を向けながら、スワエルは剣を鞘に収める。ソファーに横たわるチューリーを、激しい屈辱感が襲った。


 もうどうなっても知るものか。チューリーは怒りに任せて身を起こし、必要最低限、理論上最速の動作でコートの中から魔水晶の針をスワエルの太ももに投擲しようとした。


 しかし、そうしようとコートに手を伸ばした瞬間、突如目の前の視界がぼやけて狙いがつけられなくなった。


「眼鏡したままで寝辛くないのか? お前」


 そう言って、スワエルはチューリーの枕元に畳んだ眼鏡をそっと置いた。いつ取られたかも分からなかった。慌てて眼鏡をかけ直す。


「あとこれ。この距離で使うべきものじゃないな」


 スワエルが魔水晶の針をチューリーに放った。呆気に取られてそれをキャッチする。


 駄目だ。あまりにも実力が違い過ぎる。


「お前はいつも悩んだ挙句に脚を狙うのか?」


 言葉が出ない。なぜ分かったのか。腕の仕草か、目線か。嫌というほどに、自分の無力さを思い知らされる。


「それだけ元気ならもう歩けるな」


 スワエルがまたも淡々といい、部屋の隅の棚の上に置いてある何かの物体を手に取った。リーチの首だった。


「『手土産』、俺が取り返しておいた。丁重に弔っとけ。それで帳消しにしてやる」


 ソファーから身を起こして首を受け取った。


 チューリーは、リーチの首を胸にぎゅっと抱きしめて、ボロボロと涙を流した。


「どうして……スワエル殿はそうまでなれるんですか? 私は……」


 スワエルのように冷酷にはどうやってもなれない。頭では分かっていても。なぜスワエルはこうも迷わず、ただただ冷徹に合理的に、心のない人形のように振る舞えるのか。


 スワエルは泣くチューリーを前にしても、まるで意に介さぬといった風で横を向いた。


「素人のような口を利くな」


 そう言って、スワエルはテーブルの上に置いてあるワインをグラスに注ぎ、グイッと飲み干した。


「あっ! そ、それっ……!」


 チューリーはハッとして口を押えた。


「え? 何?」


 スワエルが怪訝な顔をしてこちらを向いた。







 冥界の裏路地。


 血の海と化したヤクザの事務所から脱出したチューリーは、大イビキをかいて眠っているスワエルを引きずりながら歩いていた。


「ぐが~っ! おっぱいおっぱい……うっへっへ~……」


 さぞかし楽しい夢を見ているのだろう。鼻の下を伸ばし、しまりのない笑みを浮かべた寝顔である。


 左手でリーチの首を抱え、右腕にスワエルの両足首を抱え、地面をズルズルと引きずっている。


 漆黒の鎧は重くて運べないので、脱がしてハート柄のトランクス一丁にした。そこまで脱がす必要はなかったが、腹が立ったので鎧のしたのシャツも脱がしてやった。


「リーチも、アルジャーノンも、スワエルも……男ってみんな馬鹿! 馬鹿ばっかり! やはりウィーナ様は私が裏でお支えしないと……」


 チューリーは決意を新たにし、自らの迷いを振り払った。


 パンツ一丁のスワエルを引きずりながら。


<終>

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やるせなき脱力神番外編 間者の歩む道 伊達サクット @datesakutto

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