番外編 間者の歩む道(2)

 ほとんど廃墟に近い、人も寄りつかないような首都のはずれ。


 閑散とした路地裏には、激安在庫兵が風化した砂だまりばかりが散乱していた。


 湿った風が吹き、じっとりとした感触がスワエルの横顔にまとわりつく。彼はそんな不快な感触をつゆほど気にせず、戦闘が発生したであろう現場へ足を踏み入れた。


 スワエルはため息をついた。


 落ちているのは砂だまりばかりではない。リーチの死体も横たわっていた。


 首がない。周囲を見回したが、落ちていなかった。スワエルは膝を曲げ、首の断面を近くでよく見た。断面は直線的である。何らかの魔法か、鋭利な刃物で切り落とされたらしい。


 一方で、胴体に視線を移すと、磨き抜かれた白銀の鎧が、見るも無残にズタズタに切り裂かれ、体中のいたる箇所を滅多切りにされている。


 首の断面と違い、力任せの乱雑な切り口だった。


 スワエルはこの現場に散乱した材料から、リーチが激安在庫兵に殺され、その後でチューリーがリーチの首を切り落としたということを推測した。


 そして、首がここにないということは、彼女が持っていったということだ。


 おそらくは、冥龍会の信用を得るために。


 だが、リーチを殺したのはチューリーではない。


 状況を見れば、幾通りものパターンが推理できるが、本質は単純だ。


 チューリーにワルキュリア・カンパニーを裏切るつもりがあるのか、否か。


 百の憶測を重ねようと時間の無駄である。この場合においては、正解はチューリーの心ひとつであるからだ。


 ならばさっさと現場に向かい、自分の目で真実を見た方が効率的だ。


 スワエルはすぐに立ち上がり、リーチの死骸を跨いで冥龍会のアジトへと向かった。







「手土産、確かに受け取った。我々冥龍会はお前を歓迎しよう」


 冥龍会の構成員、モノラコフが人の悪そうな笑顔を浮かべて言った。


 モノラコフは獣人タイプの冥界人で、雄々しいたてがみをなびかせた獅子の顔を持っていた。


「ありがとう。なにしろ、もうワルキュリア・カンパニーには戻れないもの」


 チューリーも笑みを返して言う。


「しかし、ヤキが回ったなお前も。奴らにばれて追手の首を取って舞い戻ってくるなんざあよ」


 モノラコフが茶化してきた。


「ええ、私としたことがドジだったわ。でも、首をはねる前に、アイツを拷問して耳寄りな情報を聞き出したわ。アルジャーノン様に教えようと思うから、会わせてもらえないかしら?」


 チューリーは、努めて、いつもと同じような態度を作った。口調や動作、さらにはテンションまで、普段と違うところを見せたら綻びが生じるであろう。


「どんな情報だ?」


「ごめんなさい。アルジャーノン様に言う前に、あなたに言うわけにはいかないわ」


 チューリーは鼻で笑って見せる。モノラコフは、口にくわえた煙草を取り、舌打ちして灰皿にこすりつけた。


「分かったよ。おい」


 モノラコフは脇に立つ下っ端の構成員に目くばせした。すると、下っ端は「こちらへ」と言い、チューリーをアルジャーノンの私室へと案内した。


 悪趣味なほど調度品で飾りつ尽くしてある、豪華絢爛極まりないアルジャーノンの私室。


 一大組織の若頭は、先程別れたときと同じ純白のスーツ姿で、こちらへ背を向けて立っていた。


「大変だったな。よく生きて戻ってきてくれた。嬉しいぜ」


 こちらへ向き直り、アルジャーノンは優しい笑顔を浮かべて言った。


 チューリーは表情を固くし、彼に頭を下げて見せた。


「申し訳ありませんでした。奴らに知られてしまいました」


「なあに、気にすることはない。ウィーナの力が失われたってことさえ分かれば、後は大した情報もないだろう。何より、お前が無事でよかった」


「はい……ありがとうございます」


「そろそろ情報収集も潮時だと思ってたところだ。次へ駒を進めるときだな……。ウィーナが弱くなったのなら、後は烏合の衆に過ぎん。冥王すらも恐れるこの冥龍会に敵なんざいねえ」


「はい」


 チューリーは頷いた。無論本心ではなかった。今はアルジャーノンから多くの話を引き出さねばならない。


「お前は賢い女だ。スパイに一番大事なのは引き際だ。お前は正しい選択をした」


 アルジャーノンはテーブルにグラスを二つ用意し、若いワインを注いだ。彼に促されるまま、席に着く。向かい合う二人。


 チューリーは、彼とグラスを突き合せ、静かにワインを口にした。ウィーナの屋敷に保管されているものより遥かに高級感のある味わいが口の中に広がった。


「ところで、あの首の主を拷問にかけたところ、耳寄りな情報を手に入れました」


 拷問にかけたなど無論嘘である。とにかく、自分が冥龍会のために最大限努力しているように見せつけることが重要なのだ。


「拷問? どんな?」


 チューリーはコートの内ポケットから口紅程度の大きさの筒を取り出した。


「これを指に入れて、こうして回すと、爪の中に針が食い込んでいくんです」


 チューリーは筒の根本を回して実演してみせた。筒の奥から鋭い針がうねりながら顔を見せる。


「おお~、怖い怖い」


 自分はもっと凄惨な拷問を日常的にしているくせに、アルジャーノンはオーバーアクションでおどけてみせた。チューリーも合わせて笑い、報告を続けた。


「あの男が言ってたんです。私の正体をワルキュリア・カンパニーに教えた協力者がいると」


「ほう」


「その協力者の名前は、ラパードと言ってました」


「ラパードか……。よし、いいだろう。そいつは殺す」


「もう死んでるんです。そいつは」


「なんだって?」


 アルジャーノンが目を鋭くし、身を若干乗り出してきた。


「あの首の主もまた、ラパードの首を持ってきてたんです。その首は、スティンガーでした」


 部屋の空気が張りつめていくのが分かった。アルジャーノンの表情は、いつもチューリーに向ける優しげな表情ではなく、邪魔者を消すときの冷酷な表情に豹変していた。


「どういうことでしょうか……。どうしてスティンガーは私のことをワルキュリア・カンパニーに漏らしたのでしょうか?」


 チューリーは指で眼鏡を抑えて言った。もう殺気を隠すつもりはなかった。


「簡単なことだ。スティンガーにお前の正体を話すよう命じたのはこの俺だ」


「なぜ……?」


 チューリーは怒りを交えた声を漏らした。どのみち、アルジャーノンを殺すつもりでここに戻ってきたのだが。


 リーチが勝手に激安在庫兵に殺されてしまったため、ウィーナのもとへ戻ることができなくなってしまった。


 スワエルは、チューリーが殺したと思うだろう。スワエルという男は、口だけの弁解を決して信じたりはしない。


 そのため、リーチの首を持って冥龍会へ戻り、アルジャーノンを油断させ、彼の首を取ってそれをスワエルに見せるより方法はなかったのだ。


 スワエルに比べたら、目の前の男など小物に過ぎない。一切の人間味なく、機械仕掛けの人形の如く、合理的に任務をこなすことだけしか頭の中にないような男。アルジャーノンなどより、スワエルの方が何倍も恐ろしい。


 アルジャーノンが邪悪な笑みを浮かべ、ワインを口へ運んだ。そして、ゆっくりと語り出す。


「お前の忠誠を試すためだ。お前は見事あの男の首を取って戻ってきた。ワルキュリア・カンパニーより俺達を選んだわけだ。俺は嬉しいぜ」


「忠誠ですって? もし私があの男に殺されていたら……」


「お前の腕なら生きて戻ってくると信じていた」


 アルジャーノンが悪びれもなく言い放った。


「なるほど。これで私が今置かれている状況の合点がいきました。どうやらあなたとはこれでお別れのようですね」


 チューリーは立ち上がり、アルジャーノンに背中を向ける。


「それはどうかな?」


「いえ、お別れです」


 チューリーは、すぐさま振り向いた。そして、振り向きざまに袖口から楔のついたチェーンを発射しようとした。


 しかし、その瞬間、急に全身に力が入らなくなり、彼女は床に倒れこんだ。


 平衡感覚が失われ、意識が朦朧とする。


「おいおい、気を付けろよ。そんな急激な運動すると、薬が回っちまうぜ……」


 そんな中で響くアルジャーノンの声。


「こ、これは……」


「グラスに睡眠薬を塗らせてもらった」


 薄れゆく意識の中で、何も言葉を返せなかった。しかし、失意と死の恐怖ははっきりと感じていた。


「安心しろ。殺しはしない。言ったろ、スパイなんかせずに俺の側にいろと。お前は俺の命令だけ忠実に聞く強化戦士に改造してやる。喜べ。人を超えた強さと年老いぬ肉体が手に入るんだ。顔も変えてやる。そんな地味で辛気臭い顔じゃなくて、もっと美人で俺の好みの造形にな……」


 その言葉を聞きながら、チューリーの意識は深いまどろみに陥っていった。







 モノラコフは眼前の光景が信じられなかった。


 まず、何から起きたのだろうか。


 モノラコフは思い出した。チューリーのしばらく後で、もう一人訪問者がきたのだ。


 黒い騎士だった。いや、剣士なのだろうか。そんなことはどうでもよかった。


 とにかく、漆黒の鎧に身を包んだ紫色の肌の男がこのアジトを訪ねてきたのだ。


 要件はチューリーと同じだった。アルジャーノンに会わせろとのことだった。


 しかし、チューリーのときと違うのは、まずこの男が何ら関係のない初対面の人物であるということ。そして、礼儀を弁えぬ命令口調であることだった。


 だから殺そうと思った。舐めた真似をした者が泣く子も黙る冥龍会の縄張りに足を踏み入れようものなら、生きては帰れないのだ。


 若い衆を五人けしかけた。


 次の瞬間には、五人の若い衆が同時に、すうっと床に倒れた。それから時間差で床に血だまりができる。


 あまりの理解不能なできごとに、モノラコフはほとんどまともに思考することができなくなっていた。


 よく見ると、漆黒の騎士は、剣を抜いていた。刀身が血でぬれている。無音だった。五人が音もなく斬られて即死だった。何だかよく意味が分からなかった。


 漆黒の騎士からは全く殺気というものが感じられなかった。五人の若い衆が勝手に倒れて死んだようにしか見えなかった。


「お、お前がやったのか?」


 モノラコフの口から出たのはそんな言葉だった。


「当たり前だろ。何を言ってる」


 漆黒の騎士が答えた。彼を取り巻く構成員達が、そろって動揺の声を漏らした。無理もない。一番動揺しているのはモノラコフだ。


「お前、一体何者だ?」


 モノラコフが何とか言葉をしぼり出した。


「死ぬ奴に教えても仕方ない」


 騎士がモノラコフを睨み据えて言った。


「ひ、ひいいいーっ!」


「助けてくれーっ!」


 途端に、アジトに待機していた構成員たちは全員逃げ出してしまった。モノラコフは一人置き去りにされた。


「兄貴分を見捨てて逃げるとはな。天下にとどろく冥龍会は腰抜けばかりか?」


 漆黒の騎士が呆れた表情で言った。


「うう……」


 モノラコフは言葉が出ない。冥界のヤクザ系ギルドの世界に入り、何度も命のやり取りをしてきた。死ぬのは怖いが、いつかはこんな日がくるのではと覚悟はしていた。


 しかし、こんな静かな夜に、死を告げる者が唐突に自分の側にやってくるとは、気持ちの整理がつかなかった。


「フハハハハ! 雑魚を倒したくらいでいい気になるなよ! 貴様ごときがこの俺様に勝てるわけがないのだ!」


 背後から唐突に聞きなれた声が出てきた。


 このアジトで最強の構成員である、ドン・キモスである。『闇の契約』により、冥界人を超えた圧倒的な力を手に入れた男だ。


「よせキモス! お前が勝てる相手ではない!」


 無駄だとは思うが、仲間のよしみで一応は忠告した。ドン・キモスはモノラコフに嘲笑を投げかけた。


「馬鹿が! モノラコフ、所詮貴様も人のレベルでしか物を見れん矮小な存在……。人を超えたこの俺様の超越的な力は誰も勝てるとなどできない! 見るがいい! 『闇』と契約したこの俺の本当の姿をなあ! ホワアアアアア!」


 ドン・キモスが紫色のオーラで包まれ、凄まじいパワーを周囲に放出し始めた。


 足元から光が生じ、それは古代文字が刻まれた紫色に光り輝く魔方陣となる。ドン・キモスの皮が破れ、肉体が変貌し始めた。


 漆黒の騎士は、剣を持ったまま、攻撃せずにその様子を冷めた様子で見守っていた。


 モノラコフは恐る恐る、足を這わせ、漆黒の騎士やドン・キモスから離れ、部屋の出口へと向かおうとした。


 多分。多分見逃してくれる。この男はもうモノラコフのような雑魚には興味などないだろう。モノラコフは期待していた。


 少しずつ逃げるそぶりを見せても、漆黒の騎士は反応しない。ドン・キモスが変身するところを凝視している。逃げる者は追わない信条なのか、それともただの気まぐれか。いずれにしろ、どうやらモノラコフのことは生かしてくれるらしい。


 モノラコフは、ゆっくりと、静かにその場を逃げようとした。


 目の前で一瞬何かが光った。


 漆黒の騎士が剣を振るった後だった。眼前に、自分の真っ赤な血が飛び出したことが分かったが、どこを斬られたかも把握できなかった。


 痛みすら置き去りにされて、意識が深い眠りへといざなわれる。


 死の間際、この男に斬られてよかったと、モノラコフは思った。




「ハーッハッハッハ! どうだーっ! 素晴らしい! 素晴らしいぞーっ!」


 目の前の、キモスと呼ばれた男は異形の体に変貌していた。


 真っ赤で三つの目がある巨大な頭の魔物だった。顎から四本の脚が生えていて、カニのようにわさわさと歩行している。


 そして、脳天に大きな穴が開いて空洞になっており、そこから吸盤のついたタコのような触手が無数にうごめいている。


「フハハハハ! どうやらこの圧倒的な力を前にして、恐怖で言葉も出んようだな! この俺様をそこで無様におっんだモノラコフと一緒にしてもらっては困る! 俺は闇と契約し、『ブレインテンタクルヘッド』に生まれ変わったんだよ!」


 巨大な口を開いてキモス改めブレインテンタクルヘッドは高らかに笑った。


 最初からあまり期待はしていなかったが、案の定時間の無駄だった。もうこれ以上待っていてもろくなものは出ないだろう。


 スワエルは、たった今獅子の獣人・モノラコフを斬ったばかりの剣を眼前に掲げた。


 剣の先端に闘気を凝縮させ、重力を作り出す。剣の周囲に陽炎が立ち込めた。


「死ねいいいいいいっ!」


 ブレインテンタクルヘッドの頭部の触手が唸りを上げて襲いかかる。


 スワエルは構わず、その場で剣を振り下ろした。


「ごぶれぽいっぷ!」


 ブレインテンタクルヘッドは、高重力を帯びた太刀筋にプレスされ、一瞬にして押し花のように平べったく潰されてしまった。


 骨と内臓ばかりなので、押し花というにはあまりにも汚いものだった。


 魔物をぐちゃぐちゃに潰す重力を叩きつけながらも、板張りの床はきしみもしなかった。スワエルは、魔物だけを殺して建物は壊さぬよう、あえて力の調節をしたのである。


 スワエルは、ブレインテンタクルヘッドの死骸を跨いで、すたすたとアジトの奥へ向かって歩を進めた。


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