はい、こちらクビキリ・ダイヤルです。

葎屋敷

ご用件をどうぞ。



「すみません、新山しんざん樹神こだま君ですか?」


「え、ええ。そうですけど……。どちら様?」



 僕、新山樹神は名前が少しばかり仰々しいこと以外、男子高校生であった。猫と戯れることが好きで、校舎裏に住み着く野良猫に猛アタックをしては嫌われている。

 

 今日僕はいつも通り、野良猫に日常生活の痛みを癒してもらうべく、猫じゃらし片手に校舎裏へとやってきた。



「あ、よかった。人違いとかしたらまずいんで……」



 そこで出会ったのは見知らぬ少女。彼女はなぜか僕の名前を知っている。


 もし彼女がこの学校の制服を着ていれば、「まあ僕の名前珍しいし、知っていてもおかしくないか。というか、もしやこれって告白? 年下かなぁ? 僕年上が好みなんだけど、いやぁ、参ったなぁ」と、素直に浮かれることができたと思う。


 しかし少女が着ているのは真っ白でカジュアルなワンピースだ。身長を足してオフィス街にでも突っ込めば、小柄で清楚なOLにでも見えるかもしれない。しかしここは学校だ。私服が許されていないこの場において、こんな不釣り合いなものもない。


 もしくはこれが休日や放課後なら、「あ、告白の雰囲気づくりで勝負服に着替えてきたとか?」といった妄想もできたと思う。しかし、今は平日の昼休みの時間だ。告白だけならまだしも、着替えまでするか?



 少女の不自然さに僕が首を傾げていると、少女は片手に持っている紙と僕の顔を何度も見比べている。……なにしてんの?



「あー、本人も認めてるし、人違いはないですよね……。あ、すみません」


「えーと、なんですか?」



 年下だとは思うものの、一応敬語を使う。彼女を不信に思いながら、僕はその言葉の続きを促した。



「ちょっと目を瞑って貰えますか?」


「は?」


「あと、動かないでほしいんですよね……。あ、だるまさん転んだの要領でいきましょう。ちょっとそこの木に手を突いて、じっとしてみましょうか」


「いや、なんで?」


「いいからいいから」



 新手のプレイなのか? 彼女の意図がわからない僕は理由を問うが、適当にはぐらかされてしまう。問答をしている間にも意外と力強い少女にぐいぐいと押され、僕は近くの木の幹に両手を突いた。



「あの、これ手、突かなきゃだめなの?」


「いえ、じっとしてくれてたらどっちでもいいですよ」


「だからなんで?」


「まあ、いいからいいから。すぐに終わります」



 理由はやはり答えてもらえない。もしかして告白が恥ずかしくて、「見ないで!」的なことなんだろうか。それにしたってじっとしてる必要あるのか。僕は現状に納得がいかず、手を木から離す。そして両手をパンパンと払い、掌についてしまった木屑を払っていると――、




 僕の身体を覆うように、大きな影が現れた。



「え?」



 僕は不穏な気配を感じ、後ろを見る。するとなにかが僕の顔あたりに高速向かってきていた。



「わ!?」



 僕は驚き、とっさに膝を曲げてしゃがみ込んだ。うまくバランスが取れず、尻餅をついてしまう。そのせいで地面に盛り出た木の根と尻がぶつかり、大変痛い思いをした。



「いってぇ……。一体なにが……」



 なにが起こったのかわからず、僕は上を見る。自分に向かってきたものがなんだったのか確認するためだ。



 すると、そこにあったのは木に浅くめり込んだ鎌だった。



「……は?」



 黒く光るその鎌は柄の長さだけでも少女の身長を超えるほど、とても大きなものだった。突如現れたそれに理解が追いつかず、今この瞬間が夢なのではないかと疑ってしまう。

 鎌は木を抉り、僕の顔に木屑が落ちる。思わず目を細めた僕は、せっかく手についていた木屑は払ったのに、と能天気なことを考えてしまった。



「あー、動かないでって言ったじゃないですか。初めてなんで、自信なかったんですよ。鎌重いし」



 少女は鎌の柄を掴み、身体全体を使って鎌を木から引き抜く。



「うんしょっと」



 少女の身体が鎌に釣られるように大きく揺れる。鎌に弄ばれるその姿から、鎌の重さがうかがえ、太陽の光を厳めしく反射するその黒から、その鋭さが垣間見えた。



 僕は徐々に自分の心臓が冷え込むような錯覚を受けた。マンガで見た死神の持つ鎌が脳裏にちらつく。



「え、鎌? な、なんで……?」



 無意識に少女とその鎌から距離を取ろうと、地面に尻をついたまま後ずさる。しかし、僕の背はすぐに後ろにある木にぶつかり、それほど離れることはできなかった。



「あー、なんでもなにも。依頼ですよ」


「依頼!?」


「はい。新山樹神くん、私は君を殺しにきました。仕事で。とりあえずそのままじっとしててくださいね。クビ、うまく切り落とせないと困るし……」



 少女が鎌を振り上げる。



 僕は自身に影を落とす鎌を見ながら、これはなにかのドッキリだろうかと考えた。演劇部が服や偽物の鎌を小道具として提供し、僕の友人がいたずらで後輩巻き込んで仕掛けた、とか。




 ――――なら、僕の上で抉られた木はどう説明するんだ?




「うわあああああああぁぁぁ!」


「あ、ちょっと!」



 僕は限界まで声を張り上げると、今まで呆然としていたことが嘘かのように立ち上がり、そして即座に走り出した。


 突然の僕の機敏な動きに驚いたのか、少女の目を見開く。そんな姿が横目に見えたが、そのことを気にしている暇はない。



 ――少女がなぜ僕を狙うのか。仕事とは? 依頼とは? 



 なにもわからない。。なのに、なんでこんな目に遭っているんだ!



 ほとんどなにもわからない中、唯一わかるのは少女が白昼堂々鎌を持ち歩くやべぇ奴だということだ。しかも多分本物! 今までどこに隠してたのそれ!? どうやってここまで運んできたの!? 職質されても知らないから!



 僕が悲鳴を上げて逃げる最中、少女の声は後方へどんどん遠ざかっていった。



「あ、ちょっと待って待って! あ、鎌重い。これ重い! だから現場職なんて嫌なんですよぉ」



 少女の発した言葉を吟味する余裕など僕にはない。僕は昼休みが終わるチャイムも耳に入らないほど、夢中になって教室へと向かった。



 *



「おー、新山。遅刻だぞ、お前」


「あ、すみません……」



 教室で待っていたのはしかめっ面の先生と、授業に遅れてきた僕を注視するクラスメイトたち。僕はその光景にさきほどまでの非日常から解放された心地になり、強張っていた肩から力を抜いた。



「なに突っ立ってるんだ。ほら、さっさと席に座れ」


「はい……」



 先生に促され、僕は自分の席に着く。僕の怒られている様子を面白く思ったのだろう。前の席に座る友人がにやけた顔で話しかけてきた。



「なにやってたんだよ、遅刻やろー」


「……僕もよくわからない。白昼夢かなぁ?」


「なんだそれ?」


「おいそこ! 静かにしろ!」



 先生に私語を指摘され、僕と友人は会話を引き上げる。ぴしゃりとした声に僕は背筋を伸ばし、慌てて机の中から教科書を引っ張り出した。



「すみませんでした」


「ったく。次やったら宿題増やすからなぁ」



 僕の付け足されたような謝罪でも、とりあえずは許されたらしい。先生は黒板の方へ向き直り、チョークを走らせ始めた。



 皆が僕から自然と目線を外し、黒板や教科書、はたまた早弁に意識を向ける。

 ようやく落ち着いた僕は先程のことを考えた。あの少女はなんだったのか。まさか本当に白昼夢? それにしては随分とリアルな夢だった。


 やはり演劇部の小道具を借りたいたずら。それにしては鎌が立派すぎる。木を抉っていたことから、おそらく本物。それか木まで作りものだった……? いや、直前に僕は木に触っている。そんなやわなもので切り傷なんてできるはずがない。間違いなく本物の木だった。


 くるくるとシャーペンを回しながら思考を巡らせてはみるものの、答えは出ない。完全に煮詰まってしまった。少女の正体は欠片もわからない。僕は誰にも聞こえないほど小さなため息を吐いた。



 そもそも、僕はあの校舎裏に癒されにいったはずだ。日頃からあそこにいる猫にはストレスを癒してもらっているが、特に今日は特別だった。


 なにを隠そう、僕は昨日両親と喧嘩してしまったのだ。父と僕の喧嘩は珍しくないが、母とも喧嘩することはめったにないことだった。しかも喧嘩したことをきっかけに、昨晩は少しも眠れなかった。

 そう、僕は今日とても疲れていたのだ。だから校舎裏に行ったのに……。



(あの女の子のせいで台無しだ……)



 僕は自分を襲う疲労感を少女のせいにする。だってそうだろう。今僕の心の痛みが癒しきれていないのは、僕と猫の逢瀬を邪魔した彼女のせいだ。



 僕は教室を見渡す。いつもと同じ授業風景。少女の目的はわからないが、ここまで追ってくるようなことはあるまい。そう思ったからだろうか。安心感や疲労感と共に眠気まで襲ってきた。



(昨日、徹夜だったから……)



 結局僕は昼休みの出来事への答えが見いだせないまま、こっそりと眠りに落ちた。



 *



「どうして……、樹神、どうして!?」



 母が僕に問いかける。どうしてどうして、と繰り返す。どうしてもなにもない。むしろ母はどうして僕のことをわかってくれていないんだろう。


 母の涙が際限なく溢れ出す。



 僕はそのとき、よく理解した。母が僕の理解者だと思っていたけれど、そんなことはなかった。所詮母も父の味方だ。母が僕のことをなによりも大切に思っていると、僕がそう思いたかっただけなんだ。



「あんた、あんたおかしいよ――」



 神にでも祈るような滑稽な声がその場に漏れて響いた。



 *



「居眠りですか? じゃあ、そのまま動かないでくださいね?」



 眠気で覆われた意識の向こう、どうしてか女の子の声が聞こえる。聞きなれたものではないはずなのに、どこかで聞いたことがあるその声。僕はどこでそれを聞いたのか思い出そうとする。


 クラスメイト? 近所の子ども? それとも塾で一緒の女子?



 いや、違う!



 僕はがばっと顔を上げる。よだれを制服の裾で拭いながら前を見ると、そこには件の少女がいた。彼女は先程と同様に鎌を振り上げている。



「あ、起きてしまいましたか? でもすみません、また寝てもらっていいですか? 俯いてるてもらえると、クビが狙いやす――」


「う、うわぁぁぁぁあああああああああああ!」



 僕は反射的にその場から逃走した。命の危機を覚え、自分の座っていた椅子を蹴り飛ばしながら、教室を勢いよく飛び出し、無我夢中で廊下を走った。



「おい! 新山どうした!?」



 困惑した先生の声が僕の背中にかかる。



 なにが「どうした!?」だ! 見りゃわかるだろ! 正体不明の女の子が教室に侵入してるじゃん! そこにツッコミしないってことは、先生もグルなの!? やっぱりドッキリ!? なら本物の鎌の使用許可なんて出すんじゃねぇ! ひどいよ、先生! ドッキリ大成功ってか!? 居眠りしたからってこんなのあんまりだ! こうなったらこのまま家に帰ってやる! そして問題になればいいんだ!



 僕は鞄の回収も諦め、一度家まで逃げ帰ってやることにした。


 これで午後の授業サボれるぞ、とか。家でぐっすり寝てやろう、とか。そういった邪な考えは特にありませんでした。



 *



 家まで無事逃げかえった僕は、玄関に入る前に自分の後ろをそっと見る。少女が追ってきている様子はない。

 今更、学校をさぼってしまったことが不安になってきた。なんで僕はあんなドッキリに恐怖を覚えなくてはならなかったのだろう? いや、でも本物の刃物が振りかざされている時点で、僕に非はないはず。いや、そもそもあれは本当にドッキリだったのか?



 僕は再度、己が思わずとった行動と今の状況を懐疑する。ドッキリにしても意図が掴めないのだ。いたずらの類でなければおかしな状況。しかしいたずらでは片すことのできない危険物が使用されている。かといって、もしこの状況がいたずらでないのであれば、先生たちの反応が――。



「答え、ほしいですか?」



 僕の思考が堂々巡りになっていたそのとき、一人の少女の声がする。僕は息を呑んだ。今日初めて聞いたにも関わらず、それはすでに僕にとって恐怖の声となっていたのだ。


 僕は声のした方向を見る。一軒家の自宅に備えられた大きめの庭。母がよく手入れしていたため、花があちこちに飾られており、さらに芝生も抜かりなく綺麗に整えられている。

 そんな母の自慢の庭に、当然のようにいる仁王立ちの少女が一人。



「な、いつの間に!」



 それは僕に鎌を振るう少女だ。昼休みや教室で見たときと同様、当たり前のように鎌を片手に持っている。その刃の黒と少女の着ている服の白の対比が、どうしてだか、とてつもなく気持ち悪かった。



「いつの間にって……。飛んできたんですよ。普段デスクワークなもんで、この短距離でもすごい疲れちゃいました」


「はあ? なに言ってんだよ! ていうか、いい加減にしてくれ! ドッキリならもうとっくにネタ晴らししていいはずだろう!?」



 僕の叫びに、少女は心を動かす様子もない。彼女はきょとんとした顔で僕を見る。



「いや、ネタ晴らしもなにもないでしょう。私、君を殺しに来たんですよ」


「馬鹿言うなよ! 一体なんのために初対面の君が僕を殺さなきゃいけないって言うんだ!」


「お仕事ですよ。依頼されたんですよ、君を殺してくれって」



 僕はこの時点でとても苛立っていた。この少女に先程から振り回されていること。結局状況が掴めていないこと。走らされたこと。母の大切にしていた庭に、勝手に入られていること。なにもかもが僕の癇に障った。



「なにが仕事だよ! 誰がそんなこと頼むって言うのさ!」



 だから僕は踏み込んだ。苛立ちに任せ、先程から覚えていた吐き気を呑み込み、疑問を口にした。


 すると少女は、さらりと僕の問いに答えてみせた。



「君のお父さんですよ」


「……は?」


「君のお父さんです。君は社会に出てはいけないそうで、今のうちに殺してほしいと頼まれたんですよ。昨晩舞い込んだ急務だということで、ヘルプとして現場職じゃない私が駆り出されました。最悪です」



 少女の言っていることがわからない。父が? 僕を殺してほしいと依頼した? 昨晩?なんて滑稽な話だ。そんなわけはない。



「馬鹿なんじゃないか? そんなわけない。そんなことあるわけない!」



 僕は確信を持って答える。少女の言うことはありえない。



「あー、そうですか。まあ、そう思いたいならそれでもいいですけど」


「なんなんだよ、なんなんだよ、なんなんだよ! もう限界だ! ドッキリだろうが、みんなグルだろうが、知ったことじゃない! ……これ以上居座るつもりなら、警察呼ぶからな!」



 怒気の籠った声を出す僕を、なぜか少女は鼻で笑った。その態度が余計に僕の神経を逆撫でする。



「……っ、いい加減出てけよ! 本当に警察を――」


「呼んでいいんですか?」


「……え?」



 少女がわずかに口角を上げながら、僕に問いかける。僕は怒りを一瞬だけ忘れ、呆けてしまった。



「警察、呼んでいいんですか? 


「なに、言って――?」


「あ、それっ。よっこらしょ!」



 困惑する僕の疑問に答えることもなく、少女は突然、鎌の先を地面に突き立てた。



「なっ!」



 少女は畑仕事で鍬を振るっているかのように、鎌を縦にして地面に突き立てる。その度に、庭が耕されるように抉れていく。



「やめろ! なにしてるんだ!」


「あ、そっれ。よっこらせ! 畑仕事ツラー」


「だからなにやってるんだって、言ってるだろ!」



 僕は少女の蛮行を止めるべく、彼女に向かって飛び掛かった。しかし、少女はくるりと身を翻し、突進する僕を簡単に避けた。僕は庭の奥へと、少女は庭の入り口の方へと。立ち位置が入れ替わる。



「あー、困りますよね。


「こ、困るに決まってるだろ。ここは僕の家の庭だ」


「君の家って言っても、この家、あなたのお父さんの名義でしょう? そのお父さんの依頼の一環ですから、そう問題になりません。あ、いや、相続すればあなたのですけど……。今からクビ切りますし。意味のない話ですよね?」


「さっきから父さん、父さんって! 父さんが昨日の夜に、僕を殺すように言ったって!? そんなのありえない! だって、だって――」



 僕の言葉は発っせられる度に、怒りと共に緊張と震えが混ざっている。そのことが自分でもわかった。

 少女は相変わらず、冷めた目で僕を嘲笑している。一見僕を馬鹿にして笑っているようだが、その瞳には呆れよりも無関心さが垣間見えた。

 少女は冷めた表情を浮かべたまま、その小さな口を開いた。



「『――だって昨日、僕が父さんを殺したんだから』」


「……………………………………へ?」


「そうでしょう? 殺して、ここに埋めて。だから掘られても、警察呼ばれても困りますよね? 樹神君?」



 なに言ってるんだ、こいつ?



「ネタ晴らし、してほしいんですっけ? 別にいいですけど……、その代わり、じっとして傾聴の姿勢を示してくださいよ?」


「なに、なに、なに、なに、なに言って――」


「君、昨日二人、? 君のお父さん、そしてお母さん。理由は君がお母さんに行き過ぎた愛情を持っていて、お父さんへの嫉妬が溢れて限界を迎えたから。お父さんを殺して邪魔者がいなくなって良かった! と思ったらお母さんは君を受け入れなかった。だからお母さんも殺した」



 なんでこんなこと言うんだ、こいつ。



「ああ、せっかく父親いなくなって、お母さんへの行き過ぎた愛情が報われる! そう思ったのに、お母さんはあなたを否定。あなたからすれば、それはまた残念なことでしたよね。まあ、夫殺した息子をノータイムで受け入れられる母親って、そうそう見ませんから。仕方ないんでしょうけど」


「なんなんだ、なんなんだ、なんなんだお前! さっきから、なんでそんなこと――!」



 さっきから、なんでこいつはこんなこと言うんだろう?


 さっきから、なんでこいつは、なんでもわかっているかのような顔をしているのだろう?










 さっきから、なんでこいつは、昨日の出来事を見ていたかのように、





「ああ、申し遅れました。といっても、名乗る義務ないですけど。私、クビキリ・ダイヤル電話担当事務の者です。今はなぜか現場に駆り出されています。少数精鋭はたらきてぶそくでして、うちの職場」


「……は?」


「あ、知らないと思いますよ。この世の組織じゃないんで。うちの仕事は主に人の命を刈り取ることです。死者の依頼によって、天国に行く権利と引き換えに依頼を承ります。まあ、誰でも殺せるわけじゃなくて、現世うつしよの社会通念上、多くの者が不利益を被らないこととか、細かい規定はありますけど」


「さっきから、なんの作り話を――」



 僕は唖然として、動けなかった。喉さえ中で張り付いてしまったかのように、上手く動かなかった。



「作り話なら、なんで君が両親を殺したこと知ってるんだって話でしょ? 頑張って徹夜で死体埋めて証拠隠して、いつも通り登校までしたのに」


「……そうだ、なんで知ってるんだ! なんで知ってるんだよ、お前! 僕が、僕が――」


「ああ、君の両親を殺したって? そりゃ被害者本人から依頼来てますから。君のお父さんから、息子を殺してくれ、だそうです」



 ――この少女が言ってることは本当なのだろうか。



 信じられない。死者が殺人を依頼? そんなわけない。でも、この子は僕が両親を殺したことを知っている。ああ、そうだ。確かに僕は昨日、父と母を殺した。だって、だって――。



「だって、父さんが悪いだ! 母さんとイチャイチャイチャイチャイチャイチャ! 僕に、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼ、僕に見せつけるみたいに! ち、ちゅーまでして! 僕の、僕の僕の僕の僕の僕の僕の母さんなのにいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


「うわきも」



 僕は自分の中に溜まっていた怒りを思い切り吐き出す。猫でイライラを発散できなかったからだろうか? 苛立ちが止まらない。少女の視線も、近所の誰かに聞かれている可能性も、どうでもよくなっていた。


 僕は一気に言葉を吐き出した。息が自然と荒れる。無理やり呼吸を整えようとして、何度も息を吐いては吸う。



「だから邪魔だなって、思って。殺したのに、綺麗にしたのに。母さんが、母さんが――」



 僕の脳裏を駆け巡るのは、昨日の母との会話。ずっと頭の中でリピートされているその会話に、僕は腹立たしさしか覚えない。



 *



 血が父の首から出ている。スパッと切れたその傷口から流れる血を見て、なんとなく「ポンプで水を汲んでるみたいだなー」って思った。



 ――どうして……、樹神、どうして!?



 なんだよ、母さん。父さん、うざかったじゃん。母さんもうんざりしてたでしょ? それより母さん、僕、最近校舎裏で猫見つけてさ。飼いたいんだけど、父さんの部屋が空くでしょ? そこ、猫用の部屋に改造していい?



 ――あんた、あんたおかしいよ! 樹神、あんた父さん殺したってのに……! 



 え。母さん、嬉しくないの?



 ――嬉しいわけないじゃない! あんた、あんたなに言ってるの……?



 そのときの怯えた母の顔。思い出すたびにイライラが積もって仕方がない。



 *



「母さんは僕と同じ気持ちだと思ったのに。結局父さんの味方だった! 父さんの味方だった! ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな! あんなやつのどこがいいんだよ! 仕事仕事仕事仕事! ろくに家族のことなんて見なかったあいつがぁ!」



 僕は己の中で渦巻く怒りに任せ、地面に勢いよくしゃがんだ。そしてこのストレスを発散しようと、庭の草を力いっぱいむしる。いつも帰ってきては疲れたと寝る父の背中を思い出していた。


 右、左、右、左。交互に草を掴んでは千切った。するとそんな僕に、上から少女の影がかぶさる。



「お父さん嫌いですか?」


「ああ、嫌いだ嫌いだ! あんなやつ!」


「んー。そうですか。でも親として立派なのはどちらかと言うと、君のお母さんよりお父さんだと思いますけど」


「はあ!? なんなんだよ、お前! 知ったような口を――!」



 僕が顔を上げると、少女は鎌を振り上げていた。



「だって、地獄に行く覚悟で君を止めるって依頼してきたの、お父さんでしたよ」




 少女が鎌で僕の首を横一文字に薙ぐ。僕の記録じんせいが終わるその間際、少女の背に黒い羽を見た気がした。




 *



「はー。現場職疲れる……」



 手元の魂を両手で抱えながら、私はため息を吐いた。なんでこんな疲れるんだ、現場職。他にやるやついないからってヘルプに呼ばれたからやったものの、二度とやりたくない。


 私は手元に目を遣る。そこには骸骨ひとつとそこに纏わりつく魂がある。魂はさきほどのマザコン男子のものだが、骸骨はその魂を閉じ込めるための檻だったりする。誰がデザインした入れ物なのかは知らない。


 私は傍に転がるマザコンの死体を見た。その死体には傷口ひとつない。ただ魂が刈り取られた身体があるのみだ。おそらく現世では心不全として処理されるだろう。ま、その下に埋まる死体ふたつが見つかった場合、どう判断されるのかは私の知ったことではないが。



「ありがとうございました……」


「いえいえ。あなたから天国に行く権利もらってますしねー。高値で取引できるんで、うちとしてはありがたいです」



 少年の亡骸の傍に立つのはその父親、の魂。私の仕事が終わるまで、彼には経過を見守る権利があり、ずっと家の中から先程の問答を見ていた。



「残念ですね。地獄に一緒に行く覚悟をしたのに、嫌いですって」


「仕方ありません。私は仕事人間でしたから。息子からすれば気に入らなかったでしょう……」


「そうですかー? 十分家族思いってやつなんじゃないですかねぇ。奥さんは息子さんと地獄に行く覚悟もなかったのに」



 私はそう言ってから、言い過ぎたと反省した。目の前の男の魂が大きく揺らいだからだ。それはそのまま彼の心の動揺を表す。こんな余計なこと言ったと上に知られれば、始末書かもしれない。



「……妻は、もう十分怖い思いをしたでしょう。いいんです。これは、私がやらなくてはならなかった。息子をこんな風に育ててしまったのは、私に責任がある。人を殺して、こんな……」



 彼は出来た人間のようで、私を責めることない。いや、私のことなどより息子のことを考えるだけで精一杯なのだろう。彼は己の息子の死体をじっと見ている。



「息子は、私たちを、人を殺したというのに……。なのにこいつは、警察も救急車も呼ばずに、私たちを庭に埋めて、朝には平然と学校に行って……。私はともかく、妻はすぐには死ななかったのに――」


「まあ、多少自分の恋がうまくいかなかったからって、家族の絆関係なく殺すのは人間でも珍しい部類でしょうねぇ。そういう人間って取り乱すポイントが常人と違うんですよ。そもそも殺したこと自体に罪悪感もあまりないようでしたし」


「……このまま私が止めなければ、こいつはまた同じことを、今度は家族以外にもするかもしれない。私たちの死体を警察が見つけてくれるのもいつになるかわからない。そんな状況で、先に天国になんていけません……」



 マザコンの父は目線を死体から魂の方へと移す。私は骸骨の檻ごとマザコン男子の魂をその父へと手渡した。



「……息子は私が地獄に連れて行きます」


「それは結構。じゃあ、私がその入り口までご案内しますね」


「よろしくお願します」



 力なく頭を下げるその姿に、私は現世の無情さというものを感じた。



 *



「なんてことをしてくれたんだ!」



 上司の怒声が私の耳をつんざく。大きく開くその口に鎌の刃先を入れてやりたい。



「いや、ちゃんとクビ取ってきたじゃないですか」


「そこじゃない! そこに至るまでの過程について言っているんだ!」



 はて。なんのことだか。


 今、私を説教しているのは、今回事務職の私を現場に送り出したクソ上司だ。唾を吐き散らすその口には、常日頃からワサビを突っ込んでやりたいと思っている。



「標的に話しかけおって! なんのためのステルス装置だと思っているんだ!」


「ステルス……? ああ、この作業着に付いてるやつですよね。おかげで周りに見られずに助かりました」


「そうだ! それは現世の人間たちに私たちの姿が見えないようにする優れもの! しかしこちらが話しかけた人間には姿が見えてしまうと、研修で説明があっただろうが!」


「すみません。ところでなんでこんな清楚系ワンピース? 誰の趣味ですか?」



 反論すると余計憤慨しそうなので、一応謝っておく。

 しかし上司の言う研修とは、おそらく現場職の研修のことのはずである。事務所の私は自由参加だった。もちろん行ってない。


 クソ上司は服のデザインに関する私の質問は無視し、説教を続ける。



「大体、夜寝ているときに家に忍び込めばよかったんだ! 庭で死んでいるより家のベッドでの心不全の方が自然だ!」


「どっちでもあんまり変わらないじゃないですか……。ていうか、夜に出勤したら時間外労働でしょう!? 超過勤務手当出るんですよね!?」


「は? なにを言っている」



 今度はきっちり反論した私に対し、上司はにこりと笑う。そして彼は私の肩にぽんっと手を置いた。

 その手に爪楊枝を百八本刺してやりたい。セクハラで訴えたろうか。



「今どきの就職難の世の中で、夜まで働かせてもらえるなんて良いことじゃないか」


「はあ?」


「いいか? 数字ができないやつに価値などない。そのことを覚えておけ。あ、おい、ちょっと来い」


「なんでしょうか?」



 私が上司の発言に唖然としていると、上司はふと近くを通った先輩を呼ぶ。訝し気に首を傾げつつも、先輩はすぐにこちらへと寄った。



「いや、たいした用事じゃないさ。お前、昨日は何時まで働いていた?」


「……十七時までです。ただ、その、ちょっと仕事が終わらなかったので、個人的な作業はその後もさせてもらいました」


「退勤記録は?」


「個人的な作業でしたので、もちろん切りました」


「素晴らしい心掛けだ! お前の先輩はこれくらい頑張っているんだ。見習ってこれくらい努力してもらいたいもんだねぇ」



 上司は高らかにそう言うが、先輩の頬が明らかに引きつっている。こんな上司に絡まれて、先輩かわいそう。もちろん私もかわいそう。



「あー、今日のところは勘弁してやる。とりあえず電話番に戻りなさい」


「……はい」



 てめぇがやれや、という言葉は呑み込んだ。


 私は先輩のように口角を無理に上げ、簡単に返事をする。そして一礼して自分のデスクに戻った。



 *



 デスクに戻ると、私はどかっと乱暴に椅子に座る。同期と比べても小さなこの身体では、床につま先しかつかない。


 私はデスクの下で軽く足をぶらぶらとさせながら、先程のクソ上司の小言を思い出してしまう。ストレスは最高潮だ。



 そもそも、私は何度も言うように事務職。電話を受けるのが仕事のはずだ。なんで現場に駆り出された? 事務職として広告されていたからこの職場に入ったんだぞ。




 いや、まさか。これが噂に聞く事務職詐欺だろうか。


 正社員募集の時点では事務職として広告に表記する。しかし実際に事務職として仕事をしていると、だんだん現場にヘルプで呼ばれるようになる。

 最初は週に一度、日月火水木土が事務、金曜日だけ現場みたいな頻度。しかし徐々に現場の回数を増やされ、最終的には日月火水木金土すべてが現場になるという、あの事務職詐欺!


 なんてことだ。そんな仕組みがこの職場でも横行しているのだとしたら、私の勤め先は少数精鋭はたらきてぶそくの上、とんでもない暗黒ブラック



(もしそうだったら、こんなとこやめてやる……)



 給金が少ないやりがいしかないこの職場では、転職のリスクヘッジのための貯金も厳しい。自主退職じゃすぐに失業保険が下りないというのに!



 それでもいざという時は辞めてやる。私が心にそう決めていると、電話が鳴った。

 私は受話器を取る。鎌に比べて軽いこと。やはり私には現場職より事務職の方が向いている。私は胸の内に不満を隠し、慣れた文句を口から滑らした。



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