泉(11)あんたは何度でもリセットされる。

「や、やめ、やめてお、おくのです……! たた、たぶん、あな、あなたたちのきょ、きょ、教祖さまはそ、そんなことの、望んでいない、のです」

「はっ、まだ見ぬ教祖さまの御心が、貴女にお分かりになって? わたくしたちには――、」


 小馬鹿にしたような泉さんのことばを遮って、環が舌打ちをした。


「……! ちっ、かなかなあ。あんた、目星ついてんじゃん。ってことはさあ、すでに分かっているんでしょう?」


 奏は環の質問に答えずに、窓を開け放った。そのままするりとベランダに逃げ込む。隣のベランダへと続く防火壁を壊すつもりだろうか。けれど、彼女のちからでそんな簡単にいくはずは――、と、


 がん! がん! ――がぁん!


 けたたましい音を立てて、防火壁がこちら側に倒れ込んだ。隣のベランダから、全身がまっ黒い格好をしているひとが現れる。どこにでもあるパーカーに、黒いパンツ。体格からすると男性っぽいけれど、顔全体を覆うようにマスクをつけているため、誰かはひと目では分からない。手には丈夫そうな棒と――、反対側に持っているものは拳銃のように見えた。


「ああ、もう! 何てこと!」


 泉さんが後ずさりをする。


「……ちいっ! 何なのよお、まったく!」


 環も動きを止めて、舌打ちを繰り返した。そのひとは奏に手を差し伸べて、彼女を隣のベランダへと誘導する。それから、わたしに向かって手をひらひらと振った。


「円、こちらへ来るのです」


 そのひとの後ろに隠れて、奏が手招きをする。これ、大丈夫なのかしら? わたしにはこの状況がさっぱり飲み込めない。

 奏と、黒づくめのひと。環と、泉さん。けれど、現状。泉さんは絶対に信用ならない。環も、普通の人間じゃあない。ふたりを信頼出来るはずがない。黒づくめのひとは未知数だけれど、わたしは奏を信じている。だとすれば、取る選択肢はひとつしかなかった。


 わたしはゆっくりと部屋を横切って、ベランダに出る。環と泉さんは、拳銃を警戒してか動かない。奏がほっとしたみたいに息を吐いた。靴下のままだということに気づいたけれど、さすがに取りに行く勇気はない。ああ、もう。お気に入りのローファーは諦めてあげる、ちくしょう。スペアもあったはずだし、なけりゃあまた注文すればいいだけだ。


「ねえ、ねえいずいず。あんたんちのお隣さん、どうなってんのよ。――はあ、もう。ヤになっちゃうにゃあ」

「う、うう……。こればかりは予想外でしたわ。けれどまあ、いいのではなくって? しばらくすれば、また戻るのですもの。症状はどんどん悪化しているようですし、今度こそうまくやりますわ。それまで、震えてお待ちなさいな」


 動くに動けない彼女たちが、悔し紛れの台詞を並べる。まるで悪役の捨て台詞みたい。


「……はあ、役立たずだなあ、もう。まあいいや。もっかい戻って、やり直すとするよお。まどまど、。もっかい繰り返せばいいだけだよ、学園祭並みの茶番をさあ」


 ◆


「こちら、なのです」


 わたしたちは、泉さんの隣の家に入った。そこには一切の家具がない。たまたま、空き室になっていた。


「先日、ここに住んでいたアナアキが亡くなったのです。それで、部屋が空いたのです」

「あ、そう」


 わたしは頷いた。けれど、そんな偶然なんてある? 奏と、黒づくめの誰か。彼女らの働きかけで、何かが動いたんだ。と、いうことは。協力者のひとりは、団地内に強い影響力を持つ人物。この、ひとが――?


「あの……、助けてもらったのはありがたいけれど、あなた、誰なの? どうして、わたしを助けてくれたの?」


 わたしは、黒づくめのひとに向かって問いかける。そのひとは小さく何度か頷いたけれど、マスクを取るような様子はなかった。


「さ、早く扉から出るのです。今ならまだ、拳銃を警戒して追いかけては来ないのです。それに……、環がいる今、わたしたちに妙な手出しはしないはずなのです」

「ね、ねえ。さっきあのふたりが言っていたこと……、何のことかちっとも分からないんだけど。それに、このひとは誰なの? ねえ、奏。教えてよ……、くっ、」


 お腹の痛みがぶり返して来た。気持ちが少し落ち着いて来ると、途端に襲って来る空腹感。泉さんの言っていたことを思い出す。喪失感が増すほどに、空腹感が強くなるって。

 そうだ。喪失。わたしは、目の前で弱竹さんを喪失した。何も出来なかった。ううん、むしろわたしは彼女のことを――、


「う、ううう……、わたしは、弱竹さんに取り返しのつかないことを……」


 苦しむ様子がなかったから、痛みを感じる必要はないじゃあないか。わたしは知らなかったのだから。そうやって自分を慰めたかったけれど、だめだ。

 目を背けちゃあいけないんだ。わたしは、泉さんよりもひどいことを、彼女にしてしまったのかもしれない。いや、間違いなく最悪のことをしたんだ。

 目を背けちゃあいけないんだ。だって、わたしは彼女のいのちを――、


「う、うう……」


 緊張で吹き飛んでいた、罪悪感。それがようやく、わたしの背に重くのしかかって来る。どう足掻いても贖えない、わたしの罪。


 わたしはこの手で、ひとを殺してしまったんだ。


 手のひらにこびりついた、ナイフの感触。ひとを、喪ったというその感覚。あんなことをしたのに、どうしてわたしはのうのうと生きているのだろう。喪失感と空腹感と罪悪感が、わたしの身体中にアラートを鳴らしている。

 今度はもしかすると、自分の番かもしれない。あるいは、奏かも。ああ、だめだ。だめ。奏を失ったらわたし、生きていけない。もう、そこには絶望しか残されないんだ。


「円、まどか。大丈夫なのです。私も、こうして何とか生きているのですから」


 奏が、わたしをふんわりと抱き締めた。彼女の体温が伝わって来る。あたたかい。ああ、わたし、奏に抱き締められたまま、このまま。


 このまま、消えてしまいたいな。


 だって、わたしはひと殺しで。もう、どうしようもないくらいに汚れてしまったんだ。だから、消えた方がいい。わたしは、消えた方がいいんだ。


「円、まどか。あなたは何も心配をしなくていいのです」


 奏のその声は、何だか奇妙に優しくて。だからこそ逆に、わたしは蚊帳の外にいるんだって、そう突きつけれたような心地を抱く。


「円、まどか。ここから出るのです。そして、安心して眠るのです。あなたは何にも分からなくていいのです。私が――、」


 奏の瞳は、何かを決意している色をしていた。

 それは、覚悟の色だった。覚悟をして来ているひとの瞳だった。


「円、まどか。夕月夜円。あなたは私が守るのです」


 胸が、しくしくと痛む。頰を何か熱いものが伝う。わたしは今すぐに消え失せたくって――、


 ◆


「よろしく〜」


 五月蝿さんは軽やかにわたしたちの横を通り過ぎて、団地の隙間を抜けてゆく。その飄々とした動きは猫科の動物を連想するもので、何となく可愛らしい印象を残すのだった。


「……相変らず、風のようなひとなのです」


 奏が、彼の通ったあとを見て呟いた。


(▽Yanagi is Bad End?)

(…… and To Be Continued.)


▽戻る


https://kakuyomu.jp/works/16816452218745260886/episodes/16816452218745637054

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