泉(10)百も承知で、のうのうとこのゲームに乗っかっているんだねえ。
「やあやあ、まどまど。最近は何をしていたのかなあ? もしかしてだけれど、まだうちのことを探してくれたりしてた、とか? にゃはは、だとしたら、とってもありがたいよ。ありがた過ぎて嬉し涙が出て来ちゃうくらいにはさあ」
環の声はいつもの通りだったけれど、何だろう。明言は出来ないのだけれど、明確に纏っているものが異なっていた。
この状況。コクーン化。アナアキの第二段階。わたくしたちと同じ世界。空腹感。多幸感。お茶で満たされるわたし。環のようで環じゃあないひと。
「ね、ねえ……、環。あなた、海底環、なのよね?」
聞かずには、いられなかった。
「んー」
彼女はしばし黙考する。その仕草は、完全に環そのもので。けれど、やっぱり何かが違う。明らかに、纏っている雰囲気が環のそれじゃあなかった。
「いやあ、どうなんだろうねえ。たぶん、違うんじゃあないかなあ。だってさあ、まどまど。あんたも分かってるんでしょう? うちは、コクーンから脱皮したもの。ひとのようで、ひとじゃあないもの。だからさあ、前と一緒なのかって聞かれても、もうちっとも分かんないんだよねえ」
「……コクーンから、脱皮したもの?」
弱竹さんのコクーンの中身は、からっぽだった。先ほど聞いた、虫の変態について思い返す。それと同じなのであれば、きっと時間をかけて、コクーンの中でひとのかたちがもう一度つくられるんだ。そして、その中で構築された生き物は、見た目はおんなじだけれど、おんなじものじゃあない。
何か、別の生き物に変容しているんだ。
「うん。うーん、まどまど。あんた、まだ惑っているんだね? マドカムラサキは罪な植物だよねえ。こんなに可愛いまどまどを、ずうっとずうっと前後不覚にさせちゃっているんだから、さあ」
マドカムラサキの、罪? どこかで警鐘が鳴り響いている。確か……、えっと、何だっけ。記憶がどうこうって……、
「てかさあ、いずいず。あんた不用意過ぎ。にゃあ、あんたがぼうっとして交信をぺらぺらと口に出したせいでさあ、たぶんすでに何かの救難信号を送られてる。ねえ、そうでしょ? かなかな?」
「……ですから、それは失策でしたわ。まだこの身体の使い方が、いまひとつ分かっていませんの」
「――救難信号?」
わたしはきょとんとして、奏の方をちらりと見た。彼女はええ、そうですが何か、といったような不敵な笑みを口の端に浮かべる。
「どこまで知ってるか、とか詳しいことまでは分かんないんだけどさあ、かなかな。あんた、今のこの状況、起きたことのほとんどを把握しているんでしょ? アナアキのことも、コクーンのことも、それから――、〈新人類〉のことだってさあ!」
「……し、新人類?」
不思議な単語がまたひとつ。けれど、どうしてだろう。やっぱりそのことばにも聞き覚えがある。唐突に出て来たキーワードだったけれど、知らないことばじゃあない。新人類。それは確か、アナアキの最終段階だ。
「ね、だからあんた、危険があると知りながらうちらのとこに出て来たってわけでしょう? でもさあ、無駄なんだよお、無駄無駄」
「こっ、こけ、虎穴には、入らないと、ここ、こ、虎児はえ、得られないので、です」
奏は精一杯の虚勢を張る。拳が青白くなるほどまでに握り締められていて、小刻みに震えていた。
「虎児って、方法のことでしょ? あのさあ、残念だけど新人類化を止める術なんて、ないんだわ。模索しても、無駄なんだよお、かなかな。ねえ、あんたを泳がせてるのはさあ、理由があんの。あんたには何人かの仲間がいる。奴らは団地の中にうまく潜んでいて、その全容がなかなか掴めないんだ。だから、あんたを泳がせているだけなんだよねえ。うちらが、それに気づいていないとでも思った?」
仲間? 何人かの? え、どういうこと? わたしは、奏の仲間――、友だちじゃあなかったってわけ?
「き、きき、気づいてい、いるとはおも、思っているの、です。そそそ、そんなこっ、こっ、ああ、もう。ひゃ、百もしょ、承知なの、なのです」
「百も承知で、のうのうとこのゲームに乗っかっているんだねえ。にゃ、なかなかの胆力じゃん。ちょっと見直したよ。確かに無理矢理事態を推し進めるには、うちらにはまだ駒が揃っていないからね。知っての通り〈教祖さま〉だって、まだ君臨されていない。うちらはまだ不完全なの。けどさあ、ゲームはそろそろおしまい。そろそろうちらも動くよお?」
「ど、どっちがは、早いですかね。きょ、きょ、教祖さまがお、おいでにな、なるのと。わ、私た、ちがし、真相にち、近づくのと」
倒れ込みそうになりながらも、奏は懸命にことばを絞り出した。それにしても、教祖さま? 知らないことが多すぎる。同じ場所にいるのに、わたしはひとりぼっち。ひとりで、取り残されていた。
「はっ。言うじゃあん、かなかなあ。けどさあ、あんたうちらを舐めてるんじゃあない? これからあんたを拉致監禁して、尋問してすべてを吐かせることだって、全然難しいことじゃあないんだからねえ……!」
悪意をお鍋で煮詰めたような不気味な気配が、環の周囲に広がってゆく。泉さんも、阿吽の呼吸でするすると動き始めた。
奏はコクーンの反対側、窓に近い方向へと追いつめられる。彼女は窓のロックを解除した。その先には、ベランダしかない。ここは最上階の一室だ。逃げ場所なんて、どこにもない。
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