第276話

「『高等学校卒業程度認定試験を、受験して欲しい』だって?」


 聖幸甚の名前で呼ばれるようになったラックは、神妙な面持ちな聖美和から「前言を翻す形になるのは申し訳ないのだけれど」と、前置きをされたあとに続いた言葉に「何それ?」状態で問い返してしまっていた。


 美和が言った「高等学校卒業程度認定試験」の、単語の正確な意味はわからなくとも、何かの資格試験のようなモノの受験を求められていることだけは、なんとなく理解できたラックだ。

 それでも、「それがどのような試験であるのか?」や、「何故その資格を取得しなければならないのか?」については情報が足りていない。

 これでは、状況を理解できなくとも当然である。

 但し、「美和が言った『前言を翻す形』の部分が何を指し示しているのか?」についてだけは察した。

 何故なら、今の住居から一歩も出ることなく、試験を受けることができるとは思えないのだから。


「あ、そっか。幸甚には何のことだかわからない感じ?」


「まぁそうだね。詳しい説明が欲しい」


 ラックの答えを受けて、美和は「どこまで噛み砕いた内容で語るべきなのか?」を思案する。

 言葉が通じることと、個々の単語の意味を相手が正確に理解することは、イコールではないのだ。

 世の中から、言語関連の辞書や百科事典の類がなくならないゆえんである。


「えっとね。まず『学歴』ってわかる?」


「わからない」


 この時の美和が、もし文字も併用して会話していたならば。

 ラックにも漢字の意味から、ある程度内容が類推できたかもしれない。

 けれども、「ガクレキ」と聞こえただけのラックには、その単語を知らない時点で話が終了してしまうのであった。

 二人の間のコミュニケーションがスムーズになるのには、そうしたコツを掴むことが必要であり、それはもう少しばかり先の話になる。


「そこからか。『学歴』ってのは学校の履歴を指し示す言葉なの。幸甚には、『大学卒業』って経歴を取得してもらいたいのね」


「ふむ。僕への要求は、『学校に通って卒業しろ』って感じかな?」


「そうそう。で、卒業するまでに最低四年間通うことになる『大学』ってところに入学するには、『大学入試』って試験を突破しなくちゃいけない。但し、その入試を受けるのにも受験できるか否かの要件があってさ。つまりは、『幸甚がそこをクリアできる方法』ってのが、『高等学校卒業程度認定試験の合格』なの」


「試験の流れの部分は理解した。けれど、『何故それが必要なのか?』が全くわからないんだが」


「理由はねぇ。まぁ、ぶっちゃけると、私の見栄の部分が大きいのだけれど」


「おいおい」


 本音の理由らしきものが「見栄」と来られると、ラック的には「ちょっと待て!」と言いたくなるのが当然であった。

 現実に口から出た言葉は違ったけれども、その意味は大して変わらないであろう。


「でもでも、それだけじゃないから。入籍できる時期が来たら即結婚するのは確定事項。それはそれとして、学生同士の恋人のような関係にも憧れがあるし。シビレルような、ラブラブの甘い大学生時代を過ごしつつ、(これまで散々『不細工』だの『ブス』だの言われまくって『一生男から相手にされない人生確定』って断言されて嘲笑されていたんだから)他の女に対してマウントを取りたい的なアレがあるんです!」


「まぁわかった。しかしさ、これって勉強が必要な話だろう? 『理想が実現する』って意味で『できるかどうか?』は別にして。美和がそれを望むならチャレンジはしよう。でも成功の確約はできないよ?」


 ラックには言語化されていない、美和の心の声の部分がはっきり聞こえたような気がしていた。

 むろん、接触テレパスが使えたわけではなく錯覚であり、以心伝心的に悟れたつもりになっただけの話であるが。


 それはそれとして、ラック的には美和の気持ちを慮っての、肯定的な返答となる。

 どのみち、常識的なレベルの知識は必要であり、学業はそこに含まれるのだ。

 やってみても、まる損ではない話なのである。


「うん。ありがと。今すぐ出願、あ、『出願』ってのは試験を受けるための申し込みのことね。それをすれば、八月初旬に受験できて、合否が八月末までには判明するの。で、そこでもしダメだった場合、すぐに再度出願すると、十一月の初旬にもう一度試験を受けられて、その合否は十二月上旬に出る。つまり、二回のチャンスがあります!」


「今って四月の半ば過ぎだよね? これから勉強して何とかなるのかな?」


 今のラックには、試験の難易度も、学習範囲全体の分量もわからない。

 だが、「資格試験的なモノがそう簡単に合格できたら変じゃないか?」程度の想像力は働く。

 もっとも、日出国の高等学校のレベルは玉石混交であり、石の方のそれは驚くほどに低い。

 つまり、ラックの心配は杞憂であり、べらぼうな難易度とはなっていないのが現実であった。


 そもそも、「高認」とは大学の受験資格が得られるだけのモノであり、合格しても学歴自体は中卒のままで高卒にはならない。

 よって、事後の大学入試の時点で必ず篩に掛けられるので、試験内容を難しくする必要はないのである。


 尚、名前さえ書ければ入学できるレベルの、所謂フリークラスの大学の存在や、ラックは中卒の学歴すら持っていない事実は、今回の案件だと無視するべきであろう。


「そこは『頑張って』としか言えないけれど。でも、何となくだけどさ。幸甚って勉強面では全くのゼロからのスタートじゃなくない?」


「それはね。モノによるかな? 算術と読み書きは今のままでもそこそこ行けるのかも? 他は、学ぶ必要がある科目って何があるんだろ?」


 実のところ、現在のラックの持つ知識は、数学と現代国語については日出国における偏差値五十の高校の生徒のそれと比較すると、並かそこからやや下程度。

 これが、理系科目についてだと、物理や化学の分野は小学校の理科レベルなため、細目を語れば知識の穴あきが結構目立つ。

 付け加えると、日出国の歴史や地理、現代社会あたりの分野は、当然の如くお手上げである。


 言語的には美和たちのいる世界が統一されていて、所謂外国語が全くないのはラックにとっての救いだろうか?


 ちなみに、日出国には漢文や漢詩はないが、日本語的な古文のようなモノはある。

 但し、漢字の慣用句や四字熟語の類は、なに気にしっかりと存在する。

 よって、もし日本人や中国人が美和たちのいる世界にやってきたとしたら「なんでやねん!」となること請け合いだったりするのだが、そんなことはここでは関係ないし、些細なことであろう。




 これは余談になるが、「漢字」という単語の「意味」と言うか「成り立ち」について、少々おかしな話がある。

 日出国があるこの世界の共通文字として使用される、漢字・ひらがな・カタカナの三種類の文字について、それぞれの文字を何故そう呼ぶようになったのか?

 ひらがなとカタカナの二つについては、わざわざここで記すような話ではないので割愛するとして、だ。


 過去にこの世界で言語を広めた始祖的な男性が、他者から呼び名の由来を問われた際に、「いい漢(おとこ)がいい感じ(カンジ)に使う文字だから『漢字』って言うんだ」と思い付きの大嘘をしたり顔で語ってしまった。

 そのせいで、この世界における漢字とは、そのような由来を持つ文字として認識されていたりする。

 実に酷い話ではあるが、あくまでもこれは本筋とは何の関係もない余談だ。




「科目はあとで教本を渡すので。それで確認してね。たださ、『高認』は難易度がそんなに高くないから大丈夫じゃないかな。最悪は『来年突破』ってことで、私の一年遅れでの大学への入学も全然アリだから(ここから先、幸甚とやることをやれば、妊娠して休学とかもあるかもだしねぇ)」


 美和が夢想しつつ、ラックに伝える言葉にはしなかった部分。

 それについては、彼女のとある過去に原因があって実現しない未来があるのだが、この時点でそれを知らなかったのは彼女にとって間違いなく幸福なことであった。


「いろいろお世話になっている身だからね。できる範囲のことはさせてもらうよ」


「うん。お願いね。では、それはそれとして、幸甚。今から言う事柄も予定外の話なんだけれどね。貴方には精密検査的な意味での、人間ドックと各種ワクチン接種も済ませてもらうから。明日から病院で二泊三日コースになります」


 美和は結婚相手の学歴に思考が向いた時に、「そういえば」とラックの健康状態や病歴が気になった。

 究極の話を言えば、「性病を筆頭として、なんらかの病をうつされたら困る」のである。

 ラック本人が「記憶がない」と主張しているのを信じる以上は、この手の部分の自己申告など信じるに値しない。

 よって、「美和が欲望に忠実になって、幸甚を押し倒して己の妄想を現実にするような、あんなことやこんなことを致す前に気づいて良かった」とも言える。


 もっとも、ラックは「身体の健康」という面に限定すれば、ヤバイ病気の類はなにも罹患していないし、免疫機能は常軌を逸するレベルでかなり強いのだが。

 但し、身体はともかくとして、これが精神面になると話はガラリと変わる。


 今はカルダーレに記憶を弄られているので、ラックは郷愁を呼び起こすような関連事項を全く思い出せない。

 故に、記憶がないことによる漠然とした不安はあっても、精神が比較的安定している。

 つまり現状は、ラックの思考が危険な方向へ走り易くないだけであろう。


 本来の超能力者は、重度のミシュラ依存症である。

 誰がなんと言おうとも、それは動かしようがない事実だ。

 加えて、ラックは身内認定している人間に何らかの危害が加えられた時には、苛烈な報復に出る傾向も持つ。

 基本的には、女性に対してだと甘くて優しいのだが、敵対者には冷酷で残忍なことも、一時的に良心へ蓋をして、できてしまうタイプだ。

 むろん、そのケースの場合、決して心に何も感じないわけではないけれども。


 改めて前述のように明確な言語化をすると、ラックは結構な危険人物なのかもしれない。


 そして、ここでは全く関係ないが、過去のファーミルス王国の上層部は、よくこのような人物を相手に、アレコレとやらかしたものだ。

 王国が今も存続できているのは、たぶん奇跡を超えた大きな何かが、上手く働いているのであろう。


「病院か。僕は医者には縁がなかったような。いや、小さな子供の頃に、寝込んで往診を受けたような気もする」


「そうなの? ま、どこか悪いところがないか、しっかり調べてもらってよ。抗体があるかどうかの検査も手配してあるから。抗体がない場合はワクチン接種もちゃんとするのよ。それを怠ると、もし罹患した時に重症化して命を左右する状況もあり得るから」


「了解。ま、医者の言うことに大人しく従えば良いだけでしょ?」


「そうね。一番信用できる医者の病院で手配しているから。何も問題はないはず」


 美和は自分ほどではないものの、容姿的には同類側で、そのコンプレックスを力に変えて医師として大成した女医に今回の話を持って行った。

 専門は産婦人科であるはずなのに、何故か脳外科手術から歯科に至るまでの、まさに何でもできるスーパーマルチドクターに、ラックの全てを任せていたのだった。


 ちなみに、そんな女医と美和の縁が深いのは、その女医の独立開業前に美和がちょっとしたきっかけで知り合い、二十億円の巨額の資金を無利子無担保で提供して、開業医となるのに協力したからである。

 むろん、美和は「自身の容姿の問題があるだけに、信頼できる医者の確保が下心にあった」のは言うまでもない。


 そんなこんなのなんやかんやで、一日の時間も無駄にできないお勉強漬けが義務付けられたラックは、検査入院で特別病室に勉強用具持ち込みで行くこととなる。

 お金の力と元々の知り合いである女医に美和が無理を押し通した結果、超能力者は全身の隅々に至るまで、全てを検査されまくったのであった。

 結果は勿論、完全な健康体であり、接種が必要なワクチンもなし。

 美和の心配が杞憂に終わったのは、良いことであろう。




「ねぇねぇ、美和ちゃん。聖幸甚って、美和ちゃんと同じ苗字だけれど、貴女、弟も兄もいなかったはずよね」


 土井美紅と言う名を持つ、三十路に足を突っ込んだばかりの女医。

 彼女は、聖幸甚ことラックの検査データを片手に、聖美和へと問うていた。

 ちなみに、彼女は名前を縮めて、周囲からは「ドク」と呼ばれていたりする。

 どこかで聞いたような愛称なのは、些細なことであろう。


「ドク、幸甚については、『詮索無用』って言ってあったはずなのですけれど?」


「んー。検査結果に異常はなかったんだけどね。二点、興味深いのよねぇ」


「一つは言わなくてもわかっている。ドクの容姿に対して、嫌悪感を見せないってところでしょう? もう一つは何かしら?」


「当たり。幸甚君はね。傷の治りが速いのよ。採血の時にできた針傷。三十分で跡形もないって絶対オカシイの」


 美和は言われてみて、思い当たる事案があった。

 美和がラックに出会ったあの日。

 彼の指先の傷は、血液がぽたぽたと地面に落ちる程度には深いモノだったはず。


 それが、ファミレスで消毒液を塗布する時には、どうであったのか?


 その段階では勿論、指先の傷は完治してなどいなかった。

 けれども、いざ思い返してみれば。

 それが結構な出血を伴うような、深い傷には到底見えなかったのも事実だ。


 つまるところ、美和がラックの異常性に気づいていなかっただけで、異常事態そのものはちゃんと目撃していたのである。


「幸甚は私の婚約者。色目は使わないでね。それと、彼は実験動物でもない。ちょっと不思議な力があるだけよ。きっとそう」


「あと、幸甚君の」


「その、『幸甚君』ってのもやめて」


 美和はドクのラックに対する馴れ馴れしさに、少々イラついてしまっていた。

 それが言葉になって飛び出したのが前述の発言となる。


「わかりました。聖幸甚さんの記憶の件だけれど」


「どうだったの?」


 気になっていた部分の一つなだけに、美和は前のめりになる。

 まぁ、そうなったところで、出て来る答えに変化があるわけもないのだが。


「調べられる範囲では、白。つまり、狂言の可能性はない」


「その『調べられる範囲では』ってのが、そこはかとなく引っ掛かるのだけれど」


「残念なことだけれど、医学は完璧じゃないのよ。ただ、少なくとも今の私なら疑わないわね」


「そう。私は元々、ほぼ信じていたから。『確認ができた』ってことで今回は良しとします」


 こうして、ラックは己が持つ美的感覚では美人扱いの女医から、身体の健康面では太鼓判を押され、身体の治癒力の異常性には目を付けられることとなった。

 一年後の四月には、大学生デビューすることへのチャレンジと同時に、挙式は後回しにしての、入籍のみを先行する結婚も決まっている。

 付け加えると、病院から自宅での勉強主体の軟禁生活に戻れば、夜は美和とゴニョゴニョすることも確定なのだけれど。


 昼間は勉強、夜は肉欲に溺れる日々が当面続くことが決まってしまったファーミルス王国の元国王様。ドクからは「確実に記憶を戻せるような、治療方法なんてものはない」と、宣告されてしまい、当然の如く意気消沈モードに突入する超能力者。閨でやることをやりまくっても、美和が全く身籠らない未来が待ち受けていることは、この段階で知る由もないラックなのであった。



◇◇◇お知らせとお願い◇◇◇


 カクヨムコン10が始まりました。

 本作を含む長編三作品と、短編を二作品とりあえずエントリーしております。

 文字数が規定量に届く目処が付いたら、リメイク版のアレと、本作品に転生者が入り込むアレのどちらかか、もしくは両方、追加エントリーするかもしれません。


 特に短編二作品の、

 【僕とイヴの物語(仮題)】と、

 【愕然として茫然。そして突然。】は、

 これまでにあまり読まれていないので、未読の読者様も多いと想像します。

 この機会に是非!


 最後に。


 読者の皆様。

 冬蛍作品への応援を、何卒よろしくお願い申し上げます。

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