第277話

「せっかく予習してもらうために用意したのに『萎えてしまって、とても見ていられない。だから、こんなモノは要らない』ですって?」


 聖幸甚の名前で呼ばれるようになったラックは、保護者でもあり婚約者でもある聖美和から、非難の眼差しを向けられていた。

 むろん、その状況に至るまでには、相応のアレコレがあったのだけれど。


 まず、閨での経験の有無を美和に問われたラック。


「誰を相手にやったことがあるのか? それはよくわからない。僕には記憶がないのでね。けれど、やり方だけはわかる!」


 記憶が欠落している状態の男は、美和からすればどうにも信じ難いことを堂々と胸を張って語った。


 しかも、そこから更に続いたラックの言葉は、美和を微妙な気持ちにさせる。


「そもそも、アレって生物としての本能的なモノだから、誰かに教わってするようなことでもないのでは?」


 正論ではあるかもしれないが、美和としては考えさせられるのが現実であった。


 自分自身がそれに当てはまるか?


 そう自問した時、出て来た答えは「自信がない」なのだった。

 しかし、記憶喪失状態のラックの自信を見せた発言を、鵜呑みにするわけにも行かないのが美和の立場だ。

 彼女の心の中には、「初めての経験を、最高に良い思い出にしたい」という、夢見る乙女チックな考えがガッツリあったのだから。


 とにもかくにも、美和はそっち方面の勉強用の資料として、大人専用のアレな映像が記録されている円盤をいくつか用意する。

 それを「予習しなさい」と、見ることを強制されたラックが、最初の一本目の途中でギブアップ宣言をしてしまう。

 そんな流れで、事態は冒頭の発言に繋がって行くのであった。




「だって、見てて微塵も興奮できないんだよ? 逆に質問したい。美和はさ、『ブタとかゴリラが交尾しているのを見せられて、これを参考に学びなさい』って言われたらどう思う?」


 この発言から、ラックは見ることを強制された映像に出て来た女優を、ブタやゴリラと同レベルと認識していることが判明する。

 それを、美和は理解させられた。


 美和としては、一般評価の高い円盤をチョイスしただけなのだ。

 当然そこには、美和たちが持つ美醜の価値観における美人女優、煽情的な魅力に溢れる身体の持ち主が出演している。


 それがラックの目にはどう映るのか?


 その点を事前に考えられなかったのが、今回の美和の失敗であった。

 しかしながら、未経験者の美和には同情すべき点がある。


 そもそも、美和か、そこまで行かなくとも、女医の土井美紅レベルの容姿の持ち主が主演するようなそれに、需要など存在するのか?


 そのような、根本的な問題があるのだ。


 事実、前述の二人が持つ容姿レベルから、数段落ちるような顔とスタイルの持ち主が出演する円盤ですらも、一切製造されていない。

 需要がないモノは製造されない。

 至極当然で、当たり前の話ではある。


 尚、厳密に言うと、「製造されない」のではなく「製造できない」と表現したほうがより真実に近づく。

 需要以前の話で、そもそも二人から数段落ちるような相手を前にしてであっても、大人な内容を演じることが可能な男優さんを見つけることは、限りなく不可能に近いからだ。

 このあたりは、非常にどうでも良い話であって、些細なことでもあろう。


「うーん。美醜の感じ方のことを忘れていたわ。この件に関しては、素直に『ごめんなさい』としか言えない。でも一つ言い訳をするなら、私のような女性が出て来る作品はないからね?」


「えっ?」


「驚かれても困るけど。幸甚の外見の好みって、世にいる男性たちとは完全に逆だからね?」


 驚かれても困るので、美和は状況説明を追加した。


「いや、それはわかっているつもりだったけど。それでもマニアックな層がいたりとかしない? そりゃあ数は少ないかもしれないけどさ」


「それに対する答えは、幸甚自身が言ったことがブーメランになっているわよ? 萎えてしまうんでしょう?」


「あー。そうなるのか。できる状態にならないのか。納得した」


 なんとも不毛で、傍から見ると馬鹿っぽい言葉の応酬。

 けれども、当事者である本人たちにとっては、わりと重要で真剣にならざるを得ない話となる。


「それでも、一応ちょっと調べてみるわね」


 美和がデスクトップパソコンの前に座り、アレコレと操作することで、しばしの時が流れる。

 ラックは手持無沙汰ではあっても、大人しく待つのみであった。


「あった。でもこれだけしかないのね」


「あるんだ? どんな感じの?」


「漫画とアニメなら過去の作品があったわ。確かにこれなら作品は生み出せるわ。でも全然需要がないから、自然に淘汰されたジャンルみたい。容姿が悪い女性が、好みの男子を拉致監禁して。拘束状態にしてアレなお薬を飲ませてね。無理矢理やってしまう系」


 見つけた以上は、それを伝えないわけには行かないのだが、事実を淡々と述べつつも、美和の背中には冷や汗が流れていた。


 勿論、相手のラックの好みに美和自身が完全に合致していて、行為への合意もあるので、やや状況は異なるのだが。

 それでも、「無理矢理にでもやってしまおう」に近い考えが自分自身にあるのを、はっきりと自覚しているのだから、「冷や汗の一つも流れよう」というモノ。


 美和にとってのラックとは、絶対に逃すことのできない貴重な男性であり、己の性的な欲を満たせるであろう獲物でもあるのである。


「うわぁ。さすがにそれは見たくないかな」


「だよね。私としても、幸甚にはそうであって欲しいわ」


 どうしてもとなれば。

 最後の手段で漫画などのそれと同様の手段に、美和だって走りかねない。

 けれども、そんな状況に陥ることなく、ラックは美和を女性として求めてくれるはずであった。


 また、その見込みが微塵もなかったならば、いくら大金持ちの美和でも、さすがに「三十億円」という大金をポンと支払い、更には「素性のしれぬ怪しさ満点のラックを身近に置いて、そこから先の生活の面倒までみよう」などとは考えなかったであろう。


 美和の容姿とは、彼女が初見の男性を前にして、短時間でそのような決断を下せるほどに、とことんまで悪い。

 それが逆に、ラックにとっては、この世界で出会った中では最高の美女となるのだから「全てが上手くハマった」と言えるのだろう。


 出会いからの流れの全てを含めて、こうしたことが起きたのは偶然であったはずがないのをラックも美和も知る由はない。

 未来永劫、その事実を知る機会はないのであろう。


 ラックが持つ運命的なモノは、それほどに影響力が大きい。

 美和がいる世界においての特大の女難。

 それが今まさに、ラックが遭遇している状況そのものであった。


 客観的に見れば、世界一クラスの不細工女子に、粘着されて好き勝手されているのだから、「さもありなん」というお話。


 それほどの不美人が、たいていのことはなんとかできるだけの、自由に使える大金を持っている。

 加えて、周囲に本人の暴走を止める、あるいは諫めることができる大人がいない。


 そうした美和の天涯孤独状態も加味してしまうと、「どんだけ条件が揃っているんだ!」とどこかから苦情が出てもおかしくないレベルだったりする。


 つまりは、「客観的には完全に特大の女難」と言い切れるのだが、「超能力者本人がどう感じるか?」は別の話になってしまう。


 本来の名前である「ラック」の意味から来ているであろう幸運が。

 そして、現在の名の「幸甚」の意味から来る幸運が。


 二重に作用している部分も、少なからず影響しているのかもしれない。




 そうした、美和による大人な夜へ踏み出すための第一歩となるはずだった予習は、完全な失敗に終わったわけだが。

 だからと、そこで「じゃあ今夜は諦めましょう」とはならない。

 なるはずもないのだ。


 この日の美和は、金に飽かせて特急で仕立てた、男性の性的欲望を刺激するようなナイトドレスを身に纏っている。

 それがたとえ、一般的な男性に鼻で笑われるようなモノであったとしても、ラックに対しての特効アイテムとなるならば何ら問題はない。


 ラックも美和も既に入浴を済ませており、身を清め終えてもいる。

 美和が新たに購入した、二人が共に寝ることのできるキングサイズのベッドも、本日の昼間の段階で使用可能な状態に整えたのだ。


 双方のやる気は、環境が整ってしまっているだけに、高まっているのである。


「えっと。その、ね。何かこうグダグダな感じになってしまったけれど。私、初めては素敵な思い出にしたいの」


「うん」


「だけどね。『じゃあどうすれば良いのか?』はわからないのよね」


「そうなのか。なら、そうなるように最大限の努力はさせてもらうよ。だから僕に、全てを任せて欲しい」


 これまで見たことのない美和のしおらしい言葉と態度に、ラックの男性的な部分の本能は、それはもう盛大に刺激されまくった。

 吐き出した言葉とは裏腹に、ラックは自制心を解放しつつあった。


 今のラックは、カルダーレに記憶を弄られているので、接触テレパスを能動的に使うことができない。

 また、過去に散々アレコレして来た記憶は、上手く引き出すことが叶わない。


 それでも、豊富過ぎる経験が、身体に染みついているのだろうか?


 全身で、特に指先から詳細に伝わって来る美和の身体の反応を読み取り、ラックは美和の感覚を適切な方向へと導いてゆく。


「幸甚! 貴方、本当に初めてなの? 『これ以上は望めないんじゃないか?』と思えるくらいの素敵な思い出にもなったけれど。手慣れてる感がすごいのは、どうしてなの? それと、初めての私に対して、『意識がなくなるまで』ってのはさぁ。やり過ぎじゃない? おかげで目が覚めた今も、身体の疲労感で起き上がって動く気になれないんだけど」


 幸せと非難が混ぜ混ぜされたような、美和の視線がラックへと向けられていた。


 美和のような初めての相手に対して、記憶を失う前までのラックであれば相手の苦痛を和らげる目的でヒーリングを駆使し、接触テレパスも併用する。

 その状態だと、本来であれば数年掛けて初めて到達できるような快楽の高みを、初夜の段階から与えられることになる。


 しかし、残念ながら、この日の美和にそれが与えられることはなかった。

 それでも、ラックは伊達に「ファーミルス王国最高の種馬」と呼ばれているわけではない。


 たとえ記憶が失われ、超能力が使えなくなっていても。


 無意識下のレベルで、身体に染みついていた技術は健在であった。

 それらのみを用いて、美和の知らないところで妻を大量に抱えていたりするとんでもない男は、美和が考えていた「最高の夜」を遥かに超える体験をプレゼントすることに成功したのであった。


 そんなこんなのなんやかんやで、肉体的には大人の女性になった聖美和は、自身が通う高校の生徒たちに対して、精神的な高みに立つ。

 美和のいる世界のおいての日出国内でのラックの容姿への評価は、かなりのイケメン側に属するからだ。

 付け加えると、ラックのレベルで「何が」とまでは言わないが、一晩で多くの回数が可能な男性は稀有であるだけに、鼻高々となる。


 もっとも、美和の相手をしたのが超能力を自由自在に使える状態のラックならば、回数については更にその遥か上を行く事実を、この段階で知らなかったのはある意味で幸運だったのかもしれない。

 もし、その状態のラックに遭遇していたならば、少し前までの異世界のライラと同じようにさっさと白旗を上げたであろう。


 ちなみに、ライラは白旗を上げても、多少の手加減をしてくれるだけのラックを相手に一人で頑張るしかなかった。

 しかしながら、美和の場合は助けを求めれば快く応じてくれそうな「ドク」という存在がいるので「まだマシ」と言うか、「僥倖」と言えるのだろう。




「常時監視することが可能な力までは、まだ回復していない。何らかの介入に至っては、それなりに回復できた状態まで行っても、できることがかなり限られる。女難の常時バフと、基本的に女性から徹底的に嫌われる運命はどうなった? ちゃんと仕事しろよ!」


 一時的に目覚めたカルダーレは、ラックの現在の状況を把握してから、一旦は絶句状態に陥って、そこからようやく愚痴が飛び出す程度にまで復帰した。


 細工をするには時間に余裕が全くなく、焦っていて雑にやった仕事の弊害。

 所謂、失敗の部分がこんなところにも出ていたのに気づくのは、まだ少々先の話になるのだが。


 カルダーレの失敗とは何なのか?


 まず、「武器の携帯制限が異常に厳しく、治安が最も良い」というだけの理由を最も重視してしまい、他の諸条件も一応チラ見はしたものの、ラックの出現場所をあっさりと日出国に決定してしまったこと。

 実は、日出国とは、元がカルダーレの敵対勢力の一つの、八百万神軍の本拠地であった。

 むろん、それを屈服させて従えることに成功したからこそ、世界の管理権を手中に収めたのは間違いない。

 けれども、まだカルダーレの影響力が低い土地柄であることも事実なのだった。

 これが大失敗だったのである。


 また、失敗の数としては、先のそれに内包される形で一つなのだが、細かく見ると失敗の要素はそれだけではない。


 日出国の男性の数は、この世界の男性の総数との比較をすると、二パーセント未満となる。

 そして、日出国は世界大戦的な神々が背後にいる大戦争における、敗戦国だったりする。


 それが、「何の話か?」と言えば。


 日出国の男性は、世界規模で見ると実に九十八パーセント以上の女性から、かなり嫌われる傾向にあるのである。

 つまり、ラックは世界規模で女性の総数から見ると、九十九パーセントに近い割合で嫌われていることになるのだ。

 それでも、日出国の国内限定だと、それがかなり緩和されるのもまた、事実なのだけれど。


 要するに、カルダーレの怒りは完全にお門違いで、カルダーレ自身がラックを飛ばす先の選定する際に、候補地を絞り込むための条件設定を深く考えなかった部分が大きな失敗へと繋がっている。

 もっとも、アレコレと細かく検討できる時間がなかったのも事実で、「仕方がない失敗」という見方もできるのだが。


 とにもかくにも、ラックに働く運命的な部分は、ちゃんと仕事をしていたのであった。


 尚、「特定の国に所属する男性であるだけで、蛇蝎のごとく嫌われている」という条件のみに限定すると、実は日出国のお隣の国のうちのいくつかは、日出国の男性のそれをかなり上回っていたりする。

 ラックがそちらに飛ばされなかったのは、これまた幸運を意味する名前が、上手く仕事をしてくれたのかもしれない。


 カルダーレは、ラックが元の世界に戻る際に、また別の魂を連れて行こうとする可能性に気づいてしまい恐怖した。

 その時、力が吸い出されるのは己の術式の仕様上、あきらめるしかない。

 けれども、それが原因で死にたくはないのだ。


 カルダーレにできることは少ない。

 だが、時間はまだ残されており、美和のような若い女性は時に、いきなり心変わりをすることもある生き物であるので、状況が好転する可能性もなくはない。


 女神は事態が己に都合の良い方向へと好転するのを祈りつつ、再び力を溜めるための眠りに入るのだった。


 こうして、ラックは自身の持つ価値観からするとあり得ない内容の、大人の映像記録を短時間ではあるものの、ガッツリと見てしまったせいで大きな精神的ショックを受け、何気に未だ使えない超能力を潜在的な部分で成長させることに成功した。

 特定の案件において、美和の希望を大幅に上回る形で成功させ、カルダーレにはダメージを与えることにも成功しているのだが、その全てに自覚がないのが、超能力者の悲しいところなのだけれど。


 超能力が能動的に使えなくとも、記憶がなくとも、身体が覚えているこれまでの全てが滲み出ることで上手いこと状況を乗り切るファーミルス王国の元国王様。美和が己の欲望に忠実になり過ぎて、学校に行くのをサボってベッドの上に居続けようとしたのを、「そうくるなら、こうするぞ」と実力でわからせに走ってしまう超能力者。美和が「こんなことを毎日。昼も夜もしていたら、とても身が持たない」と悟り、自分の自由になる時間をなんとか確保できたラックなのであった。

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