第254話
「『前カストル公が亡くなった』だと?」
宰相はゴーズ公国へ魔道大学校と同等の学校を設置するため、ここ数日はロクに寝る暇もないほどの仕事量に追われていた。
そんなところへ飛び込んできた凶報に、頭を抱えるしかない。
当代のカストル公は、メインハルトが既に継いでいる。
しかしながら彼はまだ未成年であり、魔道大学校を卒業するどころか、まだ入学すらしていなかった。
もう発生からそこそこの時が過ぎているが、テニューズ家の一家惨殺事件を彷彿させる事案の発生。
宰相にとって、ファーミルス王国の危機的な意味で、カストル家の案件はテニューズ家のそれと同じであった。
ちなみに、テニューズ家の事案は国の威信をかけたレベルの徹底的な犯人捜査が行われた。
にも拘らず、逮捕は言うに及ばず、犯人の特定すらできないまま迷宮入りになりそうな雰囲気となっている。
一応、継続捜査中なので、まだ迷宮入りを断言するには気が早いけれど。
「ロディア様のお話によると、『就寝中の心不全での自然死と思われ、医師の判断待ちではありますが、他殺ではなさそう』とのことです。あとは続報待ちですね」
「それはそれとして、だ。肝心な部分。魔石の固定化技術は当代に受け継がれているのか?」
「当代のメインハルト様にはある程度引継ぎがされているそうなのですが、全容に対して八割ほどのようです」
つまるところ、完全な引継ぎは終わっていない。
前カストル公は実年齢とはかけ離れて若々しく、下半身が不自由になった以外は健康面に不安がなかった。
実際、メインハルトの代理として、カストル公としての激務も無難に処理し続けていたのだ。
そうした事情から時間的制約もあって、前カストル公は引継ぎを焦ってはいなかったのあろう。
また、知識を受け入れるメインハルト側にも、負担面で限度がある。
しっかりと身に付けて行くには、相応の時間を必要とするのが道理であった。
それが今回は完全に裏目へと出てしまったのだけれど。
「他は? 他にその知識を引き継いでいる者はおらんのか?」
そもそも、流出しては困る知識なだけに、引継ぎを受けている者は限定されているはず。
加えて、関連の魔道具を扱えるかどうかは保有魔力量の問題も出てくる。
そのため、「誰にでも」という話にはなりようがない。
他家に秘密が漏れる可能性を排除するために、迎え入れた嫁に教えるケースもまずないのだ。
よって、亡くなった前カストル公の正妻のロディアや、元カストル家正妻であり、現南部辺境伯代理を務める女傑がそれを知っている可能性は低いであろう。
いや、話の対象をロディアに限定するならば、現時点でメインハルトについてのみ言及された情報が入っているので絶望的と考えて良い。
もし、彼女にその知識があるのならば、それが伝えられて当然であるのだから。
これは余談になるが、「迎え入れた嫁に教えるケースもまずない」という意味に置いては、王家のそれを扱える、いや、扱うことを強制されているシーラが如何に異常な状況に身を置いているかがわかる。
もっとも、シーラの場合は王太子妃、国王代理妃、国王の側妃と三度も婚姻相手が変化したのを当人が受け入れるほど、完全に王家へ取り込まれていたせいもあるのであるが。
「確定情報はありません。可能性が一番高いのは保有魔力量を加味して考えると、長女のミゲラ様、次点で次女のアスラ様でしょうか? 大穴としては、ミゲラ様の前の夫。一時は『次期カストル公確実』とされていた人物になります。彼の御仁は、現在
報告者の文官の予想自体は正しい。
しかし残念なことに、彼が挙げた三名は必要な知識の引継ぎを受けてはいないのが現実だったりする。
少なくとも、大穴の人物については、その事実が数時間後に判明するのであるけれども。
「幽閉者か。仮にその人物だけが知識を持っていたならばかなり不味いことになる。そうでないことを祈りたいところだ。どのみち、背に腹は代えられないのだが」
幽閉者のみが魔石の固定化技術のカストル公担当部分を実行可能な事態は、現状のファーミルス王国にとって最悪の一歩手前程度には悪い状況を生み出す。
当人は当然、幽閉者の塔から出て自由の身となることを求めるであろうし、尚且つカストル公を自身が継ぐことを条件にそれを行い、自身の身を守る目的から他者への引継ぎを可能な限り拒むのが容易に予想できるからだ。
その事態は、メインハルトの命を危うくする。
と言うか、後顧の憂いを断つ目的で、ロディアとメインハルトは殺されてしまうだろう。
その場合、対外的には「病により急死」と発表されるだけであるけれども。
また、カストル家の正当な血筋が途絶え、公爵家が王家の分家ではない元侯爵家に乗っ取られた実例にもなってしまうのが非常に不味い。
ついでに言えば、新カストル公が誕生したのちに、彼は自身の実家の復興も求める可能性がある。
取り潰したはずの侯爵家の復活は、ファーミルス王国への敵意マシマシな上級貴族の存在を許容する話に繋がってしまう。
それはまさに、悪夢以外の何物でもないのだ。
もっとも、そんな事態に陥ればメインハルトと兄弟同然に育ったゴーズ家のライガが黙ってなどいない。
ライガの兄であるクーガも、そして父親のラックや母親のミシュラもそれに同調することだろう。
メインハルトはカストル家の人間ではあるけれど、幼少期をゴーズ領トランザ村で過ごした、ゴーズ家の濃厚な関係者でもあるのである。
実際には、幽閉されている元ミゲラの夫に魔石の固定化技術の関連知識の伝授は行われていないため、宰相の想像する事態は杞憂でしかない。
けれども、その事実は現在の段階では不明であり、彼は最悪も予想して動かねばならない立場なだけに、先の事態を想定すること自体は正しい行動なのであった。
「何はともあれ、確認を急げ。『ファーミルス王国の存亡の危機』と心得よ。シーラ様を交えて、陛下と話し合う必要もある。その段取りの手配を至急行え」
明確な指示が出たことで、宰相の配下の文官たちが即座に動き出す。
やるべきことが決まっている事態に限定すれば、それに対する彼らは有能で処理能力は高い。
文官たちは、創造的な部分や前例のない事態には弱くとも、王宮務めができている時点で一定以上の能力の持ち主であるのは間違いのない事実なのだから。
「また困った事態になったね。宰相、どうするのさ?」
二代目少年王とシーラに状況説明を終えた宰相は、あまりも率直であけすけな問いに対して返答に詰まる。
宰相としては、カストル家が自家の担当分の技術を喪失させないなんらかの保険を掛けているのを期待するしかない。
宰相にできることは、必要な知識を持つ者の洗い出しが第一であり、第二はその知識を活用できるように状況を整えることだけだからだ。
「陛下。宰相殿はなんでもできる万能な道具ではありませんよ。所詮は人の身。できることとできないことがございます。わたくしとしては、僭越ですが此度の件、テニューズ公の案件を上手く処理されたゴーズ家を頼ることを進言させていただきます」
「へぇ。宰相には無理でも、ゴーズ家ならなんとかできるの?」
「陛下。その仰りようは」
「宰相殿、大丈夫ですよ。わたくしも、ゴーズ家に伝えて良いこととそうでないことの区別は致しますので」
シーラは宰相が二代目少年王を嗜めようとしたのを仕種と言葉の二つで遮った。
彼女は少年王の物言い、ゴーズ家を軽視もしくは侮っている様子が感じられるそれに腹を立ててはいる。
だが、それでこの場での対応を変化させるほど愚かではなかった。
シーラはシーラで、ファーミルス王国の未来を憂う立場であるのだからそれも当然である。
彼女が手塩に掛けて教育している、彼女自身の後継者とも言えるシーナの頑張りを無駄にする気はないのだ。
「シーラ様をこの場にお呼びしたのは、上王ラック陛下の妃であるミゲラ様とアスラ様に『カストル家の魔石の固定化技術の工程を、代わりに行うことができる知識を持つか否か?』の確認をお願いしたいのと、もし持っていた場合に、協力を取りつけていただくのが目的です」
「なるほど。また厄介なことをわたくしに振るのですね」
シーラにとって、予想ができなかったわけではない目的が宰相の口から語られたのは不快ではあっても、今後のことを考えれば従うしかない。
けれども、難題を振られた事実は事実として、それを指摘しておくのは重要であった。
「申し訳なく思っております」
「謝罪ではなく、なんらかの形で報いてもらいたいところですわね」
「その点は、前向きに検討させてください。しかし、」
「ああ、皆まで言わなくとも結構です。早急に解決が求められる事案なのは、わたくしも理解しておりますのよ。但し、交渉を任せられる以上は、権限も必要。何処までの権限をいただけるのかしらね?」
報酬的なモノを求めた上で、権限も求める。
一般的には「相手の足元を見た交渉」と言えなくもない強気なそれは、シーラ自身がラックに認められつつある、彼女のゴーズ家内の立場の向上の表れでもあった。
「なんだ。シーラの言いたいことはそんなことか。全権委任で良いよ」
「陛下! 待ってください。それはあまりにも」
「ファーミルス王国の危機なんでしょ? ゴーズ家『だけ』になんとかする力が本当にあるのなら、やってもらうしかない。シーラに持たせる権限に対して制約を設けて交渉が長引いたり、失敗に終わるよりはマシでしょ? 宰相、この判断は間違っているのかい?」
二代目少年王はつまらなそうな顔のまま、宰相の言い掛けた言葉を遮って自身の見解を述べた。
彼の言葉は、「半ば直感的にしている判断」とは言え、「間違い」とは言い難い。
まだ子供なだけに、事態を単純化して捉え、本質を理解しているのであろうか?
想定外に無制限の権限を与えられたシーラは、二代目少年王の器の大きさを評価しかねていた。
「いえ。陛下の仰る通りです」
「ということで、シーラに任せる。なんとしても、メインハルトがカストル公として今後もやっていき、いずれは彼の子がカストル公爵家を継げるように、全力を尽くしてくれ」
少年王の「命令」と言える発言が飛び出した。
それを受けるシーラは「権限はこれ以上ないモノを与えられたけど、宰相の話より求められる難易度が上がっていますわよ!」と内心では叫んでいた。
もっとも、彼女はそれを表に出すことはなく微笑と優雅な一礼の仕種と共に、肯定の答えを返す。
それしかやりようがなかったのは、些細なことなのであった。
そんなこんなのなんやかんやで、話が決まってしまえば、シーラは自身が成すべきことを成す。
彼女は早速、ラックがやってきてくれるためのサインを自身の寝所に設置した。
そうして、静かに夫の訪れるその時を待つ。
通常であれば、最大でも二時間程度のはずの待ち時間。
だが、なんという僥倖か。
この日のシーラは、合図を出してから僅か数十秒後に、超能力者との対面をはたしたのであった。
「えーっと。ミシュラ、アスラ、ミゲラの実父である前カストル公が昨夜亡くなったそうです。死因は就寝中の心不全。まだ詳細は調査中なんだけれども、今のところ他殺の疑いはありません。で、問題はメインハルト君への魔石の固定化技術関連の引継ぎが、まだ完全には終わっていなかった点。二割ほど足りない感じらしいけど、できないことに変わりはありません。まず確認なんだけど、前カストル公の娘である三人の誰かが、その知識を伝授されていたりはしないでしょうか?」
夕食会ならぬ昼食会と化した場で、緊張感の欠片も感じさせないラックが説明と問いを終えた。
一応亡くなったのが義父なのだからと、「演技でも良いから、少しは悲しそうな感じを出さなくて良いのか!」と内心でツッコんでいたのがリムルだけだったのは些細なことなのであろう。
実際、実子である三姉妹の全員が、全く悲し気な表情を見せていなかった。
その上で、三者がそれぞれにラックの問いへ、否定の答えを返していく。
「これって。テニューズ公の時と、同じ状況?」
リティシアが、言い難そうに発言した。
彼女は、ゴーズ家が抱える秘密を知らないシーラが同席しているために、「ドミニクさんの解析が必要な案件なのでは?」という言葉を呑み込んでいた。
「だな。知識の欠落は調べて埋めるしかない。けれど、メインハルト君と、ロディアさんにそれを求めるのは酷だと思う」
エレーヌもリティシアに乗っかって来るのはいつもと同じだが、どこか歯切れの悪い物言いになってしまっているのはやむを得ないところであろうか。
「貴方。わたくしたち姉妹は知識の伝授自体はされておりません。でも、このような万一の事態への備えをあの男がしていなかったとは思えないのです。但し、そうした備えは、容易に見つかるところには隠していないことでしょう。それでも、あの男の為人を良く知るわたくしたちならば、探し出せると思うのです。勿論、相応の時間は必要でしょうけれどね」
「ですわね。ですがその方法は、カストル公爵邸を空にして、わたくしたち三人だけで行う必要があります。その条件を満たせるでしょうか?」
「家人にも明かせない屋敷の秘密もあるので、そうならざるを得ませんわね。あとはわたくしも含めて、この三人にはそれぞれに他者には知られたくない部分がございますのよ。よって、ロディアさんやメインハルト君の立ち合いも拒否することになるのですが」
ミシュラ、アスラ、ミゲラが順に語った言葉は、実際のところどれもシーラに向けられていた。
そして、その言葉を向けられた張本人は、そこから別の意図も悟る。
ゴーズ家には大きな秘密があり、王宮での仕事を継続する自身が知っては不味いことがあるのを。
それは、ゴーズ家の一員として認められていないが故に知らされていないことではないのも、向けられた視線の温度的な何かから悟らざるを得ない。
おそらくは、知ってしまうと自身の身に危険が及ぶ案件であるのだ。
この時点で、聡明なシーラは詮索すること自体を放棄した。
たとえ推測であっても、それをしてしまえばどうなるか?
それが正解であろうとなかろうと、王宮滞在中にどこかで何らかの形で発露してしまうことは避けられない。
となると、今してもらっている配慮が無意味となってしまう。
シーラは、自身の身が危険なだけで済むのなら、思考を止めたりはしなかった。
けれども、自身が原因で、ゴーズ家が抱えているであろう大きな秘密が暴かれることだけは許せない。
この日のシーラは、緊急の昼食会に参加したことで、ゴーズ家の一員として気構えを新たにした。
それと同時に、自身へ与えられた全権委任の権限を行使して、元カストル家三姉妹の望みを叶えることを心に誓ったのである。
こうして、ラックはシーラから持ち込まれた案件を、特に報酬を要求することなく受けることを決定した。
ぶっちゃけてしまえば、魔道大学校の案件が前カストル公死去を発端として、白紙撤回される事態や、大幅な遅延を恐れたのが原因である。
ついでに言えば、「魔石の固定化技術を現段階でゴーズ公国の独占にはしたくない」という思惑もあった。
なので、此度の案件を一旦は、「実父の死を悼んで娘三人が、自主的且つ無償で協力する形」に収めたのである。
シーラから「完全に無償扱いは不味い」との指摘もあり、三姉妹がそれぞれに形見的な品を一つ持ち出す自由と、屋敷に残してある私物を回収することを報酬代わりとするのを受け入れたファーミルス王国の元国王様。「三人全員の心にもない『死を悼んで』とか、ちゃんちゃらおかしいけれど、理由として持ち出す事柄がそれぐらいしかないんだよな」と、内心では呟いてしまう超能力者。「魔道大学校の案件が、すんなり行きそうだから変だと思っていたけれど、やっぱりちゃんとチャチャは入るんだよね」と、事案発生に愛されている運命を諦めの境地で、半ば受け入れているラックなのであった。
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