第179話
「『崩御されたあの国王陛下の子を、おそらく身籠った』ですって?」
西部辺境伯家の女主人は、既に亡くなっている国王の最後のお手付きとなった女官から内密な報告を受けて驚いていた。
女官は辺境伯家の縁者であり、当人の主観では「国王の死の遠因として罪に問われる前に、王都にある西部辺境伯邸のつてを頼って、彼の地からこっそりと時間を掛けて逃げ出してきた」という状態だったのだが。
結果としては、長い時間を掛けた逃避行中に、自身の身体の変調に気づくことになったのである。
王都の役所で登録される前の、内々でのみ決まっていた女官の婚約は、純潔を失ったことで白紙になるのがほぼ確実であり、元々は「それで責められる立場から守るため」を主眼として匿ったのだが、西部辺境伯家としては「思わぬ余禄が付いてきた」と言える。
西部辺境伯家は当代や次代の後継者も含めて保有魔力量がジリ貧状態となっており、婚姻政策が上手く行っていない。
国王だった人物の子であれば、母体が眼前の女官であっても、最大でギリギリ王族級に引っ掛かるかどうかクラスの魔力量を持つことが期待でき、ハズレの側に偏ってもおそらく侯爵家基準を上回るであろう。
よって、生まれる前の段階から確保したい赤子となる。
最大の問題は、もし男子が生まれて尚且つ王家の遺児だとバレた時に、王族級の魔力量を所持しているケースになると、王位継承者として”他家から”担ぎ出されるかもしれないことだ。
現王が魔力量0の男であるだけに、亡くなった国王の血を引く子で魔力量が足りていればそちらを支持する貴族家は多いと思われる。
つまり、「未だ生まれてきていない胎児は、存在そのものが将来の火種」とも言えた。
だがしかし。
それはあくまで全てがバレればの話でしかない。
この”おそらく妊娠している”という事実を知っているのは、現状では本人と西部辺境伯家の女主人のみ。
辺境伯家の正妻は、リスクと利益の打算を冷徹に終え、秘密裏に経過観察をすることに決めた。
状況次第ではあるが、彼女は”両親不明の高魔力の孤児”を辺境伯家の養子に迎えて、自家の子と婚姻させる未来を思い描いたのであった。
ラックの治世に対する不穏な火種は、こんなところにも埋められていたのである。
「そうか。シーラはもう懐妊したのか。誓約書の提出が役に立ったというわけだ」
現状では、何の権力も持たされずに、ただ王家の魔道具を稼働させる義務を熟すのみの道具と化した男。
先代の王であった実の息子から、その立場を強要されてしまった男。
彼は自嘲気味にそう呟いた。
想定内だったはずの知らされた情報は、彼に思いのほか大きな精神的衝撃を与えたのである。
「『もう失うものは何も残っていない』と思っていたが。現実を突き付けられると『それが間違いだった』と気づかされるものなのだな」
「心中お察しします」
情報を持ち込んだ上級文官は、内心では「うわぁ、面倒なことを言い出した」と考えていたが、それを外部に漏らして他人に悟らせるほど未熟ではなかった。
彼がしたのは、無難な短い言葉で形だけ寄り添うことだ。
「なぁ。俺からひとつ聞いて良いか? ただ生きるためだけに、生にしがみ付くためだけに、特例陛下に臣従して延々と魔道具を稼働させるだけの人生に、意味があると思うか?」
「その、現在王太子に定められているライガ様へは、『魔道大学校卒業後直ぐに王位が譲られる』と聞いています。その後ならば、今のお役目から解放されるのではありませんか?」
「そうだな。其方は今、『解放』という言葉を口にした。つまり客観的にも、俺は捕らわれて強制労働をさせられているのが証明されたな」
言葉にすれば、「ライガが王位を継ぐまで我慢すれば自由になれる」と、短く簡単な話なのだが、その期間自体は長い。
20年には届かないが、10年は楽に超えてしまう。
その事実は、一度は国王代理の地位に付き、権力を握った男の心を完全にへし折るには十分過ぎた。
そもそも、「解放された後、何ができるのか?」という点もあるのだ。
彼は、自身の身体状況が改善する見込みがないことで、今後の人生に楽しみを見出すことができないのを知る。
ついでに言えば、少し前に起きた切腹事件を発端として、特例国王陛下の異常性の一端が王宮内では公然の秘密と化している。
更に言うと、彼は、「自身と酷似した身体状況になってしまった貴族階級の人間が、かなりの数に及んでいる」という情報にも触れている。
つまるところ、「人を任意で自由に空間移動させることができるならば、もの凄く小さな何かを人間の体内に移動させて、内部損傷を引き起こすことが可能なのではないか?」という、想像に辿り着いてしまったのだ。
元国王代理の中で導き出された答えは、厳密に言えば加害方法が間違っている。
ラックは透視と念動を駆使して、神経に小さな傷を作り出しただけだからだ。
しかしながらこのケースだと、「加害者が誰であるのか?」が最も重要な点であって、用いられた方法が正解ではなくとも、全く問題はないのだった。
フォウルの実父の視点では、同一と思われる病で急死した複数の貴族や、下半身が不自由になった貴族の全員が今代の王に仇をなす者ばかりであり、排除や制裁が加えられることに違和感はない。
それは、自身や先代の宰相、カストル公についても然りなのである。
更に思考を進めると、「今代の王はファーミルス王国そのものに恨みを持ち、復讐に走ったのではないか?」と、疑うことが十分に可能であることに気づく。
ラックは幼少期から社交の場には出されず、魔道大学校に通う学生時代も最底辺として扱われており、王国貴族からは「貴族の一員としての扱いを受けていた」とは言い難いからだ。
ファーミルス王国において、保有魔力量が0でそれに見合った扱いを受けたまま大人になったならば、「周囲を憎むには十分な条件が整っている」と言える。
今の状況は、王にとって不都合な存在が全て排除された状態。
その状態で最高権力を握っており、しかも、「自らが積極的に王位を望んだ」とは誰にも見られていない。
誰にも簒奪を疑われない状況を作り出して、王位を奪った動機が復讐であるなら理解はしやすいのである。
勿論、ラックの為人をよく知る人間以外が、過去を踏まえて状況を客観的に分析すれば辿り着く答えのひとつなだけであって、事実は全く異なるのだけれども。
「何を仰られても現状が変わるわけではありません。あるがままを受け入れるしか道がないのではありませんか?」
「その通りだ。愚痴に付き合わせてすまなかったな。退出して仕事に戻ってくれ」
この日の夜、先ごろ崩御した王の血筋で、王宮に残された最後の実子が自ら命を絶った。
ファーミルス王国の国内にはその悲報を聞いても、悲しむ者はラックのみしか居なかったけれど。
最後は自裁を選択した彼にとって「ラックを除いて、彼の死を悲しんでくれる者がたった一人すらいない」のが、最大の不幸だったのかもしれない。
過去に第2王子、或いは国王代理と呼ばれた男の歴史は、そうして幕を閉じたのである。
尚、ラックが彼の死を悲しんだ理由は、「ドクが王宮で研究三昧の日々を送ることが決定的になってしまったから」なのは言うまでもない。合掌!
「えー。王宮にいた、元国王代理が亡くなりました。まさか、少量の睡眠導入剤と送風の魔道具、タオル、水の組み合わせで眠るように死を選ぶってのは想定外でした。まぁ、そんなことがありましてですね。『リムルはともかくとしてフォウル君は、大丈夫かな?』って思うわけなんですが」
ラックは沈痛な面持ちで状況を語った。
これは事前にミシュラが全員に通知済みではない最新情報であったために、女性陣には驚きが走る。
ちなみに、自殺の方法は一風変わっていた。
常時湿った状態になるように片側の端を水に浸したタオルを、寝ている状態でもう片側の部分を胸の上に広げ、睡眠導入剤を服用した上で送風の魔道具を使ってタオルに風を当てる。
要は、気化熱の原理を利用して意図的に胸部へ低温状態を作り出し、心臓の鼓動を強引に止めてしまったのだ。
死因は、「常温の部屋で凍死した」と言えばわかりやすいだろうか?
つまり、「酷い低体温症を引き起こしただけ」なのだけれども。
「お兄様。わたくし、『リムルはともかく』の部分には少し引っ掛かるモノがありますわね。あと、フォウルは平気ですよ。寧ろ、『必要がなくなった時点で自ら手を下すつもりまであった』かと」
「そうか。なら良いけど」
リムルの答えに、内心で胸を撫で下ろしているラックであった。
何故なら、気をつけて千里眼で監視する対象に含めていれば、死に至ることがなかった可能性があるからだ。
できることが多いだけに、「ああしておけば、こうしていたら」という、なんでも背負い込みそうな思考をしがちだ。
彼のそうした部分は、誰にも変えられない性質なのかもしれない。
「ラック。その死亡の仕方は、他殺が疑われたりしないのか?」
エレーヌが素朴な疑問を投げ掛けた。
「うん。疑われるとしたら僕だけらしい。なにしろ内側からの施錠があって密室状態だったからね。入るのに扉を破壊してるんだよ」
朝になった段階で、通常起きて来る時間になって以降、どんなに呼び掛けても返事すらないのを「異常」と判断して、最後は物理的に扉をぶち破る決定をした流れとなっている。
元宰相の意見として、「陛下に相談してから」というのもあったが、「それではいつになるかわからないため諦めた」となったのがことの経緯だ。
実に正しい判断である。
そもそも、「相談してなんとかなる」と考える方がおかしいのだから。
まぁ、現実的にはラックが相談を受ければ、超能力を行使する対応を考えるのが実情であった可能性は高い。
もっとも、その場合は超能力者がテレポートで侵入して中から鍵を開けるのではなく、透視で中を確認して、扉を破壊する命令を出す流れになっていただろうが。
ちなみに、本来なかったはずの内側からの頑丈な鍵が取り付けられたのは、密室状態の寝室に籠っていた当人が、フォウルへの暗殺を実行に移したことが原因だったりする。
要は、暗殺が不発に終わっただけに、報復を恐れての自衛の一環であった。
そんなこんなのなんやかんやで、元国王代理については、「葬儀をどのレベルの規模にするのか?」が、最も真剣に話し合われた。
国葬レベルは論外だが、それでも極力大きな規模にするのか、逆に最小に抑える方向なのか。
歳が若く、国王代理としての在位期間が短く、王族としての主だった功績についてもあるにはあるが、かなり昔に遡らなければ誰もが納得するレベルのものがない。
在位期間中に至っては、功績らしい功績がないだけに悩ましい。
まして、少年王や今のラックに、ハッキリ言って嫌われているのは誰の目から見ても明白なのだから始末が悪いのだ。
なんなら、病で遠隔地で静養中と発表して、死を隠蔽して20~30年放っておく手段までも夕食会で検討された。
なんとも悲しい話であるが、ファーミルス王国の過去の歴史を紐解くと、実は前例がなくはない裏とか闇側の対応方法だったりする。
それは、完全に忘れられた人になったころを見計らって、「病死発表から遠隔地での密葬を行ったことにする」という手順だ。
王宮に住んでおらず、社交の場に一切出なくなった王族など、直ぐに人々の話題から消え去るのが世の常なので。
まぁこの手段では、架空の療養で掛かる費用をでっち上げて、裏金を作るという面もあったりするのはご愛敬なのだった。
力技で粉砕するのが得意なラックには縁のない話だが、表に出せないお金で問題を秘密裏に解決するケースも現実にはあるのである。
斯くして、元国王代理は、近い未来に「息子であり王となったフォウルの暗殺を過去に企ててしまったことで、良心の呵責に耐えられなかった」という、虚実混交を公式発表として出し、不名誉な死としてひっそりと荼毘に付せられることが決まったのだった。
「本日最後の議題。これが一番の難問で、当面ドクが喜んで引き受けるから結論は急がないけど、王家の魔道具を誰が稼働させるか? 一応聞くけど、やりたい人はいますかね? 候補ってだけならリムル、アスラ、ミゲラが対象なんだけどさ。特典は王宮で贅沢生活ができます!」
「ラック、それを『特典』と言うのはさすがにないと思うが」
ラックの発言に、ドン引き顔のリティシアからツッコミが入る。
彼女は当事者ではないため、精神的には余裕がある故の発言だ。
「だな。食べ物、飲み物、酒あたりの物資は、今のゴーズ領だと王都と大差ないか、寧ろこちらのほうが良質なものすらある。服飾関連は流行の発信地が王都だからさすがに負けるが、ドレスなどは夜会やお茶会に参加するわけではないなら、無用の長物でしかない。贅沢と言われても困るだろうな」
「いやいや。教育の行き届いた侍女が、思う存分使い倒せますよ?」
「それに魅力を感じる人間は、ゴーズ家に馴染んで生活して行けない。ギブアップした者はこの面子の中にはいないぞ」
フランからの、理由を明らかにしたリティシアへの賛同に対して、ラックは悪足掻きを試みる。が、それもあっさりと否定されて終わった。
超能力者の立場としては、ゴーズ家の夕食会に参加する中の該当メンバー全員が拒否した場合、王宮に元々いるシーラをつかうしかなくなるのだ。
それは、できれば避けたいのが本音である。
「貴方。ご自分でも無理筋だと理解しているのでしょう? 素直にシーラをお使いなさいな」
「うーん。過労で倒れそうじゃない? 王妃代理の仕事もあるし」
「お兄様。やらせてみれば、案外やれるかもしれません。倒れてから考えましょう」
最後はリムルのこれ以上はないと思われる突き放した意見が、何故か全員に支持されて採用となる。
つまるところ、形式的にはシーラはラックの妻となっているが、他の妻たちから認められていない外様なのであろう。
これ以上何かを言えば、藪蛇になりそうな気配を感じ取ったラックは、とりあえず保留としてお茶を濁すしか選択肢がなかった。
こうして、ラックの知らぬ事柄として西部辺境伯家に将来の火種が隠され、王家の炉と魔石の固定化工程の一部はドクの玩具になることが決まった。
ついでに、「王家の秘密に噛むのだから、クーガとの婚約でわたくしを縛るのは必須よね?」と、狂気の技術者兼研究者に詰め寄られたのは些細なことなのである。
クーガの最終的な意思確認をすっ飛ばし、「どうせ他の方法なんてないんだ!」と呟きながら自身の叔母と長男の婚約登録手続きを進めたファーミルス王国の国主様。事後通告をして、キレた息子を宥めるのには失敗し、ミシュラ、ミレス、テレスに丸投げをして逃げに入った超能力者。「諦めろ、クーガ。ゴーズ家の男は、自分が望まない女性でも次々に娶らなきゃならない呪いがかかってるから。たぶん。きっと」と呟きながら、女性陣からのお話が済むのを待つラックなのであった。
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