第177話

「『姉のシーラが今の夫と離縁して、陛下の元へ第7夫人として嫁ぐ』だと?」


 ヤルホス家の現当主は、寝耳に水な情報に驚くしかなかった。

 事前の根回しが一切ない、急すぎる話であったからだ。

 そもそも、国王が夫のいる女性を奪い取って、自身の妃に迎えること自体が前代未聞である。


 これは、ファーミルス王国の法的にも、規制がちゃんとある話。

 生まれて来る子の、実の父親が不明となる問題が生じる可能性を排除するために、過去の賢者の手で法律が整備されているのであった。

 離縁した後90日が経過し、妊娠していないことが医師の手で確認される。

 そこで初めて、女性は新たな婚姻関係を結ぶことができるようになっているのだ。

 まぁ、法の部分については、例外規定があるのだが。


「本日付で、離縁と新たな婚姻の届け出が既に受理されて、もう役所で処理されたそうなのです。ですから、正確には『嫁いだ』が正しいのですが」


 ヤルホス家の家宰は当主に対して申し訳なさそうに発言した。

 火に油を注ぐだけとわかっているだけに、彼としてもそんなことを言いたくない。

 言いたくはないのだが、言わなければ言わないで「何としても阻止しろ!」という無茶振りの指示が出かねない。

 どうやっても不可能なことを強要されるよりは、先に怒りを買った方がまだ被害が小さいのである。


「当家への打診もなしに、そのようなことが許されるか? シーラは俺の姉で、ヤルホス家の出なんだぞ。ふざけるな! 陛下は公爵家を軽視しているのか!」


 憤怒の色に染まった顔で、シーラの弟は怒りをぶちまけた。

 それを見ている家宰が、内心では「ここで私に怒りをぶつけても意味はない。それに気づかぬ時点で先代と比べるとまだまだだな」と、考えているとは思いもせずに。

 勿論、そのような考えを他者に悟らせるほど家宰は未熟ではない。

 まぁ、当主は家宰の本音の部分を悟る能力を持たない方が、ヤルホス家は平和であるだろうけれど。


「その点なのですが。シーラ様は、離縁した後に単独籍を選択されていますので、ヤルホス家の娘として陛下の元へ嫁いだ形になってはいないのです。勿論、それは形式上だけの話で、血縁関係が無効という話ではないのですが、婚姻に実家の当主の許可を得るという必要がありません」


 家宰は、当主に対しての呆れの感情を押し殺しながらも、必要な情報は淡々と伝えて行く。

 当主交代が当初の予定より大幅に前倒しされたせいで、次代の家宰の育成が間に合わなかったことを心の内で嘆きながら。


「テニューズ家のリムルが使った手か。どいつもこいつも、姑息な手段を使うものだな」


「そうですね。ですが、法の手順をきちんと踏んでいる以上、文句は言えません」


 家宰としては、仮にシーラが実家であるこの家の籍に戻る選択をした場合、”現当主からどのような扱いを受けるのか?”を、容易に予想できる。

 そのため、彼女が訪れて欲しくない未来の回避に全力を尽くすのは当然に思えた。

 それは、決して「姑息」と表現されるような手段ではないはずなのだが、その点を眼前の主に対して指摘しても、不毛なだけであるのもわかり切っている。

 それ故の肯定であった。


「待て、法の話をするなら、あれがあるだろう? 確か、夫との死別以外だと再婚には90日間禁止のルールがあったはず。おかしいではないか!」


「その法には例外規定がございます故。離縁前の夫に、生殖能力がないことを証明するか、離婚後1年半以内に子が生まれた場合に、子のDNA検査をする誓約書の提出で禁止を解除できます」


「例外規定か。そんなモノもあったな。しかしあれは、離縁前の夫が協力的でなければ不可能で、実質的には形骸化していたはずだろう? DNA検査で新たな夫の子、この場合は陛下の子ではないと判明した場合に、子をどちらが引き取るかの取り決めが誓約書の内容に含まれる。そんなモノが簡単に合意に至るはずがない」


 公爵家レベルの話になれば、豊富な魔力量を持つ子供が生まれる可能性が高く、そうした子供の利用価値は極めて高い。

 今回のケースでは相手が王家の血筋であるため、シーラの勝手にはならず、合意するまでにかなりの時間を要すると考えられるのである。常識的には。


「通常の常識的な離縁と例外規定を用いようとする再婚ならば、それは仰る通りなのですが」


「何か特別な事情でもあるのか?」


 先代の宰相が歩くことができなくなっているのは周知されていても、元国王代理が同様の状態であるのは伏せられたままになっている。

 そのため、ヤルホス家の当主は、姉の2人目の夫元国王代理の身体状況を知らなかった。


「シーラ様の2人目の夫は、治療方法のない病を患っており、子を成す行為自体が不可能なのです」


「生殖能力の、所謂男性機能の欠落か」


「はい。医師の手によるその証明書と、念のためにと誓約書も提出されています。行為自体ができないことを離婚事由としているため、夫側が検査放棄に同意。子を引き取る権利も最初から放棄されているとのこと」


 ここまで話が進んで、漸く経緯が腑に落ちたヤルホス家の当主。

 しかしながら、状況が理解できても、感情面で納得できるかは別の話になる。


「陛下に嫁ぐことができた経緯は理解した。だがな、当家に事前の打診がなかった点と、シーラの魔力量を考えると、第7夫人という序列は納得できん」


「そう仰られても。単独籍とするかどうかの判断はシーラ様の裁量部分で、当家には関与できません。単独籍となった後の婚姻についても然りですが」


 主の発言に対し家宰は「どうせシーラ様を通じて、特例国王である陛下に、ヤルホス家が影響力を行使するのは不可能だろう」と考えていた。

 彼からすれば、妻の序列など気にしても全くの無意味なのだ。

 何故なら、「あの魔力量0として散々蔑まれてきた男が、貴族家のお願いと称する関与を良しとするはずがない」と断言できるのだから。

 もっとも、それを自身の主に伝えることはしないが。


 年老いた家宰は、今の仕事を次代に譲って、隠居することしか考えていない。

 そのため、自身の在籍中の期間が穏便にやり過ごせればそれで良いのである。

 よって、「後は次代の家宰の仕事」と、割り切っていたのだった。


「離婚前から、次の嫁ぎ先が決まっている出来レースでもか?」


「再婚の時期はともかくとして、事前に次が決まっているケースは前例がないわけではありません」


「呑み込むしかないのか。腹立たしい!」


 最初から結論が出ている話に長々と付き合わされた家宰も、別の意味で呑み込むしかなく、腹立たしく思っているのは些細なことである。


 そんな感じやり取りの末に、ヤルホス公は現陛下の治世の間、自家がカストル家とテニューズ家の後塵を拝することを精神的に受け入れた。

 ゴーズ家という新たな公爵家が台頭したことで、パワーバランスの調整の根回しに専念する方向にシフトしたのだった。

 もっとも、三大公爵家のそれぞれの思惑がどうであれ、ラックは四番目の公爵家となったゴーズ家以外を特別扱いする気などなかったりするのだけれど。




「えー、そんなわけで、シーラが僕の妻の末席に加わることになりました。ですが、船長たちの更に下の扱いとするので、夕食会に参加することはありません。ま、先のことはわからないけどね」


 寝ぼけ眼のまま、ラックは昨日の深夜から現在に至るまでの状況を、女性陣に向けてざっと説明する。

 もっとも、超能力者が把握しているのは、王都で手続きを終えた午前中までの話でしかない。

 その後は、激しい睡魔に負けて泥のように眠ったからだ。

 勿論、眠る前に最後の気力を振り絞って、ミシュラに対して情報共有を済ませているのは言うまでもない。

 それを受けて、正妻は自身の責務として、夫から得た情報の概略を書面に纏め、夕食会のメンバー全員に可能な限り早く送り届けている。

 よって、この場に集った女性陣は、ラックの言葉に対する驚きなどない。


「わたくしはあの方とは折り合いがかなり悪いので、こうした場での同席はできれば遠慮したいところですわね」


「わたくしも、面識があるだけで凄く懇意にしていたわけではありません。勿論、険悪な仲ではありませんが。ただ、どちらかと言えば『苦手な方だ』と思っていただいて間違いではないですわね」


 リムルがまず口火を切って自身の意見を出し、似たような思いを持つアスラがそこに便乗する。

 彼女ら2人は、王宮でそれぞれ王太子妃、第2王子妃、第3王子妃としての面識があるのだ。

 けれども、当時最上位に居た王妃が、自身の出自が侯爵家であったことをコンプレックスとしてしまっていたように、シーラもまた、三大公爵家の筆頭であるテニューズ家の出のリムルに対して含むモノを持っていたという過去がある。

 王太子妃の格は王子妃の上であり、シーラはリムルやアスラに対して随所でマウントを取っていたのだった。

 そんな状況下で仲が良くなるわけがなく、義務的な付き合いに終始する。

 アスラへの当たりが幾分柔らかかったために、彼女はリムルほどではないだけ。

 2人の言い分へは、エレーヌとリティシア以外の全員が理解を示した。


 エレーヌとリティシアは、現在の自己の国王の側妃という立ち位置を棚に上げ、リムルらの意見を雲の上の話として黙々と食事を続けている。

 まぁ、彼女ら2人は元々最下級の貴族である騎士爵の家の出であり、魔力量も高くはない。

 故に、”高位貴族特有の部分は理解が及ばないし、手に負えない”という悲しい現実もあるので仕方がないのだけれど。

 但し、現状と向上心の有無は別だ。

 彼女らは「いつまでもそのままで良い」と考えているわけではないため、王宮から王妃教育をする家庭教師がゴーズ領に派遣されたのちに、ゴーズ家の娘たちに便乗してある程度のことを学ぶつもりがある。

 妊娠中の側妃であり、ラックの子として王子や王女を産む立場になる以上、何も知らない母親でいるわけにもいかない。

 そんな切実な事情もあるのだった。


「聞きにくいことだが、避けて通れる問題ではないから皆が居るこの場で問う。ラック。シーラとの夜のアレコレはどうするつもりだ? 彼女の望みは、妊娠と出産だろう?」


 フランが真剣な顔つきになって問うた。

 彼女が言うように、確かに大っぴらにはしにくい話ではある。

 また、妹のリムルは兄の夜の事情など知りたくはないだろう。

 リムルに関してだと、そうした話を聞かされれば、なんなら独り身であることからの呪詛を向けるまであるやもしれない。


「あ、それね。僕は元夫が居る王宮で、アレコレをできるほど神経が太くないと、自分では思っている。だから、カストル公に渡しているあのキノコが原料の秘薬を飲ませる。寝ているところで、妊娠するように彼女の身体の中に僕の力を使って仕込んで来るつもり。所謂アレをしてくるつもりは一切ない」


「あら。真実は誰にもわかりませんから、どんな方法でも構いませんのに」


「ミシュラ。僕をいじめないでくれる?」


 そんなこんなのなんやかんやで、いきなり夜の夫婦生活方面に飛んだ話は、ラックが子作り行為をすることなく、こっそりとシーラを力業で妊娠させるという方向で決着となった。

 ミシュラが正妻として、或いは、ラックから真に愛されている唯一無二の存在である証拠として、格の違いを見せつけたのは些細なことであるのだろう。

 元々、この場に集った女性陣でリムル以外の全員が、最初から勝負にすらならないことを理解し過ぎるほどにしていたのだから。




「これが、ゴーズ家の秘薬ですの?」


 シーラは突如現れたラックから、手渡された丸薬を見て問うた。


 侍女は既に下がらせており、いつでも眠りに入れる状況。

 新たな夫からは何も聞いていなかったが、入籍した当日の夜は初夜と言えるため、彼女はラックの到来を待っていたのだ。


「うん。閨に入る直前に服用してね。服用量は必ず守るように。まぁ、毎回1回分しか渡さないから、普通にしてれば服用量を守れる。飲まずに隠し持って貯えるとかはやめてね」


「これを飲むとどうなるのです? 妊娠しやすくなる以外の点が知りたいのです」


 ゴーズ家の秘薬というブツの存在は知っており、子ができやすくなる実績を彼女は知っている。

 しかしながら、それは服用した人間の状況を外部から見て知っただけの話であり、薬についての詳細な情報はないのが実情であった。

 それ故の問いなのである。


「個人差はあるけど。服用してから数分で強烈な眠気に襲われる。若さを保つ効果もある。眠気には抗わずに、素直に寝ることをお勧めするよ。で、2時間から3時間で目が覚める」


 聞かれれば、答えないわけにはいかないラックだ。

 但し、正直に薬効を語るわけではないが。

 何度も偽薬を提供する気は更々ないため、若返りの超能力も今回は行使しない予定となっている。

 要は、シーラの最大の望みはきっちり叶えるが、他は嘘で塗り固めて誤魔化す気満々なのだ。


「副作用的なモノは?」


「今のところその手の報告は皆無だから、安全性は高いと思う」


 厳密に言えば、軽度の依存症がある薬なのだが、それ以外の副作用はない。

 そして、今夜だけで勝負を決めるつもりのラックからすれば、依存症は全く問題にならない。

 そもそも、「王太子妃を務めていた時点で、それに負けるような人間ではない」と言える。

 それ故に、超能力者は暗に自信を見せる発言をしたのだった。


「服用と効果についてはわかりました。その、行為的な部分はいつ行いますの? わたくしの目が覚めてからですの?」


「そのことなんだけどね。申し訳ないが、貴女が薬効で眠っている間にさせて貰う。貴女の前の夫2人と色々比べられるのが、僕としてはきついから。そこは理解して欲しい」


「あら。案外繊細なところをお持ちですのね。意外な一面が知れて嬉しいこと。わかりました。では、秘薬を服用してから、着衣を外してベッドでお待ちしますわね」


「そうしてくれ。寝付いたところを見計らって、僕の役目はちゃんと果たすから」


 こうして、ラックは知らぬところで無自覚にヤルホス家をやり込めると同時に、ゴーズ領に住まう妻たちの了解の元、シーラを謀って受精から着床という部分を超能力を用いて熟した。

 この夜、ラックの血を引く子供が、また1人増加する未来が確定したのである。


 「嘘も方便」とは言え、「亡くなった王子やフォウルの父親と、閨での男性としてのアレコレを比べられるのに耐えられない」と、経験豊富な新たな妻に言わざるを得なかったファーミルス王国の国主様。実のところ、閨でお相手を満足させることに関しては、チート級の自信を持っている超能力者。「やらないし、やれないけど、本気を出したら僕は凄いんだからな!」と、呟きながら粛々と作業を熟すラックなのであった。

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