第176話

「わたくしの寝室に無断侵入している貴方が『陛下』ですって?」


 シーラは人の気配を感じて目を覚まし、「そこに居るのは誰?」と、まずは問い掛けた。

 室内は闇に包まれており、彼女が体感から察するにまだ深夜の領域。

 要は、専属の侍女が寝室内に侵入する朝の時間帯ではない。

 また、仮に侍女であっても、入室する前に部屋の主に向けて声を掛けるのが当然の手順であり、無断で入って来た人間の気配を彼女が感じ取る状況自体が異常であるのだ。


 但し、1人だけ立場上それが許されている者がいるのも事実。

 シーラの現状は既婚者であり、夫が妻の閨に入り込むのはおかしな行為ではない。

 夫の身体状況を鑑みれば、発生し得ない状況と彼女には思える。が、可能性がゼロではない以上は確認は必要であり、それ故の問いかけだ。

 彼女はその言葉で起きていること示して侵入者を牽制しつつ、身を守る体勢を整える。

 それと同時に、人を呼ぶための大声を出すために大きく息を吸った。

 そこへ、ラックが名乗りを上げた結果が冒頭の発言に繋がるのである。


「こんなやり方で悪いとは思うけど。ただ、現状の王宮のルールだと、貴女を呼び出して2人だけで密談をするのは難しい。他者に知られて良い話じゃないからね」


 ラックは事前にサイコバリアを多重展開することで、室外への音の伝播を防いでいた。

 よって、シーラに大声で叫ばれても問題はないのだが、「それを彼女に伝える意味はない」と、判断している。 


「声で陛下だとは理解できますが。明かりを灯しても?」


「煌々とされると他者に察知される。それだと僕がコッソリ来た意味がなくなってしまう。だから、こちらで小さな明かりを灯すよ。今はそれで我慢してくれ。それと、堅苦しく話をしたいわけじゃないから、言葉遣いは砕けたものにさせて貰う。良いよね?」


 そう言いながら、ラックは超能力で淡い光源を作り出す。

 その行為自体が、シーラを驚かせるとは気づかずに。


「姿は陛下に見えますが。本物の陛下ですか? 魔力を持たない陛下には魔道具が使えないはず」


 シーラは物理的な炎による明かりとは異なる光源に、「このような魔道具があったか?」と驚きながらも、魔力量が0であれば魔道具を使うことは不可能な事実に思い当たる。

 そうして、彼女の心中に別の意味でも驚きが追加され、「魔道具でも炎でもないのなら、それは何であるのか?」という疑問が当然のように生じた。

 彼女は、眼前の陛下にしか見えない姿の男が、全くの別人である可能性も想定範囲に入れざるを得ない。

 それ故の問いかけだ。


「あー。そこからか。これは魔道具による明かりじゃない。僕はね、他の人間にはないちょっとした特技を持っているんだ。この他の特技で、貴女が計画している案件を知ってしまってね。端的に言うと、止めるための説得に来た」


 そう言いながら、ラックはベッドに腰かけている体勢になっているシーラの背後へとテレポートした。

 力を見せ、無駄な抵抗を諦めさせると同時に、彼女の肩に手を置き、身体に触れるために。


「陛下! 何をするのですか! それと、わたくしの計画ですか? 計画を止める? 一体何のことでしょう?」


 ビクリと身体を震わせ、それでもシーラは気丈に会話を続けた。

 もっとも、彼女の内心の驚きや怯えは、接触テレパスでラックに全て筒抜けであるので、虚勢を張っても意味はないのだけれど。


「再度驚かせてすまないね。無駄に抵抗されたくないのでこうさせて貰った。計画について惚けなくても良い。僕は全容を把握しているつもりだ。義母と、夫の暗殺実行に及んでいない今なら、それを知る者が他に誰も居ない今なら、まだ貴女を罪に問わなくて済む。これは推測なんだけど、事後に自裁するつもりだろう?」


 混乱しているシーラの思考を接触テレパスで読み取ることで、ラックは事前に概要を把握していた計画の細部の情報も補完していた。


「そこまで、悟っておられるのならどうして!」


「あー。夫婦仲がそこまで悪いと考えていなかった。それと、王都で女性貴族の頂点としての振る舞いが可能な方が貴女にとって良い立場だと思っていた。まさか、ゴーズ領で家庭教師をする役目を貴女と元王妃の両者が望んで、争うレベルの話になるとは、僕を含めてゴーズ家の人間は誰も想像すらしていなかったんだ」


 ラックはシーラの怒りを含む声音での発言に対して、正直に事情を述べた。

 特に隠し立てする必要もなく、彼女の不運への同情もあったからだ。


「わたくし、まだ子が望める年齢ですのよ。けれども、王宮に居る限り、離縁はできません。離縁してヤルホス家に戻る選択もできません。ゴーズ領に赴いて離縁した後に、身の振り方を再考できるのは、またとないチャンスだったのです」


「えっ? ゴーズ領へ来て、離婚して単独籍になった後、僕かクーガに嫁ぎたかったの?」


 読み取れた思考に、驚き過ぎて思わず口に出してしまった超能力者。

 正確には、「子を望みたい」という意思が大部分を占め、嫁ぐ相手は手段でしかない。

 平たく言えば、「シーラは合法で優秀な種馬を欲しているだけ」であった。


「陛下。わたくしの本音を正確に察知してくださるのは嬉しいのですが。もう少し直接的過ぎる発言は控えていただけませんか? 少々恥ずかしいのです」


 シーラは王太子妃に選ばれただけのことはある魔力量を誇っており、王族級の魔力量を持つ子を出産する自信がある。実際に、妊娠と出産をした実績もあるのだ。

 自身の存在意義が、現状を維持すると次代の王妃となる人物の教師役のみで老いて行くことになるのに、彼女は耐えられない。

 別に次代の王妃が立った後も、大きな顔がしたいわけではないのだが、子を持っていない女性として肩身が狭い立場になりたくはないのである。

 彼女はこれまで、父である先代ヤルホス公や、王家の意向に強制された生き方に従って、努力もしてきている。

 その結末が、それであるなら、悲しみと怒りをぶちまける権利があるはずとの考えに至っても「然程異常」とも言えない。

 つまるところ、そうした感情から彼女は最終手段を選択し、孤独に計画を練っていたのであった。


「うん。まぁ、それについては謝る。ごめんね。ただね、今の状況だと貴女を失うのも、貴女が殺害しようとしている2人を失うのも、僕としては看過できない。そうしたい貴女の気持ちは十分理解できるけどね」


「ではどうしろと? 陛下はわたくしに『耐えろ』とだけ仰るのですか?」


「うーん。最初は『罪に問いたくないから。やる前にバレてるからやめとけ』って止めて耐えて貰うつもりだったんだけどね。それを強制すると、服毒してしまうつもりだよね?」


「本当に洞察力に優れていますのね。過去の陛下は野心があるようには見えませんでしたが、騎士爵から至尊の座に至るだけのモノは持っていたわけですか」


 手段は不明だが、ファーミルス王国が欲するモノを次々と用意し、提供することで対価として現在の地位を得ている男。

 シーラの視点では、先見の明があり過ぎるようにしか考えられず、成り上がる野心を他者に感じさせることなく陞爵し続けた稀有な才能の持ち主としか映らない。

 それ故の断定であった。

 勿論、事実は異なるわけだが、現状の彼女が持ち得る情報だけだと、そうした真実へ至ることは不可能なのである。


「あはは。野心とか全然ないし、他に誰かきちんとファーミルス王国を治めてくれる真面な人物がいるなら、今日にでも王位を譲るけどね。ああ、元国王代理はダメだ。実子のフォウル君を毒殺しようとしたから。それはさておき、今の貴女を救うには国王の権力が必要なのは確かだね」


「わたくしを救う? どうやって?」


 聞き捨てならない先代の少年王への夫による暗殺未遂、或いは教唆であるかもしれない情報に触れ、戦慄したシーラであった。が、即座に彼女の口から出た言葉は、別の部分に対しての疑問だ。

 ラックは彼女の夫が犯罪者だと断定している。

 下手をすれば連座で死罪とされてもおかしくない状況であるにも拘らず、そうはなっていない。

 つまり、「夫は、現在置かれている状況こそが罰であるのだろう」とまでは容易に理解が及ぶ。

 しかしながら、ラックの言葉の最後の部分へは、彼女の思考が上手く繋がらないのだった。


「ミシュラの許可を得てからの話になるけど。『シーラが子を成す能力のない夫との婚姻関係を続けるのは不毛だ。けれども、王宮から彼女を出すのは下策。よって、王の側室へ寄こせ! 国益を考えたら、ベターな選択だろう?』って僕が泥を被れば済むさ。けれど、僕は貴女も知っての通り、魔力量0の、この国の価値観だと悪い意味でダントツ一位の最底辺の男だよ。それでも良いのかい?」


「ええ、勿論。わたくし、ゴーズ家の一員に成れるのですね」


 シーラの内心は、ゴーズ家の一員に成れることそのものより、身内であれば提供されやすいであろう秘薬へ向けた喜びに溢れていた。

 即位時の、「ミゲラを除くラックの妻の全員が妊娠中」という事実は、「彼女にそれだけの衝撃を与えていた」とも言える。

 もっとも、彼女の考える効能を持つゴーズ家の秘薬などという物は実在しない。

 但し、子を望む貴族女性に超能力者は協力的であるので、結果に問題は生じないけれども。


「上手く行けばね。でも、仮に貴女が僕の子として男子を授かっても、王太子にはしない。これはミシュラの意向と関係なく僕の意思だ。それも受け入れられるかい?」


「陛下は、先々代の王の時の王家とヤルホス家とテニューズ家の密約内容をご存知ですか?」


 ラックの言葉に、実家との軋轢の可能性を感じたシーラは恐る恐る確認する。

 話の行方次第では、先ほどまでのアレコレが全てひっくり返されるかもしれないからだ。


「ああ。宰相親子から済んだ話として聞いている。フォウル君が即位した時点で、実質無効となっていたのを、彼が王としての権限で完全に無効として確定させたよ。テニューズ、ヤルホス、両公も了承済み。それは聞いていないのかい?」


 これらの話は、シーラが子を事故で失ったショックで寝込んでいた以降に動いた部分であり、「精神的な追加ダメージを与える必要はない」と判断されて情報の伝達が保留された。

 その後にラックへの禅譲の絡みで公爵家は当主交代を急いだため、そのままうやむやにされていたのだった。


「父からは何も。では、テニューズ家の娘、陛下の姪をわたくしの息子が嫁に迎える話は白紙で宜しいのですね?」


「うん。そうなるね」


「ならば、王太子でなくとも問題ありませんわね。王子の肩書もなくても良いくらいです。もっとも、まだ生まれて来るかどうかもわからない子の話を、今の段階でしても仕方がありませんけれど」


「いや。王太子はもうライガと決めている。不測の事態が発生しても、ミシュラの子のうちの男子を優先する。王位継承権の順位で、揉める可能性は事前に摘んでおくべきだから良いと思うよ」


 そんなこんなのなんやかんやで、ラックはシーラを思いとどまらせることに成功し、なし崩し的に側妃として迎え入れる方向で話を切り上げた。

 ミシュラに事前に根回しが全くされていない案件なだけに、「戻ったあと、どう話を切り出そうか?」と、超能力者が戦々恐々の心境に陥ったのは些細なことなのである。




「貴方。言い出しにくい何かがあるのは伝わっていますから、さっさと白状しませんこと?」


 シーラとの密談を終えてトランザ村の寝室に戻ったラックは、「悶々として眠れないだろうな」と考えつつ、少し躊躇ったのちに寝ているミシュラの横へ潜り込もうとした。

 片や寝室を黙って抜け出した夫の行動に気づいていた正妻は、「なにがしかの厄介事が発生したのだろう」と考えたせいで眠りが浅くなっており、帰宅時の気配で目が覚めてしまう。

 そこから行動が止まった間の長さで、「言い出しにくい何かがある」と感じ取っているのは、長年連れ添っている彼女の特殊能力であるのだろう。


「驚いた。ミシュラは起きていたんだね。いや、僕が起こしてしまったのかな?」


「そうですわね。気配で目が覚めました」


 ラックは、「ジッと自分を見つめるミシュラの視線が、突き刺さるように痛いと感じるのは何故だろうか?」などと、益体もないことを考えながら、観念して説明をする決心をする。


「順番に行くと、王都で元王妃とシーラが共にゴーズ領に来ることを希望して争った結果、シーラが負けて王都に残ることに決まった。彼女は子を失った悲しみ、切迫早産の原因に関係している元王妃、何もしない且つ、次の子が望めない身体の夫。自分自身も含めて全てを消し去ろうとしていたのに、僕が偶々気づいてしまって、説得に行っていたんだよ」


「そうですか。シーラの境遇は同情に値するとは思いますが、ゴーズ家がケアする問題とは言えません。『今の夫との関係をどうするのか?』は、彼女自身と、ヤルホス家が片付ける問題ですわね」


 ミシュラの反応は「同情に値する」との言葉とは裏腹に、冷淡であった。

 ラックには「おそらくは怒りの感情を隠したいのだろう」と、感じられた。

 何故なら、この時の彼女は、珍しくラックに身体を触れさせていなかったのだから。


「そうかもしれない。けどさ、ヤルホス公爵家は僕が戴冠する少し前にシーラの弟が当主になっただろう? だから『姉に出戻られても扱いに困る』と彼女は判断していた。つまり、公爵家に居場所がなく、新たな縁談を組むのもまず無理。となると、行先が塔ってなりそうなんだよね」


「わかりました。つまり、貴方はわたくしに相談することなく、『彼女の身柄を引き受ける話をされてきた』のですわね?」


「それ以外に良い方法があるなら教えて欲しい」


「ありません。けれど、シーラを『貴方が』救わなければならない理由もありませんわね」


 ここまでの会話で、ミシュラから絶対零度を上回る冷気が発せられているようにラックは感じていた。

 勿論、そんな事象は現実にはあり得ないけれども。

 尚、「烈火のごとく怒りの感情をぶつけられる方が、まだマシだなぁ」なとど考えてしまったのは、彼だけの墓まで持って行く秘密である。


「そこはほら、王都でミシュラの仕事の代行役って面で貴重じゃない?」


「絶対必要ではありませんけれど。まぁ、良いでしょう。ですが、扱いは妾の下。子を1人宿したのちの夜の割り当ては基本的になし。それで宜しくて? 貴方も彼女の相手を積極的にしたいわけではないでしょう?」


「そりゃあね。今の夫と離縁させても、当面は王宮内に両者が住む生活が続くわけだし。元国王代理への精神的な罰にはなるだろうけど、趣味の良い話じゃないよね。ぶっちゃけ、外聞も良くない。ま、僕の場合は今更だけどさ」


 こうして、ラックはこの日の夜、一睡もすることなく朝を迎える羽目になった。

 ミシュラとの話し合いは長時間続き、細々としたシーラへの禁止対応が大量に決定され、復唱まで行って覚え込まされたのは些細なことなのである。


 正妻の意見には、従う選択肢しか選びたくないファーミルス王国の国主様。ミシュラとの話が付いた後、眠気を堪えて再度シーラの元へとテレポートを敢行した超能力者。「嫁に来て欲しいって望んで得たのはミシュラだけなんだけどな」と、呟くしかないラックなのであった。


◇◇◇お礼◇◇◇


 今年一年、この物語を読んでくださった読者の皆様に感謝。

 良いお年をお迎えください。

 来年もよろしくお願いします。

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