第175話
「『陛下の戴冠お披露目パレード時の失態を理由に、腹を切った警備責任者が突然消えた』だと?」
宰相はテニューズ公爵邸を訪れ、ラックの弟であるテニューズ家当主に王宮で起きた不可思議な状況について語った。
冒頭の発言は、それを受けてのテニューズ公のものである。
「『一瞬のことで、絶対だとは言い切れない』と前置きがありますが、『警備責任者が消える瞬間に、後姿が陛下と酷似している人物の姿を見た』と主張する者がおりまして。『陛下はテニューズ家で育っていますから、何か有用な情報を得られないものか?』と考えて、こちらを訪ねた次第です」
この状況に至っている宰相は、己の判断のみで動いたわけではなかった。
上級文官として彼の仕事の補佐してくれている、前任の宰相である父親に意見を求めての決定だ。
宰相の父は、「ゴーズ家が、いや、魔力を持たない唯一の存在が、魔力を持たない代わりに別の特別な力を持っている」という、独自の秘めていた考えを披露した。
そんな考えを聞かされた息子の側としては、荒唐無稽な話として一笑に付すことが可能であれば良かったのだが、父がそう推測するに至った理由をきっちりと説明されれば、それを完全に否定することが困難となってしまう。
そもそも、現状の国王の執務処理のやり方や、国王の王宮での生活の部分でも、従来の常識が通用しない、異常でしかない事象がてんこ盛りなのである。
王妃代行や元国王代理という存在のおかげで、専属で付く侍女や宮廷料理人が失業を免れているが、王族の日常の世話をする仕事の絶対量は激減しているのが現実。
財政状況が苦しい今のファーミルス王国としては、意外に金が掛かるはずの部分での出費が減るのは嬉しい話ではあるのだ。
けれども、冷静に考えると「国王や王妃に掛かるはずの生活面での経費が、ほとんどないのはおかしい」としか言えないのだった。
そうした異常なアレコレの上に、追加で不思議現象の目撃情報が出た以上は、調査せざるを得ないのが宰相の立場なのであった。
「なるほど。そのような話であれば、少しばかり席を外させて貰う。前当主である父の考えを確認したいのでな」
テニューズ公の言い分は、宰相にも理解できた。
宰相は彼の言葉で、「現当主がなにがしかの情報を持っているのが確定した」と、判断すると同時に、「それはおそらく、彼の父である前当主が、詳細を知る部分の伝聞」でしかないであろうことを察する。
加えて言えば「自家の情報を外部に出すか否か?」は、現当主だけで判断を下しても問題はないはずである。
しかしながら、それが伝聞でしかないあやふやなものであるなら、少々話が変わって来る。
その場合、事前に情報元から詳細の確認を取ることができるのならば、そうするのが当然だからだ。
そのような状況の推移で、宰相はテニューズ公爵邸の密談用応接室でしばらくの間待たされることになったのである。
「父上。宰相から陛下の異常性に当家が知っている情報を求められました。私が知るのは、『兄が赤子の時に空中に浮いていた』という話だけですが。他にも何かあるのでしょうか? それと、この件は宰相に開示して良い情報なのでしょうか?」
息子から宰相がもたらした情報の詳細な説明を受け、己の持つ情報と判断を求められた前テニューズ公。
彼は、冷めた視線を息子である現当主に向けた。
彼にとっては、「現当主が何処を重視するか?」を問うしかない話だからだ。
だが、それをいきなり問うても、息子には理解できないことが彼の中では明白となっている。
それ故に。
彼は、言葉を尽くして、順を追って行く選択をせざるを得ない。
前テニューズ公の中では選択するべき答えは既に出ているが、あくまでも最終判断は現当主が行うのが筋であり、現当主のみが結果責任を問われる立場であるからだ。
「宰相は、王宮で起きた不思議な現象の原因を究明するのも仕事の内だ。私が今聞いた限りでは、『人の手によって、王宮内で人間1人が拉致された』と、判断できる。今回は、拉致されたのが自裁を決意した警備責任者であった。だが、その対象が他の重要人物にならぬ保証は何処にもない。ついでに言えば、『拉致が行われる場所が王宮に限られる保証』もないな」
前テニューズ公は、現当主に対して語り出す。
但し、出だしで息子に語った部分は、問われている点への答えにはなっていない。
「それは、その通りでしょうね」
「当家は、ラックが生まれた時から、なにがしかの妙な力を持っていることを知っている。お前は知らぬことだが、『過去に他で似た事例がないのか?』を当時調べさせてもいる」
前テニューズ公は、これまで息子に明かしていなかった情報を追加した。
これは、過去の時点では重要ではない些末な情報として伝えていなかっただけなのだが、今の段階ではその評価を変更するのが妥当である。
「過去に調査をされたのは初耳ですね。結果はどうだったのです?」
「この国だけではなく、他国まで手を伸ばしても、似た事例は皆無だ」
「では、後姿が似ているだけでも、陛下だと断定して良いレベルでしょうね。少なくとも、同一人物の疑いは濃厚でしょう」
「そうだろうな」
「ならば、それを宰相に伝えても?」
息子の問いに、前当主としては失望するしかなかった。
彼は「息子にはやはり、先が見えていない」と、確信した上で、言葉を紡ぐ。
「お前は、このテニューズ家を、ファーミルス王国をどのようにしたいのだ?」
「『どのようにしたいか?』ですか? 家も国も維持と繁栄でしょうか。特に深く考えずとも、それが当然だと思っています」
「ラックは異能の力を持っている。少なくとも身体を空中に浮かせることが可能なのは確定だ。それを公にする話は、この家に、この国にどのような影響を及ぼすのか? そこに考えが至らぬか? 情けない」
テニューズ家の現当主は、実父に面と向かって「情けない」とまで言われると、さすがにカチンと来る。
しかしながら、彼はわからないことをそのままにして、怒りの感情のままに行動するほど愚かでもなかった。
ムカついていたとしてもそれを呑み込んで、教えを乞う姿勢、聞く耳をちゃんと持っているのだ。
「未熟で申し訳ありません。私には特に影響が出る部分が思いつきません。ですが、父上には思い当たる点があるのですね? 是非とも教えていただきたいのですが」
「ああ。私の見解を語ろう。まず、ラックは己の持つ力を公表していない。魔力量が0であっても、代わりに誇れる力となるやもしれぬのにだ。それを他者から公表されたなら、どう感じる?」
「なるほど。秘密を暴露されたら怒るでしょうね。つまり、国王の怒りを買う行為であり、喧嘩を売りに行くのと変わらないことになるわけですか」
「そういうことだ。更に他者にはない異常な能力を持つ人物を、同じ人間だとお前は考えるか? そんな人間を化け物だとは思わないか? 言っておくが、これは平民が潤沢な魔力量を持つ貴族を特別視するのとは、レベルが違うぞ」
「それは。とても同じだとは思えません。なるほど。異物を排斥する方向の話になりかねないわけですね?」
「理解できたか? 今のこの国の状況で、それが起きたらどうなる?」
「陛下は、望んで王位に就いたわけではありませんから、その座を退くことに否はないでしょう。王位を継ぐ人間の問題は再燃しますけれど。穏便に退位のみを迫れば話はそこまでで済みます。ですが、排斥である以上そうはならない。陛下が異端として抹殺されようとする事態に至れば、当然反撃を」
そこまで言いかけた時点で、公爵位を継いでから日が浅い男の言葉は止まる。
テニューズ家の現当主は、ここまで話が進んで漸く悟った。
そんな事態に陥れば、テニューズ家だけではなく、ファーミルス王国が丸ごと消え去ることを。
どんな人間が相手でも、いつでも自由に拉致可能な力。
そんな力を持った存在を、命のやり取りを躊躇わないレベルで完全に敵に回せばどうなるのか?
勝ち目などあろうはずがない。
ファーミルス王国お得意の、魔道具による強大な軍事力で対抗しようにも、それらを使用できる魔力量を持つ貴族の数は限られている。
個別に攫われて次々に殺害されてしまえば、どうにもならないのは火を見るよりも明らかだ。
どんなに豊富な魔力量を誇る貴族であっても、素の身体能力は人の領域から逸脱することなどできはしない。
いくら強力な兵器を扱う力があっても、所詮、人は人でしかないのだ。
要は、攫われて魔獣の領域や周辺に陸地のない大海原に放り出されでもしたら、どれだけ魔力量が高くとも助かる術などないのである。
更に恐ろしい事実にも、テニューズ公は気づく。
戦術、戦略として、何が優先して狙われるか?
それは、王家の炉を使用させない、魔石の固定化をさせないことであろう。
補給を断つのは軍略の基本中の基本であるため、王家と三大公爵家は真っ先に攻撃対象に選ばれることが想像に難くない。
強力な最上級機動騎士を操る能力を持つ者が次点となるであろうが、その点でも公爵家の人間は優先目標になってしまう。
つまるところ、もし、テニューズ公の兄が想像通りの力を持っているならば、敵対行為は自殺と何ら変わらないのだ。
「リムルめ! 王家を見限り、さりとてこの家には戻らず、フォウルを連れてゴーズ家に付いたのは、これに気づいていたせいだったか」
「後知恵になるが、そうであろうな」
前テニューズ公は、息子の吐き捨てるような言葉を肯定した。
彼はリムルの行動が消去法で残った選択肢の内の最善を選んだだけであり、その結果がラックの元に身を寄せることだったのに、現在は気づいている。
けれども、現当主にそれを伝えても何の意味もない。だからこその肯定であった。
もっとも、息子の発言の要素が「リムルの判断に全く含まれていない」とは、考えていないからでもあったが。
「では、宰相へは」
「当家に何か秘密があるのは、お前が席を立った時点でバレてはいる。が、だからと言って正直に情報を開示してラックと敵対するのは愚の骨頂だ。シラを切りとおすしかあるまい。宰相も、それで悟るべきことを悟るであろうよ」
そんなこんなのなんやかんやで、宰相は直接的に明言される情報を何も得ることなく、テニューズ公爵邸を去って行く。
但し、前テニューズ公が予測した通り、彼は言外の得るモノは得ている。
現在の文官の長は王宮に戻った後、先代である父親と話し合うことで、テニューズ家の意図を正確に悟ることができたのであった。
尚、拉致された張本人は、意識を失ったままで王宮の医務室のベッド上に寝かされているのが発見されている。
奇しくもそれは、宰相親子がテニューズ家の意図を悟ったタイミングと合致していた。
「えーっと。ちょっとやらかしてしまいました」
反省の面持ちで、ラックは夕食会に参加していた。
超能力者は警備責任者の治療を済ませた段階で、考えなしにテレポートを使って王宮の人間に見られた可能性に気づいたために、その後の王宮内の人の動きを千里眼で注視していたのだ。
当然、宰相親子や、テニューズ家でのアレコレも視ている。
問題は、視ただけなので会話内容が全くわからない点である。
「皆が知らない情報を先に補足しておきますわね。わたくしが負傷した事件の警備責任者が、事件調査を完了させて区切りがついたとたんに、責任を取るために切腹を敢行しました。偶々、その瞬間に気づいたこの人は、警備責任者が介錯される寸前に救い出したのです。が、咄嗟のことで偽装もなにもしていない状況だったのですわね。つまり、普段の姿を見られていますの」
ミシュラは、ラックの説明不足過ぎる発言にフォローを入れる。
彼女は、いつかは夫の能力がファーミルス王国にバレる日が来ると考えていたために、それなりの覚悟が最初からあった。
だからこそ、落ち着いた雰囲気を保ったままで、女性陣への冷静な説明が可能となったのだった。
「しかし、見られたとしても、一瞬の話だろう? 簡単にラックと特定できるものなのか?」
エレーヌは素朴な疑問を提示する。
彼女はラックのテレポート能力を知っているし、自身で何度も体験している。
それだけに、一瞬で拉致される状況を想定しやすかった。
彼女の考えでは、「コンマ何秒の話では、確実な目撃情報とはならないのではないか?」と、なっているのである。
「背格好、服装、髪の色。仮に直接顔を確認されていなくとも、その程度は大まかに覚えているだろうな。特にラックの髪の色が致命的な気がする」
リティシアはエレーヌに否定的な意見を出した。
彼女がそう判断するのは、ラックの持つ濡羽色の綺麗な独特の黒髪が、この国で見かけることはまずない色だからだ。
尚、彼女は知らないが、実は国外にまで範囲を広げても状況は同じだったりする。
「話の内容はわからないけど、宰相はテニューズ公爵邸に出向いてから王宮に戻っているんだ。僕が疑われているのは確実だろうね」
ラックは女性陣の見解を聞いて、新たな情報を追加する。
「そうか。ところで切腹した時代錯誤の馬鹿者はどうしたんだ?」
フランは警備責任者からの情報漏れを危惧していたため、まずそちらの確認を優先した。
彼は、ガッツリとラックの顔を見ている可能性があったからだ。
「そっちは、僕が治療して、さっきまで容態をみていたんだけど、問題なさそうだったので無人の王宮の医務室のベッドの上に置いてきた。本人には、僕の姿は確認されていないと思う」
ラックは治療に取り掛かる前に、背後から電撃を浴びせて警備責任者の意識を刈り取っている。
治療行為を見られたくない点も勿論だが、主目的は痛みで患者に動かれると治療に手間取るが故の対応である。
「お兄様。済んだことは仕方がありません。決めるべきは、王宮内で、お兄様への対応が変わった場合の対処ではありませんこと?」
「そうですわね。変化なしが最上ですが、より従順となるのか、敵対されるのか。敵対の場合でも度合いもあるでしょうし」
リムルの発言に、アスラが賛同しつつ言葉を足す。
ミゲラはこのような状況には慣れていないせいか、特に意見を出すことはなく聞き役に徹していた。
こうして、ラックは無意識からの咄嗟の反射的行為で1人の男の命を救ったことと引き換えに、己の持つ超能力の一部を宰相親子とテニューズ家に知られた。
宰相らの対応次第で、ファーミルス王国の行く末が左右される局面へと至ったのである。
存在自体を危険視されて、暗殺されかねないと考えざるを得なくなったファーミルス王国の国主様。王宮の動きを監視していたせいで、元王妃が嬉々としてゴーズ領に移り住む準備に入ったのを、物理的に不可能にする計画をしているシーラの様子を偶然知ることになる超能力者。「最高権力者になったはずなのに、安心も安全もない生活って一体なんなんだよ!」と愚痴のひとつも言いたくなるラックなのであった。
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