第174話
「『現行の王妃執務の、王宮での代行体制を変更する』ですって?」
シーラは最終決済が済んでゴーズ家から届けられた文書とは別で、自身と元王妃である義母宛てにそれぞれ送られてきた書簡の内から、自分宛てのものを手に取って開封し、内容に目を通して驚いていた。
そこには、辺境の地であるゴーズ領に、王宮から王妃教育係を一名派遣する旨が記載されている。
彼女は義母や自身が王宮を出られるとは、微塵も考えていなかったが故に驚いたわけだ。
貴族女性の社交で、必要な範囲としてのお茶会や夜会。
これらは、現行だと彼女たちが王妃執務の代行の一環として、参加する必要のあるものは、全て王宮を会場として開催されている。
本来であれば、家格の高い家が主催するそれに招かれて、出向く案件も少数ながら発生する。だが、彼女たちがそれを”全て”行わないことは、現王の体制下で周知されているのだ。
つまるところ、ミシュラの代行役を務めるシーラも元王妃も、王宮から一歩たりとも出る機会はないのである。
「わたくしと、貴女と、どちらがゴーズ領に滞在して、ゴーズ家の息女たちに王妃教育を施す教師役を務めるのか? その点についてはわたくしたちの話し合いで決めることになっていますわね」
元王妃は、シーラと同様に自分宛ての書簡に目を通した後、ラックから問われている決めるべき部分を口にした。
「そうですわね。ここはわたくしがその役目を務めましょう。お義母様はもうご高齢ですから、慣れた王宮の環境で過ごされる方がよろしいでしょう」
王宮での生活に息苦しさしか感じていないシーラは、この書簡の内容を即座に好機と判断していた。
それ故に、心にもない義母の身体を慮る体の発言が、するりと口から出る。
直ぐに思い当たるもっともらしい理由が、それぐらいしかなかったせいもあるのだけれど。
「いえいえ。魔力量はヤルホス公爵家の出の貴女の方が高いですし、そもそも、後ろ盾となる家の権力の大きさを鑑みても、侯爵家の出のわたくしよりも王宮に残るべきは貴女です。わたくしの年齢のことを言うのならば、仕事量が多い王宮には若い貴女が相応しいですわね」
元王妃の側も、シーラがその言葉とは裏腹に、老齢の自分へ配慮など全くする気がないことを察している。
様々な貴族女性の負の感情に触れて来ている元王妃は、取って付けたような理由で誤魔化されたりはしない。
黙って受け入れられない意見には、反撃あるのみなのである。
「お義母様はゴーズ領に赴いて、骨を埋めるおつもりですの?」
ガッツリと正論で言い返されたシーラは、このままでは不利と見て攻めるべきポイントをずらしにかかる。
ゴーズ家からの書簡で求められている仕事内容は、短期間で成せるような事柄ではない。
最短でも5年以上、下手をすれば10年以上ゴーズ領に滞在することになる。
彼女ではなく義母がゴーズ家の求めに応じて教師役となれば、「高齢の元王妃の寿命が彼の地で尽きる可能性が高い」と言えるのだ。
「そうですわね。それが今のわたくしには相応しい最後であろうと思えます。ニコラはわたくしの孫娘ですしね。逆に貴女に問いましょう。貴女がゴーズ領に赴きたい理由はありますの?」
「あるに決まっているではありませんか。飛ぶ鳥を落とす勢いのゴーズ家と、強固な縁を結び付けるチャンスなど他にありますか?」
「そんな理由ですか。では、わたくしが貴女に譲る必要はありませんわね」
それも理由のひとつに入っているのだろうが、本命の理由が別にあるであろうことを元王妃は見抜いていた。
シーラは国王代理を務めていた息子を完全に見限っているが、離縁には踏み切れない現状に苛立っており、そこから抜け出したいのが本音であるのだろう。
まぁ、息子の側に正妃からそう思われるだけの原因があるのを、母親の贔屓目があっても理解はできる。
彼女の息子は、未遂に終わったとは言え、一度は王族籍と貴族籍を捨てる、すなわち、彼女を捨てる考えを持って、それを発言した事実は重いのである。
少年王の代以降、王宮内の言葉のやり取りが全て文書化されるルールに変更になったおかげで、その辺りの記録もきっちり残っているのが、果たして幸せなことなのかどうか?
二度も義理の娘として迎えた、それでも全く馬の合わないシーラの表情を観察しながら、元王妃はそんなことを考えていた。
「あら。わたくしに譲る気がおありでしたの? まぁそれを言っても今更ですわね。ではどうやって決めますか? わたくしも自らチャンスを捨てる気はありません」
「当事者同士の話し合いで決まらなければ、選べる手段は多くありません。戦って決めるか、他者に決めて貰うか。この場合の他者は、陛下ですけれど」
シーラの引く気がなさ気な強気発言に、元王妃は冷静に打算をしつつ答える。
息子の正妃は、「おそらく魔力量0の男に、判断を委ねたくはないのであろう」と推測できる。
判断を委ねれば、シーラの意に沿わぬ結果が出る可能性が高いからだ。
元王妃は、それが推測できたからこそ、「煽りに行った」とも言うが。
「つまり武装決闘ですか。いえ、命のやり取りは禁じられていますから、『模擬戦』と言うべきですわね。どの方式でやりましょうか? スーツか機動騎士か。わたくしは生身でも構いませんが、それだとハンデがあり過ぎますわね」
「わかっていて問うのが楽しいのですか? 王宮から出られないわたくしにはスーツ戦以外の選択肢などないと理解しているでしょうに。生身での格闘戦は、やる前から勝負が見えていますから却下に決まっています」
そんなこんなのなんやかんやで、元王妃とシーラとの間でお互いに自前のスーツを着用して、ゴーズ領行の権利を賭けた試合が行われた。
若さで体力的に有利と思われたシーラだったが、元王妃の繰り出した老獪な戦術と、所持している純粋な戦闘技術の高さの合算がそれを上回る。
辛勝ではあったが、元王妃が勝利する結末となったのだった。
「負けたのがそんなに悔しいか? あの年齢になっても訓練を欠かさない母上に、お前が勝てる道理がなかろうに」
王宮で王家の魔道具を稼働させるためだけに生かされている男は、自身の正妃であるシーラに向けて、いたわる気持ちが欠片もない言葉を放つ。
「いつあの世からお迎えが来てもおかしくない老婆に、わたくしが負けるわけがないと思っていました。ですけど、直接本気で戦ってみて初めてわかりました。スーツの性能が違いましたわね。まさか、完璧に現在の個人の特性に合わせて調整されているとは」
悔しさで溢れるシーラであったが、試合後の彼女は自己の敗因を分析するだけの頭脳を持っている。
もっとも、次がある話ではないので、その行為は何の役にも立たないのが実態なのだけれど。
「それも含めての戦術であり、技術だ。言い訳にはならん」
「わたくし、ゴーズ領で仕事を得て滞在が許された後なら、貴方との離縁に踏み切れましたのに」
「そうか。俺たちの間には、もう子は望めん。好きにするが良いさ。今の俺は、王家の魔道具を動かすための陛下に都合の良い道具でしかないからな。現状には不満しかないが、それでも使われる道具として手を抜くことはできん。俺の後釜を、『ゴーズ領に居る叔母が狙っている』と聞かされているからな」
冷え冷えとした夫婦間の会話によって、生み出される建設的な未来は存在しない。
現状のこの2人は、今の状況を打開する術がなく、完全に詰んでしまっているのだから。
これも運命と言うモノであるのだろう。
自業自得な面が大きい元国王代理はともかくとして、シーラには運がなさ過ぎるだけで気の毒な部分もあるのだけれど。
ゴーズ家の夕食会で発案された王妃教育の場を分散する話は、王都側でこのような状況推移を辿ったのであった。
「と、まぁそんな話になりましてね。お義父さん。ライガに嫁ぐ予定のお孫さんもゴーズ領で王妃教育を受けられなくはない状況になります。ですが、貴族女性同士の社交部分だけは実地で学ぶのが困難なのです。ゴーズ領で大規模なお茶会や夜会を行うのは現実的ではありませんからね。ですので、『彼女だけは、王都でシーラの指導を仰ぐべき』と当家では考えているのですが」
ラックは北部辺境伯家の隠し部屋に、いつも通りに訪れていた。
国王になったことで、千里眼で視るべき場所が増え、労働負担は若干増しているはずなのだが、彼の日常の言動や行動に目立った変化はない。
それは、彼がゴーズ領の領主の館に居る時だけではなく、このような外出時でも同じであった。
「ああ、それで良い。孫には現当主の第2夫人を付けて王都で生活させる段取りが済んだところだ。孫娘が実際に王妃になるのかは怪しい気もするが、高レベルの教育を受けるのは無駄ではないだろう」
娘婿の発言を受けて、シス家の相談役を務める老人は了承すると同時に、眼前の男の態度を好ましく感じていた。
ファーミルス王国の最高権力を握っても、自身への接し方が全く変化しないラックは稀有な存在であることを、彼は理解しているからだ。
実際、強大な権力を手にして豹変してしまう人間は多い。
過去を振り返れば、自身の長男もそうした面が少々あったのが現実なのである。
「ところで、北東大陸の方はどうなっている?」
「えーっと、中核になるであろう位置に騎士爵領程度の規模で、村を1つ整備し終えました。ゴーズ家の内部では、バイファ村という呼称になっています。今は無人のままですけれどね。まだ、ずっと先の話になりますけど、クーガを頂点に置いて、支える家を3つ用意するつもりでいます」
ここでは、ラックが義父に向けて態々言及していない点もむろんある。
人目をはばからず、昼夜問わずでやりたい放題が可能な地において、ラックが大人しく普通の村の整備だけを行うはずがないのだ。
嫁たちの監視の目すらもないのだから、「何をか言わんや」の話と化すに決まっている。
北東大陸は元が浮島のような大陸であったため、ラックは思い付きから大陸の中央部付近の丘陵地を選んで、超能力を駆使して直下へと大陸を貫通する大穴を空けた。
ゴーズ家の元当主は、巨大な海水湖をそのような荒業で作り出している。
そうした甚大な環境破壊措置は、ラックの中では自画自賛するレベルでの、内陸部での塩の調達を見据えてのものであった。けれども、残念ながら将来的には、周辺地域での深刻な塩害の発生と、外海から湖底部分を通過して湖畔から這い出して来る魔獣の問題も、セットで付いてくることになる。
しかしながら、この時点では、神ならぬ身の超能力者がそういったデメリット部分に気づくことはない。
ゴーズ領での小規模な海水の引き込みを成功させた体験が、重大な欠陥の見落としを誘発しただけの話である。
そのような語られない部分にシス家の老人は気づくことなく、ラックとの会話は進んで行くわけだが。
「ほう。ファーミルス王国の王家と三大公爵家を真似るわけか」
「ええ。他に外周部を四分割して、東西南北に辺境伯に相当する家も。フランたちの子がこれから先に生まれますし、クーガの子もエドガだけってことはないので。鬼が笑うような話になって恐縮なのですが。500以上の魔力量の持ち主であれば、それ以外の条件には特にこだわりませんので、シス家から人を出していただいて縁談をなるべく多く纏めたいと考えています」
「なるほどな。北東大陸に展開する貴族家の魔力量を、外部の血を入れて調整するわけだな」
「そうです。初代は似通った魔力量の家ばかりになります。ただ、その状態が三代、四代と続くと、揉め事の種になりそうですから」
元々ある地形を利用して、領地の線引きを今なら自由に行える。
ラックは淡水の水源も含めて、高い位置から俯瞰した感覚で楽しんで整備方針を組み立てていた。
それとは別に、人が起こすであろう揉め事の種は、想定できる範囲で潰して行く予定である。
超能力者は気づいていないが、やっていることは彼のご先祖様であり、過去の偉人であるファーミルス王国の賢者と同レベルの国造りだ。
但し、法整備の部分を女性陣に丸投げし、自身で手出しをしないところが、「大きな差異」と言えるけれども。
「だろうな。だが、受け入れるのはシス家の血だけで良いのか?」
「当面はそれで。ゴーズ家にはこの大陸の東部で滅んだ国からやって来た人々も居ますからね。その中に居る魔力持ち。全員を魔道大学校に入学させるのは正直なところ難しいです。ですから魔力持ちでもファーミルス王国の貴族としては扱えませんが、500を超える魔力量を持つ人材はそこそこの人数を確保していますので」
「なるほど。公にはできなくとも、子を成す相手、婚姻の相手としては問題がないわけだな。近親者同士の婚姻で、血が濃くなり過ぎる問題も回避できるであろうし」
シス家の老人は、娘婿が意外にしっかり近親婚への対策を考えていることに感心していた。
「そんな感じですね。ま、30年、50年、100年先の未来に責任は持てないので、子や孫、それ以降の子孫に頑張って貰います」
「本当にそうか? 婿殿の経年変化が感じられない、若々しい容姿を長年見慣れていると、200年くらいはゴーズ家の面倒を見ている気がして来るが。勿論、そんなことはあり得ないがな」
相談役の笑い飛ばすような発言に、内心ではドッキドキのラックだったが、なんとかそれを義父に悟られることなく誤魔化す。
義父は何処まで悟っていて、それでも尚且つ黙って見ていてくれるのか?
鋭すぎる、或いは察しが良すぎる、頼もしい身内という存在は、嬉しいことも多いが怖くなる時もある。
そんな当たり前のことをラックは改めて感じつつ、義父との歓談の時間は過ぎて行くのだった。
こうして、ラックの知らぬところで、元王妃とシーラがバチバチにやり合う事態の発生から決着までが起こり、超能力者とシス家の相談役との間で、未来に向けた認識のすり合わせをする事態が平行して起こった。
彼が国王の地位にあるにも拘らず、彼に国王らしさを誰も感じていないのは些細なことなのである。
ミシュラが負傷した事件の捜査が漸く完了したと思ったら、警備責任者が腹を掻っ捌いて責任を取るという事態に直面させられたファーミルス王国の国主様。偶々、その現場を千里眼で視ていたが故に、深く考えずにテレポートで拉致してヒーリングで治療を施した超能力者。「責任を取るのに腹を切るって、そんなやばい文化まで広めないでくれ!」と、ご先祖様に文句を言いたくなるラックなのであった。
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