第145話
「『カストル家の当主交代の手続きのために、王都の役人が来ている』ですって?」
領境からの発光信号で来訪者の存在を知ったミシュラは、領主代行の執務の区切りをつけて、機動騎士で現地に向かう準備を始めていた。
そこへ、領境から急いでやって来た伝令が報告を上げて来た。
それを受けての発言が、冒頭のものなのである。
カストル家の家宰が、トランザ村を発ったのは僅か3日前の午前中の出来事。
彼が持ち帰りした交換条件は、”果たして成立するのか?”が多分に危ぶまれる案件であった。
その点は、彼が発った日の夕食会で、ゴーズ家の面々の意見が一致している。
そうした経緯があったにも拘らず、あまりにも早い事態の進展に、ゴーズ家の正妻は束の間だが唖然となってしまう。
それでもなんとか、秒単位の間を置いて再起動した後に、ミシュラは悟った。
あの日の晩に”彼女の夫が成し得た何か”が、原因となって起きたのが此度の事象であることを。
「カストル家の当主を、メインハルト様に、後見人に現当主を退くカストル公爵と、正妻のロディア様が就く手続きのために参りました。本来は関係者全員が、王都の役所の専用窓口に出向いて、手続きを行うのがファーミルス王国の規則なのです。ですが今回は特別。カストル公爵のご容体と、代理陛下からの命令もありまして、異例の方法となったことをご理解いただきたい」
王都からやって来た役人は、ミシュラを前にしても、不本意であることを全く隠せていない口調で一息に来訪目的を述べた。
「そうですか。遠路遥々ご苦労様ですわね。では確認のために、代理陛下が出された命令書と、”父”が提出したはずの当主交代の申請書類を見せていただけるかしら?」
ミシュラの冷めた言葉での対応に、やって来た役人は自身の口上が失敗であったことを遅まきながら悟る。
彼の眼前の女性は魔力量が2000であり、男爵家の下限に相当する魔力保有量しかない夫人なのは事実だ。
しかしながら、彼女の現在の肩書にいくら魔力量がそぐわないのだとしても、彼女がゴーズ領の領主代行の立場でこの場にいる以上は、ゴーズ上級侯爵の代理権限がある。
そもそも、上級侯爵の正妻というだけでも、本来ならば役人風情が彼女に敬意を払うことなしに、応対するのは許されるはずもないのであるが。
しかも不遜な態度な役人は、この場での態度や言動とは別の、致命的なミスを犯している。
彼はゴーズ領へ赴くにあたって、カストル家の正妻への状況説明ができる知識の詰め込みと、メインハルトの後見人になる同意書にサインを求める準備しかしていなかった。
ちなみにここでは関係ないが、役人が所持している同意書は、カストル家が細部に
要するに、王都からやって来た役人は、ミシュラから「確認のために見せろ」と要求された書類を、原本は勿論のことで、写しすらも所持していない。
彼がゴーズ家の正妻に対して証明できるのは、自分自身の官職の立場のみ。
身分証を提示して、己が王都の役所の担当官の1人なのを、表明するだけしかできないのである。
そうして、ミスを犯した来訪者は、自己の状況を理解した上で、強気の態度で誤魔化しに掛かる手段を選択する。
所謂、強弁という手法。
ミシュラに対して、それが悪手以外の何物でもないのを気づかないところが、悲しいことにファーミルス王国の役人の質の低下を物語っているのだが。
「私が当主交代手続きをする、王都の役所の窓口の役人であることは、提示した身分証で明白でしょう。そして私は、その職務を全うするために、
「できませんわね」
ミシュラは、自身の求めた書類の提示をせずに、長々と強弁を始めた役人を一言で一蹴した。
ゴーズ家の正妻は、若き日の学生時代の頃より、保有魔力量の少なさと公爵令嬢という立場のギャップで、他者から侮られること自体には慣れている。
しかしながら、慣れているからといって”不快である”という感情が沸き上がらなくなるわけではないのだ。
今のミシュラは、控えめに言っても、「内心は怒りの感情に満ちている」と、言える状況なのである。
「何故ですか! これは、王国の行政手続きに対する妨害行為ですよ!」
強弁で押し通す選択をした以上、すんなりと引き下がるわけにはいかない役人は、抗議の声を上げる。
しかし、既に蔑んだ目で彼を見ているミシュラは、それで対応を変化させることはない。
彼の精神を切り刻まんとする、彼女の言葉の刃は続くのである。
「貴方の身分証が証明しているのは、所属と役職。そんな物は、来訪目的の証明にはなっていませんわね。ゴーズ領は元々、自由な通行を認めてはいません。昨今は危険な伝染病の問題もあります。特にトランザ村は、この国の重要人物が複数滞在しています。貴方が今していることは、その身分証だけで王都の王宮へ入ろうとしているのと同じです。その身分証だけで、王宮へ立ち入れるのですか? ファーミルス王国の制度がそのように変更になったとは、わたくし寡聞にして存じません」
ミシュラの痛烈な嫌味満載の言葉に、王都からやって来た役人は折れた。
彼は見事な手の平返しを炸裂させ、土下座謝罪からの懇願という手段に出る。
ゴーズ家の正妻の求めに応じる書類を提示するには、一旦王都まで戻らねばならない。
彼はそのような時間の猶予を持ち合わせていないのだから、折れた後の行動は、ある意味当然の選択なのだけれど。
それを見たミシュラは、「そこまでできるならば、最初から下手に出なさいな!」と、思わず怒鳴りつけたくなったが、それは何とか堪えた。
形式に拘って、書類不備を理由に、眼前の役人を王都へ追い返すのは簡単。
だがしかし。
それをしても、彼女の気が一時晴れるだけで、ゴーズ家には実のところ、利があるどころか良くてイーブン。下手をすればマイナスしかない。
ムカつく役人を追い返したのが原因で、無駄に時間を浪費することによって、もしも、この当主交代の話自体が取り止めや変更になりでもしたならば。
ミシュラは、悔やんでも悔やみきれない状況に陥ることが確実だ。
そこまで瞬時に考えてしまうと、ゴーズ家の正妻の視点では以下のようになる。
彼女の眼前で平身低頭している役人に、恩着せがましく大きな貸しを作って、その上で彼がトランザ村へ向かうのを許可するのが良いのでは?
ミシュラには、それが最良の道であると思われた。
ところが、そうこうしているところへ、老人男性が現れた。
勿論、遺伝子コピーで変装した超能力者の登場である。
ラックは役人に対して、接触テレパスを駆使した尋問を平時と同様に行って終了させ、同席していたミシュラへ「人物判定の結果、入領に問題なし」と伝えて去る。
さらりと去ったゴーズ家の当主がテレポートで先回りし、トランザ村で待ち構える姿勢なのは、言うまでもない話なのだった。
「本来、来訪目的を証明する書類を持たない貴方は、トランザ村には立ち入れません。ですが、先ほどの尋問での判定には引っ掛からなかったので、今回はわたくしの裁量で特別にトランザ村への入村を許可します」
ラックが尋問を終えている時点で、実は通常の入領手続きだとミシュラが提示を求めた書類は必要がない。
但し、”ロディアへの面会が叶うかどうか”については、別問題となるわけだが。
それはさておき、そんなことを知る由もない役人に対し、しっかりと貸しを作っておくゴーズ家の正妻は、やはり怒りが完全に収まってはいなかったのだろう。
彼女が”領”ではなく、”村”として役人に話をしているのは、まぁそういうことなのだった。
「ありがとうございます!」
「トランザ村へは、ここから当家の家臣の車に同乗して向かっていただきます。準備ができしだい出発して下さい。わたくしは、先に戻って受け入れ状況を整えます」
ミシュラは先行して、下級機動騎士を駆ってトランザ村へと戻る。
デンドロビウ村側から、トランザ村側へと長城型防壁を越えたところで、彼女を機体ごとラックがテレポートで拉致したのは、些細なことなのである。
「詳細を聞く前に、状況が変化してしまったので推測止まりなのですが、今回の話が来ているのは、父の身に何かありましたのね? あの役人は『カストル公爵のご容体』と口にしました。そこから推察できるのは、”病に倒れた”という状況なのですけれど」
ミシュラは、ラックが詳細を知っている前提で、水を向ける。
15分から20分後には、王都からやって来た役人がトランザ村に到着すると考えている彼女は、先に知っておくべきことをラックが話してくれるのを待つ。
「カストル公爵は、所謂、下半身麻痺の状態になっている。厳密に言えば、両下肢麻痺って症状。後は、下の部分は垂れ流しって感じだね。病名と言って良いのかどうかを僕はよくわからないけれど、それっぽい言葉で頸椎損傷ってのがある。原因はそれで、治療方法はない。自然治癒もない。だから回復の見込みはないってこと。ただ、頭脳や上半身には全く影響がない。僕にわかっているのはここまでだ」
ミシュラはショックを受けた。
それは、ラックが自身の父親を故意に負傷させたことへではない。
超能力者からの父への一方的な攻撃による負傷。
以後の父の人生で、二度と歩けなくなるほどの重症。
それらを想像できても、何も感じない自らの心に驚く。
ゴーズ家の正妻は、本当の意味で、自身が父親の、あるいはカストルの血縁の呪縛から完全に解放されていることを、この時初めて気がついたのである。
「その、貴方でも治せませんの?」
既に肉親への情は微塵もない。
だが、”それはそれ、これはこれ”だ。
ミシュラは、自然にラックに向けて治療の可能性についての質問をしていた。
実際、父親の治療をして貰うことを望む望まないとは関係なく、超能力者に”何が可能なのか?”を知っておくことは重要であった。
「試してみないと確実だとは言えない。けれど、おそらく僕なら治療できる。どうする? カストル公爵家の当主交代を完了させた後なら、メインハルト君の命が失われない限り、ミシュラの父は当主に復帰することはできない。ミシュラ、君が」
「いえ。それは。できるのだとしても、しない方が良いでしょう。少なくとも年単位のある程度の期間は、様子を見ての判断が妥当だと思います。ですが、アスラやミゲラ、娘2人の全員が、わたくしと同じ意見だとは限りません。ですので、貴方が治療できるかもしれないことは、伏せておいた方が良いですわね」
言いかけたラックの言葉を、ミシュラはあえて遮った。
夫の気遣いは嬉しいが、彼女の考えだとそれは危険な未来を招き寄せるからだ。
彼女の父の視点で物を考えるならば、彼はゴーズ家の秘薬の効果を、南部辺境伯領を任された母親の件で、より一層深く理解したつもりになっていることが想像に難くない。
何の話かと言えば、メインハルトの代わりが得られる可能性の認識の仕方の問題である。
人は、得難い物は大切に扱うが、容易に得られる物を同様に扱うことはまずない生き物なのだ。
そんなこんなのなんやかんやで、王都からやって来た役人は、トランザ村に僅か30分ほど滞在しただけで、ロディアのサイン済みの文書を手に引き上げて行った。
カストル家の正妻がサインを求められた同意書には、彼女が家宰に伝えた要望が付帯条件として全て網羅されており、特に改めて訂正を求めたり、何かを追加する必要がなかった。
その上、カストル公爵がサイン済みの控えが彼女の手元に残るように手配されており、文面を読むのに5分、かみ砕いて理解し、粗がないかを検討するのに10分。
サインをするのに必要だった時間は15分程度だ。
勿論、その前にこうなるに至った経緯が役人の口から、10分以上も独演会状態で語られたが、ロディアはそんな物に興味などない。
語られた話でロディアにとって重要な点は2つ。
一つ目は、足が不自由になったことを理由に、現カストル家当主が当主を退き、メインハルトの後見人としての当主代行の仕事は家宰と第2夫人の補佐で処理する。
二つ目は、ゴーズ家に係わる案件は彼女の承諾なしには何もできない。
その2つのことだけがわかれば、後は何だって良いのである。
そもそもの話、ロディアは婚姻した相手に、愛情があったわけではない。
そのような相手の
これでは、良い感情など持ちようがない。
夫の両足の話を聞かされても、「そうなったことで、すんなりと今回の話が纏まったのだから、良かった」と心の中で呟いているくらいだ。
勿論、心の中だけで、実際に口出さない分別はあるわけだが。
見様によっては、冷酷な正妻。
だが、”身籠って男子を産むのを望む”という理由のみで、年の離れた老人に実質買われたような身の上の女性に、愛情まで求めるのは筋違いと言うモノであろう。
ロディアの肩書はカストル公爵家の正妻となっている。
だが、王都を離れ、トランザ村で子育てに邁進する以外にやることのない彼女に、そんな物は何の意味もない。
正妻として家内で権限を振るうことも、序列が下の夫人たちに威張り散らすことも不可能なのだ。
もっとも、彼女は別にそれがしたいわけではないが。
現状のロディアは、人として正常な感情と思考の持ち主なのである。
こうして、ラックはミシュラにだけは、それとなくぼんやりとではあるものの、彼がカストル家当主に行ったことを悟られた。
第2夫人以下の妻たちは、超能力者の持っている能力を正妻ほどに熟知しているわけではないため、僅かな疑念を持っても確信にはほど遠い。
更に言えば、真実を知っても何の得もなく、むしろ厄介事を引き寄せることに全員が気づいてしまう。
彼女たちはそこで、考えることを放棄し、自然に忘れる方向へと舵を切ったのだった。
ロディア機の代替機については、実機での補填か金銭補償のどちらになるのかを保留とされたゴーズ領の領主様。目論見通り、今後カストル家からの過度な干渉を遮断することに成功した超能力者。大きな山をひとつ越えたところで一息ついて、アナハイ村の様子を千里眼で確認し、げんなりとしてしまうラックなのであった。
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