第95話
「第1王子が亡くなったですって?」
第2王子妃を務めるリムル・ファーミルスは、早朝から飛び込んできた話に驚いていた。
急報となった王太子死亡は事前になんらかの兆候があった話ではなく、想定している事態でもないため、彼女が驚くのは当然でもあったわけだが。
「閨を共にしていた第一発見者の王太子妃シーラ様は、宮廷医師の検死が終わるまでは軟禁状態に置かれるそうです」
「兄貴が逝ったとなると、俺が継承権第1位に繰り上がるな。親父はもう代替わりを考えているはずだから、これは俺の戴冠が近いぞ」
リムルの夫は、責任が軽かった今までの立場を嫌いではなかった。
彼は幼少期から国王を継げるだけの厳しい教育が施されているにも拘らず、自身があくまで万一の場合に備えてのスペアの役割でしかないことを、周囲からの兄との扱いの差で感じ取っていた。
彼の魔力量は若干ではあるが兄を上回っている。
他の様々な能力面でも、微々たる差ではあるが、第2王子は兄に勝っている。
それは客観的な事実であり、本人の自負もそうであった。
だが、それでも”長子である”という兄の持つアドバンテージを覆すことはできず、彼に与えられた王位継承権の順位はずっと2位でしかなかった。そのため、無駄な権力欲を持つことを、彼は早々に諦めてしまっていた。そうしなければ、精神的に耐えられる話ではないからだ。
そして、自身が王となる目を諦めて開き直ってしまえば、面倒な仕事を少々振られはするが、それらは失敗しても取り返しが付く物ばかりで、責任は軽く気楽な立場であった。
元々の能力が高く、気楽な立場で振られた仕事を熟していたが故に、”失敗らしい失敗がなかった”という優秀で、皮肉でもある実績を残し続けたりもしたわけだが。
更に言えば、結果的に塔に放り込まれたあの愚弟が、まだ王族に籍を置いていた時は、そちらに仕事を投げることも可能であったりしたのだ。
しかし、状況は一変した。
至極当然の話だが、継承権の1位が消えれば2位は1位へと繰り上がる。
遥か昔に諦めてしまったはずの至高の座が、確実に手に入る状況へと突如として変化した。その時、彼が真っ先に考えて楽し気に思わず呟いてしまったのは、「さて、今まで俺を冷遇してきた奴らをどうしてくれようか?」であった。
つまるところ、ここでもよくある話が再現されてしまうのであろう。
けれども、それはラック個人やゴーズ家に、「直接的な被害」と言うか影響が出る事柄ではないのだけれども。
「『第一発見者だから』という理由だけで軟禁されても、長くそれを続けるわけには行かないでしょう。普通に考えて、『王妃に絶対なりたくない』という意見の持ち主で尚且つ、『お腹を痛めて産んだ長男を国王にしたくない』との考えでも持っていない限り、王太子の殺害などするはずがないですわね」
「だな。しかも本当に行うのなら、真っ先に自分が疑われて軟禁される方法は選ばないだろうよ。そもそも、義姉上が『王妃や国母になりたくない』とか誰が信じるよ? やる気の塊だろうが! そうでなければあの母上が主導して行った王妃教育に耐えられるものか! ここでしか言えぬが、母上は公爵家の令嬢に対しての劣等感をお持ちだからな。『過去に一体何があったのか?』は怖くて聞けぬが」
薄々は知っていたことだが、改めて自身の夫であり、現王妃の実の息子でもある人物がそこを明言してしまうと、その内容にドン引きするリムルだ。
そして、そこまで話が進んだ時に気づいてしまう。現王妃の教育対象に自身が含まれてしまった可能性についてだ。
「その王妃教育なのですけれど。時期はともかく貴方が戴冠する予定のお話になった場合。わたくしもあのお義母様から教育を受けるのかしら?」
「頑張れよ? 未来の王妃様」
夫にそう言われても、リムル的には、心情面でいきなり重責がある立場へ放り込まれる話に反発があるのは事実だ。
そもそも、第1王子ではなく第2王子と彼女の婚約が決まったのは、相手が
王家や公爵家として魔力量の維持は重要な課題だが、近親婚を繰りかえして血が濃くなり過ぎるのも、長い目で見れば害が大きくなるからだ。
外部からの目に、王家とテニューズ公爵家の関係が、2代続けて深くなり過ぎているように映るのもよろしくはない。彼女の母は元王女で、国王陛下の妹なのだから。
「その立場になる可能性が0だと思っていたわけではありませんが、限りなく0に近いので無視して良いレベルだと思っておりましたのよ? ところで、元王太子妃となってしまう義姉様は疑いが晴れた暁には、どのような処遇になるのかしら?」
何気なく思ったことを言葉に出したリムルだったが、後半の部分は次期国王の筆頭候補確定に繰り上がった人物に渋面を作らせた。
「子が居なければ実家に戻されていただろうがな。元王太孫になったあの子は俺が国王になると、王位継承権の順位が順当に行けば俺の次代の2位になる。1位は当然リムルが産んだ子だ。でだ、その実母だけを実家に戻す、或いは子連れで戻すのは、親父は勿論だが、母上と宰相が了承しないだろう。ついでに言えば、ヤルホス公爵もだな」
そもそも王妃教育を受けて、それが完了しているという時点で、元王太子妃のシーラは王家の秘密の一部に触れてしまっている。
そのため、実はそう簡単に”実家へ戻す”という選択は取れない。つまり、第2王子の「子が居なければ」の部分の発言は”ほぼ”間違っている。
”ほぼ”であって”完全に”でないのは、彼女の場合は、戻るとしたら行き先が公爵家になるから。それはすなわち、王家の分家の成り立ちの家であることを意味する。よって、元々丸っきり王家の秘事に無知であるわけでもない。つまりは、「実家に戻される可能性は非常に低いが0ではない」と言える。
これがもし彼女の実家が侯爵家以下であったなら、秘密の流出を防ぐために絶対に王宮から出されることはなくなってしまうけれど。
近々で似たような境遇の案件だとアスラの例があるが、彼女は第3王子妃であって王太子妃ではなかった。要は彼女の場合は、王家の秘密に触れている度合いが違い過ぎる。そして子が男子ではなく女子であった点も大きい。
娘のニコラは罪人の子である女子となってしまったため、王族の籍に残す選択がなかった。王族の女性として、婚姻政策の駒にはできないからだ。
厳密に言えば、「第1王子か第2王子の養女として王族の女性の扱いにすること」は、できなくはなかった。だが、関係者全員がそれを拒否した。
それは、もしそうしてしまうと、ミシュラの姉の娘は家名に変化がなくなってしまうため、”処罰が何もない”と、周囲にいらぬ誤解を生む可能性が大き過ぎたためだ。
アスラやニコラは罪になるような犯罪を実行したり、計画したりはしていない。
彼女たちの夫、或いは父に当たる第3王子のやらかしに、彼女たちが絡む余地などあったはずもないのは、誰もが認めるところである。
しかしながら、犯罪行為への抑止力という観点からすれば、本人だけに罰があり、責任を取り切れるのは「問題がない」とも言えない。
結局のところ、”やらかした本人の周囲にもなにがしかの被害が及ぶ”という形は必要なのだ。
但し、そのような状況下で、もし厳罰を以てアスラとニコラに連座の適用を行えば、カストル公爵が黙っているはずもない。
カストル家の当主は、実の娘や孫娘への愛情が0というわけではないからだ。
もっとも、黙っていない理由の大部分と言うか九分九厘を占めるのは、その点ではないのだけれども。
表現は悪いが、当時のカストル家にとっては、彼女たちは公爵家に戻せばまだまだ使い道がある有用な駒だった。それが事実であり現実である。
そして、実際にその後、カストル家の跡取りとなる男子を得るために活用されたのだから、”当主のその判断が間違ってはいなかった”と証明されている案件なのであった。
「シーラ様はお子さんを連れて離宮の部分に居を移しての生活ですか? それとヤルホス公爵は、孫の王位継承権が1位でなくなるのを容認しますか?」
「居を移すのならそこしかない。それと公爵は容認しないだろうな。リムルやフォウルの命を狙って、排除するような危険を冒すことはさすがにないと思うが。テニューズ公爵はどう動く? 仮にフォウルの王位継承権の順位が1位ではなく2位以下にする話が出た場合だ」
フォウルはリムルが産んだ第1子の男子だ。魔力量だけを論ずれば、父の第2王子を上回り、現在存命中の王族の男子では最上位となっている。
「面子の問題にすり替わりますから、多数派工作に走るでしょうね。でもそれはヤルホス公爵も同じでしょう。カストル公爵家とゴーズ上級侯爵家、4つの辺境伯家と6つの侯爵家。それらがどちらに側に立つのかで最後は決まりそうですわね。これまでの旗色的に、辺境伯家は2:2でしょう。侯爵家も然り。どちらか片方に偏りはしないかと。となると、実質はカストル家とゴーズ家の支持を得た方の意見が通るとわたくしは考えます。鍵を握るのはおそらくゴーズ家ですわね」
リムルの発言は彼女が知る限りの情報から導き出された物で、その見解は的を射ている。
「リムルは冷静なんだな。フォウルの順位が下がる事態とは、おそらく君の立場が第2夫人以下に落ちることとセットになると思われるのだが?」
「わたくしがジタバタしても、どうにかなることではございませんから」
「では、そんな君の予想を聞いておこう。カストル家とゴーズ家はどっちを支持する?」
リムルの夫は完全に他人事であるかのように、興味本位で楽しんでいる体で問うた。
彼からすれば、正妻が交代した場合、そちらとの間に男子が生まれる可能性がある。その場合、魔力量次第とはなるが、兄の遺児を押し退けることが可能となるからだ。
彼自身を含めた関係者全員の魔力量を鑑みると、男子が生まれさえすれば実現する確率が高い話だと彼には思えた。
そして、その状況になってしまえば、ヤルホス公爵、シーラ、リムルから反対されることは考えられない。
古い話を持ち出せば、元王太子妃となってしまったシーラは、兄の妃となることが決まっているのを承知していても、過去には彼の恋愛と言うか好意を向ける対象となっていた人物だったりする。
そして、政略結婚で繋がった関係だけであるリムルと彼女を比較すれば、彼が女性として欲しているのは元兄嫁の方だ。
勿論、彼はそれを表立って出すことはない。けれども、眼前の正妻がそれを薄々察知していることに気づいてもいる。
この場の夫婦間の感情は、実に複雑な様相を呈していた。
「わかりません。わかっているのは、2つの家が分かれることはない点だけですわね。今のカストル家とゴーズ家の結びつきは『異様なほどに強い』と言えます。生まれたばかりの嫡男を実母ごと他家に預けたままなどという事態は、前代未聞ですから。いくら実母の実家に問題があろうとも、ゴーズ家にカストル家の娘が2人嫁いでいようとも、通常であればあり得ない選択ですわ」
内実はともかく、外部からの視点では、カストル家とゴーズ家が急接近して良好で強固な関係を築いているように見えるのは事実である。
実態は両家の関係は利害と打算のみで繋がっており、とても良好などとは言い難いのだが、そんなことを外部の人間が察するのは難しいと言うか不可能。
そして、”分かれることはない”という点に限れば、リムルの考えはあながち間違ってもいない。
今のカストル家は、ゴーズ家と完全に敵対することを避けたいからだ。もっとも、クーガの魔力量の情報を知った上で、ゴーズ家から彼を奪えるのならば、手の平クルンがあり得たりもするのだけれど。
「一応聞いておこう。リムルが鍵を握ると見ているゴーズ家の当主は、君と同腹の実兄だな? 血縁のよしみで力添えを頼んだりはできないのか?」
「血の繋がりは事実ですが、他人以上に距離がある冷めた関係ですからどうでしょうか? 父はわたくしと同じ判断をするでしょうが、ゴーズ家への働きかけはしないでしょう。『できない』と言うのが正しいかもしれませんわね。カストル家への要請は行うでしょうが、それが結果に影響するかどうかは。多分ですが、しないでしょう」
「そうか。なんにせよ俺が次の国王になることは動かないだろう。王妃はそれが務まる女性であれば俺に文句はない。俺の次代については先の話で王位を継いだ後、直ぐに継承権の順位は決められるが、それは以降に変更が絶対に起こらない物でもない。俺が感情で口出しして影響力を持てるのは、王となってからある程度実績を残したその先だろう。今の俺には決定権などない。そして王家に害のある行動に出ない限り、リムルの行動を阻害もしない。好きにして良いぞ」
次期国王筆頭候補と、その正妻の間で、王太子死亡の事態を知らされた直後に私室で行われた話はこのようにして終わった。
この後、リムルは独自の考えに基づいてラックへと使者を出す。
未来がどう転がるのかを、この時点で予測できている人間はどこにも居なかったのだった。
こうして、ラックが急報や使者の訪問を受ける前の段階で、彼の義弟と妹は話し合いをしていた。
超能力者からすると、ことが露見する前の話であるため、千里眼で状況を視ることが不可能であったのが、後から彼が残念に思う事柄になるのだった。
この話では出番がなかったゴーズ領の領主様。持っている順位はもの凄く低く、王族及び公爵家が、王都丸ごと全部消滅でもしない限り、その事態はない。そんな話ではあるけれど、一応王位継承権を持っていたりする、陛下の甥で元王女の息子のラックなのであった。
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