第93話
「飛行船の船長全員を妻として迎え入れたいですって?」
ミシュラは突拍子もないラックの発言に驚いていた。
そもそも、最初から驚き自体はあった。彼女は通常なら作業中で戻ってこない時間帯に、執務室に突如現れた夫の姿にまず驚かされた。そして、夫に、”緊急で伝えたい何事かが起こったのだろう”と、それだけで察しはついた。彼が今見せている、少しばかり困った時だけに表れる、特徴的な表情がそれを物語っていたからだ。
そうして、彼女の愛する夫が告げた内容は、全く予想外のことであり、それが冒頭の発言に繋がっていたのである。
「怒らずに、事情を冷静に聞いて欲しい。大前提として、僕には『彼女たちに惚れたとか、性的対象として囲い込みたい』という考えはない。そこは大事な点だから誤解のないようにお願いしたい。今回のこれは、『形式的に必要だ』と判断したからこその話だ。政略結婚ってわけではないけど、内実は限りなくそれに近い」
ラックは困った表情のままで、ミシュラに語り掛けた。
そして、ゴーズ家の正妻は、「冷静に聞かなければならない」と、湧き上がる怒りの感情を抑え込もうと努力をしていた。彼女がそう努力しているのは立派なことではあるのだが、逆に言えば「そうしている時点で、もう既に失敗している」とも言えたりするのだけれど。
「ええ。わたくしにわかるように説明して下さる?」
「うん。順に説明する。ドクが飛行船の改造に着手したことは知っているよね?」
「以前に概略の構想だけは順調に進んでいた件ですわね? 飛行機の引き渡しの対価で得られた魔道具の組付けと試験が行われていることは承知しています」
「地上での稼働実験段階で、レフィールが手を出し、彼女に魔道具が動かせることが判明した」
「何ですって!」
試験である以上は、いきなり大型の必要魔力が大きな魔道具を試していることがあり得ないのはミシュラにも容易に想像がつくし、理解できる。
話の内容からは、”レフィールが200を超える魔力量の持ち主なのだ”と察しもついた。だが、それであれば、ゴーズ家の直臣扱いの家臣にすれば済む話となる。よって、その程度なら”妻にしなければならない理由”に該当はしない。
つまり、彼女の視点からすると、この話にはまだ先があるのである。
「普通ならそこで、所持と使用が厳格に定められている魔力量の検査機の出番になるから、本来なら僕のところにまず連絡が来るはずなんだけれど、ドクが検査機を持っていたんだよね」
魔力量を計測できる機器は、王都だと王家と魔道大学校にしかない。それ以外だと辺境伯が所持と管理をしている。これは、王都まで行かずとも検査ができるようにしているためだ。
北部辺境伯領であれば、開拓領主から希望があれば機器の貸し出しは行っている。数自体は1つしか持っていないわけではないからだ。
但し、使用には魔力量2000が必要となるため、領主全員が希望するわけではないし、残念ながら全員が希望すればそれに応じるだけの数はないのだけれど。
管理が厳格であるので、魔力量の検査機は、使えば使用回数と対象者のリストの作成が義務付けられる。機器側に使用記録が自動で残るため、それを誤魔化すのは難しい。付け加えると、機器に残る使用記録も、使用対象者のリストも、確認をしても測定された魔力量の数値の結果はわからない仕様となっている。
それを知るのは検査機を使用した人間のみで、検査を受けた人間ですら結果を知らされなければ数値はわからないのだ。
これは、記録の流出の危険性を考慮した、ラックのご先祖様である賢者の拘りの仕様だったりする。だが、”検査した人間が知った数値をどう扱うか?”で、情報流出の危険性が変化する事柄でもあるため、せっかくの拘り仕様も、実はあまり意味がなかったのかもしれないが。
そして、辺境伯からの検査機の貸し出し自体は、届け出ればたいていは受けられるが、借りていると月に1度の使用実績報告の提出も必要である。つまりは、管理が面倒だったりもする代物なのだった。それでもゴーズ領は、ミシュラがクーガを身籠った時以降、ずっと貸し出しを受けたままであるのだけれど。
ここでは関係ないが、周辺国の長には簡易検査が可能な検査機をファーミルス王国から贈与されている。それは、色と発光量で大まかな魔力量を判別できる機器だ。
具体的には、魔力量が200以上の者が手で触れると、それ以下の場合とは明らかに違う発色をし、更に色の濃淡と光の強さで魔力量を類推する仕組みの機器。
簡易と称されるだけあって、魔力量の数値が正確にわかる物ではないし、色合いの差や発光量の差が微妙で、慣れているベテランでもなければ、それを見ておおよそでも魔力保有量を判別するのは難しかったりする。
ちなみに、簡易検査のみしかできない検査機は、それなりに値は張るが、一応普通に売られている合法品。輸出の制限もされておらず、必要魔力量は1で誰にでも使うことができる魔道具だ。
それ故に、事例として多くはないが、人買い目的の行商人が持っているケースもある。但し、高価なそれの所持がバレれば、行商の道中で盗賊に狙われて襲撃されかねないリスクも負うわけだけれど。
「ファーミルス王国がきっちり管理しているはずの魔力量の検査機を、貴方の叔母様が個人所有しているのは、問題しかないような気がしなくもありませんが、今はそこは置いておきましょう。で、魔力量の検査結果は?」
「『1番船のレフィールが2200、2番船のルクリュアが2000、3番船のサバーシュが2100の魔力量の持ち主だ』と、ドクからは聞いている。ちなみに息子たちの検査結果は、全員100以下。平民としては高い方ではあったみたいだけど、正確な数字を僕らが把握しておく必要はないでしょ」
魔力量を聞いた瞬間、ミシュラは理解した。ラックが3人を妻に迎える理由は、過去に自らがテレスの魔力量を知った時に行った措置と、本質的には同じだからだ。
「彼女たちを貴族籍に入れるための手段というわけですか。そして、貴方の妾にしてしまえば、魔力量目的の求婚を受けることもなくなる。そういうお話ですのね?」
「うん。まぁ平たく言うとそういう話だね。なので、ミシュラの許可が欲しいのだけどね」
「事情はわかりました。他にそれ以上に有効な手段がない以上は、仕方がないでしょう。ですが、正式な夫人枠ではない以上、扱いに差は付けますわよ? 夕食会への参加は当面許可しませんし、妻としての権力行使は妾に相応しいレベルに制限します。貴方が彼女たちをどう扱うかまでは制限しませんけれど、常識の範囲内でほどほどにお願いしますね。家内でも対外的な面でも、それなりの体裁は整えます」
ミシュラの言い分は、3人の妾に対して厳しいようにラックには聞こえた。が、”それも仕方がない”と納得もできる。
現状だと、トランザ村の館にはカストル家のロディアが滞在しているのがその理由となる。
ゴーズ家の当主が、正妻や第5夫人までの妻たちと妾との差を、明確ではない扱いをして、それを知られると問題になるからだ。
厳密には彼女だけに知られるならば問題は少ないが、彼女経由で外部にそれが漏れた場合に不味いことになってしまう。
その可能性をゴーズ家の正妻が未然に潰しに行ったのが、この対応となる原因であった。
そんなこんなのなんやかんやで、ミシュラの許可が出た後は、事態がサクサクと進む。
レフィール、ルクリュア、サバーシュの3人は王都の役所で然るべき手続きが滞りなく行われ、あっさりとラックの妾としてゴーズ家の一員に名を連ねることになったのだった。
例え、ここまでルクリュアとサバーシュの2人は台詞すらなく、人物像が全く読者様に全く伝わらない女性だったりしても、そのような結果になったのである。いいね?
尚、この話には続きがあり、ミシュラと船長たち3人の面談が行なわれた結果、当初のラックの「形式的にだけ」という主張は、女性側3人の強烈な要望により崩壊した。
具体的に何がどう崩壊したのかと言えば、それは「夜のローテーション」のお話となる。
結論から言うと、夫人たちの日程6日の後、彼女らの1日完全休養日を設定し、そこを船長たち3人に割り当てられることになったのだが、それはゴーズ家の当主の意思を確認することなく、女性陣のみで話が勝手に進められて決められた。
なんだかんだと、その手の部分は決定権が完全に正妻の手の内となっているのが、歴史もなく伝統もないはずの新興の家であるのに、”ゴーズ家のしきたり”となっていたのだった。
時系列的に状況を整理すると、秋にゴーズ家に次男のライガが生まれ、冬になって直ぐにカストル家の長男メインハルトが生まれた。その後、そう時間を置かずにスティキー皇国との戦争が始まって、短期間でコッソリと実質終戦となったのは年の瀬の足音が迫る頃の話だ。
そうして、春を迎える前の、冬の終わりよりはまだ少しばかり早い時期には、ラックの叔母様はゴーズ家に居座っていた。
前述の船長さんたちの魔力量が発覚したのは、カールが魔道大学校に入学する直前の時期となる。
特に触れる機会がなかったため、ここまでの話に記述が一切なかったが、ルティシアは既に魔道大学校に入学しており、この年の4月で最終学年に上がる。
時はちゃんと流れており、子供たちは順調に歳を重ねているのだった。
クーガはこの年の誕生日を迎えると15歳となり、来年の春には魔道大学校に入学することになる。つまり、彼の豊富な魔力量はその時点で白日の下に晒される。
その時が来れば、色々な厄介事が起こるのは確実であり、それまでにラックは地力を蓄えねばならない。
尚、婚前であるのに、ラックの嫡男には入学前にミレスとの間の子供が生まれて来る予定がある。だが、将来彼に起こりそうな問題の大きさを考えると、それは些細なことなのだった。
上級侯爵のラックには、爵位で言えば「上にいるのは王家と3つの公爵家」しかおらず、そこを黙らせるだけの力さえあれば良い。幸いなことに、北部辺境伯であるシス家とは良好な関係を保っており、ゴーズ家に無茶な要求が出れば、義父は擁護の口添えをしてくれるはず。
ゴーズ家の当主には、ファーミルス王国から離脱する気は、現在のところ「毛頭ない」と言って良い。
クーガの代以降になっても、ゴーズ領が独力で現行以上の生活水準を保ち、魔獣の脅威を撥ね退けることが可能にならない限りは、王国から離脱しての独立は長期的視野に立てば自殺行為以外の何物でもないからだ。
王国から円満に独立し、現在あるスピッツア帝国や、バーグ連邦のような国と国との関係を保てるのならば、独立王国の建国に一考の余地はある。けれども、独自の技術を抱えている今、そのようなことは起こり得ない夢物語である。まして、王族級の高魔力の持ち主がゴロゴロ居るのが発覚すれば、婚姻の話も来るに決まっている。
つまるところ、前提に大きな変化が起こらない限り独立はない。その点は5人の妻たち全員の意見が一致しているのである。
「飛行船の燃料の大元の原材料になる藻の生産は、この大陸の気候だと無理。そういう話なんだね?」
ラックはスティキー皇国に技術習得に出した譜代の家臣扱いの娘から、中間報告を受けた。
船体の建造技術も大切だが、運用に必要な燃料確保も重要な課題となる。但し、現行では戦時に鹵獲した分が大量に在庫としてあるため、3隻の飛行船だけなら、フル稼働させても数年は平気だったりはするのだけれど。
「ゴーズ領で量産可能な油は菜種油だけど、それでは代用品にはならないのかい?」
おそらく無理だとわかってはいても、一応確認せずにはいられないラックだ。
「混合して試した結果、現行のバイオ燃料80%に菜種油20%の比率までは、出力に若干の低下が発生するだけで運用自体は可能でした。ですが、それ以上の比率だと、内部での燃焼に問題が発生するようで、故障が頻発しました」
「当面は輸入と、2割混合で節約して使うしかないか。皇国に輸出する余力はあるんだよね?」
「はい。皇帝の命が既に出ていると聞いています。ゴーズ家への有力な輸出品として、フル生産体制が維持されています。皇国内での車両の燃料としても必要ですし、仮に輸出に回せずに余っても、工業生産に必要なエネルギー源として流用も可能のようですね」
”燃料の目処は今後の継続課題だ”と判断したラックは、別の話へと話題を移す。
「飛行船の乗組員の訓練の方はどうかな?」
「製造の方と並行で、地上での訓練のみですが順調です。春の終わりごろを目処に、30名がアナハイ村に移れます」
乗組員向けの人材は、製造技術の習得に出している人材が、試験的に組み上げている動力機関を使用しての地上訓練を行っており、座学と大陸内での車両の移動での、天測航法の訓練もされていた。
ゴーズ家に必要なスティキー皇国からの技術の移転は、報告を聞く限りは順調であったのだった。
こうして、ラックは飛行船の運用の目処を立て、妾の問題も一応解決した。新たな問題が王都で発生しているとは露ほども知らず、足場固めに邁進する日々が続いていたのである。
次話で青天の霹靂となる急報を受けることになるゴーズ領の領主様。在学中のルティシアがカールの入学後に、実弟からミレス妊娠の情報を知って怒り狂う未来があるのも、神ならぬ身のラックは知る由もないのであった。
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