Draw!!!

北守

第1話・異世界転移してまで努力して描くってどういうこと!?

 私は幼い頃、近所のお兄さんちに入り浸っていた。顔はもう覚えていない。記憶にあるのは漫画を描く後ろ姿と、いつも作業台の横に置かれているコーヒーと、お菓子の甘い香り……。


 あれから10年後。お兄さんのことなどいつの間にか忘れていた16歳の私は、誕生日プレゼントにとねだって親から買い与えて貰ったばかりのタブレットと専用のデジタルペンで漫画を描いていた。

「描けないよぉ〜」

 何で? 涙目で私は苦悩していた。ペンとタブレットがあれば漫画が描ける。そう思っていた。なぜなら、SNSを見ていてもスマホやタブレットで絵を描いてる人がたくさんいたからだ。しかも、かっこいい絵や綺麗な絵、可愛い絵ばかりタイムラインに流れてくる。

 今まで、アナログで絵を何度か描いてみたものの、上手く描けなかったのは私のせいじゃなく画材が悪いからだ! そう思っていた。

 タブレットがあれば、さらさらさら〜っと神絵師のような絵が描けると思ったのだ。だって、ブラシ素材や背景素材というものが溢れかえってると動画で見たし、なんとなく誤魔化してる感ある絵だってよく見かける。

 だから、タブレットとペンがあれば、私にだって漫画なんてちょちょいのちょいで描けると思ったのだ。

 現実は甘くなかった。コマの割り方さえわからない。イラスト描くにも歪んでしまう。こんな小さい画面に絵が描けるわけないじゃない! そんなふうに思う。

「異世界っぽい絵が描きたいんだけどな〜。きっとこれは、資料がないのが悪い」

 ファンタジーの世界に行けたらいいのに。そうしたら、きっと炎を吐き出すいかついドラゴンも、みずみずしいぷるんとしたスライムも見ながら描けるのに。

 現実逃避も良いもので、私はそう空想に耽りながら、椅子の上で背を伸ばした。

 慣れないことをして、疲れた。私は、随分前に買ったファンタジー世界の本に手を伸ばした。ハマっていたゲームの設定資料集だ。

 パラパラパラ、ページをめくると、リアルなそれに、心がげんなりしてくる。

「こういう絵を描きたいわけじゃないんだよなあ」

 リアルな絵はかっこいいけど、漫画だとモノクロだし、こんなもの資料にならないよ。

 言い訳ばかりしていると、手に持っていた本が、突然、強く光を帯びて、私を照らす。

「な、何?」

 そう戸惑っていると、中から黒い何かが迫ってきて、その闇は私自身を呑み込むように包みこんだ。

 一転、まるで暗い穴ぐらに閉じ込められたかのように、真っ暗な世界に落ちていく。そう、落下していく感覚を感じた。

 どさっと勢いよく身体が地面に落ち着いた頃には、私の意識は閉ざされていた。

「うぅ……」

 ぽたりという生温かい雫を頬に受け、私は、少しの頭痛と身体の痛みに耐えながら、目を覚ました。すると、鬱蒼とした木々に囲まれた中、目の前には、口からよだれを垂らし、読めない書物を身体に巻きつけたような不気味なモンスターがこちらに咆哮する。

 確かにファンタジー世界に行きたいとは思ったけど、こんな気味の悪いものに出会いたいわけじゃない!

 血の気がひき、恐くて声も出せずにいると、その怪物の長くて大きな舌が私の身体を巻きつく。

 私はもっと幻想的なファンタジー世界を望んでいたのに、こんなのに食べられて死んじゃうの? そう思っていると突然、木の影から何者かが現れる。

 ゴォオと燃え上がる炎がそのモンスターの身を焼き払う。大きな怒号のような声を上げながら、その怪物は私を締めつけていた舌を緩ませた。

 私はその隙に怪物から逃げ出す。

 その何者かは、黒い帽子に黒いジャージ。おまけにペストマスクなんて付け、怪しい人物にしか見えないが、私を助けようとしてくれるのを期待して、私はその人物に駆け寄った。

 メラメラと燃えさかる炎に包まれ、それでも怪物はこちらへと距離を詰めてくる。すると、ペストマスクの人が、私を庇うように抱き寄せた。

引き寄せた力強さから「男性だ」と認知していると、そのペストマスク男は、取り出したクロッキーブックにさらさらと『絵』を描写していく。

 漫画の中に出てくるような、力強い『雷』を描き出し、その紙を一枚クロッキーブックから破り捨てたと思うと、カチッという音と共に取り出したジッポの火がその絵を燃やした。

 すると、どういうことだろう。その瞬間、その燃えていく紙から、ペストマスク男が描いたそのものの『雷』が、ズドンとモンスターに落ちた。

 元々の炎と雷でボロボロに焼き焦げたモンスターは、崩れ落ちるようにずしんとその重たい身体を横たえた。

 すごい。まるで魔法だ。さらさらと描いた絵もまるで魔法陣のようにも見えたし、現実に、その絵が現れるのもまさしく魔法。魔法そのものだ。

 何より抱き寄せた力強さは、魔法使いにしては不似合いなほどしっかりとした肉感を感じ、たくましさを感じた。その手が私の身体を離れると、彼はこちらを見ずに林の中へと歩んでいく。

「す、すごいです! 描いたものが魔法みたいになるなんて! お名前はなんて言うんですか!? マスクの下はどんな顔なんですか!?」

 思わず捲し立てるように、その男に問いかける。すると、抑揚はなく低いけれど、どこか安心感のある落ち着いた声がこちらを振り返りもせずに、私の質問に答える。

「俺、名前と顔出しNGだから」

「じゃあ、師匠と呼びます!」

 冷たく突っぱねられても、私はめげない。

「…………師匠?」

 その時、彼は振り返り私を見た。……と思う。正直、ペストマスクのせいでどこを見ているのかが分かりかねる。

「わ、私も絵を描くんです! なので、師匠の弟子にしてください!」

 こちらを見てくれたことが嬉しくて、逃しはしないと絵の話をすると、彼はまたこちらに背を向け深く帽子を被り直す。

「ヤダ」

 即答だった。

「そんなこと言わずに! 色々教えてください! ね! 師匠!」

 そう神絵師に擦り寄るように、教えを乞うと、彼はじっとりとこちらを見た後、私に質問を投げかける。

「……お前は何が描きたくて、何が描けない?」

「はい! ファンタジーが描きたいけど、ファンタジーが描けません!」

 質問を投げかけてくれたことが嬉しくて、思わず師匠の手を両手で握り込むと、ペイっと彼はその手を払い除けた。

「……そうじゃないんだけど」

「幻想的でエモイ絵! そしてすっっっごくかっこいいドラゴンが出てきて仲間になったりとかするやつ!」

 師匠が握られた手をゴシゴシとハンカチで拭うのを素知らぬふりで話を続けた。

「サラサラ〜って描きたいんです! 師匠みたいに!」

 そう告げると、彼の低い声は冷たさを孕んで、私の話に答えた。

「お前、毎日練習してる?」

 あまりのその冷たい声色に、私はびくりと身を強張らせるが、知らない世界でひとりぼっちも嫌だし、何より何が何でも師匠に絵の描き方を教わりたかった。

「し、してますよ!」

 慌ててそう答えると、師匠は続けて私に質問攻めをする。

「1日何枚? 何時間描いてる? 資料はどれくらい集めた?」

「……っ」

 私は思わず口を噤んだ。答えられるだけの物を描いていなかったからだ。嫌な汗が止まらない。

「……答えられない?」

 冷静な声が私を突き刺す。責め立てるような声に、涙が滲む。

「描ける奴が努力してこなかったとでも?」

 その言葉はあまりにも当然で、見ようともしなかった現実だ。

 嫌な現実が、こんな異世界までも私に襲いかかってくるなんて、なんて私の人生は不条理なのだろう。私は、力が抜けてその場にへたりこむ。カタカタと身体が震えた。

 すると、ドサリとどこからともなく現れたクロッキーブックと鉛筆が、私の目の前に放り投げられる。

「……え?」

「やる」

 そのクロッキーブックと鉛筆が、師匠が絵で描いて出現させたものだと気づくと、彼は続けてこう言った。

「ここじゃ、ペンでもなけりゃ暇すぎる。まぁ、お前には必要ないかもしれないが」

 彼にとっては、このクロッキーブックも鉛筆も暇つぶしであり、技術であり、この世界で生きていくための大切なもの。それを、私には必要がないと言った。

 滲んだ涙が、頬を流れて、零れ落ちた。

 悔しい。

 私は目の前にあるクロッキーブックを抱き締めた。

「絶対……」

 きつくきつく、決意をする。

「絶対、上手くなってやるッ!」

 噛み付くように、師匠の背中に向けてそう告げた。すると、師匠はやはりこちらを見向きもしない。

「……期待はしてないけど」

 止めていた足を再び林へと向け、冷たく突き放す。

「せいぜい足掻けば?」

 小さくなっていく師匠の背中に、私はどうしようもない孤独と、悔しさを感じたのだった。


 まずこの世界に来て1日目にしたことは、クロッキーブックに食べるご飯を描くところからだった。木々の覆い茂る森の中、私は一人クロッキーブックと鉛筆を片手に、それに挑んだ。

 まずは、ハンバーグでも描いてみよう。そう思って、木製のトレーに鉄板、その上にハンバーグを描いてデミグラスソースのようなタレを掛けた物を描いてみる。

 師匠のように具現化しようと思ったところで、その具現化する術がないことに気づいた。

 この世界、私に対して厳しすぎない?

「お腹減ったなぁ……」

 恐らく、この世界に来て5時間くらいは経過している。もう日が暮れ始める頃、私は焦り始めた。

「夜になったらまたモンスターが出てくるんじゃ?」

 昼はあれだったけれど、夜はさらに凶暴なモンスターが現れるかもしれない。どうやって、この世界で生きていけばいいのだろう。無力感を味わいながら、太い木の根元にどっと寄りかかる。すると、がさっと音を立てて、何かが降りかかってきた。

「ぶどう?」

 見慣れたその実の房は、大粒で瑞々しさが見て取れるほどの立派なぶどうだった。ぐうとお腹を鳴らした私は、恐る恐るその実を房からちぎりとり、口へと運んだ。

「お、美味しい……」

 今まで生きてきて食べてきたぶどうは一体何だったのか、と思うほどに甘くそれでいて少しの酸味の味わい深さに私は感動を覚えつつも、その手は止められず、ぱくぱくと次々に実を摘んで口に運ぶ。

 私はぶどうひと房を平らげると、お腹が少し落ち着いて、安堵する。ここには、現実世界と同じような食べ物があることへの安心感だ。

「この木はぶどうの木なのかな? でもテレビで見たものとちょっと違うような……」

 まぁいいか、ここにいれば食べ物には困らないし、絵の練習をしよう。

 そう思い、私はまたクロッキーブックを手に絵を描き始める。かっこいいドラゴンを、幻想的な風景を、そう思い、空想するもその手は一向に素晴らしい作品を描けない。

「って言っても描けるわけないよね。タブレットですら描けなかったし」

 弱音を吐き始める私自身の言葉に、私は私に苛立ちを感じた。

 言い訳してる場合じゃない!

 そう叱咤して私は、自分を奮い立たせる。せっかく異世界に来たんだから、もっと周りをよく見て、観察して、感じて、描写する……。

 私は、目の前の小さな葉っぱから絵を練習し始め、木々を描いてみたり、森を抜けた先に広がる広大な大地を何時間も掛けて練習し、時には寝食を忘れそうになる程、無我夢中になって、絵を描き続けた。

 この世界は思っていたより、果物や生で食べられる野菜が豊富だった。お腹が減る頃、周りを見渡せば、見慣れた果物や野菜が手に入った。

 お米やお肉が食べられないのは寂しいが、手に入ったところで調理できないから、あっても仕方がない。

 1ヶ月ほど練習しただろうか。今先ほど目の前にある花を描きながら、出来上がっていく絵を見て心が苦しくなっていく。

「こうじゃない……、もっと上手くならなきゃ……」

 絵は確かに上手くなっているが、まだ誰かの心を揺さぶるような絵は描けていないと感じるのだ。

「こんなんじゃ、師匠に……認めて貰えないッ」

 無力さを感じて、私はまた泣いてしまう。泣き虫な自分にも嫌気が差した。それなのに、負けず嫌いで、ただの口だけ底辺絵師だという現実を認めたくなかった。

 あの師匠の鼻を明かしたいのだ。

「うう……ひっく、」

 零れ落ちる涙と共に、この世界が私と一緒になって悲しんでくれているかのように、雲で日が陰り、ぽつりぽつりと雨が降る。

 次第に激しくなっていく雨。物静かだった目の前のただの花が、雷と共に金切り声を上げて、ぎょろりと目玉がこちらを見る。

 目……!?

 この一ヶ月幸いにもモンスターには遭遇しなかったが、まさかこんな身近な無害そうな花がこんな不気味に動くだなんて、想像もしなかった。

 小ぶりで可愛かった花はどこへやら、ひと一人容易く呑み込めそうなほど大きな口にギザギザの歯を供え、にやりと気味の悪い笑みを浮かべる。

ぐるりとその花の目玉が私を視界に捉えると、茎から伸びる細長い蔓が私の方へと素早い速度で伸びてきた。

 誰か助けて!

 そう願うも、前のように師匠はいない。私は思わず、その身をよじりかわすと、まるで鞭のようにその蔓はぴしゃんと音を立ててしなった。

「ひっ……」

 一人でどうにかしなくちゃいけない。でも、私にはどうすることもできない……。

 跳ねた蔓が、曲がりくねってまたこちらを捕まえようと襲いかかってくる。

「助けて……、」

 誰かではない。誰かでは嫌だ。師匠に助けて貰いたいのだ。顔も見たことない人間に恋するなんておかしいかもしれないが、私は師匠を尊敬していて、憧れていて、誰でもないあの人に助けて欲しいのだ。

「師匠ぉ……っ助けてえっ」

 襲いかかってくる蔦が私に向かいわし掴もうとした時、私の弱々しい声と共に「ヒーロー」は現れた。

 クロッキーブックに鉛筆で力強く絵を描き、前のようにジッポ片手に火を灯そうとする。その灯火は雨の力で弱々しく、ふっと消えていく。彼は地面にあった小石を掴み、大きな花の裏に投げる。その小石は、花びらの裏に供えた『がく』にコツンと当たり、花のモンスターの意識は石を当てた師匠へと変わった。

「師匠!」

 助けに来てくれた嬉しさに思わず彼を呼ぶ。

 しかし、目の前の花はうねうねと動き出し、花である顔の部分を師匠の方へと向けると、素早く蔦を師匠目掛けて伸ばし、彼の右足首を掴み上げ、近くの大きな木に叩きつけた。

 ドッと重たい音が、雨の音の中に混じる。

「あぁっ……」

 はらりと師匠の帽子が落ちていく。

 私は師匠が宙ぶらりんになる木へと駆け寄ると、だらりと手を重力に任せていた師匠の右手がジャージのポケットを漁る。

「あいつは雨になると凶暴化する。あいにくと天気が悪いんでね。相棒が応えてくれない」

 取り出したのは、魔法のように絵を具現化するライターだ。

「わ、私は……どうしたら……っ」

 私は無力だ。師匠を助けられる術を知らないし、師匠ですら太刀打ちできないなら、私に何ができる?

「逃げろ」

 たった一言。師匠はそう言って、また重力に身を任せた。

「食べられるのは、俺一人でいい」

 大輪の花はその蔦でひょいと師匠を吊し上げ、大きな口へと放り込む。その瞬間を見てしまった私は絶叫した。

「嫌ぁぁぁぁあああ!!」

 ごくんと呑み込む仕草をするそのモンスターを目の前に、私の心臓はどくどくとうるさく鳴り響く。

 絶望の淵に立たされた私は、逃げようにも目の前の出来事に囚われて、思考が停止していた。恐怖と、絶望と、悲しみ。負の感情が全て繋がるように連鎖していく。

 その負の連鎖を断ち切ったのは、コツンと頭に当たった硬い物。それが何かわからず辺りを見渡すと、硬いそれは師匠のジッポだった。

 私は思わず、そのジッポを縋り付くように手に取る。頼れるものはそのライターだけだった。

 ジッポの蓋を開いて、大樹の下で私は祈る。

「点いて……」

 お願い。

 カチリ、カチリと音を立てて、着火を試みる。慣れないフリントホイールを何度も回した。右手はライター、左手は風除けと雨除け。湿気る空気に負けないように、何度も願った。

「お願い……」

 雨なのか、汗なのか、涙なのかもわからない。頬を伝うものの、全てが混じり合う感覚。

 にじり寄る花に焦りを感じ、私は憤った。

「点けェッ!!」

 そう命じると、まるで祈りが通じたようにそのジッポは火を灯した。

 私はほんの少しの望みを頼りに、雨に濡れてよれたクロッキーブックに鉛筆を走らせる。雨で湿気って鉛筆が歪もうが、絵が下手くそで形にならなかろうが構うものか。

 急げ。消える前に早く。今までのいつどこよりも集中して、描け。

 描き終えたそれを両手の塞がった私は、口でビリリと勢いよく破りとり、ジッポの火で焦がした。

 するとどうだろう。私が今まで描きたかった幻想が現れる。美しい女神に可愛げなお菓子、小鳥が囀りを上げる。

 風の女神は大輪の花をスパッと刈り取り、大きな風を吹き上げて鳥と共に天へと登った。

 大きな風は雨雲を吹き払い、空には綺麗な七色の虹が現れる。

 私は、その光景を目の当たりにしても、自分の絵のことなど考えてはいなかった。私が一目惚れした彼……師匠のことで頭がいっぱいだったのだ。

 横たわる大輪の花に私は駆け寄った。クッキーやサブレ、バニーユが降り注ぐ中、私は師匠の姿を探す。

「師匠!」

 呼んでも返事は返ってこない。

「師匠!?」

 花の口を大きく両手で押し上げて、口の中を確認する。見つからない師匠の姿に、生きた心地がしなかった。

「死んじゃやだっ! どこ!?」

 悲壮な声で彼を安否を求める。

「こっちだ」

 出会った頃と変わらず落ち着き払った声色で、彼は答えた。

 彼は花の茎の中から現れる。雨や泥で汚れてはいるが、身体に怪我はなさそうだ。

「師匠っ」

 彼は無事、生きていた。安堵を覚え、歓喜の余りに彼に駆け寄り抱きつこうとする。が。

 彼はひょいと身をかわした。

 あれ?

「今、感動的な再会でしたよね!?」

「俺、ファンからのボディータッチNGなんで」

 冷たくそう言い放つと私は師匠の言葉に噛み付いた。

「NG多すぎません!?」

 私に背を向けてトコトコ歩く彼は、落ちてくるクッキーを手に受け取り、ペストマスクを外してサクッと齧る。

「お前さあ……上手くなったじゃん」

 彼がどんな表情を浮かべているかはわからない。どんな気持ちで言っているかもわからない。

 だけれど、その言葉は私の心に深く沁み渡った。

 師匠に認めて貰えたという感動。

「ん、美味い」

 モグモグと咀嚼する師匠の後ろ姿を見て、私は思わず声を掛けた。

「お菓子、好きなんですか!? たくさん描きます! だからこっち向いて!」

 彼の顔が見てみたくて。どんな目つきで、どんな鼻で、どんな唇なんだろう?

 私が好きになった人は、どんな顔をしているんだろう? 好奇心が心の中をいっぱいにした。

「ヤダ」

 相変わらず塩対応な師匠。私は無理矢理、顔を見ようと思ったが、彼が見せたくないならそれでも良い。

 顔がわからなくったって、彼は私の絵の師匠であり、どこか懐かしさを覚える憧れの人なのだから。

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