第24話 終

 後悔の無い人生を送る。それは、一種の評語であると同時に波風を立てない目標として口にすることが出来るものでもあった。

「…………」

 だが、今の凛太郎はこの言葉を軽々しく使える気がしない。

 パルゾは凛太郎と最後に出会えたことを感謝し、消えていった。魔本に生かされていた男は、最後に感謝の言葉を残して砂と散った。

 引導を渡したのは、凛太郎だ。

 頼まれ、そして彼自身も了承し行動に移した。そこに後悔はない。周りからとやかく言われようとも、あの瞬間の最善の選択肢を採れたと自分自身納得しているからだ。

 だが、引き摺らない訳では無い。

 むっつりと黙り込み、その眉間に刻まれた皺は深い。

「リンタロー……」

 そんな顔をされて、気にならない筈がない。

 何かを悩んでいる、と体で表現している様なものなのだから。当然、隣を歩くスピカが気付かない筈もない。

「何があったの?」

「あ?…………いや、別に」

「嘘だね。あの魔本に触ってから、キミ何かを悩んでるでしょ。見たら分かるよ」

「…………そうか?」

「うん、そう。ほれほれ、このボクが君の悩みを聞いてあげましょーう!」

 冗談めかして大袈裟に手を広げて前へと回り込むスピカ。

 そんな彼女を、右の眉を上げて口をへの字ににして見る凛太郎。

 沈黙が、廊下に満ちた。

「…………何か言ってよぅ」

「いや、すまん……」

「そこで謝られると、余計にボクが恥ずかしいんだけど!?」

「…………ふはっ」

 悪い悪いと、憤慨するオリオンブルーの頭を撫でて凛太郎は廊下の窓へと目を向けた。

 丁度、中庭の近く。人も居ない事だし都合が良い。

 周りから死角になるベンチに並んで座り一息。昼食の時間を過ぎた空は、穏やかな青空で白い雲が流れていた。

「…………あの本の作者に会った」

「!それって……オンブル、みたいな?」

「おう。ってか、疑わねぇんだな。俺が妄言吐いてるとは思わないのか?」

「え、だってリンタローに嘘吐く理由なんて無いし、よっぽどのことが無いと悩まないよね?」

「おい、人を何も考えてない馬鹿みたいに言うんじゃねぇよ」

「別に、馬鹿だとは思ってないって。でも、即断即決とまではいかないけど、リンタローは長く悩んだりしないでしょ?」

「…………まあ、そうか?」

 釈然としないながら、今までの行動を思い返して一応の納得を示した凛太郎。事実、彼はどちらかといえば深く悩んで足を鈍らせるタイプではない。これに関しては、彼が体術を修めている事に所以あり。

 接近戦を仕掛ける以上、自分の攻撃が届く事とイコールで、相手の攻撃が届く事が繋がってしまう。

 だからこその、即断即決。思考は最小限に、行動は最大限に。よく言えば決断が速い。悪く言えば、思考が浅い。

 とりあえず、と彼は考えを持ち直す。

「とにかく、本の作者に会った。名前は…………あー、パルゾ」

「今忘れてた?」

「勘弁しろ、横文字は苦手なんだ。…………で、何だったか。あのジジイ、一方的に語りやがってな」

 呆れた様な口調ではあるが、彼の表情は何処か寂しげに見えた。少なくとも、隣に座るスピカから見れば。

「ああ、そうだ。ジジイに似てやがったからか……元々あの魔本は自分が真面に使えなかった魔法を誰かに使ってほしかったから作ったものなんだと。それで、あの男が選ばれたみたいでな」

「“万象ノ魔本”って言ってたよねスーフィー先生。どんな魔法だったか、聞けた?」

「何でも出来るんだとよ」

「……何でも?」

「多分、言葉の通りだ。パルゾのジジイは魔力が少なくて真面に運用できなかったって言ってたけどな」

 凛太郎はアッサリと言うが、スピカからすれば戦慄を禁じ得ない。

 何でも出来る。万能。これらの言葉は現代の魔法においてはまず不可能な事象の一つとされているから。

 魔法には属性があり、後年には等級が当てはめられた。

 魔導士が長い年月をかけた結果劣化したのか、或いはそもそもの古代魔法ロストマジックと現代の魔法は根本から異なっているのか。

 論じられてきたが、大抵の場合はプライドの問題もあって後者が主流となりつつある。

 

 とはいえ、そんな世の流れなど知らない凛太郎は、顔を青くするスピカにも目を向けない為気付かない。

「それで良いのか、俺は聞いた。こんな終わりで良いのか、って」

「ッ、そ、それで?」

「良いんだとよ。あのジジイ、顔が見えなかったってのに雰囲気で雄弁に語りやがって」

 ぶつくさ文句を言う凛太郎だが、やはりいまいち覇気に欠けているといえるだろう。

「リンタローは、その人に生きていてほしかったの?」

「別に?……あのジジイも言ってたけどな、とっくに死んでるからな。魔本は、残響みたいなものらしいし。でもよ………」

 一つ間を置く。

「生き足掻くってのは、悪い事か?ソレがどんな善人でも悪人でも、生き残る事に全力を尽くすのは生き物の性ってものじゃねぇか?」

「…………」

「死ぬのがケジメってのも、分かる。ダラダラ生かされ続けるよりもサパッと死にたいのも分かる。でもなぁ…………」

「納得できない?」

「まあ……飲み下せねぇって言うか、何というか…………」

 言語化できずに、苛立ち混じりに頭を掻く。

「お前らの歩けた道は、もっと別にあっただろう…………と思う」

 凛太郎は思う。こんな結末を迎える前に、どこかで止まれた瞬間は絶対にあった筈だ、と。

 それがどんな理由であれ、一度でも止まれたなら“もしも”の未来を選び取れたかもしれないのだから。

 ジッと空を見上げる横顔を見やり、スピカは再び前を向いた。

「人ってさ、思った以上に止まれないものだよ?」

 小さく、ポツリとそう呟く。

「ソレが正しい事だと信じたのなら、猶更止まれないし、止まる理由なんて浮かばなくなっちゃう。進んで、進んで、切り捨てて、切り開いて、いつの間にか周りに何もなくなってそこで初めて気付く事だってあると思うんだ」

「…………そういうもんか?」

「そういうものだよ。ハッキリ言っちゃえば、リンタローの視点は第三者だから分かる事だと思う。その上で、強い感情に触れちゃったから悩むんじゃないかな」

「…………」

 今度は、凛太郎が隣の頭一つは小さい友人へと目を向ける番だった。

 言いたいことは分かる。ついでに、その通りだろう、と納得する自分も心の隅に確かにいた。

 どんな理由であれ、凛太郎は人の死に直接触れる事になった。言ってしまえば、心がどこかで浮足立っていたのだろう。

 一つ息を吐き出す。

「…………何か食べるか」

「唐突だね」

「空きっ腹を埋めれば、ぐちぐち考えるのも止まるだろうと思ってな。食堂は一日開いてるって話だし。スピカも来るか?」

「うん。朝から階段を往復したからか、ボクも少しお腹が空いた気がするしね」

「そか。んじゃ、行くとしようぜ」

 ベンチから立ち上がって伸びを一つ。

 死者への感傷は、生者の特権だ。

 悩み、惑い、悔いて、それでも立ち上がれたならば、それは確かな財産となって彼らの内側に積み上がっていく事だろう。



 場面変わって、浮遊島西北端。

 広大が過ぎる浮遊島は、一応の監視の目があるとはいえ一から十まで常に行き届いているとは言えない。それでも魔法生物が逃げ出したり、侵入者が現れないのは島その物を包み込む様に巨大な結界が設けられ侵入と離脱を拒んでいるから。

 その島の縁に、稀代の大魔女は居た。

 アイフ・モリアン学院長は、その手に大切そうに抱えた袋を見やる。

 特殊な代物で彼女の右手の平に収まるソレの内容量は、その見た目の数倍以上にも及ぶ、本来ならば物の持ち運びに用いられるもの。

 徐に、彼女はその袋の口を解き、開いた口を島の外へと向ける様に傾けた。

 中から零れ落ちるのは、砂。

 それは、数百年の時を縛られ続けた男の遺言に従っての事だった。より正確に言えば、伝えられてきた彼の最期の言葉を実行に移しただけの事。

 男は数百年前、その類稀なる膨大な魔力と“万象ノ魔本”の力を用いて暴れ回った。馬鹿が力を持ってはいけない典型とでも言うべきレベルでそれはもう、盛大に。

 その代償が、監獄塔(現在の図書館塔)への収監。並びに、魔本の維持用外付けバッテリーのような扱い。

 食事も睡眠も呼吸すらも必要とせず、見た目だけの形骸化した行為を繰り返しながら、ただただ魔力を搾り取る為だけに生かされる日々。

 因果応報、自業自得。そう言われてしまえばそれまでなのかもしれないが、数百年干物のようないつ終わるかも分からない一生を送り続けるのは罰としても最上級を超えてやり過ぎというものではないだろうか。

 程なくして、袋の中の砂は撒き終わった。

 袋を叩いて完全に中身を吐き出させて、モリアン学院長は袋を虚空へと消して空を見た。

 浮遊島はゆったりとした速度で一定の航路を辿って世界を回る。

 毎年それは変わらない。

 だが、

「騒がしい一年になりそうだ」

 モリアン学院長の虹色の瞳が細められる。

 魔本を素手で破壊する極東の少年。エウロープ方面にて恨みを買っているガラシア出身の十三家の少女。その他にも、今年度の一年生には中々に癖の強い者が揃っていた。

 嫌な予感、ではない。寧ろ、オモシロイものとなるであろう、そんな予感。


 大魔女は、穏やかな微笑む。

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フィジカル×マジック 白川黒木 @pj9631

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