短話.Poison Apple & Pewter
「──……食中毒、ですか」
彼女が手にしているのは朝刊の新聞だ。ここ最近、謎の食中毒が多発してるとの事で、通常診療にも影響がで始めている旨が記載されていた。
残りの紙面を読み終えた後、彼女は食器を流しへと運びそれらを一つ一つ丁寧に洗う。またそれらの食器は一般的なモノとは異なる材質なのか、強く擦るような事はせず柔らかな布で磨くようにしている。
これらは近年流行している食器であり、金属でありながら手で曲げられる程に柔らかく、抗菌作用があるとして注目されていた。彼女──リブラもその静かで鈍い輝きに魅せられた一人である。
──これらはピューターと呼ばれる合金を用いた食器だ。主に錫と言う金属をベースにしている。錫は金や銀にこそ価格では劣るものの、燻銀にもにた飾らない上品さが感じられ人気となっていた。
そうして貴族階級を中心に、ピューター製食器に魅せられた人が増え続ける一方……食中毒の事件も増え続けていた。始めこそ軽微な中毒症状のみが報告されていたものの──半年が経つ頃には重篤な中毒症状が殆どとなっている。
中でも多かったのは貴族階級の者たちであり、ピューターを多く所有している家程その傾向は強くなっていた。
「──あら。ここは檸檬も品薄なんですね」
病に伏せる者が増え、活気も落ちた町中で──リヴラは買い物に出ていた。そうして訪れた青果店の陳列棚を見て言葉を漏らす。
「檸檬だけじゃねぇんだ。柑橘系は勿論のこと、特に酷いのはトマトだ……何処かの学者先生が目茶苦茶にトマトを持ち上げたもんでなぁ? やれ美容に良いだなんだって言うんだ。そんで貴族の奴らが根こそぎ買っちまうんだよなぁ」
「まぁ、そんな理由があったんですね」
忌々し気な表情で答えた店主とは対照的に、彼女は淡々としていた。そうして幾つかの根菜類を見繕い会計を済ませた後、彼女は他の青果店を巡ったのだが────結果は同じ。どの店でもトマトや檸檬は品切れとなっていた。そして品薄の理由も全く同じである。
そんな日常にも皆が慣れ始めてしまった頃。ついに食中毒による死者が報じられた。不幸にも亡くなったのは貴族階級の子息であり、本格的な調査が始まったのである。
しかし調査は難航。それらしい理由が見つかり次第報じられるのだが──すぐにまた別の理由が報じられたりもする。それが五回、六回と繰り返される頃にはもう、誰も目を向ける事もなくなっていた。
結果、飛ばし記事的な扱いになり大衆紙くらいしか扱わななくなってしまったのである。それでもリヴラは関心を保っているらしく、中毒事件が載っている紙面をせっせと集めていた。
「どれもこれも突拍子がありませんね。怨恨からの毒物混入なんて三文小説でもあるまいに」
溜息混じりに大衆紙を閉じると、彼女はこの街唯一の大学と電話をかける。そして誰かと会う約束を取り付けた後、ピューターを鞄へとしまい向かうのであった。
「久しぶりですね、リヴラ」
「ご無沙汰しております、メルヴィ教授」
彼女が約束を取り付けていたのは、大学にて応用化学科の教鞭を取っている初老の男だ。挨拶もそこそこに、彼女は本題の話を切り出す。
「成る程? 貴女は鉛中毒を疑ってるのですね」
「ええ。はじめは水道管などからの流出を疑っていたのですが……それならばこんな短期間で重篤患者が出る事は無い筈です。それに重篤患者の大半が貴族階級にある人だとも耳にしていますから」
「それで貴女はピューターに目をつけたと?」
「ええ。最近になって流行したもの──そして口に触れる可能性が最も高いものはなにか、と」
「だがリヴラ。ピューターには確かに鉛を含む錫合金が使われている。しかし短期間で重篤な鉛中毒を起こすとは考えにくいのではないかな?」
彼の言うことは最もである。主な配合は錫93%鉛7%であり、多少溶け出したとしても人体に重篤な影響をもたらす程ではない。ましてや半年足らずでこのような事態になるとは考えにくいのだ。
「ご尤もです。そう言えば教授、少し話は変わるのですが……貴方は最近青果店へと足を運ばれましたか?」
「いいや? 恥ずかしながら、そういったモノは全て妻に任せているのでね。しかし何故、そんな事を聞いたのかな」
「近頃、トマトや檸檬と言った果実が流通していないのです」
「あぁ……なんだかそんな話を妻がしていたね。なんでもトマトは美容にいいと話題らしいじゃないか」
「ええ。ソレ故に貴族階級がトマトを大量に買い占めているというのです。そしてこれから暑くなる時期ですから──」
「──柑橘系も買い占めているのか。なんとも身勝手な連中だよ、彼らは」
彼は眉間を摘みながら、呆れ気味に言葉を漏らす。どうやら二人共思う事は同じだったらしく、そこからは暫し貴族階級への愚痴が続いた。
ある程度の愚痴を吐きあった後。
「しかしまぁ、リブラもよく気づいたね」
「偶然ですよ。それにほら、昔似たような事件がありましたし」
「……あぁ、トマト缶属事件か」
これはトマトの酸が缶詰の内壁を腐食させ、そこから流出した鉛成分が健康被害を出したという事件である。これにより一時、トマトの缶詰は全面的な流通制限を受けていた。今は缶詰に使われる合金が変わった為、トマト缶の流通は復活している。
「缶詰の内装と食器じゃ基準も違うだろうし……食器である以上、細かな傷はつきやすいだろうからね。人死にが出てしまったのは痛ましい事だけれど」
「そうですね。軽微な中毒症状で苦しむくらいなら、私達の溜飲も下がるのですが」
「………おっかない事を言うもんじゃないよ」
「失礼。少しおしゃべりが過ぎましたね」
そうして彼が実験を始めてから数か月後。ピューター製食器が鉛中毒を引き起こすことが証明され、その事実は周知される事となった。特にトマト料理──スープ等は相性が悪かったという。
後日、彼女は再び青果店を訪れていた。町中の活気は幾らか戻っており、店内の陳列棚も埋まっている。
「トマト、檸檬……あぁ、そこのラディッシュも一つお願いします」
「あいよ!」
幾つかの果物と野菜を購入し、料金を払っていると──
「──ったく、貴族の連中もあれだよな」
「アレ、とは?」
お釣りを数えつつ、店員は愚痴り始めたのである。
「身勝手だってんだよ。美容にいいと聞けばアレもこれもってスグに飛びつきやがる。まるでイナゴじゃねえか」
「貴族は流行に敏感ですから。けれどほら、その分貴方は儲かったのではありませんか?」
「まぁ……いや、普通に微妙だったな」
少し迷った後、返ってきた答えが意外だったのか彼女は少し驚いた顔をしていた。なんでも大量買いによる値引き交渉──……実際は権力に物を言わせた買い叩きの様なものだったらしい。ソレ故に利益は微々たるものであり、場合によっては赤字ギリギリだったのだとか。
「それは災難でしたね」
「災難も良いところだよ、あのクソ貴族共」
「憤る気持ちもわかりますが、程々にしておいた方がよろしいかと」
「っと、そうだな。悪い悪い」
「いえいえ。私もその気持はわかりますから」
品物とお釣りを受け取り、彼女は帰路へとつく。その帰りがけに夕刊を購入し、自宅でそれらへと目を通す。一面からは食中毒の見出しも消え、ある程度平和な見出しばかりが並ぶようになっていた。
そうして平和な日常が帰ってきたのだが、一つだけ変わったことがある。
それはピューター製食器が市場から姿を消したという点だ。食中毒の原因だったという事で忌避されてしまった結果ではあるものの、それ自体が悪かったわけではない。ただ組み合わせが悪かったというか、使い方が良くなかっただけである。
その視点を忘れてしまうあたり、いつかまた同じ様な事件は起こることだろう。
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