題録.先に生きる恋

 火に焼かれた教会は煤にまみれ、見目麗しきステンドグラスは変形し歪に砕け散った。祈りを捧げるべき対象は名もしれぬ何者かの悪意に犯され、元のカタチを失ってしまっている。崩れ落ちた天井の瓦礫が片付けられることもなく、荒れ果てたままの廃教会の広間にて一組の男女が向かい合っていた。


「ようやく追い詰めたぞ、ダリア・セイレーン」

 女から少し離れた位置に立ち拳銃を構えるのは年若い警官であり、その銃口は真っ直ぐに彼女の心臓へ向けられている。しかしその手は微かに震えており、手にした拳銃はカチャカチャと小さな音を立てていた。

「……どうして私を追うの?」

 深紅の外套に身を包む女が濡れた声で問いかけ、そのフードを捲り素顔を見せた。現れたのは見目麗しき緋色髪の乙女であり、憂いと諦めの混じった蠱惑的な表情で青年を見据えている。

「理由がわからないのか?」

「メルヴィ・アルフガンを殺したから」

 静かな怒りが込められた質問に対し、至極冷静に答える彼女の姿は青年の目にどう映ったのだろうか。

「……お前は、どうして兄さんを殺した」

 拳銃の引き金にかけられた指へ力が込められるが、トリガーが引ききられる事はなかった。それはたとえ身内を殺された事実があろうとも、私怨を理由に正当な手続きを省いて刑罰を与えてはいけないと彼が理解し理性で怒りを押さえつけているから。

「──あの人が私に恋したからよ」

「……は?」

 沸き立つ憎悪と復讐心を、どうにか理性で押し留めていた彼に対する返答は不可思議なものであった。恋されたから殺す、とはどういうことなのだろう。

「ねぇ貴方、恋人はいるかしら」

 予想外の返答を前に彼はどうすることもできなくなっていた。恋心を向けられたから殺すなど、自身には逆立ちしたって理解できないような返答に彼はただただ困惑するばかりであった。

「──私は彼を愛していたのに、彼は私に恋していた……ただそれだけのことなのよ」

 優しくも物憂げな声で語る彼女は悲哀混じりの痛ましい笑顔で微笑んだ。




 ──事の始まりは小さな町で起きた殺人事件。


 被害者は専門教育機関に勤めるメルヴィ・アルフガンという教職員である。頭脳明晰、容姿端麗でありながら謙虚さも忘れない誠実な好青年であった。故に町の乙女達は挙って彼に恋心を抱き、日々熱烈なアピール合戦を繰り広げていたのである。

 そのうちの何人かはディナーに行くなどそれなりの進展を見せたものの、そこから先へ進むことはほぼほぼなかった。寄せられた好意を無下にしたくはないという彼なりの誠意だったのだが、それで傷付く者も居る。しかしそれを恨む女は居らず、苦い青春の1ページとして処理していくものが殆であったのだ。


 そんな彼が初めて恋したのはダリア・セイレーンという女学生であり、特別目立つような女性ではなかった。物腰は柔らかく人当たりも良い上に勤勉なのだが、どういうわけか印章に残りづらい人物である為に彼が彼女に恋心を抱いたと知った時には誰もが首を傾げたと聞く。

 事実彼女は数多くの実績を残しながらも人との接触は必要最小限に留め、研究チームの主要メンバーでありながら自分以外の誰かにスポットライトが当たるようするなど奇異な人物であった。

 そんな彼女に何故彼が惹かれたのかはわからぬが、彼はとにかく熱烈なアプローチを繰り返したのだ──


 庇護欲を唆るような可憐な乙女でもなく、かと言って圧倒的な美貌を有するわけでもない。周囲の目を奪う華やかさは無いというのに、彼は彼女に強く想いを寄せていたのである。

 そこにあるのに誰も目をくれない、ひっそりと咲き続ける彼女が望むのは如何なるモノか。その心根の奥に秘された彼女という存在が何を待ち望んでいるのかを当てることが出来たのなら、彼は真に彼女と付き合う事ができたのだろう。



 ──尤も、それに気づけたのなら早々に想いを断ち切るべきだったのだが──



「──ねぇ、あなた?」

 何故私は彼女の話に聞き入ったのだろう。気がついた時にはもう目と鼻の先にダリアがいて、細く美しい白魚のような指が私の頬を撫でていた。

「貴方が美しいと思うものは何?」

 カナリヤを思わせる程に透き通った声は私の耳を通り抜けていく。彼女の声を声として認識できているのに、脳はそれを言葉として理解できない。

「──私が美しいと思うものを皆否定したわ。

 見目麗しい小鳥はその囀りよりも、握り潰した時の悲鳴が美しい。断末魔に上げた最期の一鳴きはずうっと私の心に残った」

 そう言って笑う彼女の顔は恍惚さを孕んでいた。先程から見せていた暗くも人を惹きつける毒婦の笑みではない──心の底にある悦びが滲んだ彼女本来の笑みに、私は美しさを覚えていた。

「貴方のお兄さんはこんな私に好意を寄せてくれたの。

 だから思ったわ……彼も私と同じ感性をしているのだろうって」


 ──彼女の顔に影がさした瞬間、私は彼女に押し倒されていた。

「始めの頃は受け入れてくれた。そういう感性もあるものだと、彼は受け入れてくれたのよ?

 けれど日を追うごとに彼は私を否定し始めた」

 私に跨がる彼女は濡れた声で絞り出すように呟き、深く項垂れてしまった。

「……貴方にわかる? 私が心から美しいと想うものは醜く穢れたものばかりだと皆に疎まれ否定される辛さが。みんなが美しい、良いものだというものに嫌悪感と悪性を感じながら賛美せざるをえなかった私の痛みがどれ程のものだったか」

 吐露された心からの言葉は悲痛な叫びだった。

「──私の愛は歪んでる。ナイフを突き立てたその瞬間、この手に感じる感触と血液の温もりが私の心を満たしてくれるの」

 彼女は溢れ出す大粒の涙を拭うこともせずに言葉と共に流し続ける。その姿はどうしようもなく幼くて憐れで痛ましい。


 ──本来ならばそんな事を考えず私は彼女を捕まえるべきだろう。なんなら捕まえずに復讐を果たしたって良い。

 お前の言う事は余りにも身勝手で理不尽だ、お前はイカレている、と口汚く罵ったとしても許されるだけの理由はある筈なのに私は泣き続ける彼女をどうすることも出来なかった。


「こんな化物は産まれるべきではなかったと貴方も言うのでしょう?」


 ──いいや、そんなことはない。

 口をつきかけた言葉を無理やり飲み込む。


「死を美しいと思い、相手が命果てるその瞬間に愛を覚える女なんて生きるべきじゃない」


 ──そんなものがなんだというのだろう。


「……もしそうだというのなら私も死ぬべき人間だ」

「え……?」

 驚き戸惑う彼女を見て、ようやく私は自身の思いを口にしていた事に気がついた。どうしてこんな思いを口にしたのかは私にもわからない。コイツは間違いなく憎き仇である筈なのだ。


 ──それなのに何故コイツの言い分を理解できてしまう?


 私も過去に一度だけ、コイツと同じ理由で兄から叱られたことがあるからなのか?

 ただ私は命の果てる瞬間ではなく、生き物の死体に興奮を覚えていたのだが。生前の瑞々しい身体ではなく、腐敗し崩れていくそれが堪らなく愛しいと思う。

 それを私は兄へ正直に伝えて、正しく諭された。心理学を専攻していた兄の話はとてもわかり易く、私自身の歪んだ価値観と愛を縛り付けるには十分な力を持っていたのだ。


「──忌避される死ヘの執着と興奮を持ち合わせる人間が歓迎されるような社会はあり得ない。故に私はその感情に蓋をして、誰にも悟られないよう溶け込む事を選択した。

 ……お前はその感情に蓋をせず、生きてきただけなのだろう。

 死に恋焦がれるあまりその手を汚し、束の間の愛を得る……どうして我慢できない?」

「……こんな私でも乙女なのよ? 恋をして、愛をしなければ死んでいるのと同義じゃなくて?」


 彼女が髪をかきあげ耳へかける。あらわになった女の顔は全てを受け入れ諦めた者の顔であり、陰鬱ながらどこか透き通った物哀しい笑みであった。



「理解しかねるよ、殺人者Murder──」



 ──私は彼女の胸に銃口を押し付け、三度引き金を絞った。














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