譚録.巫子と巫蛇羅、或はカムナ




「ねぇ、カンナギ様。

 この気候変動もカンナギ様が引き起こしてるの?」

「……さぁなぁ。もしかしたら吾かも知れんし、そうでないかも知れん」

 

 ──古びた境内にて、吾は人の子と駄弁っている。

 あの日、村一つを飲んでからどれ程の月日がたったのかなどはもうわからん。日増しに増える人の子らは自然と共に在りながら、自らの利便性を追求し続けてきた。その為に野山を削り、数多の動植物を害しながら築き上げた都のなんと悍ましい事か。

 大昔に建立された大鳥居は、犠牲になった獣達の血で染められたのではないかと思うこともあった。


「……こんな事ならもう少し真面目に滅ぼせばよかったかのぅ」

「滅ぼすって、なにを?」

「人の子だ」

「カンナギ様って変な神様だね」


 元より真っ当な神ではないから、この童の言葉を間違いだと糾弾することも出来ぬ。私は身勝手な理由で禍津の大蛇と闘わされ、策略に落ちて喰われただけの間抜け巫女なのだ。まさか同化してしまうとは思ってもいなかったのだが、あのクソ共に復讐出来たからそこだけは良しとする。

 後の事はくだらないオマケのようなものでしかない。禍津の大蛇が担っていた役目を継ぐ事になったのも、よくわからん神様的なものの道具になるのも全て些事だった。


「まぁ……元々はカンナギ様という名でなく、カンナギダラと呼ばれておった。もっと言ってしまえば、人の子でもあったのだ」

「カンナギ様は冗談が下手だねぇ」

「かも知れんが……童よ、ちと不敬が過ぎぬか?」

「そんなことはありませんよ、カンナギ様。

 私は毎日ここを掃除して、お供物をしているではありませんか」


 自信満々といった表情ではあるが、この童には一つ問題点がある。雪の日も雨の日も毎日欠かさず来てはくれるのだが、お供物をちょろまかす事があるのだ。それさえ無ければまぁまぁ良い童なのだが、間抜けな事に本人は盗みを気付かれていないと思っているらしい。


「──度々供え物をくすねる奴がよう言うわ」

「そんなことはしていません」

「……なぁ童よ、此度のもみじ饅頭は美味かったか?」

「はい、こし餡が甘くて──あっ」

「まったくつまらん嘘をつくものよ……ほれ」


 本日分のお供物、もみじ饅頭を半分に割って童へと手渡してやる。一瞬躊躇ってはいたが、軽く突き出してやると満面の笑みを浮かべ礼を述べて齧り付く。なんとも現金な奴だとは思うが、不思議と憎みきれないものでついつい甘やかしてしまう。

 なんともまぁ私も丸くなってしまったものだが、この関係性は存外悪くはない気がしている。


「ねぇ、カンナギ様」

「……なんじゃ。もうやらんぞ」

「そうじゃなくて、カンナギ様は長ーく生きてるんですよね?」

「まぁ……そうさなぁ、禍津の大蛇を含めれば軽く五万年は生きただろうか。アレは人から産まれた概念のようなものだからな。

 人の子が神や精霊を信じた頃には産まれておったのだろう」

「随分と長生きですね……では、こんな気候変動も経験してるのですか?]

「勿論あるな……あぁ、そうさ。大きな気候変動に見舞われる度、人の子らの社会性は変化していたっけねぇ」

「社会性が変化するとは、どういうことですか?」

「童にゃわからんだろうがまぁええか。まずなぁ──」



 ──まずはじめに伝えておくが、人の子らが考えた最も偉大なものは農耕をおいて他にない。あれらは多種多彩な動植物を食料としているが、基幹的な食物は未だ穀物である事に変わり無いのだからな。


 人の子らの祖先。あれらが定住集落を築き始めたのは、以色列や巴勒斯坦といった地域の者達だ。それまでは動物を狩りながら、季節と共に移動し続ける季節的遊動生活を営んでいた彼らがそうなった理由は気候変動にある。


 凍てつく氷河期を超えた先、温暖湿潤気候へと変化した地球には豊かな緑が増えた。溶けた氷山は多量の水を生み、陸地に大河を生み出す。潤沢な水資源が産まれた結果、各地に落葉樹のような高木が増え低木類はその数を減少させていったのだ。こうして産まれた森には比較的栄養価の高い堅果類が豊富に実り、大河の水を求め多種多様な生物が集まってくる。

 であれば、態々移動して居るかもわからぬ獲物を探すなんてことはしなくなるだろう。そこにいれば潤沢な糧があるのだから。


 そうして人の子の祖先らは、潤沢な森の恩恵を利用する生活様式へと変化していったのさ。さすれは年間を通じ一ヶ所にとどまれる。となれば妊婦や幼児、老人といった弱者を守ることができるようになる。


 ──そうして人口増加を許せる時代を迎えたのだ。


 しかしこの時点ではまだ農耕という概念はなかった。そこにあったのは定住しつつ、狩猟と採取にて生活の糧を得るナトゥーフ文化が主流であったからな。

 ともあれ、定住という生活様式をもった人の子らは更に生活圏を拡大していったのだ。


 ……だが、そんな時代は長く続かん。

 豊かな食糧を背景に人口が増えはじめた頃、星全体を低温期へと向かわせた奴が居るらしい。曰く宇宙から堕ちてきたものらしいが、今ではその名も忘れ去られてしまったがな。

 ともかく、傍迷惑な其奴のせいで訪れた寒冷化はナトゥーフ文化を崩壊させ、人口を維持できるだけの糧を大幅に削り取ってしまった。


 正直滅びもあり得るかと思ったのだが、人の子らは必死に打開策を模索していたらしい。気候の激変から食糧危機に陥ったあれらは自らの生存の為、試行錯誤を経て穀物を選び栽培を行うようになっていたのさ。

 今でこそ皆がある程度の栽培方法を識っているが、昔はそうもいかん。あれらは栽培に適した植物が何なのかさえ知らなかったのだからな。


「──さて童よ、一つ質問といこうか」

「間違えたらお仕置きですか?」

「そんなものはせぬ、お前は考えさえすれば良いのだ……

 是迄の話から、人の子らが求めた穀物の条件は何だかわかるかのぅ?」


 ──さして難しいものでもない筈だが、童はどう答えるだろうか。


「……美味しいもの?」

「不正解じゃたわけ。話を聴いておらんかったのか」

「では美味しくて沢山つくれるもの、ですか?」

「お主なぁ……全く、一度味のことは忘れて考えよ」


 確かに味は大事だが、初っ端から求めるものではなかろうて。賢しい子かと思っておったが、こんな姿を時折見せるものだから見立てを違えたかと心配にもなる。


「……わかりました!

 安定して一度に沢山収穫できる。これが条件ですね?」

「正解じゃ……考えればわかるではないか、童よ」

「えへへ、カンナギ様が色々とご教授くださったからです」

「此奴め、中々に愛らしいことを言うではないか。

 では、お主が思う農耕に適した穀物は何じゃ?」

「さっきの条件に加えて必要なのは……備蓄ができることと、年間を通じて収穫可能だということですよね?」

「左様、わかっておるではないか」

「……そうなると、小麦ですか?」

「正解じゃ、童」 


 ニコニコと笑う童の頭に手を乗せ、軽く頭をワシャワシャと撫でてやればきゃあきゃあとまた愉しげに笑う。あの時の童にも同じ事をしてやればよかったか? 

 しかしあの当時はまだ大蛇寄りの感覚であったから、無理な話なのだろうな。

 

「して童よ、お前は農耕文化の発達と共に必要性が高まったものが何なのかわかるか?」

「──調味料!」

「たわけぇっ!」

「いったぁい!」


 吾は悪くない。仮に悪かったとしても元禍津神なのだからこの行いは間違ってない。というか脳天チョップ如きで騒ぎ過ぎだ。ゴロゴロゴロゴロと器用に左右へ転げ回りおって。


「童よ、お前はどうしてそう味に拘るのだ」

「だって折角食べるのなら美味しい方がいいじゃないですか」

「……むぅ、それはそうだがもっとこうあるだろう?」

「調味料以外ならええと……気持ちを伝えること、ですか」

「そう、その通りじゃ。

 結果としてコミュニケーションをとる上で必要なもの。つまり文字や言葉はこれを堺に生まれ、文化は文明へと発展した──」


 ──始まりは狩猟採取による貯蓄のない社会。

 採った分を所属する群れ内で分け与える平等な社会性だったのだ。それが良いか悪いかはわからぬが、上手く回っていたのは事実でもある。


 それが農耕文化へと変化すると、少しばかりの変化が起きた。動植物を狩り、糧を求めて移動する時代には不向きな貯蓄に価値が生まれ始めたのである。穀物は定住を可能にしたが、同時に狩猟採取文化との決別を意味する。

 定住した結果、あれらは糧を貯蓄するということをするようになった。そうして穀物を始めとした多種多様な糧を保存させる技術も発展していくにつれ、貯蓄の多い者は優れた者であると判断されるようになっていったのだ。

 そうなれば当然、持つものと持たざるものに別れ貧富の差が出現する。


「──さて童よ、これを見てみよ」

「これは……器、ですか?」

「左様、大凡2万年前のものかの」


 その言葉を聞いた童は伸ばしかけた手を素早く戻し、ゆっくりと距離を置いたのである。


「なんじゃ、触らぬのか?」

「そんな貴重なものを触れるわけないじゃないですか!

 どうしてそんな貴重なものをぽんと出すのですか」

「別に古かろうがなんだろうがモノはモノじゃ。壊れるときは壊れる故な、童の好きに触るが良い」


 ──正直、こんな世界における古物の価値はほぼない。

 巷の亜人種などに見せて聞かせたところで、あれらは遠慮なく触るだろう。普通に使って、普通に壊す。なんら不思議なことはない。


「童や。古い物に触れぬのは何故だ?」

「古いものは珍しく貴重だからですよ、カンナギ様」

「ふむ。なぜ貴重だと触らぬ?」

「貴重なものは価値が高いからです。それに万が一壊しでもしてしまったら、私には弁償など出来ませんから」

「ふむ、つまらんのぅ……

 して童よ。なぜ農耕文化が発展した結果、斯様な道具を作るようになったと思う?」

「保存しておくためですか?」

「うむ、それもあるが……単に労働力が増えたのも大きい。農耕以外にも手を出せるだけの余力が生まれたといってもいいな。

 コミュニティの規模が大きくなればそれだけ労働力は増える──」


 要するに農耕文化の発展と共に分業体制が主流となり、以前のような総出で食糧獲得のために働く必要はなくなったということでもある。加えて長期的な移動もなくなった為、大型の道具等を作り、利用する事が可能になっていたのが大きい。


 しかし良いことばかりではない。安定して食糧を供給する一方で労働の負担もあがった。加えて計画性を身につける必要も産まれた。 


 その段階における人口に対し必要な生産量はどれほどだ?


 例えばあの作物を育てるのなら──


 どの時期に田畑を耕せばいい?


 種を撒くのはいつ頃だ?


 芽吹いたそれらをいつ収穫する?


 一日あたり労働者の何割を稼動させるべきか?


 安定した労働力を確保するには、どの程度の作業をすべきか?


 新たな施設を建てるにはどの程度の材料を要する?


 施設の設計や施工監理は誰に任せれば良い?


 そうして獲られた成果物をどう活用するべきか──


 これが一番の問題だったのだろう。


 富を再分配するのなら、そのコミュニティに所属する全員へ同じ物を同じ量を配るべきだと思うだろう。

 ……だがよくよく考えてみよ、その身に覚えがあるはずだ。

 現場労働者への報酬は少なく、一計を案じる者達にこそ報酬は多く支払われるその現実を貴様らは誰よりも痛感しているはずだ。


「──結果、〇〇係などという肩書や役職という概念が生まれるに至った。吾は禍津ノ神という肩書に、童は巫子という肩書に縛られておるな」

「カンナギ様、私はなぜ巫子なのでしょうか?」

「お主が人の子であるからさ」

「なら人の子は皆、巫子なのですか?」

「それは違う。人の子の肩書は数多くあるからな……童は偶々その肩書を背負うことになっただけよ」

「そうですか……カンナギ様、私は巫子としてやれているのでしょうか?

 私には親もなく、乳飲み子の頃からカンナギ様に育てられてきました。カンナギ様は色々な事を教えてくれましたが、巫子については詳しく教えてくれません。書庫にもそれらしいものはないのです」 

「そうねぇ……供物はつまみ食いするし、しょうもない嘘をつくわ、舞も祝詞も覚えは悪い」

「……ですよね、ごめんなさい」

「別に責めてるわけではないよ」


 ──人の子はもう、貴方しか遺されてないのだから。


「カンナギ様……?」

「実の所、私にも巫子の事はよくわからないの。

 だから、君は君のまま在ればいい」

「カンナギ様、それはいつもの下手くそな御冗談なのですか?」

「さて、どうだろうね……」


 ──肩書など無くなれば良いと願った事は何度もある。


 吾は……ううん、私はカムナ。暗月と明陽の間に産まれた陰陽の子。陰陽の戦を引き起こす原因となったどっちつかずな半端者で、亡くなった皆の代わりに祀ろわぬ者達を狩り続けた。

 そうして何時からか、私は祀ろわぬ者達からも、人からも異妖狩りとして認知されていったのだ。

 つけられた渾名は宵の狩人。どちらかといえば化生側にありながら化生を狩り続けた私は、人に騙され禍津の龍血を混ぜられた。そうして半神半人の歪な禍津神が生まれた訳だ──


「……童よ、私とて時折迷い考えてしまう。

 この役割は、いつまで私達を縛るのだろうと」


 ──あの時もし、私が宵の狩人としての役割を放棄していたら?


 郷が内戦によって滅びてから私はどれだけの人の子を救っただろうか。宵の狩人として死に、姦蛇螺へと変貌した後は幾つの命を滅ぼし何を救ったのだろうと考えてしまう。

 誰か、答えられるのなら教えてくれ。


 いつの日から私は地位で判断されるようになった?


 いつの日から私は私として見てもらえなくなった?


 与えられた役割によって求められる振る舞いと成果は異なるから、宵の狩人カムナとして化生を、祀ろわぬ者達を狩るのは正しかったのだろう。巫陀羅として変生した後の行いは、禍津神として求められていたものだった。

 産まれたばかりの私は私という個人だった。宵の民と陽の民という対極に位置する存在の間に、偶々産まれただけの半陰陽の子が私だった──


「──だから童よ、覚えておきなさい。

 個人がただ個人として存在することはもう、許されなくなった。

 私達は与えられた、課せられたと言ってもいい……そんな役割や肩書に恥じない行いを求められる時代に生きるしかない──」


 ──そうだ。個人の意思を尊重するなんて許されない。

 無意識の内に貴方は、課せられた肩書に対してこうあるべきという思い込んでいるから巫子として上手くやれているかを聞いてきたのだろう。

 それはとても喜ばしい。人として、自身の役割をこなさねばならないと自覚しているのだから。

 ……けれど君はきっと、いつか必ず迷い悩むことだろう。

 幼い君は巫子としてどうあるべきかを迷い、悩むことで精一杯だろうがそれは君個人の悩みではない。それは巫子という役割に対しての悩みでしかないからね。

 だからいつしか君は、自分の選んだあるべき姿として在る為に君個人の欲求を押し殺すようになる。いつかの私の様に、自分の人生はこれでよかったか、本当はなにがしたかったのかと悩みはじめる事だろう。


「……悲しいことに私はもう、何がしたかったのかよくわからなくなってしまった。私の人生はこれで良かったのかもわからない」

「カンナギ様…………?」

「だからね、君は何がしたいかを忘れちゃ駄目。

 巫子としての勤めも大切だけれど、いつか君はその肩書を失う。その時期になって私のようになって欲しくないからね」

「カンナギ様、それは一体どういうことなのですか?

 それにその喋り方も何か変ですよ」

「いつかその日が来るというだけだ。そして君がいつか肩書を失ったとしても、その命は続いていく訳だからね──」


 ──命を繋ぐ。

 その過程において人は皆、大なり小なりの選択と決断を行う必要がある。例えば明日の献立をどうしようとか、そんな小さな問題にも選択が必要だ。

 貴方は食べたいものと栄養バランス、この二択において何方を選択する?


 幼子であれば食べたいものを迷わず選択するだろう。大人であっても好きなものを好きな時に食べたいと思うだろうが、それを選択する者は稀だ。

 理由は単純、大人は健康管理をしなければいけないからである。

 健康管理を疎かにして疾患を患った場合、仕事や日常生活に支障をきたし他者へ負担を強いることになる。

 また家庭を持つ場合、大人は親として子の健康管理を行う責任が発生する。それを放棄した場合、子は体調不良に陥り最悪のケースは死に至る。

 そうなれば周囲から責任能力の低いもの、皆がこなしている責任をこなせない者として認識されてしまう。

 そして多くの者はそれを望まない。子を死なせるのは非常に悲しく耐え難く、辛い経験となるからだ。また所属するコミュニティにおいてそのような烙印を持たれるのは、非常に恥ずかしい事だと認識しているのもあるだろう。


「──この様に、個人としてはこうしたいけど立場的には諦めざるをえない事は多々ある。

 そうした場合、童は否定したのが誰かわかるかい?」

「えと……これは私が私の意思を否定したっていうことになるんですよね。でもそれじゃあ変です、どうして自分で自分を否定するのでしょう?」

「そうだね。

 じゃあ考えてみてほしいんだけど、私個人がやりたいことを止める理由はなにかな」

「体調を管理しなきゃいけないからです。

 そうしないと大人としての責任能力がないといわれてしまうから……?」

「ではこの場合、大人とはどういうものになるかな」

「ある集団において、自立した個体ですか?」

「そうだね。成体とはまた異なる区分であり、ここでいう大人はどういうものかな?」

「──えと……肩書、ですか」

「そうだね。そして今回は大人という肩書が体調管理を優先させたことになる」

「……待ってください。カンナギ様の仰る事はわかりますが、それでは肩書が本人の行動を制限させているということになりませんか?」

「あぁ、その通りさ。肩書が私という個人を超え、行動の決定権を得るなんて事はよくあることだからね……何をそんなに驚く事があるの?

 社会で求められる私の姿と私の求める私の姿は一致しない。社会の一員として生きるには他者が求める私と共に生きていく。ここまでくればもう、肩書や役職はもう一人の私と言えるだろうね。

 だからかなぁ……もう一人の自分をパァルスゥスピリット、なんて呼んでいる奴もいたんだ」

「……もう一人の自分、ですか」

「あぁそうさ……そしてもう一つ話しておきたいことがある。

 農耕文化と共に生じたパァルスゥスピリットが連れてきた問題──」


 ──そいつはどうしょうもない厄介者だった。


 農耕文化は未来のために今を消費する社会でもある。

 今日植えた種は明日芽吹き、すぐに実をつけるわけではない。報酬を得る時は遠い未来にあり、その報酬も確約されているものではなかった。

 天災により実入りを失うかもしれないし、蝗害に食い尽くされてしまうかもしれない。そんなあるかもわからぬ報酬の為に今を犠牲にして生きるにあたって、人の子らは虚無感を覚えるようになった。

 やりたいことを犠牲にしているのに、報酬はないかもしれない。それは辛いことだけど、増えた人口を維持するためにはそれを続けなければならない。

 パァルスゥスピリットが生み出した長く苦しい葛藤が、その厄介者を生み出してしまった。


 ──本当の私とパァルスゥスピリット。


 ──未来の為に現在を犠牲にする虚無性。


 この二つが揃った結果生み出されたものが何なのか。

 賢しい君達ならばわかることだろう?



「──それが、自殺だ」  



 ──自然の摂理から外れた概念は心を縛り、その精神を蝕んだ。蝕まれた精神は悲鳴を上げ、自らで未来と決別することを選ぶようになってしまったというわけだ。

 気候変動により遠い祖先が選んだこの道の果てにこんなものがあるとは、あれらにもわからなかったことだろう。大規模な気候変動が齎した世界の変化に耐えるため、生き残るために生み出した農耕文化が、自殺という手札を生み出すことになるなど私にも想像できないのだから。


「──だからといって、農耕文明を捨てることはもう出来ない。

 人の子らは月へ飛び去ったが、農耕は亜人種達に継がせているかのがその証左。

 多くの命を効率的に育て増やすのならそれが一番良いと、人の子らは信じて疑っていなかったのだろう」

「……ですがカンナギ様、それでは自殺も起きてしまうのではありませんか?」

「そこはちゃんと考えていたさ。

 農耕が自殺を生むのなら、期間限定で狩猟採集時代に還れば良いだけだろう。童はそれがなんなのかわかるかい?」

「えっ……期間限定で、ですよね?」

「そうさ。あまり長いこと戻るわけにはいかないから、長くても一週間程度しか行わない」

「……わかりません。そもそも狩猟採集時代に戻るというのがよくわからないです」 

「この場合はパァルスゥスピリットと別れる事、誰も彼もが個人に戻るための儀式といえばわかるかい?」

「仮面舞踏会、ですか?」

「惜しいねぇ。だけど着眼点は悪くないよ」

「……パーティ、お祭りですか?」

「正解。祭の場においては誰も彼もが童心に還る、などというがそれがパァルスゥスピリットから開放された状態なんだよ。

 祭の場において遠慮は要らない。焼き串を片手に酒を煽り、仲間と共に肩を組みリズムに合わせて踊る。誰から始まったかわからぬ歌に乗って、堅苦しい肩書を脱ぎ捨てて騒ぐ。

 自らの魂を全面に押し出して滾る熱に浮かされ、個人がただの個人へと還る事が魂の安らぎとなるのさ。

 経験したことのない旧き良き時代への回帰、それが祭の正体であり目的となる──」


 ──自らは星に生きる命の一つだと再認識し、孤独ではないと再認識して安息を得る。

 いつか喰らった阿呆の記憶にあったが、自分探しの旅というのも一つの祭なのだろうな。虎狼儺などと呼ばれた感染症が流行り、集団で行う祭を行えなくなった時代にはようよう流行っていた。

 先程述べたように、祭の本質は役割や肩書といったパァルスゥスピリットから開放されることにある。パァルスゥスピリットから自分を捉える事から離れ、自分という個人を見つめ直す。

 今現在に生きる自分だけを意識するための行動を個人単位で行おうとすれば一人旅やソロキャン、カウンセリング等も一種の祭になるのだろうか。


「恐らく、人の子というものは未だ狩猟採取時代に精神を囚われている。気候変動により産まれた、というよりも生きるためには産まざるを得なかった文明に適応しきれていないのだろうね。

 それなのにもう一度、大規模な気候変動が起きた。

 気候というよりも星の在り方そのものが揺らぐ程の大災厄──」


 ──大崩落。


 一瞬にして人の子らが大勢死んだ。

 今までの死とは異なり根源の渦へ還ることもなく、旧きナニモノかに餐まれてしまった忌まわしき事故。腹立たしいのはそれを策略した人間がいるということだが、それももうあのよくわからないナニモノかに餐まれたらしい。


 そして穴を穿ったあの親子は何故か餐まれずに済んだようだが、共に嫌な呪いをかけられているのだ。

 娘子の器は六歳超えず死に至り、母親の器は冥き星の海へ還る事を運命付けられた。そしてあの日、全てを失くしたあの親子の魂はヴァナガンに囚われ器を欠いたまま存在している。

 それについてはまた別の機会に触れるとして──


「──この厄災はまだ終わっていない。

 これから先、生き延びる為に乗り越えなければいけないことは沢山ある。これは辛く困難な道行だが、人の子らはどうするのだろうね」


 また新たな文明を産み出すのだろうか。

 それとも先人が敷き示した道行を辿っていくのか。

 はたまた、被造物に成り代われずに滅ぶのか──




 ──その結末を見届けられることを祈るばかりだ。


 

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