短記.白夜と常夜



 人の手に負えないから怖い、というのは少し違う気がしています。

 もしもそういう理由から来る恐怖なのであれば、私達は昼もおそれていないとおかしいのです。


 では何故なぜ、私達は夜を恐れているのでしょう。


 私達の祖先は火を手にして、夜を歩くすべを身に付けたと言います。宵闇よいやみを照らす術を手にしたと言うのに、祖先達は夜を恐ろしいものと思っていたとも聞きました。光の届かぬ世界はわからない、何も見えないのに何かが居ると思わせる力があったとも。

 祖先達が手にした光で追いやったのは、一体なんだったのでしょう?


 ──それを知るために、私はひとり夜の世界へ飛び込みました。


 大崩落フォール・ダウンさかいに一変した世界では、地軸がずれていると教わりました。故に気候の変動を招き、常に日の当たる地域と常に日の当たらない地域が生まれたのです。そうして何時からか前者を白夜地帯びゃくやちたい、後者は常夜地帯とこよちたいと呼ぶようになりました。

 私は前者ぜんしゃの出身であり、夜というものを体験したことはありません。見たこともありませんが、酷く恐ろしいものだと感じているのです。父も母も、祖父母そふぼさえ一度も見たことの無い夜を畏怖いふしておりました。

 常夜地帯には、名を口にするのも恐ろしい化物達がひしめいていると、見たこともないのに信じきっていたのです。私もその一人でありました。



 しかし、常夜地帯は私の想像とは異なる世界だったのです。

 恐ろしい世界だと思っていたそこには、私達の知らない命が生きていました。臀部でんぶを発光させ宙を舞う羽虫はねむし、水中にて光を放つ小さな生命。そして闇夜にきらめく満天の星々……宵闇に抱く恐れは変わらず存在しますが、それと同じくらい好奇心をあおる世界でもありました。昼と夜、そのどちらもが1日のうちに体験できた旧時代の人類が少しだけ羨ましくなりました。

 ふるき時代に思いを馳せながら、地面に寝転び星空を見上げていると草を踏む音が聞こえてきます。

 私は体を起こし、周囲を見渡しますがあまりよく見えません。ぼんやりと、人のようなシルエットをとらえるのが精一杯でした。意識を集中しないと、それすらもかすみのように消えてしまいます。

「……昼子ひるこの娘か、お主?」

 聞こえたのは低く重い声。ヒルコとは私の事なのでしょうか?

「迷い子なのか……そも、言葉が通じておらんのか。

 娘子むすめごよ、言葉がわかるのなら何かもうして見せよ」

 声の主は私を心配してくれているようでした。

「……すみません、姿無き貴方様。

 貴方様の声は聞こえていましたが、私には見えないのです。暗い闇にあって、朧気おぼろげなシルエットしかわからないのです」

「そうか……やはり昼子なのだな。

 お主、如何用いかようにてまいられた」

 納得したような声には、敵意のようなものは含まれていないようでした。

「夜を、知りたかったのです」

「……夜を知りたいと、そう申したのか」

 懐疑的かいぎてきな声。ですが悪意を感じることはありません。

「はい、私達は夜を知らずに生きてきましたので。

 皆が恐れる夜とは、どの様なモノなのかを知るために来たのです」

「クハハハハ、良い!

 良いぞ娘、その意気や良し。われ自ら教えてくれようぞ」

 豪快な笑い声が響く闇にともるはいくつかの火玉ヒノタマ。それらと共に姿を現したるはいわおごと韋丈夫いじょうぶ。濃紺の着物を着崩しており、そこから覗く胸板は分厚い岩盤がんばん想起そうきさせるほどの筋肉である。彫りの深い顔、その額に生えるは天をかんとする双角そうかく──

「お……鬼でありましたか」

 腰を抜かす、言葉では知っていたけれど実際にそうなるとは思ってもいませんでした。

しかり、姿を隠したまま近づいてすまなかったのう!

 我の姿を見ると、余程恐ろしいのか大抵の者は逃げてしまうのでな……どれ、掴まるが良い」

「あははは……ありがとうございます」

 差し出された手は豆だらけで石のようにゴツゴツとしておりましたが、程好い熱を宿しておりどこか安心感を覚えます。

 ですが、手を取った途端に引っ張られるのは良くないと思いました。優しくはあるのでしょうが、どうにも粗野な印象です。

「して昼子の娘よ、名をなんと言う?」

「ミコト、それが私の名前です。

 鬼の貴方様あなたさま、貴方様のお名前をお聞かせくださいな」

「我が名はトコヨと申す。よろしく頼むぞ、ミコトよ」

「はい。こちらこそ宜しくお願い致しますね、トコヨ様」



 ──そうして、私は彼の案内で常夜地帯を歩くこととなりました。

 一体何処から取り出したのか、彼は提灯ちょうちんを私に下さり共に歩いてくださいます。とぼしい月明かりの下、泳ぐような暗闇にあってそれは小さく頼りないあかりではありましたが、不思議なことに安心感を与えてくれました。

「ここではあまり強い灯りをつけられんのだ、すまんなぁミコト」

「何故でしょうか」

「夜の闇を悪戯いたずらに退けてはならんのでな」

「なぜ?」

「己の都合で他者の世を犯してはならん、ただそれだけの事よ」

 その声には悲しそうな色がほんの少しだけ混じっていました。彼は私の手を引きながら、何処かへと向かっていきます。

「トコヨ様 」

「なんだ、ミコトよ」

「宵闇には、なにが居るのですか?

 申し上げにくいのですが、先程から獣のような気配を感じるのです。姿はないのに、じっと見詰められているような……」

「ナシの者達だ。名前もなく姿もない」

「……それは、どう言った者たちなのですか」

「人の畏れや恐怖を喰らい貌を成す、そういった者達だ。宵闇に恐怖を抱いた者の思念をもとかたちと名前を得るが、それは仮初めに過ぎぬ。故に白日の下では生きられぬのだ」

「不思議な者達ですね」

「そうさな。

 今ここに居る奴等がどうなるのかは、お主の想像次第と言うことだ」

 意地の悪い笑いと共に彼は進んでいきます。

「トコヨ様、そもそも夜と言うのはどのような世界なのですか?」

「夜というのは神の創りし世界よ。お主らは光を手に闇を照らすが、闇を作り出すことは出来ぬだろう?」

「成る程……確かに、私達に闇を作る技術はありません」

「そう、だから神の世なのだ。我らはそこに間借りしているだけの存在よの」

 豪快に笑いながら、彼は迷いなく進んでいきます。そうして、道中で見掛けた疑問には全て優しく答えてくださいました。臀部を光らせる生き物が蛍という事、水中で光るあれらは夜光虫という虫であり、身の危険を感じると発光するのだと言いいました。他にも蝙蝠や梟といった、白夜地帯では見かけなかった生き物を沢山知る事が出来たのです。


 そうして進んだ先にあったのは開けた土地。生い茂る木々もなく、ぼんやりとした月明かりが照らすそこは境内のようでした。濃紺に塗られた鳥居、そこにかかる注連縄しめなわほつれの一つもありません。

 彼は私の手を取り、やしろの方へと突き進んでいきました。辿り着いた社は非常によく手入れされており、漆も塗られていたのです。

 彼は社の前で腰を下ろすと、私にも座るように指示してきました。

「ミコトよ、お主は夜をどう思う。 まだ怖いと思うか?」

「……全く怖くないと言えば嘘になりますが、白夜地帯に居た頃よりは怖くありません」

「ほう……それは何故だ?」

「夜にも様々な命がある事を知ったからでしょうか。

 きっと私達は、夜の闇に何が居るのかをしらないから恐れていたのです。トコヨ様の様に言葉を介する人がいる、ナシの者達のような命もある。トコヨ様に出逢えなければ知る事の叶わなかった者ばかりでございます。

 白日の下で生きられぬ者たちにとって、夜は無くてはならない安息の地……トコヨ様が言っていた意味が解った気がしたました」

「そうか」

「そして私達が光を以て退けたモノは、恐らく未知への恐怖です。白日の下へ晒し、なんなのかを知る事で安心を得ていた私達が夜を恐れるのも納得です」

「理解できぬもの、解らぬものに恐れを抱くのは道理だ」

「ええ……ですが恐れも必要なのでしょう?

 知らぬこと、解らぬことがあるからこそとれる距離もあります。互いの為にも、知りすぎるのは良くないのでしょうね」

「夜を知りたい、などと申していた癖に何を言うか」

「夜の全てを知りたい、とは言ってませんからね」

「ははは、それもそうだな。程好く知る事が大切だと我の親父も言っていたのを思い出すわ」

「そうですか。なら今度、白夜地帯へ来てみますか?

 友人として村の皆に紹介いたしましょう」

「ふむ、考えておこう」

「ふふふ。その日をお待ちしておりますよ、トコヨ様」


 ──それから私達は他愛もない話をして別れました。

 別れ際に見た常世地帯は恐れるものでもあるけれど、何処か愛しさのような物を覚えていました。


 暗く寒いけれど、優しさのある不思議な世界がどうか皆さんに愛されますように。

 そう、願いながら私は白夜地帯へと帰ったのです。




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