短録.強い想いの呼び名は

 ──私を捨てるのですか?


 メリディアの口から漏れたのは、涙に濡れたか細い声。

 その胸に灯されていたのは、触れるもの全てに火傷を負わせる危険なあい。十代の彼女が灯すには危険過ぎる程の熱量、それは未成熟な恋心を燃やしてしまった為か。本人すらも消火出来ぬ程の焰、その身を蝕む熱を胸に少女は泣き続けた。

「ドゥディン、答えて……」

 想い人のドゥディンは応えない。

 故に、彼女は独り頬を濡らしている──





 彼女が彼に出会ったのは、森の奥にある人気の少ない湖の畔。初めて募らせた想いを相手に伝えるも袖にされ、独り泣いている夜に彼は現れた。彼は優しい口調で彼女へ言い寄り、その悲しみを解すように寄り添い続けた。そうして半月も経たぬ内に、見事彼は彼女の心を掴んだのだ。

 口説き落とされた彼女は日夜、彼の事を考える程であり、彼と知り合ってから四日経つ頃には失恋の痛みなど忘れきっていた。そうして元の活気を取り戻した彼女は、毎夜家を抜け出しては件の湖へと向かい彼と愛を語り合う。

 優しくもどこか儚げな彼の事をもっと知りたい、彼にもっと私の事を知って貰いたいと思い始めるようになるまで、そう時間はかからなかった。そんな甘く愛しい日々にあって、彼女は夢見心地であったに違いない。彼に恋をしているのだと、そう自覚するまでは──


 ──貴方と一緒にいたい、と。

 自然と口をついた言葉を受けて、彼は少し影のある笑みを浮かべた。そうして“一晩時間をくれないだろうか”と返した翌日から彼は姿を見せなくなりました。

 私の恋心に火を着けた貴方を思う気持ち、その強さはあの日から変わりません。いいえ、過ぎた月日の分だけ強くなっていたのです。あの晩からもう一月、一向に姿を見せない貴方を心配しています。便りを送ろうにも私は貴方の家を知りません、貴方の勤め先もわかりません。そして奇妙な事に、村の誰も貴方を知らないというのです。


 愛しの貴方様、私のドゥディン。


 どうか、一目でも良いのです。


 逢えるのなら、今すぐに会いたい──



 ──しかし、願いは叶わず。

 彼と最後に出会った夜から二年が過ぎる頃になっても、彼女は彼の事を想い続けていたのです。彼を想う姿勢は表に出さず、延々と静かにその恋心を燃やし続けていた。いつか出逢えた時に美しくなったと褒められたいが為に努力を重ね続け、何時しか隣村にまで噂が届く程の美貌を手にした彼女。それはどこか人間離れしているといっても、過言では無いほどの美貌であった。

 深く熟成されたワインを思わせる紅色の頭髪は肩口で切り揃えられ、凛とした佇まいの中に漂うのは大人の色香。やや切れ長の瞳と長い睫毛、瑞々しい果実を思わせる唇は仄かに紅を差すだけでも充分に魅力的であった。


 それ故か、村の娘達が着るような露出のない質素な仕事着でさえ男達を釘付けにする。仕事が終われば男達に言い寄られ、その度に彼女は優しく断りをいれ続けた。村一番の美丈夫でも、村一番の稼ぎ頭でも村一番の権力者でさえも彼女を射止めるには及ばず。どんな人に言い寄られようとも、彼女が応えることはただの一度もなかったのだ。

 そうなれば当然、彼女を妬み害を為そうとする輩も現れるもの。そこに性差は関係なく、次第に嫌がらせと言うには苛烈すぎる仕打ちを受ける羽目になったのだ。

 わざと服に家畜の糞尿をかけられたり、靴の中に刃物の破片を仕込まれたりと受けた被害は数知れず。当然持ち物を盗まれることもあり、それはほぼ日常的に行われていた。

 しかし奇妙な事に、彼女がそれに対して怒りを露にする事は無かったのだ。誰に言うでもなく、機械的に処理して自らの業務をこなし続けていたのです。

 嫌がる様子もなく、堪えている気配もない。

 そうなれば嫌がらせは自然と沈黙するもので、それらの悪質行為は半月も経たず消え去りました。



 奇妙な事件が起きたのは、それから数日後の事。

 村娘の一人が見るも無惨な姿で発見されたのです。四肢を切り落とされ、内臓を抉り取られた腹の中に彼女の生首が詰められていたとの事。抜き取られた内臓は彼女の家に隣接する汲み井戸の中に投げ捨てられており、酷い悪臭を放っていました。

 異常としか言えない事件は瞬く間に噂となり、半日も経たず全村民が知る事となります。大人達は総出で犯人を探しましたか、その姿はおろか手懸かりの一つも見つけられないのです。

 何故、捜索が難航しているのか……それは死体の傷に由来していたのです。


 通常、人体を切断しようとするのならそれなりの知識と道具を必要とします。力任せに四肢を切断しようとすれば断面はぐちゃぐちゃになりますし、相当な時間がかかります。もしも野生生物の仕業であるのなら、可食しやすい腸を井戸へ捨てる理由がありません。切断した頭を腹部に詰め込む様な事もしない筈なのです。

 故にこれは人の仕業であると、誰もが信じ疑いませんでした。


 そうして一人目の犠牲者を出した翌日、別の村娘が殺されていました。二人目の犠牲者は脳天から股座までを一直線に切断され、左右に別れた姿で見付かったのです。これはおおよそ人の成せる業ではないと、その場に居合わせた人々は確信しました。それから毎夜、村人が惨殺されるようになったのです。次は誰が殺られるのかと、皆夜を恐れるようになりました。

 惨殺が始まってから数週間、村人の間で一つの噂が流れるようになったのです。被害者は皆、メリディアに嫌がらせをしていた者達ではないかと。



 ──私に嫌がらせをしていた人が惨殺される、そんな噂を耳にした翌日でした。居間で針仕事をこなしていると、お母様が不安そうな表情で話しかけてきたのです。

「メリィ、お前……夜は部屋にいるんだよね?」

「えぇ、お母様。近頃の夜は危険ですから……どうしてそんな事をお聞きになるの?」

 手を休め、向き直った先の母は酷く怯えていました。

「い、いや……それなら、いいのさ」

「もしかして、お母様は疑っていらっしゃるの?」

「何のことだい……そんな、疑うことなんて」

 お母様の声には、明らかな動揺の色が浮かんでいました。微かに目線は泳いでいますし、爪先は私から離れた方向へ向けられています。何時ものお母様なら絶対にあり得ない仕種ですもの、見落とす訳がありません。

「隠さなくていいのよ、お母様。

 私だって耳にしているんだもの」

「……お前が、殺したのかい?」

 過去一番に怯え、苦しそうな表情のお母様を見るのは少々心が痛みました。けれどそれを悟られてはいけない、だから何時ものような笑みで返します。

「私は南瓜の皮も切れない細腕なのよ、お母様。

 そんな私が人を切るなんて事、出来ると思う?」

「確かに、お前は南瓜の皮すら切れないね。

 ごめんよ、不安になっちまって……母親として情けない」

 ──私には切れない、ただそれだけなのにね。

 それにね、お母様。私だって怒る時はあるのよ──

 事実は秘めたまま、小さく震えるお母様を優しくを抱き締める。

「いいのよ、お母様。

 こんな日々にあるのだもの、不安にもなるわ」

「お前は……本当に優しい子だよ」

「──そうでもないわ、お母様」

「……冗談はよしとくれよ、メリィ」

「お母様、一つお聞きしてもいいかしら」

「なんだい、言ってごらん」

「人の想い人を奪おうとするのは、イケないことよね?」

「そりゃ、そうさね……わかっててやってるんなら、酷い話だ」

「それって、とっても悪いことよね?

 悪いことをしたのなら、罰が必要よね?」

「……まさか、あんた」

 怯えるお母様の瞳に写った私の顔は、これまでにない満面の笑みでした。お母様にもお父様にも見せたことのない、本心からの笑み。

「ふふふ、ふふ!

 お母様、私──」


 ──頬を、叩かれた?


「──……アンタ、なにやってんだい!

 自分のした事がどんなに恐ろしくて、悪いことなのかわかってるの!?」

 少しだけ赤くなった、お母様の手。涙を浮かべて、震えながらも真っ直ぐに私を見据えて睨んでくるお母様。どうしてお母様は怒っているのかしら、悪いことをしたのはアイツらなのに。

「……だ、だって──」

「──だっても糞もあるかい!」

 今までにない剣幕だった。お母様がこんなに怒るなんて事なかったのに、どうして?

「男を取られたくらいで人を殺す奴があるかい!?」

 ──取られた、くらいで?

「……取られたくらいで、殺すなっていうのですか」

「当たり前だろう、このバカ娘!」

 ──私にとって彼は、誰にも取られたくない温もりなのに?

「……どうしてですか、お母様」

「アンタ……本気でいってんのかい!?

 三十人も殺しておいて、本気でいってるのかい!」

 ──あの人が目移りしないように、虫を駆除するのは駄目なのですか?

「本気です……人の男に手を出した、アイツらがイケないんですから」

「……どうして、そうなっちまったんだい」

 ──あの人が愛を囁いてくれたから。

 ──私を欲しがってくれたから。

「……どうせ、話しても理解してくれないわ」

「そうかい……なら、墓まで持っていっちまいな」

 ──どうして、お母様は包丁なんて持っているの?

「……お、母……様?」

「身内の不始末だからね……後で私も逝くよ、メリィ」

 ──痛い、痛い。お腹が、痛い。

 深く、深く刺すなんて、痛いわ。

 どうして、私を刺したの……お母様。

「……あ、ぁ……痛、い」

「……アンタがしたことさ、メリディア。お前も……苦しむんだよ。苦しまなきゃ、駄目さね……」

 ──なら、お母様も苦しめ……!──



 ──彼女がどこから狂っていたのか、それは本人にもわからなかった。従順で大人しく、優しい子を演じていた彼女。

 躾と称して彼女を痛め付け、理不尽な暴力を浴びせ続けたのは彼女の義父であった。彼が幼子であった彼女を痛め付けたのは決まって母親の居ない時間帯であり、仕事で忙しい母親はそれに気付くことが出来なかった。母は仕事で忙しいから相談できない、気付いてくれないと、彼女は無意識に自身を誤魔化し続けていた。

 しかし、積り募った怨みが消えることはなく。彼女の知らぬところで、ひっそりとその火を燃やし続けていたのだろう。

 否定される事もなく、優しく誉めてくれた母親から受けた初めての叱責。それが最後の理性を断ってしまったのだろうか──


 無意識に向き合うことを避け続けたのは、幼少期より胸に巣食う怨嗟。それが呼び起こしたのは、彼女の血に眠っていた旧き存在。

「……なんだい、こいつは」

 突如として顕れた存在を前に、母親は立ち尽くす事しか出来なかったらしい。

 あらわれた異形は、黒いドレスに身を包んだ透明な人間らしきものであった。黒きベールの下にある筈の顔はなく、ただぽっかりと空間が存在するばかり。布と装身具だけが音もなく、ただ静かに揺らめきながらそこに居た。

「──やりな、さい……Fearg」

 口から血を吐き、虚ろな瞳のメリディアが告げた瞬間。

 Feargと呼ばれた化物の腕が捻れ鋭利な刃物へと変貌し、目視不可能な速度で振るわれる。

 直後、母親は賽の目状に切り分けられ床に転がり落ちた。

「──はぁ……っ……はぁ……っ……ぅう!」

 弱々しい呼吸を繰り返しつつ、自身の腹部に突き立てられた包丁を引き抜くメリディア。傷口から血が流れ出たが、寸秒と経たずに止まっていた。彼女は母親だったものを一瞥すると、片付けることもなくその場を後にする。

 ──新月の夜、出歩くものは彼女ただ一人。

 早々に灯りを消した家々の扉は固く閉ざされており、辺りは泳ぐような暗闇に包まれていた。

 冥い海を漂うように、覚束無い足取りの彼女が向かうのは件の湖。彼女の中の悪魔は教えてくれた、彼女が恋した相手の正体を。そして今宵であれば、出会えるとも告げたのだ。


「……ドゥディン」

「やぁ、メリディア。久し振りだね」

 湖畔で煙草をくゆらせていたのは、あの日の想い人。あり得ない幻だと我が目を疑う他なかった。けれど記憶の中のあの人は、煙草の火を消してゆっくりと私の方へ歩んでくる。

「とても綺麗になったね、メリディア」

 私の手をとり、その甲に口づけをされたけれど、あの日のように胸はときめかない。嬉しいという感情は沸き上がらなかった。

「……ドゥディン、貴方に聞きたいことがるの」

「なんだい?」

 あの日のような甘い声。

 だけどどうしてかしら、ただの少しでさえときめかない。それどころか、嫌悪感さえ覚えてしまう。

「貴方は、二年間もどこへ行っていたの……私、待っていたのよ?」

「あぁ、それは……すまない。家族に不幸があって──」

「──嘘」

 あまりにも見え透いた事を言うものだから、言葉を遮ってしまった。けれど構わないわよね、悪いことをしたのは貴方なのだから。

「ドゥディン、私知っているのよ。

 貴方、私以外にも沢山の子に愛を囁いていたのでしょう?

 私にしたように、甘い言葉で騙したのでしょう。乙女心を弄んだのよね?」

「メリディア、そんなことは無い。なにを勘違いしているのかは知らないけれど、僕が愛しているのは君だけだ」

 抱き締めてきた彼をそっと押し返す。そんな事をされても、私はもう絆されない。貴方の甘い言葉にもなびかないわ。

「……ねぇ、ドゥディン。

 貴方、本当は人じゃないんでしょう?」

「な、何を言っているんだ、メリディア」

「貴方の名前はギャン・カナッハ……ガンコナーとお呼びした方がいいかしら?」

「……どうして、その名前を」

 初めて見た彼の怯える顔は、少しだけ可愛く思えた。

「ねぇ、ドゥディン。

何時か貴方は教えてくれましたよね?

相手へと向ける強い感情こそが、愛なのだと」

──だから、きっとこの感情も愛なのよね。

「……なにが、目的だ」

「──にくしみを贈りに来たのよ」




 ──乙女の心を弄ぶ。


 それは時として命を落とすことになると、言寄魔ガンコナーはこの時初めて知ったのだろう。

 麗しき乙女であった彼女が、酷く恐ろしい化物に見えたのか。彼は脇目も降らずに走り出した。自身の持てる魔法の全てを逃走の為に使い走り、一歩でも遠くへ逃れようとしていたのだ。


 ……しかし、彼女の従える悪魔から逃げ切れるわけもなく。彼が二歩目を踏み出した時点で追い付かれていた。先程と同じように、異次元の速さで振るわれた刃は彼の足を切り飛ばす。着くべき足を失った彼はそのまま地面を転がり、這いつくばりながらも彼女から距離を取ろうともがいていた。かつての美貌は失われ、その甘いマスクは恐怖と苦痛に彩られている。その姿を見下ろすのはメリディアとFeargのみ。三人を照らす光はなく、暗い闇夜の中で言寄魔ガンコナーはその生涯を閉じたのである。
























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