短録 .竜胆


 ──ある日突然、古い友人が訪ねてきた。


 夏も終り、向日葵ヒマワリ畑が茶色の海へと変貌し終えた頃に彼女はやって来た。あの日と同じように、なんの前触れもなく現れたのだ。

 既に落とした種の変わりに孕んだのは、おりのような重く纏わりつく不気味さ。名状し難い雰囲気に満たされた畑を、彼女は一切の躊躇いなく突き進んできた。全てが黒と茶色に包まれたそこに在って、彼女の薄青紫の髪はとても目立っている。

 ……それが私の目には少し、ほんの少しだけ悲しく見えた。死に満ちた世界を歩み、これからも歩み続けるであろう彼女を思うとどうしようもなく胸が痛む。

「久しぶり、マリーナ」

「久しぶりだね、リン」

 久しぶりに見た彼女は、あの時とほとんど変わらない。薄く鮮やかな青紫の髪も、色づき始めた少女のような体躯も、あの日見た時のまま。

 ──けれど、その瞳は変貌していた。

 あの様な日々に在っても穢れず、曇ることのなかった彼女の瞳から失われた光。底の見えない虚のような瞳で、無理やりあの当時の笑顔を作っている。痛々しく笑う彼女を私は招き入れ、あの子と過ごした居間へと案内した。



 彼女は居間へ着くなり興味深そうに室内を見渡し、手作りの小さな丸椅子を見つめていた。彼女が見つめていたのは、私があの子の為に初めて作った丸椅子。もうボロボロで、使うにはちょっと不安が残るようになってしまったけれど未だ捨てられずにいる。

「……あぁ、マリーナ。

 君は心を許せる相手を見つけられたんだね」

 そんな椅子をみて、穏やかに彼女は言葉を漏らす。彼女はゆっくりと椅子に手をかけると、愛しそうに優しくその手を滑らせた。

「その子も、貴女に心を許していたんだね。

 マリーナ、せつにこの子の事を教えて欲しい。心を許し愛した貴女の口から、この子との顛末を教えてくれないか……でないと、正しく判断できそうにない」

 彼女は椅子を元の位置へ戻すと、真っ直ぐに私を見据えてきた。

「君の事だ、拙が訪ねた理由くらいは解っているんだろう」

 ──そう、あの向日葵畑を進む彼女を見た時から解っていた。私が犯した罪を清算するために、彼女はやって来たのだと。

 ならば引き延ばす様な真似はすべきではない、仕方のない事だと諦めず受け入れて進む。そうと決めた以上、私は過去の罪と向き合い正しく裁かれる必要がある。

「そうだね、他ならぬ君が来たんだ。

 わかってる……何時かこの日が来るだろうと、私も心の底で思っていた。だから座ろう、リン……いや、リンドウ。包み隠さず君に伝えると、約束するよ」


 そして私は全てを彼女へと伝えた。

 私が独りここで慎ましく暮らしていたこと。突然勇者を名乗る者達に襲われ、身を守るために殺した事。彼らの理不尽みがってさに暴力をもって応え、その果てにあの子と出合ったと。

 あの子については私が知りうる限りの情報を伝え、私が何を想いあの子を鍛え愛したのかも包み隠さず正直に伝えた。そして何が起きて、私が国を一つ滅ぼしたのかも全てを正直に吐いた。

「──これが、全てだよ……リン。

 私は、私の力を正しく使わなかった。私達が身命を賭して護った彼らの子を、この手で屠ったんだ」

「話してくれて……ありがとう、マリーナ。

 あの地に残る深い悲しみの臭いは、君のものだったんだね」

 そう言って彼女は悲しそうに微笑むと席を立ち、向日葵の丘へ向かっていく。私も彼女の後を着いていった。来いと呼ばれた訳でもない、けれどそうするべきだと私は思っていた。


 話終えてから数分、私達はあの子の眠る場所に来ていた。あの子の故郷から持ち帰った一際大きな向日葵も、他の向日葵のように首をもたげ種を落としきっていた。

 私はその前に膝を付き、両手を合わせ静かに祈る。私の背後に立つ彼女は何もせず、ただ静かに見下ろしていた。


 ──その手に、一振りの刀を携えて。


「マリーナ」

 穏やかで静かな声。

「……うん」

 ようやく終りを迎えられるのだと。そう思えば怖くなかった。既に心残りはない。何時かくる終焉を待ち続ける日もこれで終わる、長い猶予期間も終りを告げるのだ。

 ──……さぁ、リンドウ。

 友人の君には申し訳ないけれど、それが君の務めだ。どうか一思いに終わらせてくれ。









 ────……私が目を瞑り、来るであろうその最期ときを待ちどれ程経ったのか。未だに首は繋がっているし、心臓も動き続けている。

「リン……?」

 振り返り、見上げるとそこには刀を手にしたまま俯く彼女が居た。その身体を小さく震わせ俯いたまま、静かに佇んでいる。

「……どうしたの?」

「教えて、マリーナ」

 応える彼女の声には涙が混じり、消え入りそうな程に弱々しい。彼女はその場に崩れ落ちると、刀を握ったまま地面に手を付き項垂れた。

「拙には……もう、……わからない」

「……わからない?」

「わからないの、もう」

 ……明らかな異常だった。過拡張人種エクステンダーズ処刑隊エグゼキュターの彼女が処刑に疑問を抱くなんて、あり得ないはずだった。困惑する私を他所に、彼女は話を再開する。

「……この丘に眠る彼女の、君が愛したあの子の父親は村長だったんだ。不貞を禁忌とする村のね。だから彼は自らの不貞を隠す為に、あの子を勇者へと仕立て上げ君のもとへ送った。村長は他の勇者同様に、君に殺されると踏んだんだろう。

 けれど読みは外れ、彼女は下手な勇者よりも勇者らしくなってしまった。だから奴らは、彼奴かれららはあの子の心を利用したんだ。いくら君が彼女の心を満たそうと、彼女はどこかで感じていた。それは君も理解していたのだろう?

 拙らのような人外からの愛ではなく、彼女は同じ亜人種ヒトに認められ愛されたかったと」

 確かにあの子には、何かしらの理由があるとは思っていた。しかしこんなにも身勝手な理由だったとは、全く考えもしなかった。

「そして君は彼等に貶められ、彼女は殺された。村長が放った凶弾が彼女の頭と共に、君の理性を砕いた……マリーナ、拙は君の行いを咎めるべきかなのか?

 答えてくれ……マリーナ、拙は──」

 張り上げた声と共に上げられた顔は、戸惑いと悲しみに染められている。今までの彼女なら、あの頃の彼女なら絶対にしなかった顔に私は驚きなんと声をかければ良いのか解らなくなっていた。

「マリーナ……拙は、君を斬りたくない。

 充分に苦しみ、償ってきた君を斬る必要がどこにあろう?

 数百年も昔の罪を暴き、君を裁く事に意味はあるのだろうか。汚点のない人生を歩むものなど居ないと言うのに……なぁマリーナ、拙の信じてきた正義はどこに在るのだ?」

 遂に彼女は刀を手放し、私にすがってきた。 なにかに怯える幼子のように、その身体を震わせながら私にしがみつく。

 ──……けれど正直、困る。

 彼女の言い分が解らない訳じゃない、むしろ解ってしまうからこそ言葉に詰まる。だから彼女がどんな言葉を欲しているのか、ある程度の予想はついている。

 しかし、それを私が口にする資格はあるのか。かつて感情任せに力を振るってしまったこの私に、それを彼女へ説くのは正しいことなのか?

 ──逡巡する私にしがみつきながら、彼女は胸の内を吐露し始めた。

「……マリーナ。

 拙は、拙は絶対的に正しい側に在ると、そう信じていた。無意識にそう思い込んでいた……だがそれは間違いだったのだ。

 拙は罪を犯した彼等エクステンダーズを断じた、亜人共では太刀打ちできないからな……だから、彼等によって苦しめられた亜人達を救う為に元凶である彼等どうほうを殺した、拙がその命を絶ってきたのだ。

 だが、拙がいくら断とうと終わりが見えない。拙の殺した同胞の数は、何時しか救った人数を越えていた……マリーナ。

拙は……拙の行いは何だったのだ。何のために拙は彼等を、古き友を殺した……?」

 なんとも悲痛な訴えだった。そして確信した、してしまった。その訴えに対する答えを、私はのだと。

「……リンドウ、私が言えた事ではないかもしれないが聞いてくれ」

 これは私が話すしかないのだろうと思ったから、伝えることにした。

「絶対的な正義なんてものはない……

 不変的で普遍的な物はないんだ。基本的に立場が異なれば正義の尺度も変わってしまうから、私達の創造主でさえ絶対的な正義を持つことは出来なかった。

 確かにあの子を殺した村長は度しがたいクズなのかもしれないけれど、村を守るためには必要な存在だった。そんな彼を誅殺したとして、残された村はどうなる?

 ……結果としてより多くの人が死ぬのかもしれない。ただ今回はやり方を間違えた為に、私が殺したのだけれど……結局は全滅だ。誰も救えない、なにも残らなかった。

 私は当時、あの子の無念を、果たされなかった願いを利用した彼奴らを殺す事が正しい事だと思っていたんだ」

 本当に私はそう 信じていた、信じて疑わなかった。悉くを殺し尽くしても満たされなかった、満たされないからこそ気づくことが出来た。

「……だけど現実は違う。私は大虐殺の犯人でしかない。私はあの時、あの子に言われた通り彼等を許せば良かったんだ。そうすればあの子以外に犠牲者は出なかった。一人を救うために大量の犠牲を産み出す事にはならなかっただろう。

 ──リンドウ、正義を成すには犠牲が必要なんだ。正しくある為には、自分自身を含めて誰かを犠牲にする必要がある。なんの犠牲もなく正しく在ることは出来ないんだよ……だから、君もその罪を背負うしかない。罪と向き合い、自分自身を許せるようになるまで悔やみ続けるんだ」


 優しく抱き絞めると、彼女は声を上げて泣き始めた。そうして暫くの間、彼女は子供のように大粒の涙をボロボロと溢しながら嗚咽混じりに泣き続けた。








 ────残念ながら、正義とは英雄のような美談ではない。それは相手を深く傷つけ、同時に自らも深い傷を負うことだ。決して格好の良いものではないが、正義とはそういうもの。

 どうか彼女も、自らの力で理解して欲しい。どんなに時間がかかろうと、私は側で君を見守ろう。



 ……竜胆の名を与えられた君なら、理解出来ると信じているよ。






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