穢録,禍津毘「姦蛇羅」


 ──姦蛇羅かんだら様。


 それは私達の村が祀る存在であり、旧きヒトの末裔だと教えられてきた。

 國産くにうみの神々に迫る程の力を持ちながら、その精神性により怪生けしょうとして歴史に刻まれた一族。


 その行いに一切の理由はなく──

 悪戯イタズラに山肌を削り、穏やかに流れる小川を一夜にして濁流へと変質させる。気紛れに獣を喰らっては生態系を乱し、植物を過剰成長させるなど……正直言って、ありがたい存在でなかった。


 それでも私達がの者をあがたてまつるのは、彼方アチラが提示した代償を払いさえすれば如何なる願いも聞き届けて下さるからだ。


 ──だから、私はここへ来た。来てしまった。



「よぅまいったのぅ、娘子ムスメゴよ」


 私の目前でカラカラと笑う妙齢の女が件の存在である。覚悟を決めて来た筈なのに、いざ相対してみればどうだ。

 喉はカラカラに渇き、ベットリとした脂汗が止まらない。目前の存在から早く逃げろと、本能が全力で警告を発し続けている。


「──……何かしら願うことがあって、ワレの所へ来たろうに。

 幸い今日は機嫌が良い、はよぅ申してみせよ」


 姦蛇羅様は、目を細めたままニタニタと気味の悪い笑みを浮かべている。機嫌が良さそうではあるが忘れたらいけない、私の命は相手の掌の上なのだ。殺すも活かすも彼方の指先一つ。震える体で膝をつき、深々と頭を下げる。


「──か、姦蛇羅様。

 どうか、私の息子をお助け下さい……!」

「……ふん、構わんぞ」


 すがるような気持ちで伝えた願いは、拍子抜けする程あっさりと受け入れられた。嬉しさを押さえつつ、額を地面に擦り付けながら礼を申し上げる。


「あ、ありがとうございます……!」

「代償として貴様らの命を頂くがよいな?」


 抑揚はなく、興味の欠片もないような声で伝えられた代償に私は耳を疑った。恐る恐る顔を上げると、ソコには意地の悪い笑みを携えた姦蛇羅様が私の顔を覗き込むようにしている。


「無論、お主の命も頂くからなぁ……ヒヒヒ。

 わかっておろうが、口外こうがいするなよ?

 まぁ口外したところで、逃げる暇は与えん。そん場合は勿論、初めにお前の息子を惨たらしく殺してやろうなぁ……」


「……そ、そんな──」


 背筋を伝う冷や汗。この山を再び豊かにしてほしいといった途方のない願いならまだしも、ただ一人 の救命を願った代償がこんなにも重いものなんて誰が想像出来ただろうか。

 願う相手はあの姦蛇羅様なのに、どうしてそんな希望的観測を持ってしまったのだろう。一先ず後悔も懺悔も胸の奥へ押し込め三度頭を下げる。今度は地面に頭をめり込ませるつもりで、必死に土下座をし声の限り訴えた。


「姦蛇羅様、どうか、どうか私の命のみで勘弁しては下さいませんか!?」


 突然頭を鷲掴みにされ、強制的に起こされた先にあったのは底冷えするような威圧感を放つ姦蛇羅様の顔であった。


「お断りじゃ、れ者め。

 主よりも長い未来を持つであろうぼんを助けるのだ、主等ぬしらのような先短さきみじかい命と等価になる道理がなかろう?

 ……故に話は終いだ、く失せるが良いぞ娘子」


 雑に放り投げられた私は、後ろを振り返る事なく一目散に村へと駆けた。

 姦蛇羅様が恐ろしいのもあったがそれよりも、私の我が儘のせいで皆を殺してしまうという事実が恐ろしかった。

 逃げても殺される、誰かに話しても殺される。もうどうしようもないくらいの八方塞がりとなってしまった、なんという馬鹿なことをしたのだろう。


 先日行われた村の寄り合いでも、姦蛇羅様の力は借りない事にするべきだと決めたのに、私は我が子の可愛さにとんでもないことをした。

 日々餓えに苦しむ我が子らの姿を見るのが辛くて、なにも出来ない自分が情けないと何度も泣いたのだ。

 ……しかし痩せゆく山や濁り澱んだ川をどうすることが出来よう。これらの問題は矮小な人の身に有り余る厄災であり、そこから離れることも出来ないのならなにもせずに滅ぶのを待つべきだというのか?


 ──私は姦蛇羅様へ願ったあの日からずっと、明確な答えのでない自問自答を繰り返し続けている。そうする内に姦蛇羅様の言っていた言葉の意味が、ようやく理解出来た。一見理不尽なことわりだと思うかもしれないが、そうではなかった。

 此より先にある無数の未来を内包した可能性の塊とも言える子供の命と、過去や経験により向かう道筋がある程度固定された大人の命では等価値にはなり得ない──


 そう自分の内で納得出来た翌朝、まるで桶をひっくり返したかのような勢いで雨が降り注ぎ私たちは家から出る事すら出来なかった。

 その翌日、息子は山の様子を見てくると行って一人家を飛び出した。それが私の見た最後の姿である。


 ──息子を見送った直後、私は古びた社の境内に立ち尽くしていた。辺りを見れば見知った顔、息子を除いた村人全員が此処にいるようだ。

 大人達はなんだかんだと辺りを見回し、幼子は何かを察したのか突如として泣き始める。ほかの子供達もわかっているのだろう、親の足にしがみついたりしていた。


「──なんじゃ、皆枯れ枝のようではないか」


 ざわつく中でもはっきりと聞こえた女の声に、皆口を閉ざし一点へと視線を送る。視線の先にあるのは天井の崩落した古い社、その中央に鎮座するのは首の落ちた大仏。

 その首の上で寝転がる人影は、姦蛇羅様だった。


「……まぁ良い、贄には変わらんからの」


 姦蛇羅様は大仏から飛び降りると真っ直ぐに私達の方へと歩いてくる。姦蛇羅様が社から出ようとした瞬間、村長が震える声である疑問を口にした。


「姦蛇羅様……その、贄とはなんでしょうか?」


「あぁ、それは主らの事じゃ」


 ニィと口角をあげて目を細め嗤う姦蛇羅様の姿に、私を除いた全員が生唾を飲み込んだ。


「なに、一片たりとも残さず召してやろう。

 光栄に思うが良いぞ……まずは主からかのぅ、それともお前からにしようか?」


 彼女は蛇を思わせる二股の舌をちらつかせながらケラケラと嗤い、不規則に視線を移し私のところで止まった。


「──やはり、お前からにしようなぁ」


 声がした、そう思った瞬間には目前に姦蛇羅様が居た。次いで聞こえたのは、刃物の振るわれる音と飛び散る赤い液体。痛みを覚えるよりも早く、私の身体は崩れ落ちた。

 薄れゆく意識のなか、私が最期に見たのは六腕となり、下半身を大蛇のそれへと変化させた姦蛇羅様の姿。私の意識が途切れるまで、骨を断ち肉の裂かれる音と悲鳴は続いていた。


 ──────…………


 初めの一人が捌かれてからものの数分で、召し上げられた村人五十三名は等しく解体された。

 苦痛を感じるよりも早く、それでいて丁寧に処理されたソレらを、彼女は社の裏にある氷穴へと運び込む。残された衣類等は全て、彼女の手により社の奥に隠された縦穴へと投げ捨てられた。


「──……怪生に関わったが最期よ、あの世で悔やみ嘆くが良い」


 皮を削いだ頭蓋を骨ごと囓りつつ、言葉を漏らす彼女の表情には深い落胆の色が見てとれる。

 今でこそ姦蛇羅などと呼ばれるようになった彼女だが、元々は力のある巫女の一族であった。それがある時、龍神信仰者により連れ去られ龍の血を混ぜられたのが事の始まりである。

 混ぜられた龍の血は禍津まがつに連なるものであり、結果として巫女は上半身は人のまま、下半身が大蛇へと変質してしまったのだ。

 尤もそれは真の姿として隠しており、平時は見目麗しい長髪の乙女として在るのだが。

 そして変質は肉体のみに留まらず、精神性にも及んでいた。変質以前より変わらず人を助けるが、その代価を必ず頂くようになってしまったのだ。


 ──例えそれが、過去の事を尋ねるような些細なものであったとしても。それが自発的な質問でなかったとしても、何かを望んで関わった時点で代価を取るように作り替えられてしまった。



 故にみだりに関わる事のないよう、彼女は自ら進んで禍津神マガツカミの様な振る舞いを選んだ。そして禍津神として認識されるようになってからは、強い願いを抱かないと通じない領域へと自らを閉じ籠めた。


 それが禍津毘マガツヒ、姦蛇羅の正体である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る