短録.「邦」When life gives you lemons, make lemonade.
僕の棲む村には小さな
そこに奉られた神様の名前は解らず、自然と僕らは
けれどその社がある場所を僕達は知らなかった。知らなかったと言うよりは、知ることが出来なかったというべきだろう。その
どうしてか気にはなっていたけれど、怒られるのが嫌だったから自然と口にすることはなくなった。他の子達も同じように、歳が七つを越える頃には誰も話題にすることはなくなっていたのだ。
そうしてなにも知らず、記憶の彼方へと社様は追いやられ何時かは忘却するのだろう。幼い僕は心の何処かでそんな風に思っていた。
──けれど、そうはならなかった。
僕が初めて社様に出会ったのは半月も雨が降り続き、ようやっとお天道様を拝むことが出来た日だ。
その年は兎に角おかしな年で、村の老人達も不思議がっていた。採れる魚は皆一様に痩せこけ、山菜も伸びが悪く筋だらけだったり虫食いにあっていた。畑は山から降りてきた動物に食い荒らされ、猟に出れば殺気立つ獣にしか出会わない。
村人は当然痩せ細り、誰も彼も肋骨が浮き上がっていた。
当然僕もそう、ひもじさのあまり木の根を
そこで僕は目を疑った、村の大人達が言うとおり山すらも
美しい朱色だったであろう
……今思えば、あれは威厳ではなかったと思う。
兎も角、誰か人がいるのなら休ませて貰おうと思い僕は痛む左足を引き
けどそこには誰もいなくて、わりと大きな声で呼び掛けても応じる声もない。社の中は暗くてよく見えないけど、少し小さめの仏様があるのはわかった。そしてその前にはお供え物がされており、滅多にありつけない甘味の“おはぎ”が置かれていた。見たところ乾いてもおらず、まだ食べても問題は無さそうだったそれへと僕はそっ……と手を伸ばす。お供え物に手を出すなんてとんだ罰当たりだというのは充分理解していたが、抑えられなかった。十日もロクな飯にありつけていない僕にとって、目の前のおはぎはそれほどまでに魅力的だったのだ。
おはぎを掴み、口へ頬張った瞬間だった。
「そん
後ろから聞こえたのは軟らかくも肝の冷えるような女の声。怒られると思い、心臓がキュッとなる。
「坊、ちぃとおいでな。
ええ子にしとるんなら、なぁんもせぇへんから」
カラカラと笑うような調子で女は続ける。
「……もし、逃げるん言うなら……そうさなぁ、そん萩の代わりにお前の
僕は大人しく振り返り、声の主を見上げた。
そこにいたのはやや背の高い黒髪のお姉さん、巫女服とはちょっと違う独特の衣装を纏った綺麗な人だった。ニコニコと笑ってはいるけれど、細めた目は笑っていない。
僕は大人しくお姉さんに手を引かれ、山の奥へと向かっていく。
どこへ連れていかれてしまうのだろうか、何をされるのだろうかと怖くて仕方なかった。溢れそうになる涙と笑う膝を必死で堪えていると、お姉さんは不意に足を止め何かを手渡してきた。
「しかし細いなぁ坊、とりあえずこれでも食べなんし」
手渡されたのは丸々とした
「まんま
そういってお姉さんは僕の手から桃を取りあげると豪快に齧り、それを手渡してきた。僕は再び手渡されたそれを同じ様に齧り、すぐにかぶりつく。不思議なことに種のない桃を平らげるまでそこまで時間はかからなかったと思う。
「ほんなら、いこか」
食べ終わるや否や、休憩もなくお姉さんと共に山を上る。上った先にあったのは先程よりも古い社だった。屋根は崩落し、中にあった仏様は雨風にさらされてか、頭や腕の一部が無くなっている。
見上げていると、先程まで隣にいたお姉さんは居なくなっていた。どこへ消えたのかと辺りを見渡すと、大きな盃に大量の生魚を乗せたお姉さんが仏像の裏から現れた。
「さぁ、食べよし」
「……生は、食べれないよ」
「はぁ……?
坊は
どっと置かれた生魚はどれも丸々と肥えており、とても美味しそうだった。けれど、生では食べれない。手をつけずにいるとお姉さんは生魚をバリバリと食べていた。
そうして生魚を
──多分、このお姉さんは人じゃない。けど神様でもない。
おっかぁ、おっとぉ……ごめんなさい。僕、もう会えないかも──
内心諦めていた僕を、お姉さんはどうもしない。ただじっくりと舐め回すように見つめた後、深い溜め息をついた。
「ろくなもんを食べてないんやねぇ……坊、お前は
「七つと、少し……です」
「
「そ、そんなこと、な……ない!」
口にしてから気づく。親をバカにされた気がして言い返してしまったけど、物凄く不味いことをしてしまったのではないかと。
目を丸くしていたお姉さんは暫くすると体を折り、くっくと笑いを漏らす。そして腹を抱えて快活な笑い声をあげる。
「あぁ、ええなぁ……いいなぁ、ほんに偉いねぇ坊。そんな坊にゃ、たんと褒美をやらんといけんなぁ」
そういってお姉さんは立ち上がりふらりと姿を消してしまう。それから数分も経たず戻ってきたお姉さんの抱える
「
ニィッと
「大丈夫大丈夫、こん肉は生でもイケるでなぁ……ほれ」
「い、いた……だき、ます」
口に含んだ生肉はまだほんのりと温かく、けっこう生臭い。けれど食べられなくはなかった。目前でニタニタと嗤うお姉さんの視線を感じながら生肉をどうにか
「ごち、そう……さ、ま……です」
「ふふふ、お粗末様……ええ子、ええ子」
満足そうにお姉さんは笑い、僕の頭を撫で回す。僕の頭は、捌いたときの血やら脂やらで赤く黒く染まったその手でぐしゃぐしゃにされた。それから数日もの間、僕はお姉さんと共にこの古びた神社で生肉を食べて過ごした。
──出会った時と同じように、お姉さんとの別れは突然だった。
ある朝、お姉さんは僕を連れて山を降りた。そして
「……そろそろ、頃合いや。
ほんなら、またなぁ……坊」
お姉さんは目を細めてニィッと嗤う。そうして含みを残した笑いと共に山の奥へと消えてしまった。僕は時折後ろを振り返りながら山道を下り山を出て、膝から力が抜けた。そこにあるはずのものがなくなっていたのだ。
そこにあったはずの村はなく、村があった場所は土砂によってどうしようもないくらいぐちゃぐちゃになっていた。項垂れ呆然としていると、今度は低い男の声。
「どうなされた、幼子よ」
振り向いた先に居たのは若々しいお坊様だった。
僕はお坊様に自分はここの村の者であるこもを伝え、この数日で何が起きたのか知らないかと尋ねる。お坊様は首をかしげ、この村が川の氾濫により壊滅したのは
そうして身寄りの無くなった僕を、お坊様は引き取ってくださった。修行の日々は辛かったけれど、お坊様は優しく愛情をもって育ててくださいました。
そうして僕は成人を迎え、修行僧として全国を巡ることになったのです。まず向かったのは今は無き生まれ故郷、川の氾濫と山崩れにより滅びたそこで僕は供養のために経を唱える。
この日のために用意した
「あの痩せっぽっちがこうも大きくなるとはな……ふふふ」
忘れようもない、あのお姉さんの声が背後から聞こえた。僕が振り返ると、あの日と変わらぬ美しさを携えたお姉さんがそこにいる。目を細めうっすらと口角を上げた妖しげな笑みを浮かべて。
「久しゅうなぁ、坊。息災じゃったか?」
「お久しぶりに御座います、───様」
「畏まるなよ、小坊主。
……しっかしまぁ、あの時の坊がよもや坊主になるとはの。世の中何が起こるかわからんのぅ?」
「ええ、全くです」
彼女の言う通りだ。自分自身、まさか仏門へ身を置くとは思っても見なかったのだから。笑うかと思ったが、彼女はいぶかしむ様な目付きで此方を見据えている。
「……何があったのかは、聞かんのだな?」
「ええ、聞きませんよ。それを聞くには、私は弱すぎますから」
「つまらん奴だのぅ……興醒めじゃ、何処へなりとも消えるがよい。そしてもう二度とは逢うまいよ、坊」
彼女はその場で反転し、青々と繁る山へとその姿を消してしまう。僕はその後ろ姿が完全に消えてからも、暫くその場を離れずにいた。
──あの日、僕がどこにいて、何を食べたのか。
村で起きた災害を引き起こしたのが誰なのか。
消えてしまった母の遺体がどこにあるのか。
僕は、全てわかってる。
そして僕は、二度と
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