短録.「邦」When life gives you lemons, make lemonade.


 僕の棲む村には小さなヤシロがある。

 そこに奉られた神様の名前は解らず、自然と僕らは社様ヤシロサマと呼んでいた。

 けれどその社がある場所を僕達は知らなかった。知らなかったと言うよりは、知ることが出来なかったというべきだろう。そのヤシロの事を大人に聞くと、やんわりと断られるかこっぴどく怒鳴られる。

 どうしてか気にはなっていたけれど、怒られるのが嫌だったから自然と口にすることはなくなった。他の子達も同じように、歳が七つを越える頃には誰も話題にすることはなくなっていたのだ。

 そうしてなにも知らず、記憶の彼方へと社様は追いやられ何時かは忘却するのだろう。幼い僕は心の何処かでそんな風に思っていた。



 ──けれど、そうはならなかった。



 僕が初めて社様に出会ったのは半月も雨が降り続き、ようやっとお天道様を拝むことが出来た日だ。

 その年は兎に角おかしな年で、村の老人達も不思議がっていた。採れる魚は皆一様に痩せこけ、山菜も伸びが悪く筋だらけだったり虫食いにあっていた。畑は山から降りてきた動物に食い荒らされ、猟に出れば殺気立つ獣にしか出会わない。

 村人は当然痩せ細り、誰も彼も肋骨が浮き上がっていた。けた頬とは裏腹にその腹だけがぷっくりと膨らむものさえ増えている。子供らは始めの頃こそ「餓鬼がきじゃ、餓鬼じゃ。地獄の底から這い出おった」と囃し立てたりしていたものだが今では同じ様な体型になりつつある。

 当然僕もそう、ひもじさのあまり木の根をかじるような事も増えた。このままでは不味い、死んでしまうと思って僕は一人で山へ入ったんだ。


 そこで僕は目を疑った、村の大人達が言うとおり山すらもけていたのだ。それでもなにかないかと思い、道無き道を進むが長く続いた雨のせいで酷い泥濘ぬかるみだった。案の定足を取られ、僕は斜面をごろごろと転がり落ちた。痛む体を起こし、周囲に目をやると少し離れたところに社のようなものを見付けたのだ。

 美しい朱色だったであろう鳥居とりいは所々塗装が禿げ落ち、中身を晒していたが威厳のようなものは感じられる。

 ……今思えば、あれは威厳ではなかったと思う。


 兎も角、誰か人がいるのなら休ませて貰おうと思い僕は痛む左足を引きりつつ社へと向かったんだ。

 けどそこには誰もいなくて、わりと大きな声で呼び掛けても応じる声もない。社の中は暗くてよく見えないけど、少し小さめの仏様があるのはわかった。そしてその前にはお供え物がされており、滅多にありつけない甘味の“おはぎ”が置かれていた。見たところ乾いてもおらず、まだ食べても問題は無さそうだったそれへと僕はそっ……と手を伸ばす。お供え物に手を出すなんてとんだ罰当たりだというのは充分理解していたが、抑えられなかった。十日もロクな飯にありつけていない僕にとって、目の前のおはぎはそれほどまでに魅力的だったのだ。


 おはぎを掴み、口へ頬張った瞬間だった。


「そんはぎうまいかい、ぼん?」


 後ろから聞こえたのは軟らかくも肝の冷えるような女の声。怒られると思い、心臓がキュッとなる。


「坊、ちぃとおいでな。

 ええ子にしとるんなら、なぁんもせぇへんから」


 カラカラと笑うような調子で女は続ける。


「……もし、逃げるん言うなら……そうさなぁ、そん萩の代わりにお前のあしさ貰うけど?」


 僕は大人しく振り返り、声の主を見上げた。

 そこにいたのはやや背の高い黒髪のお姉さん、巫女服とはちょっと違う独特の衣装を纏った綺麗な人だった。ニコニコと笑ってはいるけれど、細めた目は笑っていない。

 僕は大人しくお姉さんに手を引かれ、山の奥へと向かっていく。

 どこへ連れていかれてしまうのだろうか、何をされるのだろうかと怖くて仕方なかった。溢れそうになる涙と笑う膝を必死で堪えていると、お姉さんは不意に足を止め何かを手渡してきた。


「しかし細いなぁ坊、とりあえずこれでも食べなんし」


 手渡されたのは丸々とした瑞々みずみずしい桃、今まで見たことも食べたこともないような上等品だった。


「まんま丸齧まるかじりせぇ、ほれ」


 そういってお姉さんは僕の手から桃を取りあげると豪快に齧り、それを手渡してきた。僕は再び手渡されたそれを同じ様に齧り、すぐにかぶりつく。不思議なことに種のない桃を平らげるまでそこまで時間はかからなかったと思う。


「ほんなら、いこか」


 食べ終わるや否や、休憩もなくお姉さんと共に山を上る。上った先にあったのは先程よりも古い社だった。屋根は崩落し、中にあった仏様は雨風にさらされてか、頭や腕の一部が無くなっている。

 見上げていると、先程まで隣にいたお姉さんは居なくなっていた。どこへ消えたのかと辺りを見渡すと、大きな盃に大量の生魚を乗せたお姉さんが仏像の裏から現れた。


「さぁ、食べよし」

「……生は、食べれないよ」

「はぁ……?

 坊は難儀なんぎやなぁ」


 どっと置かれた生魚はどれも丸々と肥えており、とても美味しそうだった。けれど、生では食べれない。手をつけずにいるとお姉さんは生魚をバリバリと食べていた。

 そうして生魚を粗方あらかた食い荒らした後、お姉さんは僕をまじまじと見つめている。


 ──多分、このお姉さんは人じゃない。けど神様でもない。

 おっかぁ、おっとぉ……ごめんなさい。僕、もう会えないかも──


 内心諦めていた僕を、お姉さんはどうもしない。ただじっくりと舐め回すように見つめた後、深い溜め息をついた。


「ろくなもんを食べてないんやねぇ……坊、お前はいくつだ?」

「七つと、少し……です」

幼子おさなごにろくなママも食わせてやれんのか……甲斐性かいしょうのない親やねぇ……」

「そ、そんなこと、な……ない!」


 口にしてから気づく。親をバカにされた気がして言い返してしまったけど、物凄く不味いことをしてしまったのではないかと。

 目を丸くしていたお姉さんは暫くすると体を折り、くっくと笑いを漏らす。そして腹を抱えて快活な笑い声をあげる。


「あぁ、ええなぁ……いいなぁ、ほんに偉いねぇ坊。そんな坊にゃ、たんと褒美をやらんといけんなぁ」


 そういってお姉さんは立ち上がりふらりと姿を消してしまう。それから数分も経たず戻ってきたお姉さんの抱える大盃オオサカズキには、てらてらとした新鮮な生肉が乗せられている。


手間てまえにゃ刃物ハモノはまだ早かろうて、先に腑別ふわけてさばいておいたわ」


 ニィッとわらうお姉さんは切り分けた生肉を素手で掴みあげ、ずいと押し付けてくる。


「大丈夫大丈夫、こん肉は生でもイケるでなぁ……ほれ」

「い、いた……だき、ます」


 口に含んだ生肉はまだほんのりと温かく、けっこう生臭い。けれど食べられなくはなかった。目前でニタニタと嗤うお姉さんの視線を感じながら生肉をどうにか咀嚼そしゃくし、何度もえづきそうになりながら次の肉を頬張る。結局僕が食べ終わるまでお姉さんは何処にも行かなかった。


「ごち、そう……さ、ま……です」

「ふふふ、お粗末様……ええ子、ええ子」


 満足そうにお姉さんは笑い、僕の頭を撫で回す。僕の頭は、捌いたときの血やら脂やらで赤く黒く染まったその手でぐしゃぐしゃにされた。それから数日もの間、僕はお姉さんと共にこの古びた神社で生肉を食べて過ごした。




 ──出会った時と同じように、お姉さんとの別れは突然だった。


 ある朝、お姉さんは僕を連れて山を降りた。そしてふもとへと続く山道に差し掛かったところで、お姉さんは立ち止まり僕の手を離す。


「……そろそろ、頃合いや。

 ほんなら、またなぁ……坊」


 お姉さんは目を細めてニィッと嗤う。そうして含みを残した笑いと共に山の奥へと消えてしまった。僕は時折後ろを振り返りながら山道を下り山を出て、膝から力が抜けた。そこにあるはずのものがなくなっていたのだ。

 そこにあったはずの村はなく、村があった場所は土砂によってどうしようもないくらいぐちゃぐちゃになっていた。項垂れ呆然としていると、今度は低い男の声。


「どうなされた、幼子よ」


 振り向いた先に居たのは若々しいお坊様だった。

 僕はお坊様に自分はここの村の者であるこもを伝え、この数日で何が起きたのか知らないかと尋ねる。お坊様は首をかしげ、この村が川の氾濫により壊滅したのは三月みつきも前の事だといった。そして生存者は、誰1人として居ないと言うことを教えられた。


 そうして身寄りの無くなった僕を、お坊様は引き取ってくださった。修行の日々は辛かったけれど、お坊様は優しく愛情をもって育ててくださいました。

 そうして僕は成人を迎え、修行僧として全国を巡ることになったのです。まず向かったのは今は無き生まれ故郷、川の氾濫と山崩れにより滅びたそこで僕は供養のために経を唱える。


 この日のために用意した位牌いはいを胸に、僕は小さな社を数日かけて組み上げそこへ位牌を納めた。再び念仏を唱え、立ち去ろとした瞬間──


「あの痩せっぽっちがこうも大きくなるとはな……ふふふ」


 忘れようもない、あのお姉さんの声が背後から聞こえた。僕が振り返ると、あの日と変わらぬ美しさを携えたお姉さんがそこにいる。目を細めうっすらと口角を上げた妖しげな笑みを浮かべて。


「久しゅうなぁ、坊。息災じゃったか?」

「お久しぶりに御座います、───様」

「畏まるなよ、小坊主。

 ……しっかしまぁ、あの時の坊がよもや坊主になるとはの。世の中何が起こるかわからんのぅ?」

「ええ、全くです」


 彼女の言う通りだ。自分自身、まさか仏門へ身を置くとは思っても見なかったのだから。笑うかと思ったが、彼女はいぶかしむ様な目付きで此方を見据えている。


「……何があったのかは、聞かんのだな?」

「ええ、聞きませんよ。それを聞くには、私は弱すぎますから」

「つまらん奴だのぅ……興醒めじゃ、何処へなりとも消えるがよい。そしてもう二度とは逢うまいよ、坊」


 彼女はその場で反転し、青々と繁る山へとその姿を消してしまう。僕はその後ろ姿が完全に消えてからも、暫くその場を離れずにいた。


 ──あの日、僕がどこにいて、何を食べたのか。

 村で起きた災害を引き起こしたのが誰なのか。

 消えてしまった母の遺体がどこにあるのか。


 僕は、全てわかってる。

 そして僕は、二度と姦蛇羅カンダラ様に逢うことはないだろう。


 かか様、僕はこの奇跡を無駄には致しません。ですからどうか、僕の命が潰えるその日までそちらでお待ち下さい。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る