短和.Spice Things Up...?
今日は天気が良かったから二人で出掛けることにした。どのお店に行こうとか、そういう予定が一切ないノープランデート。その最中、立ち寄った喫茶店で私達は軽食を済ませ現在に至る。
「マリーナ、マリーナってば」
向かいに座る彼女へ声をかけてみたけど反応が薄い。私ではない何処か遠くを見つめているようだし、考え込んでいるようにも見えた。
「ねぇマリーナ、どうしたの?」
「なんでもないよソレイユ、お腹が膨れて少し眠くなっただけだから」
人差し指で頬を軽く掻きながら申し訳なさの混じった笑みを浮かべる彼女。多分だけど、彼女は嘘をついてる。あの仕草を見せる時のマリーナは大体なにか悩み事を抱えているし、あの程度の食事量で彼女が満足した事は一度もない。
「嘘が下手だよマリーナ、何を悩んでるの?」
「……相変わらずソレイユは鋭いな」
彼女は観念したかの様に小さく肩をすくめて、ため息と共に私へと視線を戻した。
「私の鼻が良いのは、ソレイユも知ってるよね」
「勿論だよ、何年一緒に暮らしてると思ってるの?」
「だから……その、街中を歩くと色々な匂いに触れるだろう」
当たり前だ、街中には様々な店がある。山椒や唐辛子といった香辛料の強い香りを出す店もあれば、甘ったるい匂いのするケーキ屋だってあるのだから。
「今でこそ魔族と人間が仲良くやれているけど、私の中にはそうじゃない時代のほうが多く存在してる。だから色々と、嫌な思い出を連想させてしまう香りというのも当然ある。
中でも甘い香水の香り、ムスク系と言えば伝わるのかな。私はあの匂いが特別苦手で、どうしても気になってしまうんだ」
「……そっか」
思えば昔、こんな匂いがした時にも彼女は今と同じように考え耽っていた気がする。あの時はただ考え事をしているだけなのだと思い込んでいたが、実際は過去の忌むべき記憶を掘り起こされていたらしい。
「……ごめんソレイユ、湿っぽくしちゃって」
「大丈夫、気にしてないよ」
湿っぽい雰囲気を無くしたくて笑ってはみたけど、あまり上手く笑えた気はしなかった。マリーナも笑おうとしてたんだろうけど、自然な笑みじゃないから余計に湿っぽくなってしまう。
それからの会話はなんだかぎこちなくて、私達は早々に喫茶店を後にした。それから家に帰っても、なんだかお互いに会話がしづらくて普段なら寝ないような時間に寝てしまった。
翌朝、私が目を覚ますと彼女はまだ眠っていた。
元から彼女は朝に弱く目覚ましがなければ昼過ぎまで寝る事も珍しくない、だと言うのに私は静かにゆっくりと寝室を後にしていた。嫌な自己分析になるけれど、多分無意識の内に関わることを避けている。これはきっと互いを過剰に気遣ってしまったが故のものなんだとは思うけど、気分の良いものじゃない。
そんな事を思いながら作り始めたのは二人分のサンドイッチ。食パンにレタス、ハム、チーズの順番で乗せていき最後にまた食パンを乗せる。パンのミミは取り除かず、対角線上に包丁を入れて二等分したそれを皿の上にのせてラップをかけておく。
それから自分の分を皿に乗せ、手早く朝食を済ませて化粧などの身支度を簡単に済ませる。最後に一枚、メッセージカードに”ちょっと出掛けるね。朝御飯はこれを食べて。“と一言書いてから静かに家を出た。
一人、目的地へと向かう途中に昨日の出来事を反芻する。ムスク系の香りが引き金となったように、 記憶を想起させる引き金というものは沢山存在してる。何が引き金で、それが何を呼び起こすものなのか全て把握出来てる人なんて居ないだろう。 それに引いてしまったものは仕方がない、本人が上手く折り合いをつけて付き合い続けるかしないと私は思う。
今回私は意図せず彼女の引き金を引いてしまった訳で、其についてはやや申し訳ないと思う。だけどもう一つ、私はマリーナに謝らないといけない。
これから私は、私の我が儘で引き金を引くのだから。
向かう先は女性向けのフレグランスを多く取り扱うフレグランスショップ。若いカップルや一人の女性、友人と談笑しつつ選ぶ学生で店内は賑わっていた。
私はディスプレイされたフレグランスの説明文を流し読みしつつ、自身の望む香りを探していく。
──マリーナは匂いに敏感だけど、自分の香りには特別な拘りを持たない。拘りがないというかあれは恐らく、自身の纏う香りに興味がないだけなのだろう──
実を言うと“これが好き”などと拘りを持たない彼女に、私はある種の安心感を覚えている。彼女が執着するほどの何かはない、彼女を染めるものは無いのだと言う身勝手で邪な独り善がりの安心感。
だけど、いつまでもそうだとは限らない。
人間の私と魔族のマリーナ。
私は彼女よりも先に逝く、その未来は覆らない。
私の事を忘れはしないと、愛してると言ってくれた彼女を疑う訳じゃ無い。だけど不安になるのはどうしようもなくて、安心するための保険が欲しいの。
──爪痕でも良いから、彼女に覚えていて欲しい。
我ながら酷い理由だと思いつつ手にしたのは海をモチーフにしたという香水。説明欄にあるのは“透明感のある静かな香り”という短い一文のみなのに、私の興味を強く引いてくれた。どんな香りなのか気になったので、近くに居た店員へと声をかけ試しに嗅がせてもらう。
鼻腔をくすぐるのは軽く透明感のある爽やかな香りだった。それは西瓜のような軽い甘さを感じさせる瑞々しい香りに、ちょっぴり皮の青っぽい香りが混ざったようなもの。夏の日に海辺で嗅いだ潮のようなそれも混ざっているのに、とても軽い印象が残る不思議なフレグランス。
これは初めて彼女と出会ったあの海を思い出させてくれるような、そんな不思議な香りだった。
懐かしい思い出に浸りつつ購入手続きを済ませ、少し洒落た梱包を施して貰ったそれを手に帰路へつく。
「ただいま」
「お帰りソレイユ、サンドイッチ美味しかったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
「マリーナ、これ」
「これは……香水か」
私から手渡された包みを開き、その中身を視認した瞬間に彼女の顔が曇る。彼女の反応は想像通りだけど、やっぱり心に刺さるものはあった。
「……やっぱり、香水は嫌い?」
小さくても鋭い痛みを隠すように聞いてみる。
「香りにもよる、けど……」
「嫌なら嫌でいいの」
「……少し、嗅いでみていいかな」
「いいよ」
蓋を開けそこへ向かって一吹きし、手で煽るようにして匂いを嗅ぐマリーナ。少し強張っていた顔に驚きの色が混ざり、寸秒と経たず見慣れた優しい笑みが浮かんでいた。
「……こんな良い匂いもあるんだね、ありがとう。これなら毎日使いたいくらいだ」
「気に入ってもらえてみたいでよかった」
──初めはただ、匂いに纏わる彼女の嫌な記憶を和らげてあげたいだけだった。
だけど何時からかな。
香水の纏う記憶も、彼女の匂いも上書きしてやりたいなんて思うようになった。私の匂いで染めてやりたい、匂いを引き金に私の事を思い出せるようにしたいと、心の何処かで願うようになっていた。
私の我が儘で引いた引き金は、マリーナに綺麗な
それがとても嬉しくて、それと同じくらいやるせなくなっていた。何者にも染まっていなかった彼女を汚してしまったような、そんな気がしてしまったから。
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