短片.パラドクス
──皆を、ゆるしてあげて。
木々の生い茂る森を駆けつつ、思い出したのは古い友人の願い。
君がゆるしてあげてと願った存在を私は許せない、奴らは何度でも私を殺そうとして来るんだよ。
──強すぎる。
只それだけの理由で私を勝手に恐れ排除しようとしてくる。国を一つ潰されたというのに彼奴等は何も学ばないし進歩しなかったんだ。ならばいっそ此処で終わらせてやるのが情けというものではないのか、ソレイユ。
唸る様な風切り音と共に爆発が巻き起こり、木々諸共地面が吹き飛ばされた。月夜に沸き立つ火柱は二つ三つと連続して発生し、それが崩れ去るよりも早く新たな爆炎と火柱が立つ。
この程度の攻撃で私の身体に傷が付くことはないが、煩わしい事に変わりはない。背負った両手剣を留め具から外し、攻撃が飛んできたであろう方向へ向けて無造作に振り払う。
片腕で放たれた斬撃は灼熱を帯びた光の奔流となり、彼女の目前にあった物を等しく飲み込んだ。
切り開かれた先にあったのは半壊した古城。その断面は赤く焼け爛れ、闇夜を明るく照らしている。数キロ先にある古城の詳細はよくわからないが、あと一撃加えてやれば確実に崩壊するだろう。
彼女は両手で剣を構え直し、同じ方向へ向けて力一杯振り下ろす。放たれたのは先程の数百倍はあろうかという太さの光の奔流、それは寸分違わず古城を飲み込み爆炎を巻き上げ夜空を照らした。
「……強すぎる、か」
いや、それは違う。ただ両手で構えて振り下ろしただけの一撃で崩れ去る彼奴らが弱過ぎるんだ。
弱い癖に数ばかり増やして、自身の管理が及ばない域にあるものを恐れ駆逐しようとする。かといって自分より弱いものを守る事はなくて、爪弾きにして存在を認めない。
私にはその有り様が理解できない。
わからないのなら手を出さずに極力避ければ良いだけだし、弱いものがいるのなら守れば良い。そうして数を増やして、自らの生活圏だけを守り続ければ良いだけじゃないか。
……私の行為は悪くない。殺人は罪と言うが、これは正当防衛の範囲だ。先に手を出してきたのはあいつらで、和解の素振りすら見せない方が悪い。勝手に私を恐れて身勝手に滅ぼそうとするのだから、逆に滅ぼされても文句はない筈だろう。
剣を留め具にかけ直し、倒壊したであろう古城へ向けて走り出す。障害物がないのなら、初歩から全速力を出しても問題はない。
地鳴りにも等しい轟音と共に駆け抜けた一つの影は瞬く間に燃え続ける古城へと辿り着く。これは燃え続ける、というよりは融解し続けていると言ったところか。古城の材質は恐らく岩、人間はそこに魔術防壁を施し防御力を高めたのだろうがそんなものは無駄なのだ。
「────っ!」
突如、溶け落ち続ける古城から何者かが飛び出してきた。人間なら一瞬で焼け落ちる程の熱を物ともせずに飛び出て来たのだ、まともな存在ではない。
飛び出してきたのは三つの人影。皆一様にして黒い鎧に身を包んでおり、その手には様々な武器を握っている。黒鎧には何か仕込まれているのか、溶け落ちた岩石に犯される様子はない。
「破壊しか知らぬ獣め、覚悟しろ」
鎧兜の奥から聞こえたのは嗄れた男の声。他の鎧よりも二回り大きく、その手に握られた武器は身の丈を超える漆黒の大剣。男が武器を構えると、それに合わせて二人も武器を構える。
両手剣に手をかけた瞬間、一番近くに居た鎧が槍を突き刺して来る。
しかしそれは虚空を切り、鎧の視界から魔王の姿が消えた。魔王は全身の力を抜き、倒れるよりも滑らかに鎧の真下へと滑り込む。極力姿勢を低く、それこそ上体が地面につくギリギリまで。そうして全身の力を巡らせ上体のバネを加えて、繰り出された一撃は凄まじい物だった。
凡そ生物から聞こえる事のない異音と共に浮き上がる鎧、その胴鎧は凹み砕けている。
彼女が繰り出したのは躰道に見られる卍蹴りという技。しかし威力はその比に非ず、重厚な金属はひしゃげ内から吹き出した血液は魔王を濡らした。
それを意にも介せず、卍蹴りから続けて繰り出したのはヤクザ蹴り。
追撃は正確に鎧の胸を捉え、凄まじい速度で鎧は大木へと叩き付けられる。轟音と共に大木は倒れ、叩き付けられた鎧は二度と動くことはなかった。
彼女の背後から迫るのは鉄槌を構えた黒鎧、魔王は振り向き様に右ストレートを繰り出しその顔面を殴り飛ばす。
「────ふっ!」
吹き飛ばされる仲間を他所に強襲を仕掛けたのは大剣持ちの黒鎧。彼が振り下ろした大剣は伸びきった魔王の右腕を正確に捉え、その肘から先を切り落とした。
吹き出した血に一瞬だけ驚いた表情を見せる魔王。しかし痛みによって止まるような彼女ではない、振り下ろされた大剣を踏みつけて切り落とされた腕を掴むと一旦跳び退いた。
「……隕鉄製か、その大剣」
「如何にも、お前を斬るためにこさえた武器だ」
厄介な武器だと言わんばかりに溜め息をつく魔王。隕鉄製の武具は魔素を断つとされるのだが、隕鉄自体が希少であり滅多に作られるものではない。故に魔王は油断していたのだろう、只の鉄なら斬られるわけがないと。
大剣持ちの鎧から視線を外さず、魔王は切り落とされた右腕を断面へ押し付けた。刹那、繋ぎ目となった部分が脈打ったかと思えばそれは即座に治まり、継ぎ目一つ無い綺麗な腕となっていた。
「──化け物が」
「化物で結構だ」
留め具から獲物を外し、魔王が静かに両手剣を構える。先程同様にそれは鞘からは抜かれておらず、肉厚なダンビラ剣と化している。重厚さという点においては黒鎧の大剣と同等だが切断力、打撃力共に数段劣る。
──数分の睨み合いの末、先に仕掛けたのは魔王。
足元を掬うような低空一閃、黒鎧は大剣を地面に突き立てこれを防御。両者の武器は衝突し、小さな火花を散らす。魔王の一撃が重かったのか、防御に回った黒鎧が僅かに体勢を崩す。追撃として放たれた回し蹴りは黒鎧の脇腹を捉えたが、脇を締められ逆にそのまま足を掴まれてしまう。
黒鎧は大剣を手放し、魔王の足を確りと掴むと反撃が飛んでくる前に彼女を投げ飛ばした。投げ飛ばされた彼女は空中にも関わらず体勢を建て直し、進路上にあった大木へ着地。その体制のまま木を蹴り飛ばし、空を駆ける矢の如き勢いで跳んでいく。
跳躍時の加速を殺さずに振るわれた一撃は先程よりも重く、黒鎧の胴体目掛けて打ち込まれる。黒鎧は大剣の腹でそれを受け止めるのではなく、タイミングを合わせて滑らせるようにして凌ぐ。魔王が着地した瞬間、その一点を狙い打ち込まれた大上段を魔王がその両手剣で横凪ぎに払い除ける。
その勢いを殺さず滑らかに黒鎧の真下へと滑り込む。先刻同様に極力姿勢は低く、上体が地面につくギリギリまで近付けた状態で繰り出されたのは卍蹴り。
硬質な物を蹴り砕く破壊音、魔王の蹴りは黒鎧の左肩を砕いていた。それは相当な痛みの筈なのに、黒鎧もまた魔王同様に怯むことなく反撃を繰り出してきた。浮きかけた体勢から繰り出された蹴りは魔王の腹を捉え、僅かに後退させる。
「お前、人間じゃないな……?」
「ははは……そうだな。お前寄りにはなったがまだ人間だよ」
嗄れた声で答えた黒鎧は大剣を地面に突き立て、鎧兜を脱ぎ捨てる。露になったその額には仄かに輝く一組の短角。それは魔素に適応することが出来た人間に生えるものであり、桁外れの筋力と生命力を持つ。
それを見た彼女の顔は、悲しみと怒りの入り交じった複雑なものであった。
黒鎧が兜を被り直すのと同時に、魔王は鞘から剣を抜く。抜かれたのは波打つ細身の刀身、見方によっては枝のようにも見えるかもしれない。魔王はそれを逆手に持ち変えると、躊躇いなく自らの腹へ突き立てる。
「──戒めを祓い我が血を捧げよう。
──厄災を以て世界に終わりを与え救いをもたらせ。
──炎剣・レーヴァ!」
叫びと共に引き抜かれた剣は劫火を纏い周囲を真昼の様に照らしている。最早火柱と変わりないそれを魔王は両手で構え、黒鎧目掛けて振り下ろす。黒鎧は防御姿勢を取らずに真横へステップイン、先程まで黒鎧がいた場所は灼熱により溶け始め地面を赤く濡らしていた。
魔王はそこから強引に横凪ぎへと繋ぎ、その一撃は黒鎧の大剣を捉える。炎剣と接触した部分は一瞬で赤熱し、咄嗟に離れたが刀身は歪んでしまう。黒鎧が大剣を構え直し、突撃をかけようとしたその瞬間──
魔王の足元から湧き出た莫大な熱によって後退を余儀なくされた。超高温により溶け出した地面の底から現れたのは一体の巨人、その輪郭は常に揺らめき不定形のまま。口とおぼしき部分からは白炎をちらつかせ、大木を思わせる巨腕には黒く輝く大剣が握られている。
地の底から現れた巨人は上半身のみを現すと、獣とも人とも異なる雄叫びを上げ黒鎧目掛けて大剣を振り下ろす。振り下ろされたそれは莫大な熱量を纏う実体のない剣、咄嗟に避けようとしたってもう遅いのだ。振り下ろされた剣が軌跡を残し地面に触れた瞬間、魔王の前方十キロは劫火に飲まれてしまった。
紫煙に揺らめく炎に飲まれた物は等しく溶け落ち、その姿を消して行く。それは勿論黒鎧も同じ、多少は耐えたのだろうが悶える暇もなく溶け落ちてしまう。
後に残されたものはなにもなく、魔王の周囲数十キロに生き物の気配は無くなっていた。魔王が未だ燃え盛る炎剣の炎を払うように一振りすると、その炎は一瞬で消え去り巨人も霧散してしまう。
「──っ……ぐ」
巨人の霧散と同時に魔王は膝を付き、数度の吐血を繰り返した。それが治まったタイミングで彼女は口元を手の甲で乱雑に拭い去り、剣を鞘に戻し留め具へとかけ直す。その動作は緩慢であり、足元もやや覚束ない様子だ。
──たった1分の顕現でこれか。
聞かせる相手のいない自嘲を漏らし、深い溜め息をつく。
今回は隕鉄製の武器ごと焼き払う都合上、仕方なくあれを呼び出した。しかも上半身のみという縛りに加え、只の一撃しか許していない。だというのにこの有り様では燃費が悪すぎるし、その焼却範囲もまるで制御しきれていない。こんな消耗した状態は良くない、一先ずは休まなければ。
未だ煙燻る爆心地にて魔王はその肢体を放り出し、無防備な状態で眠りにつく。すると彼女を覆い隠すように炎が沸き立ち、繭のようにすっぽりと覆ってしまった。
その炎は魔王が目覚めるまで絶えることはなく、近付くもの全てを等しく焼き続けたという。
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